36)占星術探偵「起承転結の転のパート」
文字数 15,887文字
36ー1)
「お前は何者だ?」と問いながら、探偵は探しているのだ。痕跡と気配を求めて街を歩き回り、失踪者を知る人物に会って話しを聞いたり。
いや、そういうことは申し訳程度にしかこなしていないが、それよりも彼は占星術探偵だから、ホロスコープを何度も読み返して。
具体的に言えば、この作品においてその失踪者は若菜、若菜真大である。若菜さん、あなたはいったい何者なのと、飴野は虚空に問い掛け続けている。
しかし何者かという問いは、いったい何を意味するのだろうか。
どのような答えであれば、それは充足されるというのか。失踪者を見つけ出すことが出来れば、答えられたことになるのか。
「お前は何者だ?」という漠然とした問い。しかし「お前はどこにいるのだ?」では足りないのである。
きっと、飴野は若菜という失踪者の心の裡を暴き立てようとしている。彼が隠していたもの。秘密だけではない、その人物が誤魔化そうとしたり糊塗しようとしたもの、弱さや悩みをも突き止めようとしている。
「お前は何者だ?」と問い、簡単にその解答には到着しない。飴野は僅かな情報を拾い上げて、ちょっとした欠片を基にして、そこから想像を羽ばたかせて、その答えを推測していく。
最初、若菜氏のイメージはどこにでもいる一小市民、平凡な人物であった。
しかし自分の探している相手が、平凡であり来たりでは物足りないとばかりに、その問いを繰り返しているうち、その人物像は異質で常軌を逸したものにエスカレートしていくものなのかもしれない。
それは探偵の欲望というよりも、作家の欲望、何ならば読者の欲望であろうか。
その傾向の芽生えこそ、若菜氏が佐倉彩を尾行しているかもしれないという疑惑。
彼はどこかに身を隠し、こっそりと彼女の生活を見張っているという像。そして挙句の果てには殺人者。木皿儀を見事に殺しおおせ、自殺に見せかけるという偽装を企てたという疑い。
思い返すまでもなく、飴野が抱いた当初の若菜真大の像は弱さを極めていたと言っていいだろう。飴野は会ったこともないその男性、若菜氏を心のどこかで侮ってすらいたかもしれない。
彼は性的不能かそれに近い男であり、それが原因で恋人との仲が円滑に進まず、その結果、「アルファ教団」という組織に嵌ってしまった。
それは女性との性的関係からの撤退。あるいは社会からの撤退。彼は自分だけの孤独な世界に閉じ籠ったのだ。
そこはある種の楽園ではあろう。競争もなく、奪い合いもなく、誰かに傷つけられることもなく、ささやかな己のプライドをいつまでも保ち続けられる場所。
なぜって、その世界には自分以外に何も存在しないからだ。ただひたすら、自分と、もっと具体的に言えば自分の肉体と向き合うだけの生活。それがアルファ教団が推奨する教え。
アルファ教団の会員たちの多くはそのような人物に違いなくて、若菜氏だってその典型だろうと推理していたのである。
しかし一向に若菜氏は見つからない。彼が何者なのか答えが得られない。
そのうち、若菜氏を弱者だと推理することに飽きたのか、その推理にマンネリを感じたのか、探偵飴野はちょっとした試しに、これまでとまるで違う発想をしてみようとするのである。
弱者の側に振られていた針を、今度は思いきり逆の方向に振ってみようという試み。
しかしちょっとした試しに、であったはずなのに、その推理に彼はひどく魅力を感じてしまったというところだ。
「これではないのか!」と、そんなふうにピンと来てしまった可能性もある。
その結果、飴野の考える若菜像はとんでもない巨大な化け物と化すのである。偉人と形容してもいいくらいの人物に。
36―2)
私はまだ眠らない。デスクの前に座り続けて、自作を読み返し続けている。
もうこの作業を切り上げてもいいのだけど。
時間に追われているわけでもない。読むことに夢中にもなっていない。この作業をやり切らなければなんて切迫感も感じていない。
何ならば良い具合に眠気も押し寄せてきていて、目を閉じれば健やかに眠りに落ちそうな気分だった。しかし、まだもう少しだけ読んでおこう。
本当にもう少しである。このチャプターを読み終えたら眠る。こんなもの、十数分も掛からない。
というわけで、コップ一杯の水を飲んだだけの休息のあと、私は即座に作品の世界にダイブする。探偵飴野は自分の事務所に帰るために夜の大阪を歩いている。アスファルトの道、ぼんやりとした街灯の光、夜に始まる道路工事の現場。
彼はぐったりと疲れ切っている。何とも長い一日であったのである。千咲の通う高校の前まで赴いて彼女と会い、しばらく事務所に近寄らないでくれと言い渡したことが、もうずっと前の出来事に思えてくる。しかしあれは今日のこと。
それから飴野は天満にあるアルファ教団に乗り込み、その組織のトップの酒林と会ったりもした。
その人物と会うことが出来たのはこの日の最大の収穫であったが、しかし待っていたのは拍子抜けの感触。彼が予測していた実態とは違った。
飴野はアルファ教団を恐れていた。最大限の警戒心を抱いていた。狷介で残酷で無慈悲で抜け目のない狼のような連中と対峙することになるつもりでいた。それなのに彼を出迎えたのは、特に吠えもしない子犬だったわけだ。
いや、犬ほど愛らしい生き物でもないが、どことなくビクビクとした視線で飴野を見返してきたのは確か。
飴野は一日中動き回って、しかも当てが外れたのだから、体力どころか全ての気力も消尽していても不思議ではないはずだ。がっくりと肩を落として、深いため息などをつきながら、帰路についていて当然。
しかし彼の足取りはイキイキとしていた。何ならば、瞳もランランと輝いている。
アルファ教団の酒林と会い、その施設を出た直後、山吹と電話で話しをしながら天満橋筋を歩いていた。
その電話も切り終えて、完全に一人になった頃である。探偵飴野はふと、思いついたことがあった。
思いついたどころではない。探偵飴野はこのとき、この事件の全てがわかった気にすらなった。
いや、それは言い過ぎだとしても、次に何を調べるべきなのか、はっきりと定まった。
そしてその結果次第では、この事件が解決しそうな予感も感じた。それゆえ、疲れなど吹き飛ぶほどの高揚感の中にいた。
その瞬間以降、飴野の頭脳は急速に回転を始めている。これまで空白だった部分が埋まったり、どの情報ともつながらずにフラフラと揺れていた紐の先端が、別の事実と固く結ばれたりし始めている。
これまで、まだ上手く言葉にすることが出来なかったり、詳細は曖昧であったり、どちらなのかと二者択一で迷っていたりしていたことも今、一つに収斂し始めていた。
これはミステリーのあらゆる主人公が辿り着く時間であろう。起承転結の「転」のパートがそこなのだろうか。
探偵飴野の直感は事件の全貌を一気に掴んだわけだ。
とはいえ、まだ解決には至らない。探偵がその謎について説明を始めるわけでもない。
事件の全貌がわかったとしても主人公たちはだいたいのところ、それを隠したまま行動する。
わかったことをしっかりと確かめるために動いたり、曖昧であったり迷っている部分を明らかにするため、これまで通りに捜査を継続するだけ。
36―3)
事務所への帰路の途中、彼は行きつけのラーメン屋に寄るのであった。疲れてはいない。気分は高揚している。
とはいえ、高揚感が空腹を抑えるわけはない。むしろその高揚感が、彼の食欲を旺盛にしているのかもしれない。飴野はラーメンと大盛りチャーハンと鶏の唐揚げを食べることにする。
そのラーメン屋は全ての席が一人掛けで、隣の席とは高い仕切りで区切られている。完全に自分のプライベートを確保出来るタイプの店。
全国チェーン店の店舗ではなくて、昔ながらのラーメン屋が仕事帰りの一人客向けに改装したらしい。
手持ちのスマホで注文をすると、目の前の壁が開き、そこから店員の手が伸びてきて、出来立ての料理が運ばれてくるという仕組みだ。
壁に向かって一人でもくもくと食事をしながら、探偵飴野は小島獅子央のことを考えていた。
若菜氏のことではない。飴野が考えているのは小島獅子央だ。
その人物、固有名だけは知れ渡っている。もちろん一部の界隈、アルファ教団の会員たちにのみであるが。
一方、その名前以外、全てが謎であり、何一つとして明らかになっていない。とにかく「文学とアナルオーガズム」という書物を書いたことだけ。それだけにおいて有名であり、それだけにおいて価値を持つ人間。
注文した全ての料理を食べ終えて、事務所に戻っても飴野は着替えることなく、ネクタイさえ緩めることなく、満腹感と共にすぐさまその人物の名前を検索する。まだ仕事を継続しているという意識である。
小島獅子央についての情報を集めるだけ集めるのである。
とはいえ今更、新しい発見などない。ネットに書かれていることなど、ほとんど全て飴野の知っている情報に過ぎない。小島獅子央に関する情報は何一つとして新しく更新されていない。
その人物、年齢も不詳である。どこで生まれたのかもわからない。飴野は何となく勝手に仙人のような老人を想像していた。白い装束をまとい、顎髭は腰まで伸びている、インドの修行僧のような世捨て人。
しかしそれがとんでもない勘違いだったら?
