30)占星術探偵「固有名詞だけの存在者」

文字数 15,996文字

30ー1)

 イメージの中の馬と共に大地に伏して、私は眠りに落ちた。そこから這い上がったのは七時間か八時間後。つまり、いつも通りの睡眠。
 七時間、下手をしたら八時間も眠っているというのか? 作家などという職業は呑気なものだなと嘲笑われるか、逆に羨ましがられであろうか。
 しかし一人きりの部屋で本を読んだり、書いたりする仕事である。睡魔という魔に付け込まれやすい環境にいると言えるのだ。
 睡眠不足では仕事にならない。眠気を払ってくれるものが身近にないのである。歩き回ったり、話し続けたりする仕事ではないから。
 一人きりで部屋に居るのならば、気軽に昼寝したり出来るではないかと思われるかもしれない。しかし嫌なのである。昼寝なんてしたくない。それは私の体質に合わないもの。
 というわけで、明け方から昼までの七時間、下手をしたら八時間の睡眠がとても重要だ。
 私は毎日、それを卑しく求め続ける。少しでも睡眠不足であると、その日の仕事に支障を来たすから。

 いや、執筆の仕事のどこにも、睡眠不足を紛らわせてくれる刺激なんてないと書いてしまったが、実はそれも大きな間違いであって。
 書く作業それ自体に眠気を吹き飛ばす効果があるとは思っている。脳が覚醒するような効果。頭の中にかかったモヤモヤした霧のようなものを晴らすパワーが、執筆という行為にはある気がする。
 ということであるから、執筆作業に打ち込むことさえ出来れば、少々の睡眠不足など気にならなくなるのだけど。
 それは事実ではあるが、しかし残念ながら今の私はその段階にいない。今日の予定は自作読み返し作業が中心である。それは充分に睡眠していても、眠たくなるような作業。というわけで結局、長過ぎるほどの睡眠が重要だという結論に戻る。

 私は時折考えることがある。読書を楽しむだけで充分に愉快で、生産的な人生を送れるのではないだろうなんてことを。
 つまり、書くことを放棄して、全ての余暇を読書に当てるという人生だ。
 まだまだ読み切れていない本は多い。読みたい本で溢れている。これらを読み漁るだけで充分ではないか。読むことは書くことより、ずっと知的な行為にも思えるのだ。
 書くことは能動的で、難しい作業に思えるのだけど、実はそうでもなくて。所詮、自分に書ける程度のことを書いているだけでしかない。
 手癖に従い、公式に従い、過去に書いた文章の固有名詞だけ変えて、それは一種の流れ作業。
 一方、読書は違う。知らない情報を得ることが出来る。新しい発想に出会うことがある。
 簡単には読み解けない難解な文章に挑戦する読書のほうが、自分の能力を高めてくれそうではないか。
 それは未知なるものとか他者なるものと向き合う行為、とまでは言えないとしても、それに近い何か。書くよりも読むほうがずっと社会的だ。
 本を読み、それに疲れたらピアノの練習をして、そして夕暮れには散歩をして、一日を終えるのだ。
 そんな生活、最高ではないか。書けないことを嘆かずに済む。人生の大問題の一つが消えたようなもの。他の労働で生活費を稼ぐ必要は生じるかもしれないが、それくらいのストレスには進んで耐えよう。

 しかしそれでは駄目だというのが私の訴えたいことである。睡眠の問題を持ち出したのはそれが理由。
 読書などというものは脳をさして覚醒してくれはしないと思うのである。少なくとも私はそうだ。
 端的に言って、読書に熱中しても眠気が晴れないわけだ。それは楽しくて、癒しの効果があって、読んでいる間は気分が落ち着くのだけど、それだけ。どれだけ面白くて刺激的な読書であってもそうで。
 一方、何かを書く作業には、時間の流れそのものを変える力のようなものがある。爆発感なんて表現は幼稚だろうか。しかし爆発と言いたくなるような、意識が飛躍的にジャンプするような感覚だ。少なくとも調子良く書けてくると眠気は晴れる。
 私の執筆行為なんて、手癖に従い、公式に従い、過去に書いた文章の固有名詞だけ変えただけの、一種の流れ作業ではあっても、まあ、それは謙遜というか卑下でしかないのだけど、たとえそうだとしても、やはり書く行為は能動的だ。
 それこそが私にとって、生きる意味とか楽しみに属することであって。
 読むだけの人生なんて、きっとずっと眠気が晴れないだろう。そもそも、書くために読んでいる。書くことを止めたら読むことの価値も減じる。

 いや、ここまで書いてきて、自分は何を当たり前のことを延々と説明してしまったのかという気分に陥ってきた。
 書くことに快楽が伴うのは当たり前のことではないか。アヘンとかコカインなどを摂取したことはないのだけど、当然あれほどの威力があるわけはないが、書くことの快楽はきっとそれらと同じライン上に位置するもの。
 まあ、もちろんその状態になるまで時間は必要である。書き始めてすぐに没入出来るわけでもない。書き始めたからといって、上手く書けるわけでもない。
 何の報酬もないまま、時間だけが過ぎていくこともある。今がまさにそのような時期である。



