21)占星術探偵「大阪の運河」

文字数 16,901文字

21ー1)

 この作品は大阪を舞台にしている。それなのに大阪的な雰囲気や、大阪人的やり取りがまるで描かれていないと指摘されることがある。
 当然、そのような指摘は批判のポイントを外していると言えるだろう。「笑いと人情、庶民の街」というこれまでのイメージを無視することが、この作品においての大阪の描き方だ。
 東京のメディアや、大阪に住む人たちが自らの自己愛によって作り上げた、それらの通俗的イメージ。幸か不幸か、この街にはそのようなものが確固として存在する。
 それを覆すわけではない。対抗するのでもない。把握しつつも、乗り越えるのでもない。ただただ無視、そのような通俗性に出来るだけ近寄らない。それが私の目指している大阪の描写の仕方である。
 いや、無理して、そのようなイメージのほうに近寄らない、と言い換えることにしよう。
 それとなく自然にその通俗的大阪が描かれたのならば、それはそれでよしとする。何なら儲けものといった気分。
 きっとそれは自らの身体性から発せられたもので、通俗的大阪なるものの真実をかすめたという証し。

 とはいえ、その通俗的な大阪がどんなものか、本当の意味において実感出来るところに住んだことがあるわけではないのであるが。
 下町の大阪、それがどこにあるのか知らない。いまだに存在しているのか、かつては存在していたけれど、今は消えてしまったのかも、知らない。いずれにしろ、そのイメージ拡大に加担する気はないという宣言だ。

 ということで、突然、舞い込んできた密着ドキュメンタリーとかインタビューの仕事のことが気になるところであるが、私は自分の部屋に戻り、いつもの作業を開始している。我が作品、その読み返しの続き。

 探偵飴野は大阪の運河にいるようだ。柘植の前から立ち去った彼は船に乗って、佐倉に会いに行こうとしている。
 運河は雨で荒れていた。小さな船の揺れは激しい。慣れない乗客ならば船酔いするかもしれない。
 とはいえ、大阪の運河を往く船に長時間乗る客は滅多にいない。飴野だって十数分間だけの乗船だ。
 船着き場を降りたら徒歩で地下鉄の駅まで移動して、結局は電車に乗る予定だ。
 やはり地下鉄は便利である。船と電車を併用すれば、タクシーよりも早く到着出来る場所は多い。しがない探偵飴野にとって、それがベストな交通手段。
 もちろん、この大阪に住む一般の人たちにとってもそれは同じだ。この架空の大阪の運河を往く船は、地方都市の路面電車のようなものだろうか。いはゆる、トラム。
 つまり、バスだ。いや、実際のバスはたくさんこの街を走っている。だからそれは水上バスだ。
 しかしその呼称は情緒に欠ける。何が何でも、「船」でなければいけないだろう。

 ヴェネツィアの「ゴンドラ」のような、何度も口に出して唱えたくなるような呼称を思いつくことが出来れば最高なのだけど。
 しかし実際には、そのような船も、それどころかこの運河すら存在していないのに、架空の名称をつけるのは難しい。
 架空の交通手段に独自の名称をつけるなんて、何か独りよがりな行為に思えてしまう。
 大阪に架空の運河を描く行為そのものにすら、何か恥ずかしさに似た感情を感じるのである。ましてや、それに独自の名称をつけるなんて。
 そういうわけで、ただ単に「船」としておこう。



21―2)

 この作品に描かれる運河の全てが今、現実の大阪には存在しているわけではないが、実際の大阪には河が多い。そしてその河を、観光クルーズ船が行き来もしている。
 その船を参考にすることは可能だけど、しかしやはりそれとも違う。この作品の水路でだけ運航している船。
 飴野が乗っているその船は、どのような形態をしているのであろうか。

 小説の場合、「船」と書いただけで、そこに船が存在してくれる。
 それだけで、水に浮かぶ浮力を備え、風が吹かなくても前に進む動力を備え、適当な人数の客を乗せるだけの広さと快適さを備えたあの船が現れ出てくれるのである。
 読者それぞれが、過去の経験や知識、想像力を駆使して、船なるものを勝手に思い浮かべてくれるわけだ。

 もしこれが映画であるならば、大道具係りさんが、本物の船か張りぼての船を用意しなければいけない。
 漫画の場合、漫画家本人かもしくはアシスタントが船を描く必要がある。小説にはそのような作業は必要ない。
 それは小説の利点ではあろうが、しかし全てを読者の想像力に委ねるわけにはいかない。
 この作品はそれほど前衛的でも抽象的でもない。いや、そんな手法はただ単に作家が怠惰か未熟なだけ。
 電車を描く場合は、「電車」と書くだけで問題はないかもしれない。もしくは阪急電車とかJRなどの具体名。
 しかし架空の運河に浮かぶ架空の船を、ただ単に「船」と書いて済ますわけにはいかないだろう。
 この小説の中にだけ存在する「船」を読者と共有するために、それなりに具体的な描写が必要だ。
 さて、そのようなわけであるから、私はこの船の姿を具体的に思い浮かべておく必要があった。