アルファ教団のサイトに簡単な年表のようなものが掲載されている。この教団を立ち上げたのは酒林である。
大阪の福島区に最初の施設はあったようだ。しかしこのマニアックな組織はまるで上手くいかず、鳴かず飛ばずのまま時間だけが過ぎていく。
「そもそも大変な借金があったんです。経営していた会社が不渡りを出して、私は一発逆転の思いでこの組織を立ち上げました。しかし誰も興味を持ってくれる人はいなかった・・・」というのが酒林の談。
そんな彼の許にある人物がやって来たのである。年表には奇蹟の出来事などとかと書かれている出会い。
小島獅子央が「文学とアナルオーガズム」の原稿を携えて、酒林の許を訪ねたというのだ。
その出会いのことを、酒林は何度も繰り返し語り直しているようである。小島獅子央のこの原稿を読むなり、「足りないのはこれだった」と天啓に打たれたとか、実は読み始めるまで数カ月も放ってしまっていて、読んでもあまりピンと来なかったとか、その出典によって差異はある。
いずれにしろ、「文学とアナルオーガズム」の原稿を読み終えた酒林は、「一緒にこの組織を運営しましょう」と小島に持ち掛けた。
そのようなアクションを起こしたことは、どの出典先も共通している。小島獅子央の書物を、自分の組織の理論的バックボーンとすることを決断したのだ。
これで自分のアナルオーガズムを教えるセミナーは成功を収めるだろうと、大変な確信を抱いたと語っているときもあれば、こんな理論書を得たとしても、どうせ事態が変わることはないだろうと諦めていたと語っているときもある。
共同経営を持ち掛けられた小島は断ったそうだ。私はただ、自分の本が役立てばそれでいい、というのが彼の答えだったそう。
小島の書物の力のお陰なのだろうか、確かにそれを機に酒林の奇怪な組織は軌道に乗り始める。
やがて「アルファオーガズム教団」と名称を改め、その活動は大阪、関西だけに止まらず、日本全国に拡大していった。
36―4)
飴野は本腰を入れて、アルファ教団の思想的指導者である小島獅子央についての情報を漁り始めている。この人物を知らずして、アルファ教団を理解出来ようか。
しかし今更、ネットの中に新鮮な情報など転がっていないことはさっきも言及した。飴野は充分に見知った小島についての情報をおさらいしたあと、とある人物に連絡を取る。
アルファ教団関連のことで教えを乞うならば、あの人しかいない。海棠だ。
「会社に出勤するのは夕方なので、この時間でも何の問題もないよ」と、深夜だというのに海棠は飴野からの電話に機嫌良く応じてくれた。
電話といっても、古来よりの電話線でやり取りしているわけではない。ネットでの通信なので彼のPCのモニターには映像も出ている。飴野はスマホを持つ代わりに、マイク内臓のイヤホンを耳に装着している。
さて海棠、二回目の登場である。東京在住のジャーナリスト、アルファ教団について、この国で最も詳しい雑誌記者だ。
海棠はむしろ、飴野からの連絡を待ち侘びていた様子であった。
「飴野さんのことを実はね、ちょっと調べさせてもらったんだ。だって君に好感のようなものを感じてさ。もしかしたら長い付き合いになるかもしれないじゃないかって思っちゃって。もちろん君のことを詮索するなんて失礼だけど、それを黙ったままでいるのほうがいけないと思って、思い切って打ち明けちゃうんだけど」
「僕のことを調べたりしても、大した情報なんて出てこないでしょう」
「そうなんだよ、ここまでの実績があまりに乏しい。君はまだまだ駆け出しの探偵のようだね。何一つ興味深い情報を何も得られなかったことに驚いたんだけどさ」
海堂は言う。「しかしそれは探偵業界、興信所業界の中の話しで。とある業界では飴野という名前は響き渡っているようで。まあ、君自身ではなくて、君の身内の方を知っておられる方を発見して」
「ああ、祖母ですね、僕の祖母は占い師界ではそれなりに名前が知られてまして」
「そう、けっこうな大物なんだってね。実はおばあさんに直接会って、お話を伺ってきたんだよ」
「僕の祖母に会ったのですか」
飴野は海棠の意図が読めない。自分のジャーナリストとしての調査力や行動力を誇示しようというのか。そんなもの、飴野は別に疑ってもいないのに。
「元気でしたか?」
「うん、とても元気だった。長い時間、付き合ってもらって申し訳なかったよ」
「いえ、海棠さんが来て、祖母はウキウキしていたに違いありません」
怪しげな記者に自分の孫のことをぺらぺらと喋ったのならば、最低でもそれについて報告してくれと真っ当な想いに捉われるが、祖母にそのようなことを期待しても無駄だ。
もうかなりの高齢なのである。年齢の割りにはしっかりしていると言えばしているが、意識も記憶も曖昧模糊としている言えばそれも確かであって、祖母は別の時空間で自由に揺蕩っているという趣きである。
それくらいに自由な存在であるから、下界のことなど何も気にかけていない。
「うちの孫は占星術を使って、大阪で探偵をやっているんだよ。何であんな街に行ったのかねえ、としきりに嘆いておられたんだけど、どこか誇らしげでもあって」
「祖母が師匠ですからね、子供の頃からそれを叩き込まれて」
海棠もまた嗅ぎ回る男である。彼と仲を深めていくというのは、その好奇心に晒されるということである。
きっと、ありとあらゆる手段で飴野のことを調べ尽くしているに違いない。とはいえ、別にそれで困る秘密などない。勝手に丸裸にしてくれというのが飴野の態度である。
しかし占星術探偵という事実、占星術を使う探偵という噂をそれとなく世間に流して、そのような肩書きで飴野が仕事をしていることを、この世間ずれした男はどう受け取るだろうか。
怪しむだけで足りるわけがない。蔑まされることは間違いないだろう、このような輩は探偵の風上にも置けないと。
これでもう、彼との関係は終わりかもしれない。
それともその占星術探偵などという胡散臭さそれ自体を楽しみ、観察の対象とするつもりなのだろうか。
きっと後者に違いない。海棠の態度は東京で会ったときより明らかに弾んでいて、飴野に興味を感じている様子。
占星術探偵に不信感を抱きながらも、そのいかがわしさに魅力を見い出している気配。
それならばと、海棠の期待に応えてやることにしよう。
「祖母から教え込まれた占星術は万能なんです。それを使えばどんな事件も解決出来ます。行方不明者も必ず探し出すことが可能で、尾行なんかしなくても不倫しているかどうかなんて手に取るようにわかる。星で全て明らかになるんです」
「それは凄いな。だけどそのようなことで事件の答えを出されても、全ての依頼人が納得はしないでしょ? 星で判断するに、あなたのご主人は浮気してますねって言われも、だったら探偵ではなくて占い師に相談するよってなっちゃうよね? それとも最初からそれをわきまえている人だけが、君のクライアントになるのだろうか」
「冗談です。僕は真っ当な探偵のつもりです。あくまで占星術は参考程度に使っているに過ぎない」
「それはそうだろうね」
「あくまで祖母への建前というかですね、占星術の研究のために探偵をやっていることになっているわけですよ」
「ああ、そうなんだ」
「とはいえ、占星術も実際に使います。正確な生年月日さえ手に入れば、ですが。それで事件の当たりをつけます。もちろん海棠さんのことも占っている。その上であなたに頼ることにしたんです」
「ふーん、僕たちの相性は悪くないと?」
「そうです、海棠さんが頼れば上手くいくはず、星はそんな未来を指し示しています」
36―5)
このシリーズを書き終えたわけではないのだから、まだそれと断定出来るわけではないが、探偵飴野に意味ありげな過去などない。
もしそのようなものがあるのならば、このシーンでも上手く利用したいところであったが、生憎そのようなものは考え出してないのである。
だから海棠の掴んだ飴野についての情報もこれで終わりだ。占星術探偵という肩書きで仕事をしているという事実を暴露したくらいでは、飴野を心理的に揺さぶったり出来ない。
飴野は東日本、関東のどこかの出身という設定である。それなのに大阪に流れ着いたわけである。
何か故郷で大きな喪失があり、それから離れるために見知らぬ土地にやって来た、ということにしても良かったのだけど。
例えば悲しい恋人との別れとか、自分の過失によって仕事仲間を失ったとか、あるいはその両方。
「飴野さん、あなたは東京でも探偵社をやっていて、そのとき同僚だった人物を失くされたと聞きました」というセリフをこの場面で海棠に言わせるわけだ。
そのような過去は、キャラクターの造形に影のようなものを帯びさせることが出来ることであろう。使い勝手も良いはずだ。
その悲しい出来事を心の裡から追い払うため、飴野は新しい街で無心に奔走している。そのときの失敗を挽回するため、今また同じようなシチュエーションを血眼になって求めている。
しかし安易な手段である。あらゆるエンターテイメントでお目にかかるパターン。というわけで、飴野に意味深な過去など必要ない。トラウマ的な喪失なんて、いまだ体験していない。
それよりもこの目の前の事件を解決するために、さっさと歩みを進めてもらおう。
「アルファ教団について、海堂さんに尋ねたいことがありまして」
「ああ、何でも相談に乗ろう」
「小島獅子央について知りたいのです。海棠さんは彼をどのような人物だと推察されているんですか?」
飴野はようやくそれについて質問する。小島獅子央について尋ねるために、彼はこのような深い時刻に海棠に連絡を取ったのだ。