30―2)

 ということで、一刻も早く次の作品に着手したいという想いは、私にとって切実なものであるわけだ。それは生活費を稼ぐためだけの手段ではなくて、快などの感情に結び付いている行動。
 今は谷間にいる。次に上るべき目的の山を見つけられない状態。東西南北どちらに向かって進んでいけばわからず、広々とした平野をウロウロとしている。
 いや、最近ようやく、遠くの霞む景色の向こうに山影らしきものが朧気ながら見えなくもない気がしつつあって、その方向に何となく足は向いているとは思うのだけど、果たしてそれが私の昇るべき真実の山なのかわからない。
 山の麓まで来て、勘違いに気づいてしまうなんてことがあるかもしれない。大きな山に思えたものが意外と低かったり、少しも神聖なものを感じさせない下世話な雰囲気の山だったり、あるいは何者かが既に開発した山だったり。山登りの趣味なんて皆無なので、その比喩はそのくらいにして。
 とにかく書きたいもの、書くべきものを見つけるまではけっこうな苦労を経る必要があるということ。
 今は何もない。何も書くことがないから、仕方なく過去の作品を読み直し作業に取り掛かろう。本当に仕方なく、不本意ながら。過去に踏破したことのある山登りを思い出す作業。
 しかしその作業はそれなりに有益で、私に色々なものをもたらしてくれたりもするのである。
 つまり無駄ではない。何せ次に書くべきものは、過去の作品の延長上に位置する。シリーズものなのである。
 過去の作品の中に様々な種が眠っているはずだ。それをくまなく拾い上げよう。むしろ絶対に必須の作業かもしれない。

 さて、そういうわけでいつもと何一つ変わらない朝のルーティンを過ごした末、私はデスクの前に座り、PCの電源をスイッチオンにする。
 私のデスクトップPCはそれなりのCPUを積んでいて、性能は良い部類に属しているとは思うのだけど、決して最新ではなく、立ち上がるまで数分は要する。
 別に頭の中に書きたいことが漲っているわけでもないから、何も焦ることなくパソコンが立ち上がっていくのを待つことにするが。
 とはいえ、これは人類の発明した便利さの結晶だ。ここに私の所有している音楽と、過去に書いた作品の原稿、書きかけの原稿、未完成の原稿など、ほぼ私の全てが所蔵されている。
 その重みのせいではまるでないのだけど、パソコンはすぐに始動しない。その時間で、改めてこのシリーズのテーマのようなものに想いを馳せてみるとしよう。

 占星術探偵シリーズは二つの柱で出来ていると思う。一つは「恋愛の終わり」。もう一つは「幻による救済」。
 「恋愛の終わった世界」で、恋愛とは別の、とある「幻」によって救済されることで、登場人物たちは生きる価値を見い出す。あるいは結局、その幻では救済への道を見い出せなかったり。
 「占星術探偵」シリーズをこのようにまとめることが出来るだろうか。
 一作目、「占星術探偵対アルファオーガズム教団」における幻はアナルオーガズムであった。女性を介しない性的享楽による救済。
 二作目の「占星術探偵対憂国少女」は、憂国少女というアイドルグループとの疑似恋愛が、救済をもたらすかもしれない幻。
 しかもそのグループを応援することは愛国心ともつながる。政治に参加しているという感触も得られる。
 その政治行動とは、レイシズムに基づくヘイトスピーチを垂れ流す行為なのだけど、そのファンたちはそれに救われた気でいる。そんな舞台を背景に事件は起きる。
 三作目の「占星術探偵対恋愛女優」は、恋愛女優との疑似恋愛が、救済をもたらすかもしれない幻だ。
 彼女は大阪の風俗街で働く女性たち。職種は様々であるが、その店に行き、対価を払えば会うことが出来る存在。
 その商売を仕切る組織、スカウト、バックにいる暴力団組織。大阪の風俗街を舞台にしたその抗争を描きながら、「恋愛の終わった世界」での「幻」の救済を探す姿を描く。

 ここまで淡々と読み返してきた「占星術探偵対アルファオーガズム教団」もようやく、「恋愛の終わった世界」というテーマと本格的に触れ始めることになりそうだ。
 失踪した若菜真大という男は恋愛という一対一の関係を、途中で降りた。アルファ教団に通ったことがその始まり。失踪という形で彼女の前から消え失せたことがその結果。探偵飴野はそのような推理を組み立てている。
 この先、必然的にアルファ教団という組織と、その教えがクローズアップされることになろう。その組織がどのような場所か解き明かすことが、事件の真相に肉薄するための手段。

 さて、PCはようやく立ち上がった。どこまで読んだっけ? 私はページをスクロールさせる。
 しかしこんなにも時間が掛かるのならば、デスクトップよりもノートパソコンで仕事をするべきだろうか。最近、そのようなことを考えている。
 ただ単に小説を書くだけである。デスクトップパソコンの性能を必要としない。BGMとしての音楽だってスマホなどで代用出来るようになっている。