 まずはこの船のサイズ。
 そこは狭く浅い運河だ。大きな船は航行不可能である。とはいえ、ヴェネツィアに浮かぶゴンドラほど小さくはない。ここでも、やはりバスを持ち出すべきであろう。
 水上バスという言葉は頑なに拒否したい私であるが、その運河を航行する船は地上を走るバスのようなサイズ感。それが最適ではないだろうか。
 しかし相対的な意味においてだ。道路の幅とバスのサイズ感を、運河の幅と船のサイズに置き換えるというイメージ。

 次にその船のシェイプ。それにはきっと屋根はある。窓もある。中には通路があって移動することも出来る。船は揺れるから手すりもあり吊り革もある。
 当然、広告の類で、中はごちゃごちゃとしている。「大阪の夜景を独り占め、川沿いリバーサイドマンション誕生」などと書かれた不動産、この路線内の小さな診療所、今週発売の雑誌など様々な広告で溢れているだろう。

 路線バスに近いイメージなのだから、船自体の乗り口か出口で料金を支払うシステムに違いない。
 今はスマホをタッチして、簡単に乗り降り出来る。そんなものがなかったときはコインを投入したり、車掌に支払ったり。いずれにしろ駅のような改札口はない。

 デザインはどのようなものがいいだろうか。
 公共の乗り物だ。市か府が運営しているのだと思う。そういうわけであるからデザインに力は入ってないだろう。外装全てが広告になっている可能性もある。
 シックで高級感溢れるデザインの船が航行している夢を見たいのだけど、きっとリアリティがあるのはそっちのほうだ。

 橋はそれほど高く作られていないはず。雨で水かさが増すと、橋の下をくぐるのは更に困難になる。だからきっとこの船の屋根は低い。

 この船はどのようなエネルギー源を用いて走っているのだろうか。
 蒸気ではないだろう。電力で走るのは、今のところ実現不可能らしい。
 やはりディーゼルエンジンになるのだろうか。多くの船のエンジンがそれで走っているようであるから。




21―3)

 大阪を描くことも私の文学のオブセッションだろう。実際の大阪。架空の大阪。理想の大阪。未来の大阪。私が描いているその舞台には、様々なものが混じっていると思う。
 街を描くことは人物を描くのと同等の価値がある。ウイリアム・ギブソンの「千葉シティ」、中上健二の「路地」、フォークナーの「ヨクナパットーファ郡」、宮沢賢治の「イーハトーブ」。
 他にも様々な街の名前を挙げることは可能だろう。私もそれらの先例に倣い、この舞台の設定に労力を注ぐ。
 ということで、船、その運河の話題は続く。

 電車やバスの便利さに、船が敵うわけがない。船は前時代の乗り物、新しい時代に駆逐されてしまったものだ。
 重い荷物を運ぶために牛馬とか人夫に頼っていた時代、大阪の街に運河を張り巡らし、水運を利用することは合理的な知恵で、船こそ最も有効な移動手段だった。
 しかし道路が整備され、レールが敷き詰められ、ガソリンや電力で駆動される乗り物が誕生して、運河と船の役割りは終わった。

 しかもだ。水は腐り、悪臭を放つ。人とモノを運ぶが、悪疫も運ぶ。そして時に氾濫を起こして、街を水浸しにする。
 そんなものをさっさと埋め立てる決断を下した、近代大阪の役人か市長に我々は感謝すべきなのだろう。
 それなのにこの小説の中には、その不合理で前時代的なものがいまだに存在していて、主人公はそれに乗って移動する。

 この運河を使えば、道頓堀から遠く離れた大阪城の近くまで航行することも可能である。更にその北、淀川までだって続いている。
 もちろん河に出ることが出来るのだから、大阪湾にだって行けるはず。その手前、ユニバーサルスタジオジャパンという名の巨大な遊園地にも。
 とはいえ、その遊園地がこの架空の大阪に存在しているのかどうか定かではないが。確か登場人物たちはそこに行くこともなく、話題にすることだってなかっただろう。
 ここは実際の大阪とは少し違う大阪なのだ。しかし飴野はときおり、この遊園地で遊び疲れた観光客たちとすれ違ったりもしているに違いなく、そのような空気の気配を描いた記憶もないわけでもなくて、やはりこの架空の大阪にも実在しているのかもしれない。

 運河が続いている限り、どこまでも航行が可能であるが、この運河はもっと近距離の移動に適している。
 大阪ミナミの繁華街の辺りをぐるりと巡る航路がメイン。そのために利用している客が最も多いという設定だ。
 環状線、東京で言えば山手線のように丸くループしているのだ。
 もちろんその円のサイズはそれらに比べられるレベルではなくて、ずっと小さいが。形も丸いというより、四角形をかたどるように作られている。

 例えばこのような感じ。どこでもいいのであるが起点の船着き場を道頓堀の「戎橋前」として、そこから逆時計回りで船に乗るとしよう。
 戎橋は大阪の観光名所の一つ。言わずと知れた大阪で最も有名な橋。戎橋商店街と心斎橋商店街を結ぶ橋であり、普段から人通りも多い。
 祭りの日など、なぜか大阪中の人たちが自然とその橋に集まる。東京で言えば渋谷の交差点のような、不再議な活力の漲る場所。
 戎橋には川べりへ降りる階段もあり、そこを歩くことも出来る。
 現実の大阪のこの場所に船着き場があるわけではないが、今でもすぐに設置出来るスペースは充分にあるだろう。架空の船着き場をイメージしやすい。何より、この運河は今でも現存している。つまり、道頓堀川のことであるが。