「小島獅子央か。難しいね。僕はアルファ教団をずっと観察しているけれど、彼の情報だけはまるで新しく更新されない。小島獅子央は重要な人物だよ、それはそうに決まっているさ。しかし全てが謎だ。僕が掴んでいる独自の情報なんてものも残念ながら、ない」
「そうですか」
「それに僕の観察の対象はむしろ酒林とか、この教団自体であって。だってこの組織をダイナミックに動かしているのは彼だから」
だから飴野君、君が小島獅子央に注目していることのほうが僕にとって意外だね。というのが海棠の言葉。
「しかし彼が実在したことは確かですよね?」
「そうだね、アルファ教団の教典を書いた何者かが存在して、その男は小島獅子央というペンネームを名乗っていた、それは事実だ」
「その人物像を推測したいんです。例えば酒林よりも年齢は上だと?」
「こういうときにこそ、君の得意な占いが功を奏するんじゃないのかい?」
「それが残念ながら、僕が駆使するのは占星術なんです。相手の生年月日が判明しないと何も占えない」
「なるほど、そういうものか。水晶玉とかタロットカードとかを使ったりはしないのかい?」
「そういうのはインチキ占いですよ。僕も祖母も、守護霊や精霊の声が聞こえたりもしない」
「素人からすれば占いなんて全部、同じようなものにしか思えないけどね」
「確かに未来を予測したり、過去を言い当てようとしたりするのは同じですが、西洋占星術は一種の科学なんです。複雑なルールに則って、結果を割り出しているんです。そこに霊感が入り込む余地はありません」
やはり、どことなく占いを蔑む気配を示してくる男に対して、飴野は真正直に説明する。
海棠がこの簡単な説明で占星術探偵のスタンスを納得してくれたのかわからないが、ふーん、そういうものかとなどという相槌は返してくる。
飴野は占星術というものに誇りなど抱いてない。占星術の威力をこの世に示したいなんて考えとも無縁だ。
そもそも彼自身が半信半疑なのである。占星術という胡散臭いオカルトと、適切な距離を保っているつもりである。
だから占星術を嘲笑されても、どこ吹く風である。むしろそれを妄信している人物のほうに恐怖を感じてしまう。
飴野が海棠にわかって欲しいのは、自分はけっこう熱心に探偵業を営んでいるという事実のほう。若菜氏失踪事件をどうにか解決したいと望んでいること。
どうやらそれは海棠に伝わったような気配。
36―6)
「それでさっきの君の質問に真面目に答えると、酒林は五十代だ。だから小島獅子央がそれよりも上だとしたら、中年男性とか初老の老人。はるかに年上であれば、もう鬼籍にに入っている可能性だってなくはない」
海棠は言う。
「公式年表に拠ると、二人の出会いは約十年前ですよね」
飴野が続ける。
「うん、酒林が四十代のときだ。獅子央が意を決して、酒林のもとを訪ねたらしい」
「『文学とアナルオーガズム』の原稿を携えてですよね? そのとき、それは本になっていなかった。まだ原稿だったという事実をどう判断すればいいのかと僕は考えているんです」
飴野はこれまでにぼんやりと考えてきたことを打ち明け始めた。
「つまり獅子央はそのとき素人で、本を出版出来るようなポジションにはいなかった。酒林の力添えによって、それは出版された。そしてアルファ教団と共に、その本の地位も向上していった」
「うん、そういうことになる」
「小島獅子央もまた酒林によって引き上げられたんです。ただ酒林とアルファ教団が、その本の恩恵を受けたわけではないはずです」
「酒林は獅子央を過剰に持ち上げる。あの人は素晴らしい、我々を救う救世主だと喧伝する。実際、獅子央の書いた本を教本として採用したことで、アルファ教団は飛躍的に伸びた。特別な求心力を得るようになった、それは間違いない、揺るがし難い事実だろう」
「しかしそれもまた酒林が演出する獅子央のイメージ像です。酒林は決して獅子央の上に立とうとしない。何があろうと、彼を立て続ける、そうですよね?」
「そうそう、昔の日本の妻が夫を立てるように、小島獅子央を立て続けるよね? 実際にそのような日本人妻を見たことはないけど。まだ九州とかにはいるのかなあ」
「酒林の獅子央に対するリスペクトは大変なものです。それが本音ならば、尊い感情だと言いいたくなる。いや、酒林が嘘をついているとは思いません。しかしそれに惑わされて、僕たちは獅子央像を見誤っている可能性がある。むしろ、その頃の獅子央は取るに足らない存在だったかもしれない」
「取るに足らないって?」
「二人が出会ったとき、獅子央はもしかしたら学生とか学院生だったとか。とても若かったということです。酒林よりもずっと年下だった可能性だってある」
「ああ、君はそういうことを考えているわけか」
「はい、我々が漠然と抱いている小島獅子央のイメージは、まるで見当外れだった」
「その頃、二十代だとしたら、今の獅子央は三十代そこそこってところか。確かに獅子央像は覆るね。しかしその可能性はあれど、根拠は薄い」
「あの本を読んで、その作者像を何となく類推すると、そこに浮かんでくるのは仙人のような人物ですよね? そう思いませんか?」
「仙人というのは言い得て妙だね。ほとんどの話題は文学についてだけど、古めかしい文体で、密教やヨガにも言及したりしている」
「獅子央の写真なんて存在しないのに、誰もがきっと同じようなイメージを思い浮かべてしまうはずです。白髪で、髭が長くて、痩せていて、一種、世捨て人の姿。いはゆる導師のイメージがそれだからでしょう」
「そう、僕なんてまさにそれだね。ずばり麻原だよ、君も知っているだろ? オウム教団の教祖。僕の世代だと怪しげなヨガ行者といえばあれだ。君が知っているかどうかわからないけど」
「もちろん知っていますよ。僕だって同じ人物を思い浮かべたんです」
「まあ、しかしそんなものはこっちの勝手なイメージだと?」
「そうです、彼の人物像を改めて考え直したい、そんな相談に乗ってくれるのは海棠さんくらいしかいない」
「確かに君の興味に応えられる情報を持っているのは僕くらいだろうね。でもその僕にも見当もつかない。それどころか獅子央像について想像を巡らせたこともない。だけど確かにさ、あの書物が存在していなければ酒林のセミナーが軌道に乗ることは難しかったんだろう、それは言えるよ。何せ一般書として流通して、書評だって出るような本だったんだ。立派な作品だよ。獅子央の思想には仏教的要素もなければ、ニューエイジ要素もない。つまり、薄っぺらいスピリチュアルな臭みがないのさ。その代わり文学をバックボーンとした正統的な知で出来上がっている。それなりに知的な層に、十分に受け入られるような知識と知性がある。読み物として優れていた。僕はちゃんと読みこなしたとは言えないけど」
小島獅子央はそれだけの本を書いた人物であるのだ。それは海棠の意見というよりも、作者である私が描き出したい小島獅子央像であるわけだが。
「あれはまさに『資本論』のようなものさ。書物で人々の人生を変える力を持っていたんだ。それはもちろん規模は違い過ぎる。『資本論』と比べるのは無理があるだろうけどさ」と電話の向こうで海棠は笑う。
「でも凄い書物だよ、小島獅子央はマルクスだよ。だったら酒林はエンゲルスか。違う違う、マルクスとエンゲルが小島獅子央で、酒林がレーニンってことになるのだろうか。あれ、ソ連を作ったのはスターリンだっけ? まあ、よく知らないんだけど共産主義のことは」
36ー7)
「なぜ獅子央が人前に現れないのか? 我々はその事実を何も不可思議なことではないと受け止めてしまっていますけれど。それだってきっと、何か確かな根拠のようなものがあるはずです」
飴野はこのような問題提起をする。
「恥ずかしいんだよ、性の快楽を謳う教典を書いたなんて。世の中に顔向け出来ないじゃないか。まあ、しかしそれがこっちの勝手な先入観だと言いたいわけだろ?」
「そうです、もちろんそれだって根拠の一つではあるでしょう。一種のポルノ小説と言える『家畜人ヤプー』の作家、沼正三は覆面作家で、いまだに正体は明らかではないらしい。他にも『O嬢の物語』とかも覆面作家。しかしそういうのは実はレアなケースで」
「なぜ? あらゆる無名のポルノ作家たちは匿名で、原稿料だけを稼いで終わりだよ。誰も正体を明らかにしていない」
「しかし正体を探ろう思えば容易なケースのほうが多いはずです。匿名で終わっているのは、その正体に誰も興味がないだけ。実のところ、編集者に頼み込めば教えてくれたりするでしょう。本当に正体が不明なんて珍しい。やはり小島獅子央は少し特殊なケースではないでしょうか」
「そう言われてみればそうなのかもしれないけど。で、飴野君は彼が隠れ続けているのはどうしてだって考えているわけ?」
「さあ、例えば獅子央が有名な作家の変名だとか?」
「だったら大変面白いね」
「あるいは端的に結婚していたりとか。つまり、アルファ教団の教えなど彼自身は信じていなくて、それと矛盾している生活をしている」
「『男たちよ、独りで生きろ』と推奨している組織だからね。もちろん妻帯を禁じてはいない。『女性を遠ざけろ』なんて教えはない。むしろ逆だ、アルファ教団ほど性の快楽を追求している組織はない。しかしそこは孤独な男性たちのたまり場だという状況で、まるで独身者の梁山泊だ」
「獅子央はそのカリスマとして相応しくない生活をしているのかもしれません」
「会員たちが知れば、教団に落胆してしまうような生活ってことかい?」