 まあ、そんなことはまた別の日に改めて考えることにして。
 目当てのページに辿り着く前に、私は徐々に思い出していく。探偵飴野は友人の占い師マーガレットの酒場をあとにしたのである。確かにそこまで読んでいた。その次に彼は柘植と会うことになるはず。
 飴野は柘植をアルファ教団の内部に忍び込ませていた。その偵察結果を聞くシーンからだ。



30―3)

 柘植はその表情に飴野への嫌悪感と苛立ちをいっぱいにして、本当に嫌そうに、溜め息と舌打ちを交互に繰り返しながら、飴野の事務所の来客用ソファに座ったのであった。

 「あんたのことがホンマ嫌いや。これが仕事やなかったら、もう二度と会いたなかったわ」

 飴野は柘植を事務所に呼んだのである。彼にはアルファ教団の中に潜入調査をしてもらっている。その報告を聞くためだ。その謝礼も直接手渡す。それもあって、柘植はここまで来てくれたわけであるが。

 「クソ生意気に個人事務所なんか持ちやがって。自分はあれか? 親が金持ちとかそういう身分のあれなんやろ?」

 柘植は口を開けば、飴野に悪態をついてくる。しかし飴野は柘植の言葉や態度に、まるで腹が立たない。感情をあらわにしている柘植を見ると、むしろ微笑ましくなるくらいである。愛らしいぬいぐるみが暴れているのを見て、腹を立てる者などいるだろうか。
 
 「いえ、決してそんな恵まれた生まれではありませんよ。何か飲みますか?」

 「何か飲むかって? 飲むに決まってるやんけ。普通、客を相手にしたら、黙ってコーヒーかお茶を出すのが常識やろ? イチイチ尋ねて来んなよ。僕はこの業界でも君の先輩やし、君に頼み込まれて、あのきつい仕事をしてやったりもしてる。君は僕に相当な借りというか負い目というか、そういうのがあるはずやで」

 飴野はガラスのコップに、水道水を溢れそうなくらいに入れて、それを柘植の目の前に出す。「嬉しいわ、大阪の水道水! ・・・って、飲めるか、そんなもん!」などという遣り取りを作者の私は思いついたけれど、却下だ。
 飴野は柘植に不思議な親近感を感じていて、彼をからかいたくもなっているが、そんなことが許されるほど今のところ親しくはない。飴野には素直にコーヒーを出してもらった。

 「ほんで、この部屋の家賃はどれくらいなん?」

 一旦、ソファに座った柘植は立ち上がり、部屋の中を見回し始めた。

 「何平米やろか、けっこう広いし、場所も悪くない、心斎橋に近い運河沿いの雑居ビルで。でも築三十年は経ってそうやし、居ぬき物件やろ? 医院か何かやったんやろな、それを差し引いたら、なんぼやろ? 僕は不動産屋やないから、相場とか全然知らんわ」

 まあ、そのようなプライバシーに関わる質問は遠慮して下さい、と飴野は苦笑いだけでその意を柘植に知らしめる。

 「え? 何それ? ホンマ嫌いやわ、そういう態度。言いたくなかったら言いたくないって口で言えよ。君はどこの出身?」
 
 「大阪ではないですよ」

 「どこか聞いているのに、『大阪ではないです』って。答えになってないやろ。ほんならあれか、僕は出身地を知るために、四十七回質問せなあかんのか?」

 「しかし海外かもしれませんよ」

 「はあ、帰国子女とかいうあれか。それもありそうな感じやな、君の話し方を見てると」

 「柘植さんはどちらですか?」

 「どこでもええやろ、君は何も言わへんのに! 世間話しはもうええわ、さっさと仕事の話題に入ろうや」

 というか君、僕が関東以北から来たように思えるん? と柘植はその話題に続けてくる。「僕の父は淡路島の農家で、母は徳島出身」

 「いつ、大阪に来られたんですか?」

 「ちゃう、僕が生まれたのは東大阪や、ずっとここ。なぜ探偵の仕事を始めたかっていうと、・・・って、何でそんな詳しい自己紹介をせなあかんねん」



30―4)

 「もう僕は心身とも疲れ果てている。それもこれも君と出会ったからや。せやけど仕事やから、しっかりとギャランティー分だけのことはせなあかんな」

 柘植はわざとらしいため息をついてくる。彼はこの仕事に消極的なのだから、自ら興味深い情報を提供してくれるはずがない。飴野が具体的な質問を浴びせかけなければいけないのである。しかし飴野は何を聞くべきなのか、頭の中はまとまっていない。