 というわけで、そこから船に乗り、西のほうに漕ぎ出していくことにする。
 だとすれば「戎橋前」から出発したその船が辿り着く次の船着き場は、「大黒橋前」がいいのではないだろうか。
 御堂筋の下をくぐり、更にもう一つの細い橋をくぐれば、あっという間にその船着き場に到着だ。
 ここは飲食店やホテルが立ち並ぶエリアである。そこのどれかの店が目当ての客は、この船着き場で降りるのが便利という次第。とはいえ、この辺りのホテルはラブホテルが大半を占めるのであるが。
 この船の航路は、大阪ミナミの繁華街を周回することにあるというのはさっきも書いた。
 大阪ミナミの繁華街の約三分の一は飲食店とホテルで出来上がっているのようなものであるから、どの船着き場で降りても、どちらかの行き当たるだろう。



21―4)

 少し調べるだけでわかることなのだけど、驚くべきことに現実の大阪にも船着き場は無数にあるようだった。
 まるで川と縁のない生活をしている我々であるが、その気になれば船に揺られながら移動することが出来るわけである。
 大阪府民に知られていない、おそらく観光客向けの船着き場。いや、観光客にだって知られてはいないかもしれないが。

 例えば道頓堀川からそのまま大阪湾のほうへ下れば、「湊町船着き場」というのに辿り着くだろう。
 その船着き場は現実の大阪で稼働しているのだ。しかも何やら現代的に整備されていて、お洒落と言ってもいい建物が並立している。
 その船着き場のすぐ傍に「なんばHatch」なる八角形の形をした大きなライブハウスが建っていて、運河と音楽が結びついていたりもする。
 川べりの広場ではダンスの練習する若者がいたり、大阪らしい光景と言うべきか、漫才の練習をする二人組だって散見されるのである。

 私が勝手にでっち上げた「戎橋前」という船着き場の近くには、「日本橋船着き場」や「太座衛門橋船着き場」が、現実の川辺に存在していたようである。
 「戎橋前」などを作ったりせず、私の作品の登場人物たちもその船着き場を利用しても良かったはずであるが、それを書いたとき、その存在を知らなかったのだからやむを得ない。実在しているということは、呆気なく消滅している可能性だってある。

 ということで、いくつかの船着き場は今でも稼働しているのだけど、現実の大阪に存在していないのは、ミナミを周回することが出来る運河自体である。
 道頓堀川から北上する西横堀川、それが今は埋められてしまっているから、運河が円として繋がってはいないのだ。
 かつて運河が流れていたその場所には、もう水の流れはなく、阪神高速道路を支える太い支柱が建ち並ぶだけだ。
 その高架下はほとんどが駐車場として使われているよう。
 運河とはまるで反対の利用のされ方だ。何も流れていかないモータープール、自転車と自動車がズシリとそこに留まっている。

 一部の運河は消えてしまった。とはいえ、別にその跡地に高速道路が作られたことに何の問題もないだろう。
 船の時代から自動車の時代に変わり、その変遷する時代のニーズに対応するため、街だって変わる必要があったに違いない。
 今でも東横堀川という運河は存在しているのだけど、その河の上、流れに沿って高速道路が作られている。
 運河と高速道路が上手い具合に併存していると言える。
 用地買収の労に煩わせられることなく、速やかに新しい道路を敷くには川の上が最適だったらしい。その河の流れの上にそのまま高速道路を敷いたわけである。
 ならば消えてしまったほうの運河、西横掘川だってその扱いで良かったはずなのに、何の因果か埋められてしまったのだけど。
 いや、疑問の余地はない。運河に存在価値がなくなったから埋められただけ。その決断に異論を差し挟む余地などはないに違いない。
 むしろ現存している東横堀川が異常なのかもしれない。

 さて、現実では消えた西横堀河が、いまだ存在している小説の中の大阪の話しに戻ろう。
 架空の何かを説明するのは独りよがりな行為に思えてしまい、かなりの割り合いで虚しさが心を占めたりするのであるが、しかしその航路は存在していないのだから必死に説明しなければ伝わりもしないという現実もあり、作者である私は虚しさを感じながらその作業に勤しむ。
 しかし、それはもしかしたらあり得たかもしれない街の姿でもあり、まるで現実と接合していないわけでもなく、まして出鱈目などでは決してない。
 この架空の運河の可能性を考えることは、現実の大阪を語ることにもなろう。



21―5)

 「戎橋前」の船着き場を出発した船は、「大黒橋前」という船着き場を過ぎ、間もなく右方向へと旋回することになる。今は埋め立てられている西横堀川を北上するため。
 次の船着き場が存在するとすれば、きっと「アメリカ村前」だろう。
 実際、そこに船着き場があればとても便利だと思う。
 アメリカ村という大阪では有名な一角。古着屋や居酒屋やライブハウス、いはゆる若者向けの店が建ち並ぶところ。
 現在のその一角を歩きながら、あり得たかもしれない運河の光景に思いを馳せてみると、その街がピタリと運河沿いに存在していることがわかる。
 多くの建物が運河の波で常に外壁を濡らされ、その平均的水位の高さに苔が生えているに違いない。