「そう、あなたは決して表に出て来ないでくれと、酒林に指示されているのかもしれない。それとも獅子央自らそのような決断をしたのか」
「うーん、あらゆる可能性が考えられる。こんな可能性だってあり得るさ、残念ながら彼は死んでしまっている、とか。表に出たくても表に出て来られない。だから酒林も安心して神格化が出来る」
「その線もあるでしょう。しかしいまだに獅子央の最新作は出版されているらしい」
「でも全ては『文学とアナルオーガズム』の焼き直しか、それの解説のようなもの。それ以上のものは書いていない。新しい展開を見せていないさ」
「その通りです。誰でも書けるような作品です」
「ゴミのような解説書ばかりだ」
「もしかしたら獅子央はもう、そのテーマに興味もなければ関心もないのかもしれない。そもそも自身はあの書物をフィクションのように書いただけで」
「経典扱いされていることに戸惑っていると?」
「はい、そこまでの覚悟はなかったということです」
「まあ、死亡説が僕にとって最も魅力的だな。三億円事件の犯人と同じで、さっさと死んでしまった。獅子央の正体、それは永遠に解けない謎なんだ」
「しかし死んでいるのなら、その彼の正体をひた隠しにすることに、何の意味があるでしょうか? 会員たちだって獅子央の真実を知りたいはず。生前の彼の姿を適度に美化して発表すればいいのに」
「まあ、どんな事情でも考えられるさ。遺族と金で揉めているとか。何ならば獅子央は実は女性だったとか」
「それが最もあり得ない可能性でしょう」
「もうお手上げだ。考えれば考えるほど、何もわからない、ってところに戻ってくる。そのループだ。ゲージの中でグルグル回っているハムスターの気分だよ」
海棠の個性はそういう言い回しにあるのだから、決して鼻白まないで欲しいものである。集団のことを梁山泊に例えたり、事件後に容疑者が死んでいれば、三億円事件を即座に想起したり、ループするならばハムスターに。何かに喩えるのが好きではあるが、その教養の源は下世話で庶民的。センスに捻りも洗練の欠片もないというのが彼の個性。
「とにかく小島獅子央という人物は存在している。酒林とは別の、アルファ教団の精神的支柱は実在する」
「だろうね」
「その事実を海棠さんと共有出来ただけで十分です」
「本当に? 君はどのような当たりをつけているんだい? 何か考えがあるみたいだね?」
「確かに思いついたことはあるのですが、まだまだ何の確証もない。誰にも発表出来るようなものではありませんよ」
「何だよ、ケチだな、教えてくれよ、どんなに検討外れでも笑わないからさ」と海棠は笑いながら言ってくる。
「海棠さんと話しているうちに、その思いつきが馬鹿らしいことに気づくか、それとも幾らかのリアリティがあるか、どちらかの方向に針が触れるのかと思ったのですが」
「どっちにも振れなかったわけか。すまないね、何の手助けも出来なくて」
海棠にそれを披露したい欲望が飴野にないわけでもないが、まだその時期ではない。飴野は丁寧にお礼を言って、接続を切った。
36―8)
推理小説の世界は箱庭のように閉じる。ある段階で容疑者は出揃い、その中から誰が犯人なのか選ぶ作業が始まる。
カチッとした枠組みが出来てしまうのだ。もう、その範囲の外に出ることは出来ない。謎の真相がその枠から出たりすればアンフェアとなる。
それゆえ密室がテーマとなったり、屋敷や孤島が舞台となったりする。それが推理小説のルールというところであろう。
ここまでに一度も登場していなかった人物が真犯人だったなんてことは許されないのだ。それどころか、犯人は小説が始まってすぐに登場しているものであり。
例えば別人に化けていたり、偽名を名乗っていたり、どのような手段で読者を惑わせることは自由であるが、既にそこにいた者だけが犯人足り得る資格を有する。
ハードボイルド探偵小説だって似たようなものだ。探偵は序盤において真犯人とすれ違い、言葉を交わしているかもしれない。彼が失踪者を探しているのならば、その失踪者は実はすぐ傍にいた。
というわけであるから、探偵飴野が探し求めている失踪者、若菜真大もどこか近くにいる必要があるわけだ。
どこか近くとは?
飴野が若菜を探し始めて、彼に関する情報がだいたい出揃った時点で、その世界は閉じた。その閉じた世界の中のどこかという意味。
深まることはあっても、もう広がりはしない世界。外部から、あっと驚く新情報なんてやって来たりはしない。
その閉じた世界の中で、これまでに集めた情報をどのように解釈するか考えるのが探偵の仕事である。
そうやって限定された世界の中で、若菜が身を隠すことの出来る場所など限られてくるだろう。実はまだ佐倉と共に暮らしていた部屋の中にいたとか、佐倉が最初に雇った探偵、木皿儀に関係する場所とか、あるいはアルファ教団の建物のどこかに潜んでいるとか、例を挙げるとすればそんなところだろうか。
アルファ教団に関係するところ。それが最も適している解だと思う。この物語の作者である私はそんなふうに考えた。
探偵がこのように考えたのではない。誤解させてはいけない。世界が閉じていることを認識をするのは作者である。それと読者。ミステリーを堪能している読者も、こんなふうに考えているだろう。
失踪者若菜氏はアルファ教団の建物の中に隠れていたことにしようか。とはいえ、それだとまるで捻りがない。それより更に、もっと奥深い場所。
小島獅子央の中というのはどうだろうか。まあ、つまり若菜氏こそが実は小島獅子央だったとか。
あるとき、作者である私はこんなことを考えたのである。
若菜氏はアルファ教団の一会員でしかないはずの男。そこの会員であることが婚約者の女性にバレて、それが原因で言い争いになり、彼は彼女の許から去ったのである。逃げるように、追われるように、若菜氏はどこかに消え失せた。
しかしそれを全てひっくり返すのだ。彼はアルファ教団という自己啓発セミナーの一会員だったのではない。
彼こそがそのセミナーの陰の総帥にして真の導師。実はアルファ教団の関係者であったから、そこに通っていた。
前任の探偵、木皿儀は勘違いしていた。その建物に通う若菜氏の姿を見て、依頼人の佐倉に間違った報告をしてしまった。それどころではない。勘違いをした木皿儀は若菜に近づき、これを種に強請りを試みたのである。
その結果、あっさりと捻り殺されたのである。アルファ教団のスタッフたちを、自分の思い通りに総動員出来る小島獅子央によって。あるいは小島獅子央を守ることに全力を尽くす酒林の指示によって。
探偵飴野の中にこのような推理が描かれ始めていた。
36―9)
小島獅子央はこの物語の序盤からずっといた。
いや、実際のところ彼がそこにいたことなどないのだけど。小島獅子央自体は謎の存在だ。その存在すら疑われている正体不明の著述家である。
その固有名詞だけが有名で、作中で何度も話題にはなるのだけど、彼自身がその姿を現したことはない。
しかし、いないということが獅子央にとっての安定的状態である。若菜が小島という存在に回収されるのならば、それは序盤から我々の傍にいたということで何の問題もないであろう。
というわけで、若菜は獅子央としてずっと「いた」のである。
あるいは獅子央として、どこかに消えた。獅子央として生きることを決意したから消えた、という展開でもある。それはつまり、若菜が次に姿を現すときは獅子央として、という意味。
若菜は小島獅子央だ。という展開を作者である私はは思いついた。
馬鹿々々しいオチかもしれない。大したサプライズを感じさせられるものでなく、見事に盲点を突いているわけでもない。
いや、別に素直に褒め称えてもらっても何の問題もないのだけど。そちらのほうが私としては嬉しいのだけど。
しかしそのオチが上手いかどうかはどうでもいい。どっちにしろ、その展開が成功するかどうは全て筆力、物語る力次第ということになるだろう。
それに信ぴょう性を持たせるようなアイデアをどれだけ肉付けしていけるかどうかだ。真っ当なミステリーとして成り立つようなリアリティをどれだけ与えられるか。
おっと、しかし私はまた誤解されてしまうような物言いをしている。最終的にこの真相もひっくり返されてしまうことになる。
この作品が、こんなにも真っ当なミステリー的展開を見せる作品ではないということも、さっさと言っておかなければいけない。
若菜氏が小島獅子央であるかもしれないという展開は、この作品が一瞬だけ垣間見せるミステリー的側面でしかなくて。それが律儀に貫徹されるわけではない。
若菜真大は小島獅子央ではなかった。探偵飴野はそれを真相だと思い込み、全ての謎を見破りましたとばかりにその推理を披露するが、現実はまるで違い、彼は酷い恥をかくことになる。
それがこの作品が正統派ミステリーではないということの根拠である。
飴野は探偵なのに間違ってしまうわけだ。独特な推理をして、見事に謎を解いたつもりであったが、それは勘違い。
真相は平凡な現実に行き着くのだ。結局、若菜氏は小島獅子央などではない。待っていたらいずれは帰ってくる失踪者でしかなかった。
彼はただ単に恋人とケンカして、住んでいた街を離れていただけ。それは家出というべきレベルのささやかな事件であったのに、その何の変哲もない事件を探偵たちが大仰に騒ぎ立てたのである。
占星術探偵飴野は間違う探偵である。占星術の間違った診断に基づいて事件の推理をしてしまうことだけがその原因ではない。ただ端的に推理の誤りによっても間違う。勘違い、誤解、早とちりで間違う。