 「率直に言って、アルファ教団の内部はどんな感じだったのですか?」

 とりあえず飴野はそんな質問から始める。柘植には大阪の谷町にあるアルファ教団の支部に、一人の会員として通ってもらっている。そこは一つのビルが丸ごとアルファ教団の所有となっている。
 飴野が外から観察した限り、そこが異様な教団の施設だと示すサインなど何もなかった。ガラス張りの自動ドアの向こうを覗き見ても、企業のエントランスにありがちな大きな造花か何かが飾られているだけであり、普通の企業の入ったビルという趣きなのである。

 「内部の感じ? それがまず君の聞きたいことなんか?」

 「いえ、それ以外にも色々とありますが」

 「うーん、何やろな、意外とパリッとしていたかな」

 柘植は飴野が足を踏み入れることのなかったその建物の内部に入った男なのである。

 「パリッと、ですか?」

 「クリーニングから戻ってきたばっかりの背広みたいにね」

 「つまり清潔感があって、整然としていて」

 「いやいや、クリーニングから戻ってきたばっかりのYシャツっていうほうが適当かな。背広というより真っ白なYシャツ。病院みたいなところやなっていうのが第一印象かな。それに匂いも、病院の匂いがしたな、消毒液の匂い。それがまず最初の驚きやろか。そして第二の驚きは、まっすぐの廊下にびっしりと扉が並んでいたことやね。ホテルみたいな感じなんやけど、扉と扉の間隔がめちゃめちゃ狭くて」

 柘植は黙る。さっきの飴野の質問には答え終わったことなのだろう。

 「柘植さんはその扉の向こうに入ったわけですね?」

 「というか、そこに案内されたわけよ」

 「誰にですか?」

 「そのアルファ教団の係り員の人に。案内されたというか、まあ、勝手にその507号室にお入り下さいってキーを渡されて。ペラッペラのカードキーやな」

 「なるほど。その507号室までは独りでエレベーターに乗って、廊下を歩いて?」

 「というか、507号室というのは、僕が適当に思いついた数字で、実際の部屋番号は忘れたけどね。僕はもうあの建物に三回通ったわけやから、毎回別の部屋を使えって鍵をを渡される」

 「廊下の雰囲気はどうだったんでしょうか?」

 「パリッとしていた。クリーニングから戻ってきたばっかりのYシャツみたいに」

 「誰か歩いていたり、監視カメラがあったりは?」

 「誰も歩いてなかった。廊下も静かやった。足音を立てるのも憚れるくらいに。さっきも言うた通り病院みたいやって。いや、病院ちゃうな、病院はけっこう雑然としてて、人も仰山歩いてるもんな。そこの廊下はシーンと静まり返っとった。防音設備が完璧に整ってるみたいやったね。ホンマに実際、防音は完璧なので、部屋の中で大声を出しても漏れる心配はございませんやって言われたし。ほんで、もう一つの質問は何やったっけ?」

 「監視カメラです」

 「せや、あったね、バッチリあった。言い忘れたわけやないけど、カードキーを貰ったとき、僕は受け付けの部屋の中でちょっと待たされたのよ。あれは多分、会員同士が出来るだけ顔を合わせへんようにタイミングを計っていたんやと思う。受け付けの人が監視カメラで廊下を見てるみたいやね。上手いこと、時間差で出たり入ったりさせてるっぽい。多分やで、知らんけど」

 「ということは、その建物の中の廊下をフラフラと歩き回ることなんて」

 「無理やね、カメラで見つかって、めっちゃ怒られるわ」

 「ということは、その監視カメラのデータが手に入れば、若菜氏の姿が写っている」

 「まあ、そうやな。でも死んでるんやろ、その人?」

 「いえ、行方不明ですから、今も通っている可能性すらあります。そうでなくても、いつまで通っていたか判明するでしょう」

 「それはそうかもしれへんけど・・・。え? もしかして君、僕にそれを盗み出せって言う気やないやろな!」

 「やっていただけるんですか?」

 「やるか、アホ! 出来るわけないやろ、ボケが! 君は僕のことを007かミッション・インポッシブルの人と間違えとるんちゃうか。探偵やいうても、普通のサラリーマンと変わらへんタイプの一市民やで、そんな危ない橋、渡れるか!」



30―5)

 柘植は激しい口調で拒否感を現わしてきたが、飴野もそんなことを本気で検討していたわけではない。それは作者である私も同じである。
 それが採用されたりすれば、教団のその建物の警備員室に夜中に侵入するか、警備員やアルファ教団の職員を騙したりして、若菜氏が失踪する以前から今に至るまでの監視カメラのデータを、USBファイルか何かに密かに移行させる作戦が実行されるということになるのだろうか。
 このシリーズの作者として私はそんな映画的なシーンを描きたくない。そもそもそのようなシーンは、この作品の雰囲気に合わない。
 それに上手く書ける自信もアイデアもない。確かにこの作品は飴野の一人称視点で語られるので、柘植一人にその難しい仕事を課せば、その過程を直接描写する必要はないことも事実であったが。しかしそんなシーンに読み応えがあろうか。
 監視カメラのデータを見ることが出来たら、若菜氏がいつまでこの教団に通っていたのか判明するだろう。あるいは通っていなかったことが。
 それは捜査に大変役立つ情報に違いない。まともな探偵ならば、どうにかしてそのデータを手に入れようとするのではないだろうか。きっと真っ当な捜査というのはこういうものだ。
 しかし飴野は占星術探偵であるのだから、占星術を駆使して推理するべきだ。普通の捜査方法で推理させても面白みはない。
 いや、そんなことを大上段から唱えながら、しばしば例外的手法で捜査を前に進めていて、まるで占星術探偵振りを上手く描けてはいないが。

