第3話:妙な感じと喫茶店マスターの死

文字数 2,377文字

 今後、半年に1回、MRIで観察していきましょうとドクター言われた。その後、頭痛もなく過ごした。そして塚田守が多くの株の本や世界情勢を調べると聞いてインターネット関連株の将来について父が意見を聞くと、実は前回の放射線治療の時、急上昇する2次曲線が目の前に浮かんだ。その後「ヤッホー又はヤフーと言う文字が浮かび上がった」と塚田守が父に打ち明けた。その株価が急上昇する気がして仕方がないと言った。

 その話をして塚田守が父に1千万円を借り投資を開始したいと話した。塚田守は既に長年の投資活動で3億円以上の資産は持っていると想像していた。塚田守が病院を退院して自宅のリビングを使って家庭教師を始め、土曜、日曜日の午前10時から午後17時の間、1時間ずつ計6回、3人ずつ合計18名、土日2日間で36名を月、5千円の月謝で教えた。これで月18万円を手にし、これを生活費とした。

 ただし塚田一郎の8畳の部屋にベッドと勉強机を入れて無料で住まわせてもらい家での食費も無料、オマケに父や祖父、その他の送迎をするという約束で父の車も無料で借りられた。稼いだ金は本代、映画代、レコード代、遊興費に使っていて月に10万円ずつ、しっかり預金した。その後、病気療養のために自宅で静養して体力も回復してきた。1997年にヤフーという会社が上場するという話が入った。

 あらかじめ決めていたようにIPO・新規公開株・抽選のため証券会社に数社に応募。その後、塚田一郎が今迄もN証券だけで投資していた点を強く佐藤部長に直談判した。すると、できるだけ新規公開株を集めろと部下に言明。そこで佐藤部長も八方手を尽くし、合計3株を塚田一郎のために用意した。1997年9月にヤフーのIPO株1株70万円で塚田一郎2株、塚田守1株の塚田親子で合計3株購入した。

 その代金210万円を塚田守が使い残金が790万円となった。その後シティバンクが1998年からインターネットバンキング「シティダイレクト」を開始した。その時インターナショナルキャッシュカードの発行。その他シティゴールド・メンバー「富裕層の優遇」、シティティゴールドメンバーを無料招待した。そこで海外金融商品の勉強会を月1回、全国の一流ホテルで実施した。

 関東の一流ホテルとは東京帝国ホテル、ホテル・オークラ、パレスホテル、ニューオータニ、ハイアット、パ-クハイアット、ヒルトン、ホテルニューグランドなどで毎月行われた。最初の頃は、昼食と珈琲がサービスされて食後にホテルの広い会議室で勉強会が開かれ、東京では100人から300人のメンバーが参加していたようだ。また自分がゴールドメンバーになると2から3万円の賞品をもらえた。

 また新しくシティ・ゴールドメンバーを紹介すると同じ物を紹介した人がもらえるという大盤振る舞いだった。シティドルカードは直接、海外で米ドルを使えるメリットなど破格の条件である事を知った。そこで塚田一郎と塚田守がゴールドメンバーの条件を満たすため1000万円を
口座に入金した。特に勉強会で説明した海外のヘッジ・ファンド、海外ファンド、海外の銀行の投資商品は、他では手に入れられなかった。

そして日本国内では入手不可能な貴重な投資情報を得られた。塚田一郎は初期に海外でチャイナファンドを購入し、しっかり大きな利益を得た。その後1996年12月、塚田一郎、美鈴さんと子供2人の総勢4人でラスベガスに出かけた。1週間滞在しメーシーズのバーゲンでブランド品、宝石、毛皮のコートを購入した。その後も1997年7月にシアトルに飛んで有名なカニやシーフードを食べて市内観光をして楽しんだ。


 その年もアメリカのバーゲンセールに話を聞きつけ塚田一族10人でラスベガス7日間、買い物とショー、ギャンブルの旅行をして有名な歌手のショーやブロードウェイ、ミュージカルを楽しんだ。そしてブランド品、高級品、宝石類を破格値で買って帰った。1998年に入ると4月からアメリカ西海岸14日の旅へ出かけバンクーバー、シアトル、サンフランシスコ、ロス、サンディエゴ、ラスベガスと回ってきた。

 1992年頃から塚田守は国立駅の近くの喫茶店「美鈴」で上手いチーズケーキと珈琲、紅茶のセットを食べに行くのが楽しみだった。この喫茶店には塚田守の好きなタイプの可愛い女性の鹿島美鈴さん。1996年10月時点で美鈴さんの1991年7月7日生、5歳で長女・和美ちゃんと1993年8月16日生、3歳で長男・肇君が保育園から帰ってくると喫茶店の奥の和室で大人しくしていた。

 その喫茶店ではケーキ、珈琲、紅茶が旨かった。その店を鹿島美鈴さんが中心になり切り盛りして旦那さんの鹿島義朗さんは材料の調達。他にケーキを丸ごと1つ、ホール販売していて珈琲豆も焙煎していた。また、多くの種類の紅茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、日本茶を小売り、配達、通信販売をしていた。近くの大学生が喫茶店として利用し駅近くの企業に珈琲豆、紅茶、ホール・ケーキ「ケーキ丸ごと1つ」を売っていた。

 それらの商品の味に定評があり会社や、家族で、かなりの数が売れていた。そのため旦那さんは良く店を留守にしていた。しかし常連さんが多く奥さんや子供さんと話をして楽しんでいた。ところが1995年2月3日、土曜日、朝から雨が降っていたのが昼前から、みぞれに変わるほど寒い日だった。あまりにも寒いので塚田守が10時オープンと共に喫茶店に入り、遅い朝食を食べていた。

 そんな時、電話が鳴って、鹿島美鈴さんが、電話に出て話していると、「えー、本当なの、間違いないの」と大きな声を出した。そして、その場に、へたり込んでしまった。彼女は塚田守と目が合うと、「旦那がスリップした大型トラックと衝突してと言うと、大声を上げて泣き出した」。
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