混沌と混乱と無秩序が支配する世界に、統合された物語をもたらすはずの探偵。そのような存在なのに間違いを犯してしまう。その結果、読者をミスリードする。
それがこの作品のアンチミステリーたる所以だろう。むしろ混沌と混乱を巻き起こす張本人が探偵だという物語。
「お前は何者だ?」と問いながら、探偵は探しているのだ。痕跡と気配を求めて街を歩き回り、失踪者を知る人物に会って話しを聞いたり。
いや、そういうことは申し訳程度にしかこなしていないが、それよりも彼は占星術探偵だから、ホロスコープを何度も読み返して。
具体的に言えば、この作品においてその失踪者は若菜、若菜真大である。若菜さん、あなたはいったい何者なのと、飴野は虚空に問い掛け続けている。
しかし何者かという問いは、いったい何を意味するのだろうか。
どのような答えであれば、それは充足されるというのか。失踪者を見つけ出すことが出来れば、答えられたことになるのか。
「お前は何者だ?」という漠然とした問い。しかし「お前はどこにいるのだ?」では足りないのである。
きっと、飴野は若菜という失踪者の心の裡を暴き立てようとしている。彼が隠していたもの。秘密だけではない、その人物が誤魔化そうとしたり糊塗しようとしたもの、弱さや悩みをも突き止めようとしている。
「お前は何者だ?」と問い、簡単にその解答には到着しない。飴野は僅かな情報を拾い上げて、ちょっとした欠片を基にして、そこから想像を羽ばたかせて、その答えを推測していく。
最初、若菜氏のイメージはどこにでもいる一小市民、平凡な人物であった。
しかし自分の探している相手が、平凡であり来たりでは物足りないとばかりに、その問いを繰り返しているうち、その人物像は異質で常軌を逸したものにエスカレートしていくものなのかもしれない。
それは探偵の欲望というよりも、作家の欲望、何ならば読者の欲望であろうか。
その傾向の芽生えこそ、若菜氏が佐倉彩を尾行しているかもしれないという疑惑。
彼はどこかに身を隠し、こっそりと彼女の生活を見張っているという像。そして挙句の果てには殺人者。木皿儀を見事に殺しおおせ、自殺に見せかけるという偽装を企てたという疑い。
思い返すまでもなく、飴野が抱いた当初の若菜真大の像は弱さを極めていたと言っていいだろう。飴野は会ったこともないその男性、若菜氏を心のどこかで侮ってすらいたかもしれない。
彼は性的不能かそれに近い男であり、それが原因で恋人との仲が円滑に進まず、その結果、「アルファ教団」という組織に嵌ってしまった。
それは女性との性的関係からの撤退。あるいは社会からの撤退。彼は自分だけの孤独な世界に閉じ籠ったのだ。
そこはある種の楽園ではあろう。競争もなく、奪い合いもなく、誰かに傷つけられることもなく、ささやかな己のプライドをいつまでも保ち続けられる場所。
なぜって、その世界には自分以外に何も存在しないからだ。ただひたすら、自分と、もっと具体的に言えば自分の肉体と向き合うだけの生活。それがアルファ教団が推奨する教え。
アルファ教団の会員たちの多くはそのような人物に違いなくて、若菜氏だってその典型だろうと推理していたのである。
しかし一向に若菜氏は見つからない。彼が何者なのか答えが得られない。
そのうち、若菜氏を弱者だと推理することに飽きたのか、その推理にマンネリを感じたのか、探偵飴野はちょっとした試しに、これまでとまるで違う発想をしてみようとするのである。
弱者の側に振られていた針を、今度は思いきり逆の方向に振ってみようという試み。
しかしちょっとした試しに、であったはずなのに、その推理に彼はひどく魅力を感じてしまったというところだ。
「これではないのか!」と、そんなふうにピンと来てしまった可能性もある。
その結果、飴野の考える若菜像はとんでもない巨大な化け物と化すのである。偉人と形容してもいいくらいの人物に。
36―2)
私はまだ眠らない。デスクの前に座り続けて、自作を読み返し続けている。
もうこの作業を切り上げてもいいのだけど。
時間に追われているわけでもない。読むことに夢中にもなっていない。この作業をやり切らなければなんて切迫感も感じていない。
何ならば良い具合に眠気も押し寄せてきていて、目を閉じれば健やかに眠りに落ちそうな気分だった。しかし、まだもう少しだけ読んでおこう。
本当にもう少しである。このチャプターを読み終えたら眠る。こんなもの、十数分も掛からない。
というわけで、コップ一杯の水を飲んだだけの休息のあと、私は即座に作品の世界にダイブする。探偵飴野は自分の事務所に帰るために夜の大阪を歩いている。アスファルトの道、ぼんやりとした街灯の光、夜に始まる道路工事の現場。
彼はぐったりと疲れ切っている。何とも長い一日であったのである。千咲の通う高校の前まで赴いて彼女と会い、しばらく事務所に近寄らないでくれと言い渡したことが、もうずっと前の出来事に思えてくる。しかしあれは今日のこと。
それから飴野は天満にあるアルファ教団に乗り込み、その組織のトップの酒林と会ったりもした。
その人物と会うことが出来たのはこの日の最大の収穫であったが、しかし待っていたのは拍子抜けの感触。彼が予測していた実態とは違った。
飴野はアルファ教団を恐れていた。最大限の警戒心を抱いていた。狷介で残酷で無慈悲で抜け目のない狼のような連中と対峙することになるつもりでいた。それなのに彼を出迎えたのは、特に吠えもしない子犬だったわけだ。
いや、犬ほど愛らしい生き物でもないが、どことなくビクビクとした視線で飴野を見返してきたのは確か。
飴野は一日中動き回って、しかも当てが外れたのだから、体力どころか全ての気力も消尽していても不思議ではないはずだ。がっくりと肩を落として、深いため息などをつきながら、帰路についていて当然。
しかし彼の足取りはイキイキとしていた。何ならば、瞳もランランと輝いている。
アルファ教団の酒林と会い、その施設を出た直後、山吹と電話で話しをしながら天満橋筋を歩いていた。
その電話も切り終えて、完全に一人になった頃である。探偵飴野はふと、思いついたことがあった。
思いついたどころではない。探偵飴野はこのとき、この事件の全てがわかった気にすらなった。
いや、それは言い過ぎだとしても、次に何を調べるべきなのか、はっきりと定まった。
そしてその結果次第では、この事件が解決しそうな予感も感じた。それゆえ、疲れなど吹き飛ぶほどの高揚感の中にいた。
その瞬間以降、飴野の頭脳は急速に回転を始めている。これまで空白だった部分が埋まったり、どの情報ともつながらずにフラフラと揺れていた紐の先端が、別の事実と固く結ばれたりし始めている。
これまで、まだ上手く言葉にすることが出来なかったり、詳細は曖昧であったり、どちらなのかと二者択一で迷っていたりしていたことも今、一つに収斂し始めていた。
これはミステリーのあらゆる主人公が辿り着く時間であろう。起承転結の「転」のパートがそこなのだろうか。
探偵飴野の直感は事件の全貌を一気に掴んだわけだ。
とはいえ、まだ解決には至らない。探偵がその謎について説明を始めるわけでもない。
事件の全貌がわかったとしても主人公たちはだいたいのところ、それを隠したまま行動する。
わかったことをしっかりと確かめるために動いたり、曖昧であったり迷っている部分を明らかにするため、これまで通りに捜査を継続するだけ。
36―3)
事務所への帰路の途中、彼は行きつけのラーメン屋に寄るのであった。疲れてはいない。気分は高揚している。
とはいえ、高揚感が空腹を抑えるわけはない。むしろその高揚感が、彼の食欲を旺盛にしているのかもしれない。飴野はラーメンと大盛りチャーハンと鶏の唐揚げを食べることにする。
そのラーメン屋は全ての席が一人掛けで、隣の席とは高い仕切りで区切られている。完全に自分のプライベートを確保出来るタイプの店。
全国チェーン店の店舗ではなくて、昔ながらのラーメン屋が仕事帰りの一人客向けに改装したらしい。
手持ちのスマホで注文をすると、目の前の壁が開き、そこから店員の手が伸びてきて、出来立ての料理が運ばれてくるという仕組みだ。
壁に向かって一人でもくもくと食事をしながら、探偵飴野は小島獅子央のことを考えていた。
若菜氏のことではない。飴野が考えているのは小島獅子央だ。
その人物、固有名だけは知れ渡っている。もちろん一部の界隈、アルファ教団の会員たちにのみであるが。
一方、その名前以外、全てが謎であり、何一つとして明らかになっていない。とにかく「文学とアナルオーガズム」という書物を書いたことだけ。それだけにおいて有名であり、それだけにおいて価値を持つ人間。
注文した全ての料理を食べ終えて、事務所に戻っても飴野は着替えることなく、ネクタイさえ緩めることなく、満腹感と共にすぐさまその人物の名前を検索する。まだ仕事を継続しているという意識である。
小島獅子央についての情報を集めるだけ集めるのである。
とはいえ今更、新しい発見などない。ネットに書かれていることなど、ほとんど全て飴野の知っている情報に過ぎない。小島獅子央に関する情報は何一つとして新しく更新されていない。
その人物、年齢も不詳である。どこで生まれたのかもわからない。飴野は何となく勝手に仙人のような老人を想像していた。白い装束をまとい、顎髭は腰まで伸びている、インドの修行僧のような世捨て人。
しかしそれがとんでもない勘違いだったら?