 「柘植さんの手を煩わせません。大阪府警に知り合いがいます。監視カメラの情報くらいなら、どうにかなるかもしれません」

 「え? 君みたいなちっぽけな私立探偵にそんな味方がおるんかいな。いやいや、そういう味方がおるから、小規模でもこの仕事が出来とるんやろうけど。やっぱりあれやね、何から何までコネだけには恵まれた男やね、君は。ズルいやっちゃで、ホンマに」

 「大阪に来て、苦労して手に入れた関係ですよ」

 「君の苦労なんてたかが知れてるやろ、顔見たらわかるわ、苦労している男に見えへんもん。せやけど、どっちにしろ大阪府警であっても、この組織の監視カメラ情報なんて手に入れられるとは思えへんけどな」

 「木皿儀氏の自殺は使えます」

 「ああ、そうか、それでもなあ」

 「やはり知っておられたんですね?」

 飴野は切り込むように言う。

 「え? 何が?」

 「木皿儀がアルファ教団の施設の中で変死体として発見された事実です」

 「ああ、そのことなあ」

 それこそ大阪府警の刑事、岩崎美々から手に入れた情報だ。まだ詳しいことは聞いていないが、どうやら間違いのない事実。

 「それはまあね、うちの探偵事務所で噂話が色々と囁かれてるよ。だからこそ君の仕事を請け負ったことも事実やで。やっぱり何が起きたのか、僕もちょっとは気になる」

 「柘植さんも?」

 「当たり前やんか、僕だって探偵なんやし」

 飴野は柘植を少し見直した。彼にだって探偵らしいロマンティックな探求欲があるではないか。それとも、そこにはまた別の意図が潜んでいるのか。
 もちろん、作者はロマンティックな探求欲なんてものを好みはしないから、別の真相がこの先に待っているわけであるが。



30―6)

 「せやねえ、でも今の僕の見込みでは、自殺か他殺かフィフティー・フィフティーってところやね。実はあいつは脅迫されとったみたいで、それでかなり参ってた様子でね。あの施設の部屋は密室で、めちゃめちゃ静かやから、ちょっと試しに死んでみても良いかなって気持ちになるところではあるよ。ちょうどいいところに首が吊れそうなハンガーかけもあって」

 柘植は自ら首を吊るような身振りを交えながら、そのようなことを語ってくる。

 「ちょっと待って下さい、彼が脅迫されたいたのですか? いったい誰に?」

 新しい事実である。首吊りという死因も知らない情報であったが、それ以上に聞き捨て出来ない重要なことを、柘植は提供してくれた。

 「さあ、知らんけど、だいたい脅迫なんてするのはその筋やん。君も脅迫くらいされたことあるやろ? 探偵はそういう仕事やんけ。どこで恨みを買ったかわからんくらい憎まれてる。何せ浮気調査をして家庭を潰したり、人の秘密を暴いたり。あいつはアクティブに動き回っていた分、多方面から恨みを買うような人間やった」

 「しかし死にたくなるくらい追い込まれたことはありません」

 「まあね、それは僕もそうで、木皿儀はナイーブ過ぎたってことになる。もしくは不運にも、相当にヤバい相手の調査をしてしまった」

 「そうですか、驚きました。脅迫についてもう少し詳しく話しを聞きたい、あまりに重要な情報で」

 「知らん知らん。僕も何となく事務所内の噂話を立ち聞きしただけで。詳しいことなんて何もわからんよ。あいつの悪口が書かれたビラがまかれてたとか、マンションのエントランスに落書きがあったとか、部屋に脅迫文の書かれた手紙が残されていたとか、けっこうな追い込み方をされてたみたいやけど」

 知らないと言ったわりにはそれなりに具体的な情報ではあるが、しかしありきたりな脅迫法を羅列しただけとも言える。

 「それで神経を病んでしまって、鬱状態になった。だから僕は自殺だと思うよ。公式の発表通りに。さっきはフィフティー・フィフティーって言ってしまったけど、九割方は自殺だと思っている。一割の可能性で殺人」