 アメリカ村といえば三角公園が有名である。アメリカ村はその公園のお陰で、気軽に街頭に座れる街となっているのかもしれない。
 小さな公園ではあるが、それがアメリカ村の特色を規定しているはず。
 つまり、「縁日」の雰囲気。お祭りの日に、神社の境内に夜店が並ぶ、あの空気感。いはば心斎橋周辺、アメリカ村などは常に祭りが開催されているような趣きである。
 その船着き場を「アメリカ村前」と命名したが、「三角公園前」という名称のほうが相応しかっただろうか。

 ところで、これも余計な説明なのだけど、「アメリカ村前」の船着き場を降りて、今はそのようなものはないが西へと架かる橋を使って運河の向こう岸に渡り、そのまままっすぐ歩いていくと、堀江の繁華街が広がっている。
 大阪において、それなりに有名な場所だから、そのエリアについて言及することにする。

 堀江はアメリカ村より、一ランク上の街だと言えば語弊があるだろうが、インテリアショップや少し高級な服飾店、セレクトショップが並ぶ一帯だ。
 アメリカ村が十代後半から二十代前半の若者が集まる、あえて例えるならば、「スニーカーの街」だとすれば、堀江は二十代後半以上の人たち向けの、「ハイヒールと革靴の街」だろうか。
 更にその下手な喩えを続ければ、アメリカ村がスケーターファッションとヒップホップの街だとして、堀江はジャケットとクラブミュージックの街。

 余計な説明だとは言ったが、架空の運河について語るとき、この堀江エリアは決して無視することが出来ない場所なのかもしれない。
 かつて、この辺りにも運河が張り巡らされていたようなのである。しかも、けっこう稠密な運河が。
 その水運を利用して材木の扱いが盛だったらしい。そこから派生して、家具屋が数多く並んでいた。
 きっとおそらく、手作りの高級家具屋ということであろうか。大量消費社会が本格化したせいか、このような家具屋が生き残る余地は消え、今はその数も減少したようであるが、その名残りのようなものはこの街に残っている気がする。
 家具作りに注ぎ込まれた職人の意気やデザイナーのセンスとかいったもの、その魂といえば気障過ぎるが、それに類するもの、そういうものは消えておらず、別の形として継続しているよう。
 それが歴史ということなのだろうか。何ならば地の霊、いはゆる、地霊の力とか。少なくとも家具屋の跡地に、パチンコや有り触れたチェーン店が建つことはなかったわけであるから。

 この街の紹介をしたいわけではない。堀江の街の敷居は高く、特に親密感を感じていたりもない。何か詳しいことを知っているわけでもないからさっさと切り上げて、本来の話題に移りたいのだけど。
 しかし西横堀川から西の辺り、この堀江の街にも、架空の大阪の運河はまだ残っているのかどうかという問題について言及しておきたい。
 古地図を見ると、堀江の街にも稠密な運河が存在していた。何ならば心斎橋と難波を結ぶ運河より更に細かく連絡していて、その交通網はとても便利そうである。

 しかし結論から言えば、この運河は消えているという設定だ。
 架空の大阪であっても、消えた運河もあれば残った運河もある。堀江の街を東から西に流れる運河は全て埋め立てられ、跡形もなく消え去ったという設定。
 どうしてか? それを上手く説明出来たりはしないのだけど。
 正直なことを告白すれば、私は大阪の中心、心斎橋と難波を結ぶ運河のありようにだけ熱中して、その地帯以外のことを深く考えていなかった。
 その余裕がなかったのである。古地図に描かれた昔の大阪には、それくらいに広大に運河が張り巡らされていたのである。

 今もそこに運河があったならば、いったいどのような街になっていただろうか。今の大阪は根本から違うものになっていたかもしれない。水路が発達している特殊な街として、世界にその名が轟いたかもしれない。
 しかし架空の大阪にすら、もうその運河はない。船に乗って街を遊覧出来るのは、心斎橋と難波だけ。



21―6)

 大阪の街の説明に何の興味もない。ましてや架空の運河なんてどうでもいい、そのような意見が大勢を占めるのかもしれない。
 実際、読み飛ばしても何の問題もない。むしろそれを推奨したいくらいだ。魅力的に説明する自信だってないのである。
 そもそも「占星術探偵シリーズ」の本文にそのような個所はない。大阪が舞台であり、架空の運河がそこに存在しているわけであるが、それについて熱心に説明している文章はないはずだ。
 それが退屈で、物語のテンポを損なうようなものだということを、この私も知っているから。
 設定とか裏設定とかいうものは、さりげなく行と行の間に埋め込まれているべきだということ。

 真っ当なミステリーではないが、ミステリー的な作品ではある「占星術探偵シリーズ」は、舞台の設定を説明するという行為に禁欲的だった。そしてそれは充分に正しいことで。
 そうであるからこそ、私は自分の作品を読み返しながら、小説の本文に書かれることはなかった設定について語りたくなってしまったのだろう。
 あれほど細かく考えたのに、本文には採用されることはなかった情報、その開陳。