アルファ教団のサイトに簡単な年表のようなものが掲載されている。この教団を立ち上げたのは酒林である。
大阪の福島区に最初の施設はあったようだ。しかしこのマニアックな組織はまるで上手くいかず、鳴かず飛ばずのまま時間だけが過ぎていく。
「そもそも大変な借金があったんです。経営していた会社が不渡りを出して、私は一発逆転の思いでこの組織を立ち上げました。しかし誰も興味を持ってくれる人はいなかった・・・」というのが酒林の談。
そんな彼の許にある人物がやって来たのである。年表には奇蹟の出来事などとかと書かれている出会い。
小島獅子央が「文学とアナルオーガズム」の原稿を携えて、酒林の許を訪ねたというのだ。
その出会いのことを、酒林は何度も繰り返し語り直しているようである。小島獅子央のこの原稿を読むなり、「足りないのはこれだった」と天啓に打たれたとか、実は読み始めるまで数カ月も放ってしまっていて、読んでもあまりピンと来なかったとか、その出典によって差異はある。
いずれにしろ、「文学とアナルオーガズム」の原稿を読み終えた酒林は、「一緒にこの組織を運営しましょう」と小島に持ち掛けた。
そのようなアクションを起こしたことは、どの出典先も共通している。小島獅子央の書物を、自分の組織の理論的バックボーンとすることを決断したのだ。
これで自分のアナルオーガズムを教えるセミナーは成功を収めるだろうと、大変な確信を抱いたと語っているときもあれば、こんな理論書を得たとしても、どうせ事態が変わることはないだろうと諦めていたと語っているときもある。
共同経営を持ち掛けられた小島は断ったそうだ。私はただ、自分の本が役立てばそれでいい、というのが彼の答えだったそう。
小島の書物の力のお陰なのだろうか、確かにそれを機に酒林の奇怪な組織は軌道に乗り始める。
やがて「アルファオーガズム教団」と名称を改め、その活動は大阪、関西だけに止まらず、日本全国に拡大していった。
36―4)
飴野は本腰を入れて、アルファ教団の思想的指導者である小島獅子央についての情報を漁り始めている。この人物を知らずして、アルファ教団を理解出来ようか。
しかし今更、ネットの中に新鮮な情報など転がっていないことはさっきも言及した。飴野は充分に見知った小島についての情報をおさらいしたあと、とある人物に連絡を取る。
アルファ教団関連のことで教えを乞うならば、あの人しかいない。海棠だ。
「会社に出勤するのは夕方なので、この時間でも何の問題もないよ」と、深夜だというのに海棠は飴野からの電話に機嫌良く応じてくれた。
電話といっても、古来よりの電話線でやり取りしているわけではない。ネットでの通信なので彼のPCのモニターには映像も出ている。飴野はスマホを持つ代わりに、マイク内臓のイヤホンを耳に装着している。
さて海棠、二回目の登場である。東京在住のジャーナリスト、アルファ教団について、この国で最も詳しい雑誌記者だ。
海棠はむしろ、飴野からの連絡を待ち侘びていた様子であった。
「飴野さんのことを実はね、ちょっと調べさせてもらったんだ。だって君に好感のようなものを感じてさ。もしかしたら長い付き合いになるかもしれないじゃないかって思っちゃって。もちろん君のことを詮索するなんて失礼だけど、それを黙ったままでいるのほうがいけないと思って、思い切って打ち明けちゃうんだけど」
「僕のことを調べたりしても、大した情報なんて出てこないでしょう」
「そうなんだよ、ここまでの実績があまりに乏しい。君はまだまだ駆け出しの探偵のようだね。何一つ興味深い情報を何も得られなかったことに驚いたんだけどさ」
海堂は言う。「しかしそれは探偵業界、興信所業界の中の話しで。とある業界では飴野という名前は響き渡っているようで。まあ、君自身ではなくて、君の身内の方を知っておられる方を発見して」
「ああ、祖母ですね、僕の祖母は占い師界ではそれなりに名前が知られてまして」
「そう、けっこうな大物なんだってね。実はおばあさんに直接会って、お話を伺ってきたんだよ」
「僕の祖母に会ったのですか」
飴野は海棠の意図が読めない。自分のジャーナリストとしての調査力や行動力を誇示しようというのか。そんなもの、飴野は別に疑ってもいないのに。
「元気でしたか?」
「うん、とても元気だった。長い時間、付き合ってもらって申し訳なかったよ」
「いえ、海棠さんが来て、祖母はウキウキしていたに違いありません」
怪しげな記者に自分の孫のことをぺらぺらと喋ったのならば、最低でもそれについて報告してくれと真っ当な想いに捉われるが、祖母にそのようなことを期待しても無駄だ。
もうかなりの高齢なのである。年齢の割りにはしっかりしていると言えばしているが、意識も記憶も曖昧模糊としている言えばそれも確かであって、祖母は別の時空間で自由に揺蕩っているという趣きである。
それくらいに自由な存在であるから、下界のことなど何も気にかけていない。
「うちの孫は占星術を使って、大阪で探偵をやっているんだよ。何であんな街に行ったのかねえ、としきりに嘆いておられたんだけど、どこか誇らしげでもあって」
「祖母が師匠ですからね、子供の頃からそれを叩き込まれて」
海棠もまた嗅ぎ回る男である。彼と仲を深めていくというのは、その好奇心に晒されるということである。
きっと、ありとあらゆる手段で飴野のことを調べ尽くしているに違いない。とはいえ、別にそれで困る秘密などない。勝手に丸裸にしてくれというのが飴野の態度である。
しかし占星術探偵という事実、占星術を使う探偵という噂をそれとなく世間に流して、そのような肩書きで飴野が仕事をしていることを、この世間ずれした男はどう受け取るだろうか。
怪しむだけで足りるわけがない。蔑まされることは間違いないだろう、このような輩は探偵の風上にも置けないと。
これでもう、彼との関係は終わりかもしれない。
それともその占星術探偵などという胡散臭さそれ自体を楽しみ、観察の対象とするつもりなのだろうか。
きっと後者に違いない。海棠の態度は東京で会ったときより明らかに弾んでいて、飴野に興味を感じている様子。
占星術探偵に不信感を抱きながらも、そのいかがわしさに魅力を見い出している気配。
それならばと、海棠の期待に応えてやることにしよう。
「祖母から教え込まれた占星術は万能なんです。それを使えばどんな事件も解決出来ます。行方不明者も必ず探し出すことが可能で、尾行なんかしなくても不倫しているかどうかなんて手に取るようにわかる。星で全て明らかになるんです」
「それは凄いな。だけどそのようなことで事件の答えを出されても、全ての依頼人が納得はしないでしょ? 星で判断するに、あなたのご主人は浮気してますねって言われも、だったら探偵ではなくて占い師に相談するよってなっちゃうよね? それとも最初からそれをわきまえている人だけが、君のクライアントになるのだろうか」
「冗談です。僕は真っ当な探偵のつもりです。あくまで占星術は参考程度に使っているに過ぎない」
「それはそうだろうね」
「あくまで祖母への建前というかですね、占星術の研究のために探偵をやっていることになっているわけですよ」
「ああ、そうなんだ」
「とはいえ、占星術も実際に使います。正確な生年月日さえ手に入れば、ですが。それで事件の当たりをつけます。もちろん海棠さんのことも占っている。その上であなたに頼ることにしたんです」
「ふーん、僕たちの相性は悪くないと?」
「そうです、海棠さんが頼れば上手くいくはず、星はそんな未来を指し示しています」
36―5)
このシリーズを書き終えたわけではないのだから、まだそれと断定出来るわけではないが、探偵飴野に意味ありげな過去などない。
もしそのようなものがあるのならば、このシーンでも上手く利用したいところであったが、生憎そのようなものは考え出してないのである。
だから海棠の掴んだ飴野についての情報もこれで終わりだ。占星術探偵という肩書きで仕事をしているという事実を暴露したくらいでは、飴野を心理的に揺さぶったり出来ない。
飴野は東日本、関東のどこかの出身という設定である。それなのに大阪に流れ着いたわけである。
何か故郷で大きな喪失があり、それから離れるために見知らぬ土地にやって来た、ということにしても良かったのだけど。
例えば悲しい恋人との別れとか、自分の過失によって仕事仲間を失ったとか、あるいはその両方。
「飴野さん、あなたは東京でも探偵社をやっていて、そのとき同僚だった人物を失くされたと聞きました」というセリフをこの場面で海棠に言わせるわけだ。
そのような過去は、キャラクターの造形に影のようなものを帯びさせることが出来ることであろう。使い勝手も良いはずだ。
その悲しい出来事を心の裡から追い払うため、飴野は新しい街で無心に奔走している。そのときの失敗を挽回するため、今また同じようなシチュエーションを血眼になって求めている。
しかし安易な手段である。あらゆるエンターテイメントでお目にかかるパターン。というわけで、飴野に意味深な過去など必要ない。トラウマ的な喪失なんて、いまだ体験していない。
それよりもこの目の前の事件を解決するために、さっさと歩みを進めてもらおう。
「アルファ教団について、海堂さんに尋ねたいことがありまして」
「ああ、何でも相談に乗ろう」
「小島獅子央について知りたいのです。海棠さんは彼をどのような人物だと推察されているんですか?」
飴野はようやくそれについて質問する。小島獅子央について尋ねるために、彼はこのような深い時刻に海棠に連絡を取ったのだ。