 「殺人だった場合の犯人像は?」

 「いや、わからんよ、そんなもの」

 「アルファ教団の関係者という可能性は?」

 飴野は自問しながら相手に尋ねた。

 「柘植さんの仰られる通り、その建物には監視カメラがあり、廊下を自由に歩けない場所だとすれば、殺人を実行出来たのはその関係者だけということになります」

 「殺人やったら、そうかもしれんけど」

 「はい、だからこそ自殺だったに違いないとも言えますが」

 「せやろ? それにもしやで、君がちょっとでも教団が殺した可能性を考えているとしたら、僕は恐いわ。君は人殺しも辞さない危ない組織に僕を潜入させたってことになる」

 「いえ、そのような可能性もあるという話しです。別に僕も確信はしてません」

 ちょっとした失言をしたようだと飴野は思う。アルファ教団の危険性を強調して、柘植を怯えさせるのはどう考えても得策ではないのに。

 「もうこの仕事、辞めさせてもらうわ、怖いもん。最初の話しとちゃうやん。それどころか君は僕にスパイの真似事して、監視カメラの映像を盗んで来いとまで頼んでくるし」

 「いえ、それは取り消します。監視カメラの件は忘れて下さい」

 「もう嫌や、この仕事、辞める」

 「そう言わずに柘植さん。絶対に柘植さんの安全を第一に優先します。あなたの身元がバレるような危険な仕事を頼んだりしません」

 「ホンマか? 僕は木更津の自殺を確信しているから、君の仕事を請け負ってやったんやで。危険な組織が相手やったら、やるわけないやん」

 というわけで柘植と監視カメラ問題は切り離されることになる。飴野は何とか宥めすかして、柘植の機嫌を取り、まだしばらく潜入調査の続けてもらう約束も取り付けた。
 それよりもまだ重要なことを柘植に何も聞いていない。
 アルファ教団潜入調査の報告はまだ序の口。部屋に入ったところまで聞いただけ。中で何が具体的に行われているのか、それこそ最も肝心な情報なのに、それについては触れられてもいない。
 柘植を相手に、まだまだ質問を続けなければいけない。



30―7)

 「初日から、その部屋に入られたわけですよね」

 アルファ教団の奇妙な建物の中、狭い間隔で扉が並んでいる廊下、その光景を頭に思い浮かべながら飴野は問うたであろう。その部屋のどこかで木皿儀が死んでいたのだ。
 うわあ。またその話題に戻るんかいな。もうええっちゅうねん。柘植は文句を言いながら結局のところ協力をしてくれる。

 「入ったというか、何かあの部屋に押し込められたようなもんかな。まあ、不安になって来るんよね、あの静か過ぎる廊下にいると。早く部屋の中に身を隠したい。僕だって他の会員とも会いたないし」

 「部屋の中はどんな感じでしたか?」

 「入る前からこれは相当狭い部屋やろなって思ったら、やっぱり狭い部屋やった。というか細長い部屋。両手を伸ばしてクルクル回れるかどうか微妙やな。ハンガーがあり、マットがあり、モニターが部屋の奥に掛かってて、トイレもある。部屋の中はクソ暑くてね、まず服をお脱ぎ下さいってモニターに表示されとった。真っ裸でも過ごせるように温度調整されているみたい」

 「窓は?」

 「あるわけないやろ、完全なる密室」

 「柘植さんは素直に服を脱いだわけですか?」

 「脱ぐよ、それはホンマに暑いねんもん。メッチャクチャ暑いねんで」

 「サウナくらい?」

 「いや、そこまでは暑くないけど。汗も別にかかへんけど。でも裸になっても寒くはないくらいに暑い。裸になったらちょうどいいくらいの暑さやね。つまり、まあまあ暑い」

 「薄暗かったですか?」

 「そうでもない。部屋の温度は調節出来へんけど、照明だけはこっちでも自由になる。まあ、蛍光灯ではなかったよ。ツマミを回すと、明るくなったり暗くなったりする照明やね。僕は暗いと前が全然見えへんのよ」

 「そうなんですね」

 「なんやねん、そのリアクション。そんなん、どうでもええみたいな顔しやがって」
 
 「そんなことありませんよ」

 「探偵やのに夜目が利かへんのは、なかなか致命的なことやで。夜中に張り込みをしてても、ターゲットの見分けがつかんどころとちゃうで。何も見えへんからね。だからその不倫カップルは知らん間にホテルとかに入ってもうとるんやわ、これが」

 「大変ですね」

 「そんなん探偵として失格やろ? だってやれる仕事が限られるから、致命的な欠点やで。君の事務所に僕が雇ってくれって来たらどう? 絶対に断るやろ? そんな奴いらんわってなるやろ」

 無口なタイプの登場人物より、饒舌なタイプの登場人物のほうが作家にとって有り難いのは言うまでもない。柘植は勝手に延々と話し続けてくれる。すなわち、会話のネタが次から次へと思い浮かぶキャラクター。むしろこの人物を黙らせることのほうが困難である。
 小説の登場人物は言葉を発さなければ、その存在は顕現されない、というわけではないが、言葉を発しさえすればそれだけで存在して、「そこにいる」という面倒な描写を免れることが出来るだろう。
 しかも柘植は大阪弁を話すという属性の持ち主で、その言葉遣いだけで柘植の個性も発揮される。何とも便利な登場人物である。