 というわけで、退屈かもしれない説明が、依然として続いてしまうのだけど。その事実に大変な恐縮を覚えるわけであるが。

 しかしこのような設定説明が書きにくい小説という形式に、むしろ限界を感じるべきなのかもしれないという気もしていて。
 確かに長々と設定を説明されると物語は停滞するのだろう。流れを形成している一本の筋を逸脱する、余計な情報の羅列を疎ましく思う気持ちはわかる。
 その一方、実はそれが退屈だなんて私自身はまるで思っておらず、むしろこのような情報とか説明だけで出来上がった作品を作りたいという願望すらあって。
 物語なんて、どうでもいい。読み安さなんて知ったことか。それが本音なのである。
 そんなものに気を遣わなくても、きっと愉快で楽しい読み物は作ることが出来る。実際、そのようなものはいくらでも存在しているはずだ。
 だからといって、私のこの文章がそれだと胸を張って言えるわけはないが。

 さて、「戎橋前」の船着き場を出発した船は、その架空の運河を北へ北へとと進んでいくのであった。
 「アメリカ村前」の船着き場を過ぎて、やがて「四ツ橋」と呼ばれている交差点に辿り着くだろう。
 かつてはここに四つの橋がかかっていたわけである。今、この辺りには一本の橋も存在していないが、地名にだけその歴史を残している。つまり西横堀川の南北の流れと、長堀川の東西の流れが、ここで交差していたのである。

 長堀川という川も今は消えている。心斎橋を東から西へと流れていた河川。ここに来て、運河を幻視するのが少しばかり難しくなってくる。
 西横堀川は簡単であった。高速道路の高架下に、そのまま運河は流れていたのである。それと対となる東横堀川のほうが今も残っている。西横堀川が埋め立てられずにそのまま残っていたら、今でも現存している東横堀川と寸分違わぬ形であったと断言出来るだろう。

 しかし長堀川はどのように流れていたのだろうか。それが埋め立てられて長堀通になったわけであるが、その河幅のイメージが簡単に沸いてこない。
 現在の長堀通は幅広い。かつてはこの通りがそのまま川だったのだろうか。
 今、海のほう、西の方角に向かう車線が三車線、場所によっては四車線。遡っていくほうも同じ三車線か四車線。つまり、長堀通は六車線か八車線の道路になっている。中央分離帯のスペースも充分に取られている。
 かなり広大な幅の道路なのである。運河を復活させても、それと車道が併存することは、それほど難しくないのかもしれない。その広大な中央分離帯のスペースをそのまま運河にすればいいのだ。
 もしかしたら二隻の船がすれ違うことが出来る幅はないのかもしれない。だとすれば、そこは一方通行だという設定にすればいい。そもそもこの周回路線は時計回りに限定するのもありだ。

 長堀川は全てきれいさっぱり埋め立てられて、長堀通という道路に置き換わってしまい、失われたその河幅のイメージが沸いてこないなんてことを書いたが、広大な中央分離帯のスペースがそのまま運河に成り代わりそうな造りをしている。
 この通りをデザインした人たちが、いつか運河の復活を期待して、予めそのスペース設けていた気配すら感じてしまうくらい。
 現実の長堀通の風景に、埋めてしまった運河への名残惜しさを見て取ることが出来る気だってするのだ。



21―7)

 ということで、架空の大阪の四ツ橋には、四つの橋だって架っているのだろう。きっと情緒も何もない、コンクリートの没個性な橋であろうが。
 西横堀川はまだ北へと流れていくが、我々の乗った船はここで再び右へと方向転換だ。
 このまま北へと進むと心斎橋の繁華街から遠ざかってしまう。ミナミの賑わいはこの辺りで終焉するだろう。
 この運河の航路はミナミを周回することにある。というわけで、その前に船は右に進路を変える。長堀川を川上に遡って、東へ移動し始めるのだ。

 船はここで東に進路を変えるのだけど、その先、四ツ橋の北の一帯は大阪の歴史において無視出来ない場所のよう。
 そこには巨大な遊郭があったらしい。江戸時代、大阪で唯一の幕府公認の遊郭だったという場所。
 明治になり、大阪の街も大きくなり、人の流れも変わり、更に他の遊郭が出来て、そして大きな火事にも見舞われたことで最終的にとどめをされて、その享楽の街はその地から跡形もなく消えてしまうのだけど。
 現在の街の風景はオフィス街という趣きだ。大きな通りに面しているところはオフィスビル、通りを入れば住居用マンションが立ち並んでいる。
 もう繁華街ですらなくなってしまった。厚生年金会館として建設されたコンサートホールが奥まった場所にあるくらいで、賑やかさもいかがわしさも何もない街となっている。