「小島獅子央か。難しいね。僕はアルファ教団をずっと観察しているけれど、彼の情報だけはまるで新しく更新されない。小島獅子央は重要な人物だよ、それはそうに決まっているさ。しかし全てが謎だ。僕が掴んでいる独自の情報なんてものも残念ながら、ない」
「そうですか」
「それに僕の観察の対象はむしろ酒林とか、この教団自体であって。だってこの組織をダイナミックに動かしているのは彼だから」
だから飴野君、君が小島獅子央に注目していることのほうが僕にとって意外だね。というのが海棠の言葉。
「しかし彼が実在したことは確かですよね?」
「そうだね、アルファ教団の教典を書いた何者かが存在して、その男は小島獅子央というペンネームを名乗っていた、それは事実だ」
「その人物像を推測したいんです。例えば酒林よりも年齢は上だと?」
「こういうときにこそ、君の得意な占いが功を奏するんじゃないのかい?」
「それが残念ながら、僕が駆使するのは占星術なんです。相手の生年月日が判明しないと何も占えない」
「なるほど、そういうものか。水晶玉とかタロットカードとかを使ったりはしないのかい?」
「そういうのはインチキ占いですよ。僕も祖母も、守護霊や精霊の声が聞こえたりもしない」
「素人からすれば占いなんて全部、同じようなものにしか思えないけどね」
「確かに未来を予測したり、過去を言い当てようとしたりするのは同じですが、西洋占星術は一種の科学なんです。複雑なルールに則って、結果を割り出しているんです。そこに霊感が入り込む余地はありません」
やはり、どことなく占いを蔑む気配を示してくる男に対して、飴野は真正直に説明する。
海棠がこの簡単な説明で占星術探偵のスタンスを納得してくれたのかわからないが、ふーん、そういうものかとなどという相槌は返してくる。
飴野は占星術というものに誇りなど抱いてない。占星術の威力をこの世に示したいなんて考えとも無縁だ。
そもそも彼自身が半信半疑なのである。占星術という胡散臭いオカルトと、適切な距離を保っているつもりである。
だから占星術を嘲笑されても、どこ吹く風である。むしろそれを妄信している人物のほうに恐怖を感じてしまう。
飴野が海棠にわかって欲しいのは、自分はけっこう熱心に探偵業を営んでいるという事実のほう。若菜氏失踪事件をどうにか解決したいと望んでいること。
どうやらそれは海棠に伝わったような気配。
36―6)
「それでさっきの君の質問に真面目に答えると、酒林は五十代だ。だから小島獅子央がそれよりも上だとしたら、中年男性とか初老の老人。はるかに年上であれば、もう鬼籍にに入っている可能性だってなくはない」
海棠は言う。
「公式年表に拠ると、二人の出会いは約十年前ですよね」
飴野が続ける。
「うん、酒林が四十代のときだ。獅子央が意を決して、酒林のもとを訪ねたらしい」
「『文学とアナルオーガズム』の原稿を携えてですよね? そのとき、それは本になっていなかった。まだ原稿だったという事実をどう判断すればいいのかと僕は考えているんです」
飴野はこれまでにぼんやりと考えてきたことを打ち明け始めた。
「つまり獅子央はそのとき素人で、本を出版出来るようなポジションにはいなかった。酒林の力添えによって、それは出版された。そしてアルファ教団と共に、その本の地位も向上していった」
「うん、そういうことになる」
「小島獅子央もまた酒林によって引き上げられたんです。ただ酒林とアルファ教団が、その本の恩恵を受けたわけではないはずです」
「酒林は獅子央を過剰に持ち上げる。あの人は素晴らしい、我々を救う救世主だと喧伝する。実際、獅子央の書いた本を教本として採用したことで、アルファ教団は飛躍的に伸びた。特別な求心力を得るようになった、それは間違いない、揺るがし難い事実だろう」
「しかしそれもまた酒林が演出する獅子央のイメージ像です。酒林は決して獅子央の上に立とうとしない。何があろうと、彼を立て続ける、そうですよね?」
「そうそう、昔の日本の妻が夫を立てるように、小島獅子央を立て続けるよね? 実際にそのような日本人妻を見たことはないけど。まだ九州とかにはいるのかなあ」
「酒林の獅子央に対するリスペクトは大変なものです。それが本音ならば、尊い感情だと言いいたくなる。いや、酒林が嘘をついているとは思いません。しかしそれに惑わされて、僕たちは獅子央像を見誤っている可能性がある。むしろ、その頃の獅子央は取るに足らない存在だったかもしれない」
「取るに足らないって?」
「二人が出会ったとき、獅子央はもしかしたら学生とか学院生だったとか。とても若かったということです。酒林よりもずっと年下だった可能性だってある」
「ああ、君はそういうことを考えているわけか」
「はい、我々が漠然と抱いている小島獅子央のイメージは、まるで見当外れだった」
「その頃、二十代だとしたら、今の獅子央は三十代そこそこってところか。確かに獅子央像は覆るね。しかしその可能性はあれど、根拠は薄い」
「あの本を読んで、その作者像を何となく類推すると、そこに浮かんでくるのは仙人のような人物ですよね? そう思いませんか?」
「仙人というのは言い得て妙だね。ほとんどの話題は文学についてだけど、古めかしい文体で、密教やヨガにも言及したりしている」
「獅子央の写真なんて存在しないのに、誰もがきっと同じようなイメージを思い浮かべてしまうはずです。白髪で、髭が長くて、痩せていて、一種、世捨て人の姿。いはゆる導師のイメージがそれだからでしょう」
「そう、僕なんてまさにそれだね。ずばり麻原だよ、君も知っているだろ? オウム教団の教祖。僕の世代だと怪しげなヨガ行者といえばあれだ。君が知っているかどうかわからないけど」
「もちろん知っていますよ。僕だって同じ人物を思い浮かべたんです」
「まあ、しかしそんなものはこっちの勝手なイメージだと?」
「そうです、彼の人物像を改めて考え直したい、そんな相談に乗ってくれるのは海棠さんくらいしかいない」
「確かに君の興味に応えられる情報を持っているのは僕くらいだろうね。でもその僕にも見当もつかない。それどころか獅子央像について想像を巡らせたこともない。だけど確かにさ、あの書物が存在していなければ酒林のセミナーが軌道に乗ることは難しかったんだろう、それは言えるよ。何せ一般書として流通して、書評だって出るような本だったんだ。立派な作品だよ。獅子央の思想には仏教的要素もなければ、ニューエイジ要素もない。つまり、薄っぺらいスピリチュアルな臭みがないのさ。その代わり文学をバックボーンとした正統的な知で出来上がっている。それなりに知的な層に、十分に受け入られるような知識と知性がある。読み物として優れていた。僕はちゃんと読みこなしたとは言えないけど」
小島獅子央はそれだけの本を書いた人物であるのだ。それは海棠の意見というよりも、作者である私が描き出したい小島獅子央像であるわけだが。
「あれはまさに『資本論』のようなものさ。書物で人々の人生を変える力を持っていたんだ。それはもちろん規模は違い過ぎる。『資本論』と比べるのは無理があるだろうけどさ」と電話の向こうで海棠は笑う。
「でも凄い書物だよ、小島獅子央はマルクスだよ。だったら酒林はエンゲルスか。違う違う、マルクスとエンゲルが小島獅子央で、酒林がレーニンってことになるのだろうか。あれ、ソ連を作ったのはスターリンだっけ? まあ、よく知らないんだけど共産主義のことは」
36ー7)
「なぜ獅子央が人前に現れないのか? 我々はその事実を何も不可思議なことではないと受け止めてしまっていますけれど。それだってきっと、何か確かな根拠のようなものがあるはずです」
飴野はこのような問題提起をする。
「恥ずかしいんだよ、性の快楽を謳う教典を書いたなんて。世の中に顔向け出来ないじゃないか。まあ、しかしそれがこっちの勝手な先入観だと言いたいわけだろ?」
「そうです、もちろんそれだって根拠の一つではあるでしょう。一種のポルノ小説と言える『家畜人ヤプー』の作家、沼正三は覆面作家で、いまだに正体は明らかではないらしい。他にも『O嬢の物語』とかも覆面作家。しかしそういうのは実はレアなケースで」
「なぜ? あらゆる無名のポルノ作家たちは匿名で、原稿料だけを稼いで終わりだよ。誰も正体を明らかにしていない」
「しかし正体を探ろう思えば容易なケースのほうが多いはずです。匿名で終わっているのは、その正体に誰も興味がないだけ。実のところ、編集者に頼み込めば教えてくれたりするでしょう。本当に正体が不明なんて珍しい。やはり小島獅子央は少し特殊なケースではないでしょうか」
「そう言われてみればそうなのかもしれないけど。で、飴野君は彼が隠れ続けているのはどうしてだって考えているわけ?」
「さあ、例えば獅子央が有名な作家の変名だとか?」
「だったら大変面白いね」
「あるいは端的に結婚していたりとか。つまり、アルファ教団の教えなど彼自身は信じていなくて、それと矛盾している生活をしている」
「『男たちよ、独りで生きろ』と推奨している組織だからね。もちろん妻帯を禁じてはいない。『女性を遠ざけろ』なんて教えはない。むしろ逆だ、アルファ教団ほど性の快楽を追求している組織はない。しかしそこは孤独な男性たちのたまり場だという状況で、まるで独身者の梁山泊だ」
「獅子央はそのカリスマとして相応しくない生活をしているのかもしれません」
「会員たちが知れば、教団に落胆してしまうような生活ってことかい?」
「そう、あなたは決して表に出て来ないでくれと、酒林に指示されているのかもしれない。それとも獅子央自らそのような決断をしたのか」