 「僕は探偵として半人前。夜には活動出来ないポンコツ、って君に思われるかもしれへんけど、その欠点を補うために自分なりに頑張ってきたつもりで。そんな馬鹿にするような目で見られたないな」



30―8)

 柘植を放置していれば延々と無駄話しを続ける。飴野だけではなくて作者である私も大変に困る。この男を黙らさなければいけない。
 しかし飴野はこのような人物の取り扱いに馴れていない。「先程の続きをお願いします」と少し冷淡なくらいの口調で言ってしまう。すると柘植は不機嫌になる。

 「続き? だいたい全部もう話し終わったんちゃうかなあ。あれをしろ、これをしろって指示が、モニターに出るわけよ。で、それに淡々と従っていく。そんな感じやね」

 「例えばどのような指示が」

 「まず全裸になり、そして楽な姿勢を取って・・・、何やねん、おい、何もかも全部話さなあかんのか? ここからは僕のプライバシーの範囲やで。もう十分やろ。建物の中の雰囲気とか、廊下の監視カメラのこととか、これで十分に伝わったはずや」

 柘植は口ごもり始めた。飴野もその気持ちは充分にわかる。確かにそれはあまりに性的な事象に関わる。飴野だって聞きたい話題ではない。
 それに必要最小限の情報を得つつあることは確かだ。まず、そこは清潔な密室である。モニターに表示される指示に従っていくという形式のようである。講師が付きっ切りであったりとか、大勢の会員たちと一緒にセミナーを受けたりするわけではない。 

 「そんなもん、しらふで出来る話しとちゃうで。と言いつつも僕は普段からお酒なんて一滴も飲まへんけど。ということやから一生話すことはないね」

 「わかりました。そこは飛ばしましょう。で、効果はあったんですか?」

 「おいおい飴野君、その質問も十分にプライバシーの範囲に侵入してんで。まあ、でもまだ三回目やからね。まだ僕は光の世界への扉は開いてないかな」

 「何回目から、その扉は開き始めるんですか?」

 「知らんけど。というか別に熱心にやる気はないで。そこまで君は求めてへんやろ? とにかくその組織の雰囲気を伝えればオッケーって話しやったはずや。え? 求めてんの?」

 「いえ、そこまではもちろん求めてません。しかしせっかくですから、事件が解決するまでそこに通い続けて下さい」

 「ホンマかいな」

 「いずれ何か重要な情報が手に入るかもしれない」

 「まあ、ええけど。報酬さえきちんと払ってもらえるのなら」

 「当然です。しかし今のところ、報酬分の働きをしたとは言えませんけど」

 「え? 嘘やろ、けっこう頑張ってたつもりやったのに」

 柘植はその言葉に本気でショックを受けた表情をする。いや、いかにも演技ぶった態度ではあるが。
 彼が悪人か善人だと問われれば、それは圧倒的に善人であり、親切で優しい誠実な人間だと飴野は思っている。
 飴野に上手いように利用されているという被害妄想のようなものを柘植は感じていているようであるが、報酬をもらっているからにはそれなりの仕事はしなければいけないという責任感だって持ってくれているようだ。
 まあ、それは善人というより小人物と形容するべきかもしれないが。どっちにしろ、柘植は気が大きくて豪胆なタイプではないことは事実だ。
 あるいは、そういう態度の全てが演技だという可能性もあるのだけど。

 「あっ、そうや、忘れてとった。その前にけっこう長めの演説を聞かされたんやった。酒林さんっていう人の演説。そこで言ってた気がする。何事も辛抱は大事で、二回や三回の体験で世界がバラ色に輝き出すような、激烈なオーガズムは手に入りませんよって。酒林っていう男、君も知ってるよな?」

 「はい、この組織の実質ナンバーワンの」

 「それは知らんけど。その部屋のモニターに酒林さんが出てきて、誰でも我々の指示に従っていけば、いつかは効果は出ますからね、って言うとったわ。だから逆に個人差があるってことなんやろね」

 柘植は言い訳するように慌てた口調で付け加える。

 「言い忘れてただけやん。別に隠していたわけでも、報告するのが面倒臭かったってわけでもない。そのモニターに指示が出る前に、酒林さんが出てきて長いスピーチがあった。なかなか面白いスピーチやったと思う。その人の話しを聞いているだけでテンションは上がって、僕もいっちょ頑張ってみたろかなって、心の隅でちょっと思ったりもすんねんな、それが」

 「動画サイトに上がっているのと同じものでしょうか?」

 「知らんけど、けっこう長いこと話してたし、内容的にもかなり踏み込んでたと思うから、会員費を払わんと見られへんやつやろな」



30―8)

 飴野から柘植への質問は依然として続いている。アルファ教団の建物の中の情景、木皿儀の首吊り自殺、脅迫されていたという事実、それなりに重要な情報が手に入った。
 これは実りある会談だ。しかしまだ最も重要な話題が出ていない。作者にとって重要な遣り取り。この物語を先に進めるような情報を得るための会話。