 この辺り、具体的に言えば御堂筋線の「本町」駅の近辺ということになるだろうか。ここに新町遊郭がかつて存在したらしいが、堀江には堀江遊郭が、難波には南地五華街という花街があったらしい。この辺りは遊郭だらけだったわけだ。
 堀江遊郭も南地遊郭も今はない。しかし現在も人の賑わいは絶えてはいない。
 堀江も難波心斎橋も大きな繁華街となり、たくさんの人が行き来して、莫大な金銭が遣り取りされ、様々な取り引きが交わされ、色も欲も、食欲も笑いへの要望も満たされる、活気に溢れた街として繁栄している。
 遊郭は消えたが別の形で賑わっている。むしろ街としては発展したと言っていいのかもしれない。
 その地の霊たちが人の賑わいを欲していて、それが満たされなければ祟るのならば、遊郭のあった時代より地霊たちはずっと満足していることであろう。
 地霊とはいったい何者かと眉をひそめられかねないところに、更にその種のオカルトめいた言葉を続けると、大阪ミナミはいわば陽の気に満ちていると思う。
 端的に明るい街だと思うのだ。
 大阪の楽天的な雰囲気の源は、全て大阪ミナミが発する印象に違いない。もう一方の大阪の中心、キタの梅田には陽気さなど、ほとんど感じられない。
 ミナミが存在しているから、大阪は愉快な街であるに違いない。

 この辺りは「島之内」と呼ばれる地帯なのである。現在、ミナミのその繁華街をそう呼ぶことは少ないと思うのだけど、かつてはその呼称が用いられていたよう。
 何ならばウィキペディアをそのまま引用すれば、船場は「商いどころ」で、島之内は「粋どころ」だったらしい。江戸時代の人々は島之内で遊んで、パッと散財していた。それは今も変わらない。
 その南の端が道頓堀で、そして北限が長堀通だ。そして西の端が西横堀川で東端が東横堀川。
 我々はさっきから、実はその「島之内」と呼ばれる地域の外周を、船で巡り回っていたわけである。

 さて、運河の説明に戻りたい。四ツ橋の辺りで右へと向きを変えた船は、長堀川を東へ進んでいる。
 このまままっすぐに東の方向に進んでいくと、船はとある場所に行き着くことになる。
 御堂筋だ。大阪を南北に縦断する街路。
 東京の山手線に対抗するものが大阪に辛うじてあるとすれば、御堂筋であるに違いないのだけど。
 東京の山手線が円を描いているとすれば、御堂筋は直線なので、形状も規模もまるで比較にならないとしても、山手線と同様、その線上に主要な駅や街がある。
 山手線と違い、御堂筋は地上と地下で形成されている。地上には幹線道路が走り、地下には地下鉄が走っている。その長さは約四キロ。企画したのは関一という市長で。

 御堂筋について語るのはまた別の機会にするとして。船はその御堂筋の街路と、ここで交差するわけだ。
 戎橋は御堂筋のすぐ手前に架かった橋なので、実は船は出発してすぐに御堂筋に架かる橋を潜っていて、今、一回りして二度目の交差である。

 きっと架空の大阪には、長堀川と御堂筋の道路が交差するこの場所に、それなりに大きな橋が架かっていることだろう。北から南に架かる橋だ。地下鉄「心斎橋」の駅もすぐである。
 道頓堀の辺りから様々な有名ブランド店が並んでいた御堂筋線沿いは、長堀通りを越えてもまだまだブランド店はブランド品を売るために建ち並んでいる。ウインドウショッピングする客足も絶えない。
 というわけで船着き場を設置するのならば、この辺りが最適のはずだ。船着き場の名称は「御堂筋前」か、もしくは「心斎橋駅前」で。



21―8)東横堀川

 まるで島之内の全域が繁華街か歓楽街の賑わいを見せているような書き方をしてしまったが、そんなことはまるでなくて、長堀通を東へと向かっていくうちに徐々に人通りは途絶え、街並みはいくらか寂れていく。
 いや、寂れるという表現は全く正確ではない。住宅街と化していくのである。
 あの喧噪は消え、ネオンの光は遠ざかり、静寂さえも感じられる。並んでいるのはマンションばかりとなる。公立の中学校すら存在している。
 さして広くない島之内であるが、北東部のこの辺りを繁華街と呼ぶ人はいないだろう。
 ここまで来れば、東に向かって流れていた長堀川は終わり、大阪を南北に流れる運河である東横堀川に合流していく。

 東横堀川は道頓堀と共にいまだ現存している運河である。
 それは暗い運河だ。阪神高速環状線がどこまでも、一度たりとてズレることなく、運河の流れの上をほとんど完全に覆っている。空は見えない。光は差し込まない。だから暗い運河なのだ。
 実在している東横堀川の川べりは、道頓堀のように整理されていない。川のほうに降りて、リバーサイドを優雅に散歩することは、現実の大阪において不可能だ。
 街は完全に川に背を向けている。柵から身を乗り出さなければ、水の流れを視界に入れることも出来ない。

 とはいえ、それは今の運河の姿である。実際に運河の航路として運用されている小説の中の架空の大阪においては、きっと上手い具合に、運河と建物と歩道が融合されているに違いない。
 何ならば島之内の北東部だって凡庸な住宅街ではなく、違う発展の仕方をしているかもしれない。