「うーん、あらゆる可能性が考えられる。こんな可能性だってあり得るさ、残念ながら彼は死んでしまっている、とか。表に出たくても表に出て来られない。だから酒林も安心して神格化が出来る」
「その線もあるでしょう。しかしいまだに獅子央の最新作は出版されているらしい」
「でも全ては『文学とアナルオーガズム』の焼き直しか、それの解説のようなもの。それ以上のものは書いていない。新しい展開を見せていないさ」
「その通りです。誰でも書けるような作品です」
「ゴミのような解説書ばかりだ」
「もしかしたら獅子央はもう、そのテーマに興味もなければ関心もないのかもしれない。そもそも自身はあの書物をフィクションのように書いただけで」
「経典扱いされていることに戸惑っていると?」
「はい、そこまでの覚悟はなかったということです」
「まあ、死亡説が僕にとって最も魅力的だな。三億円事件の犯人と同じで、さっさと死んでしまった。獅子央の正体、それは永遠に解けない謎なんだ」
「しかし死んでいるのなら、その彼の正体をひた隠しにすることに、何の意味があるでしょうか? 会員たちだって獅子央の真実を知りたいはず。生前の彼の姿を適度に美化して発表すればいいのに」
「まあ、どんな事情でも考えられるさ。遺族と金で揉めているとか。何ならば獅子央は実は女性だったとか」
「それが最もあり得ない可能性でしょう」
「もうお手上げだ。考えれば考えるほど、何もわからない、ってところに戻ってくる。そのループだ。ゲージの中でグルグル回っているハムスターの気分だよ」
海棠の個性はそういう言い回しにあるのだから、決して鼻白まないで欲しいものである。集団のことを梁山泊に例えたり、事件後に容疑者が死んでいれば、三億円事件を即座に想起したり、ループするならばハムスターに。何かに喩えるのが好きではあるが、その教養の源は下世話で庶民的。センスに捻りも洗練の欠片もないというのが彼の個性。
「とにかく小島獅子央という人物は存在している。酒林とは別の、アルファ教団の精神的支柱は実在する」
「だろうね」
「その事実を海棠さんと共有出来ただけで十分です」
「本当に? 君はどのような当たりをつけているんだい? 何か考えがあるみたいだね?」
「確かに思いついたことはあるのですが、まだまだ何の確証もない。誰にも発表出来るようなものではありませんよ」
「何だよ、ケチだな、教えてくれよ、どんなに検討外れでも笑わないからさ」と海棠は笑いながら言ってくる。
「海棠さんと話しているうちに、その思いつきが馬鹿らしいことに気づくか、それとも幾らかのリアリティがあるか、どちらかの方向に針が触れるのかと思ったのですが」
「どっちにも振れなかったわけか。すまないね、何の手助けも出来なくて」
海棠にそれを披露したい欲望が飴野にないわけでもないが、まだその時期ではない。飴野は丁寧にお礼を言って、接続を切った。
36―8)
推理小説の世界は箱庭のように閉じる。ある段階で容疑者は出揃い、その中から誰が犯人なのか選ぶ作業が始まる。
カチッとした枠組みが出来てしまうのだ。もう、その範囲の外に出ることは出来ない。謎の真相がその枠から出たりすればアンフェアとなる。
それゆえ密室がテーマとなったり、屋敷や孤島が舞台となったりする。それが推理小説のルールというところであろう。
ここまでに一度も登場していなかった人物が真犯人だったなんてことは許されないのだ。それどころか、犯人は小説が始まってすぐに登場しているものであり。
例えば別人に化けていたり、偽名を名乗っていたり、どのような手段で読者を惑わせることは自由であるが、既にそこにいた者だけが犯人足り得る資格を有する。
ハードボイルド探偵小説だって似たようなものだ。探偵は序盤において真犯人とすれ違い、言葉を交わしているかもしれない。彼が失踪者を探しているのならば、その失踪者は実はすぐ傍にいた。
というわけであるから、探偵飴野が探し求めている失踪者、若菜真大もどこか近くにいる必要があるわけだ。
どこか近くとは?
飴野が若菜を探し始めて、彼に関する情報がだいたい出揃った時点で、その世界は閉じた。その閉じた世界の中のどこかという意味。
深まることはあっても、もう広がりはしない世界。外部から、あっと驚く新情報なんてやって来たりはしない。
その閉じた世界の中で、これまでに集めた情報をどのように解釈するか考えるのが探偵の仕事である。
そうやって限定された世界の中で、若菜が身を隠すことの出来る場所など限られてくるだろう。実はまだ佐倉と共に暮らしていた部屋の中にいたとか、佐倉が最初に雇った探偵、木皿儀に関係する場所とか、あるいはアルファ教団の建物のどこかに潜んでいるとか、例を挙げるとすればそんなところだろうか。
アルファ教団に関係するところ。それが最も適している解だと思う。この物語の作者である私はそんなふうに考えた。
探偵がこのように考えたのではない。誤解させてはいけない。世界が閉じていることを認識をするのは作者である。それと読者。ミステリーを堪能している読者も、こんなふうに考えているだろう。
失踪者若菜氏はアルファ教団の建物の中に隠れていたことにしようか。とはいえ、それだとまるで捻りがない。それより更に、もっと奥深い場所。
小島獅子央の中というのはどうだろうか。まあ、つまり若菜氏こそが実は小島獅子央だったとか。
あるとき、作者である私はこんなことを考えたのである。
若菜氏はアルファ教団の一会員でしかないはずの男。そこの会員であることが婚約者の女性にバレて、それが原因で言い争いになり、彼は彼女の許から去ったのである。逃げるように、追われるように、若菜氏はどこかに消え失せた。
しかしそれを全てひっくり返すのだ。彼はアルファ教団という自己啓発セミナーの一会員だったのではない。
彼こそがそのセミナーの陰の総帥にして真の導師。実はアルファ教団の関係者であったから、そこに通っていた。
前任の探偵、木皿儀は勘違いしていた。その建物に通う若菜氏の姿を見て、依頼人の佐倉に間違った報告をしてしまった。それどころではない。勘違いをした木皿儀は若菜に近づき、これを種に強請りを試みたのである。
その結果、あっさりと捻り殺されたのである。アルファ教団のスタッフたちを、自分の思い通りに総動員出来る小島獅子央によって。あるいは小島獅子央を守ることに全力を尽くす酒林の指示によって。
探偵飴野の中にこのような推理が描かれ始めていた。
36―9)
小島獅子央はこの物語の序盤からずっといた。
いや、実際のところ彼がそこにいたことなどないのだけど。小島獅子央自体は謎の存在だ。その存在すら疑われている正体不明の著述家である。
その固有名詞だけが有名で、作中で何度も話題にはなるのだけど、彼自身がその姿を現したことはない。
しかし、いないということが獅子央にとっての安定的状態である。若菜が小島という存在に回収されるのならば、それは序盤から我々の傍にいたということで何の問題もないであろう。
というわけで、若菜は獅子央としてずっと「いた」のである。
あるいは獅子央として、どこかに消えた。獅子央として生きることを決意したから消えた、という展開でもある。それはつまり、若菜が次に姿を現すときは獅子央として、という意味。
若菜は小島獅子央だ。という展開を作者である私はは思いついた。
馬鹿々々しいオチかもしれない。大したサプライズを感じさせられるものでなく、見事に盲点を突いているわけでもない。
いや、別に素直に褒め称えてもらっても何の問題もないのだけど。そちらのほうが私としては嬉しいのだけど。
しかしそのオチが上手いかどうかはどうでもいい。どっちにしろ、その展開が成功するかどうは全て筆力、物語る力次第ということになるだろう。
それに信ぴょう性を持たせるようなアイデアをどれだけ肉付けしていけるかどうかだ。真っ当なミステリーとして成り立つようなリアリティをどれだけ与えられるか。
おっと、しかし私はまた誤解されてしまうような物言いをしている。最終的にこの真相もひっくり返されてしまうことになる。
この作品が、こんなにも真っ当なミステリー的展開を見せる作品ではないということも、さっさと言っておかなければいけない。
若菜氏が小島獅子央であるかもしれないという展開は、この作品が一瞬だけ垣間見せるミステリー的側面でしかなくて。それが律儀に貫徹されるわけではない。
若菜真大は小島獅子央ではなかった。探偵飴野はそれを真相だと思い込み、全ての謎を見破りましたとばかりにその推理を披露するが、現実はまるで違い、彼は酷い恥をかくことになる。
それがこの作品が正統派ミステリーではないということの根拠である。
飴野は探偵なのに間違ってしまうわけだ。独特な推理をして、見事に謎を解いたつもりであったが、それは勘違い。
真相は平凡な現実に行き着くのだ。結局、若菜氏は小島獅子央などではない。待っていたらいずれは帰ってくる失踪者でしかなかった。
彼はただ単に恋人とケンカして、住んでいた街を離れていただけ。それは家出というべきレベルのささやかな事件であったのに、その何の変哲もない事件を探偵たちが大仰に騒ぎ立てたのである。
占星術探偵飴野は間違う探偵である。占星術の間違った診断に基づいて事件の推理をしてしまうことだけがその原因ではない。ただ端的に推理の誤りによっても間違う。勘違い、誤解、早とちりで間違う。
混沌と混乱と無秩序が支配する世界に、統合された物語をもたらすはずの探偵。そのような存在なのに間違いを犯してしまう。その結果、読者をミスリードする。
それがこの作品のアンチミステリーたる所以だろう。むしろ混沌と混乱を巻き起こす張本人が探偵だという物語。