 「他の会員と知り合いになれそうでしたか?」

 飴野は柘植に問う。いや、これが物語を先に進めるための核心の問いではない。その前奏段階というところか。
 失踪した若菜氏についての情報を何か持っている会員がいるかもしれない。ということでの質問。

 「無理無理。アホな意見にもほどがある。君は何も現実が見えてへん。そんなこと絶対に無理やね、みんながみんな、出来るだけ顔を合せないように行動しているからね。僕もそう。あそこに行くと自然とそうなる。横のつながりはないと言い切れる」

 「そうですか」

 大変に残念なことだ。普通の探偵ならばおおいに落胆することであろう。占星術探偵だっていくらか気落ちしている。その線から若菜氏の行方を探ることは出来そうにない。

 「せやけど、そのアルファ教団が開設している掲示板というかね、ネットに会員たち集いの場があって。公認のやつな、アンダーグラウンドのとちゃうで。そっちは君も読んだことがあるんやろうけど」

 「公認のサイトですか、それは知りませんでした」

 「そうやろ? そのパスワードを教えてあげるよ、それが最大の今回の最大の収穫かな。なかなか興味深いと思うよ。会員同士、匿名やけど色々と熱心に語り合ってるからね」

 これも別に重要な情報ではない。しかし近づいてきている。近づけているというのが、正確な言い方であるが。

 「会員たちは例えばそこでどんなことを語り合っているのでしょうか?」

 「例えばって改めて言われるとあれやけど。このままのやり方で大丈夫なんやろかっていう不安とか、そのオーガズムが開花して、自分はどれだけハッピーになれたって自慢とか、そういうことかなあ。ここの会員がどんな人たちかよくわかるんとちゃうか。でも教団に対する愚痴や不満はタブーっぽいね、何せ教団が管理しているから」

 「それでも興味深い情報です」

 「せやせや、ほんでな、その掲示板でよく挙がる名前があるんよ、誰やと思う? 小島獅子央。君もその掲示板に出入りするようになればわかると思うけど、彼の存在感の大きさはけっこうなもんやで。アルファ教団の隠れ教祖やな。その名前、もちろん知っとるやろ?」

 「はい、この本の著者ですね」

 そう、これである。小島獅子央という人物にスポットを当てること、それこそ、飴野と柘植のこの会談シーンで描く必要のあることだった。この固有名詞を大きく取り扱わなければ、この物語を先に進めていくことは出来ない。

 「あの酒林さんもスピーチで何かと獅子央の名前を出してる。『獅子央は言っていました』とか『獅子央はこのような書いています』とか、全ての教えは獅子央さんから発せられてるっていうのを、それとなく強調してるっぽい」

 「そのやり方のほうが、会員たちの組織への求心力を強められるという判断ですね」

 「まあ、そうなんやろな」

 「柘植さんはそれが成功していると?」

 「会員の誰も彼もが『獅子央さん獅子央さん』って感じやから、上手いこといっているとちゃう?」

 「そうですよね」

 「しかし獅子央はおらへんのよね。顔もわからなければ、声も聞かれへん」

 「生存もしていないのでしょうか?」

 「さあね、架空の人物説っていう説が根強いかな。会員さんたちもその実在を疑っているみたいよ。酒林さんが創作したって」

 「柘植さんはどうお考えで?」

 「わからんよ、そんなん、興味ないし。しかしね、ホンマにここ最近のことなんやけど、ついに獅子央降臨っていう噂というか風説というか、何て言えばいいんやろか、そういうのが会員の間でまことしやかにやり取りされてて」

 「降臨とは?」

 「そのままの意味、ついに我々の前に登場するってことらしい。正体を明かすんやて」

 「これまでずっと隠し続けてきたのに、なぜ?」

 「知らん。寂しなりはったんかなあ、誰にも知られてへんことが。もうそろそろ自分の寿命が尽きようとしてて、死ぬ前に名乗りを上げようとしているのかもしれへん」

 「獅子央はかなりの老齢なのですか?」

 「ごめん、めっちゃ適当なこと言ってもうたわ。でも何となくそんな感じはするやろ?」

 「そうですね、その組織が立ち上がったのは十五年前だから、十五年目の決意」

 飴野はアルファ教団について簡単にまとめた資料をめくりながら言う。

 「ちゃうで。小島獅子央がその組織に参加して、彼の書いた本がバイブルとなるのはそれよりもけっこう後、その組織が立ち上がった数年後らしいで」

 「ああ、そうみたいですね」

 飴野は自分がその資料を読み間違えていたことに気づく。

 「まあ、どうでもええことやろうけど、そんなもん。この事件には関係せえへんのとちゃうか? どう考えても獅子央と木皿儀の死に関係なんかあるわけないわな。君の探している人物、誰やっけ?」

 「若菜氏です」

 「うん、彼とも関係せえへんやろ」

 そうでしょうねと相槌を打ちながら、飴野は小島獅子央という存在に不思議な興味を感じる。つまり、この事件の鍵を握っているのではないかと心の片隅で思うわけである。


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