 そうではあるのだけど、小説の中の架空の大阪は、別に理想の大阪の姿などではない。
 作者の何らかの願望が込められてなど一切ない。それは是非とも強調しておきたいことで。
 架空の運河だってそうだ。それは美しくある必要などなく、むしろ現実の街の姿を反映しているべきであって、暗く、汚く、臭くあっても何の問題もない。
 そうであってもそれなりに便利で日常生活と密着していれば十分で、「大阪の街よ、ベネチアのようにあれ」などという大それた願望などない。
 私はそのような夢を見たりしない。いや、何ならその運河が日常生活に密着していなくても問題だってない。もしかしたらベネチアの運河だって、その風景は美しいが、流れている水は淀んでいて、大変な悪臭を放っているかもしれない。運河は別に清潔なものではないだろう。
 とにかく重要なのは周回航路船が運行されていて、それなりに利用もされているという事実だけ。それがこの架空の大阪のシンボルなのである。

 さて、東横堀川にまで辿り着いた船はそこで右に旋回して、その運河を南へと下り始めている。
 とっくの昔に運河クルーズに飽きているに違いないが、その終わりも近づいているので、最後までこの作業を貫徹したい。

 しかし島之内の北東部は住宅街なので、さして語ることもない。そこは軽快に飛ばして、先を急ごう。
 橋を渡った先、運河の向こう側に松屋町商店街があり、人形の街として有名であるが、その街について面白く語る知識を今のところ何も持ち合わせてもいない。
 松屋町を左に、船は南へ下っていく。しばらくは静かなゾーンを進んでいたが、南へと進むにつれて、再び繁華街の賑わいの中に戻っていく。島之内の南東の一帯に到着だ。
 飲み屋や飲食店、雑居ビルが少しずつ増え始める。しかしまだまだ、ネオンや喧騒からは遠い。その一方、驚くべき大きさのリムジンカーが停車していたり、何やら不穏な空気も流れるゾーン。
 海外のエスニック食品を扱う商店や飲食店も散見される。コインランドリーがあったり、自転車の違法駐車が目立ったり。
 船着き場として最適なのはどの辺りだろうか。東堀橋という橋があるようであるから、ここを船着き場としよう。

 ところで、この辺りの地名は何やらどれも趣きがある。松屋町を筆頭に、鰻谷通りや大宝寺通り、三津寺筋に竹屋町筋、瓦屋町などなど、江戸の情緒を感じさせる町名で溢れている。
 それを証明するように、旧町名継承碑 『問屋町』という石碑があったりもする。その石碑があるのはちょうど、「東堀橋前」の船着き場のすぐ傍。
 問屋町は消えた町名で、松屋町などはそのまま残った町名ということなのだろうか。
 近代の大阪は江戸の大坂の上にそのまま築かれた街である。そのとき運河が消えたように、消えた町名もある。
 消えた運河を辿ることは、消えた江戸の大坂を辿ることと同義でもあるのだ。
 とはいえ、個人的には江戸の大坂にあまり興味はなかったりもするのだけど。



21―9)

 終点は近い。もうこのまま一気に語り切ってしまうことにする。
 東堀橋という橋を更に南下して、上大和橋を潜り抜ければ、遂に道頓堀の運河への帰還である。船が左に旋回すれば、ここで暗い運河も終わる。
 昼間であれば太陽の光がいっきに差し込んできて、それに感動するだろうし、夜であっても道頓堀のビル群の光が鮮やかに目に入り、その光景に心が動かされるはずだ。
 東横堀川から道頓堀へと流れ込んでいくこの箇所は、この航路の中で最もダイナミックにしてドラマチックなところ。
 しばらく静かで味気ないゾーンを進んでいた船は、大阪ミナミの喧噪の中に戻ってきたわけだ。
 いや、そこに到着するまでもう少し船を漕ぐ必要があるが。例によって、この辺りもラボホテル街でしかないのであるが。
 運河の向こう岸に行けば国立文楽劇場がある。その周辺がラブホテル街なのである。大阪の街において、由緒正しい芸能の劇場はこのような場所と共存している。

 船は道頓堀を西に進んでいる。ラストスパートの直線にまで来たのだ。
 その運河に架かる橋、下大和橋を過ぎ、更に日本橋という大きな橋にまで来れば、そこから先が道頓堀商店街となっていて、大阪ミナミの最も賑わう場所に帰ってきたことになる。

 船着き場は橋の近くが最適であろう。日本橋という橋を南に渡れば、近鉄の日本橋駅がすぐである。
 船着き場の名称は「日本橋前」でいいだろう。

 道頓堀の北側には宗右衛門町がある。ホストクラブとキャバクラと違法カジノがひしめき合っている歓楽街。
 道頓堀の向こう岸、南側には道頓堀商店街があり、そこは大阪で最も有名な観光スポットだろう。
 「かに道楽」をはじめとした派手な看板が並んでいる。とげぬき地蔵で有名な法善寺が、路地を入った先にある。
 大きな通りに出れば、というか、そこが御堂筋なのであるが、御堂筋なんば駅の構内に降りることの出来る地下への入り口が、そこいらに散在している。
 そして戎橋だ。というわけで、島之内の周回航路は一周し終えたことになる。これで無事に始点に戻った。

 ようやくこの話題もここで終わるのだけど、最後に付け加えることがあるとすれば、「日本橋前」の船着き場が、探偵飴野の住んでいる事務所に最も近いという情報だろうか。
 いわば、最寄り駅ならぬ最寄り船着き場。
 彼の住居兼事務所はこの道頓堀川から南に分岐する運河沿いにあるという設定だ。
 それは下大和橋と日本橋の間からちょろりと南へ分岐する運河。今は埋め立てられているが、それも実際に存在した運河である。
 古地図から想定するに川幅はそれほど広くなさそうである。別の河に流れ込むような運河でもなく、果ては行き止まり。
 というわけであるから、この運河を航路とする公共の船はない。タクシーのような貸し切りの船か、プライベートの船だけが航行しているという設定。
 飴野が船に乗るときは、「日本橋前」の船着き場を使う。
 そこから船に乗り、さっきから散々説明してきた島之内環状航路、その航路を船でぐるりと周り、「御堂筋前」で地上に降りて、地下鉄御堂筋線に乗るなんてこともあるのだろうか。



21―10)

 大阪ミナミを周回する航路の説明を終え、ここでようやく、小説の本筋に帰還することと相成ったのだけど、私はすっかり疲れ果てていて、その作業にさして熱心に取り込む気になれない。
 しかしまだまだ夜は長い。適当に休息をしたり、別の作業を挟みながら、その仕事を進めるとして。

 昨日はどこまで読み進めていたっけ? カフェで柘植という探偵と会い、何とか彼とのコネクションを築くことに成功したシーンまでだ。
 飴野はそこを立ち去り、船に乗っている。ミナミを周回する例の航路に。
 そう、だからさっきまで私は、その架空の運河について長々と説明していたわけである。

 探偵は佐倉彩に会いに行くのである。そのために船に乗ったのだ。それなのにどういうつもりなのか、飴野はまたもや降りるはずだった「長堀橋駅」の船着き場を見送ってしまった。これで三周目に突入だ。

 先程、架空の運河について長々と説明した割りには、全ての船着き場について言及し切れなかったのだけど、飴野が下りようとしている船着き場は、その割愛した一つの「長堀橋駅」である。
 島之内の北東部にある船着き場。彼はそこで降りて、地下鉄堺筋線に乗るつもりだった。

 飴野が何周もグルグルと船に乗り、目当ての船着き場に到着しても、降り損ねている理由。それは特に説明を要するようなことでもない。
 飴野は迷いの中にいるのだ。柘植との会話で得た情報を処理し切れていない。木皿儀の自殺、そのことの持つ意味。
 それは予想もしていなかった出来事だった。この事件に本格的な「死」が立ち現れてきて、飴野はその事実に戸惑っている。

 それまでの死は、ホロスコープを解釈したときに垣間見えただけの抽象的な死に過ぎなかった。つまり若菜氏が死んでいるかもしれないという予見。
 その死をもたらしたのが佐倉かもしれないとはいえ、飴野はその死を怖がったりすることはなかった。
 むしろこの失踪事件に華を添える派手な装飾、その程度の認識だったのである。

 しかし新たに現れたこの死には既に墓石が拵えられていて、役所も公的に受理していている様子。
 探偵飴野はそのような「本当の死」と向き合わなければいけなくなった。その事実が彼をナーバスにしているらしい。

 とはいえ、彼はまだその事実を自分の目でしかと確かめたわけではないが。木皿儀という男が死んだかどうか、それを確かめる作業を済ませたわけではない。
 飴野は経験豊かな探偵ではない。数々の修羅場を切り抜けてきた、タフで頼れる主人公なんかではなくて、翻弄されて、惑わされ、見失い、打ちのめされて失敗する探偵だ。
 全てにおいて彼は半端なのだ。探偵として生きていくのか、占星術研究家として名を挙げたいのか定かでなく、その両方に手を出す、どっちつかずの素人。
 そういうわけで飴野は木皿儀の死を前にして、いささか混乱しているのである。
 しかし大目に見ようではないか。彼はこの作品の主人公だ。最終的には難事件を解決して、その度に成長もするだろう。

 ところで更にもう一つ、我らが主人公飴野が抱いている疑問がある。
 運河の荒い波にぐらぐらと揺られながら、さっきからその疑問が彼の頭の中でも揺れているのだった。
 それは佐倉と木皿儀という探偵、その二人の関係についての疑問。

 占星術が二人の何かを暗示しているわけではない。木皿儀の火星と佐倉の金星が引き合っているとか、彼女の月が彼の太陽と調和しているとか、二人の親密さを暗示させる目立つアスペクト、そんなものはない。
 そもそも飴野はホロスコープを眺めて、その疑惑が到来したわけではない。
 ただ単に直感を得たのだ。それは探偵としての直感でもなく、生活人としての勘。
 佐倉は木皿儀と男女の関係にあったのではないか? 
 その関係が行き着く果てに、ある者の失踪と、ある者の死があった。そのような推理。

 その推理には飛躍があるだろう。まだ何も確かなことはわからない段階に過ぎない。
 しかし佐倉と木皿儀が男女の関係であったかどうか、確かめられる方法がある。
 佐倉が飴野にも身体を許せば、彼女は木皿儀と寝ていたことが証明されるのではないか。飴野はそんなことを考え始めてもいた。

 そのために飴野は佐倉に言い寄らなければいけない。佐倉が彼を拒否するか受け入れるか、見定めるための行動。
 しかしそれがまた、彼の脚を重くしている。


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