第11話:地震と猛暑とパリバショック

文字数 2,386文字

 成田から東京を抜けて列車を乗り継いで21時過ぎに武蔵野にある家についた。2006年は、2月に昨年購入したエスティマに乗って、塚田守の家族と両親の7人で熱海温泉へ行った。
熱海では日本1早い桜の花見ができるのでバスに乗って花見をし体が冷えたら温泉に入った。翌朝、熱海港を散歩して、冷えた体で温泉で暖まった。両親は、ホテルから熱海の商店街にくり出し、温泉饅頭、金目鯛の干物を購入。

 子供達は熱海の温泉街の古い遊技場を見学しに行った。長男の肇君は射的に夢中になり、女性達はスマートボールに興じた。両親の方がむしろ真剣に遊んでいた。その後、商店街の寿司屋に入って新鮮な魚を味わった。その後も熱海の町をぶらついて、奥さんがあらかじめ決めておいた
延命堂の温泉饅頭を買った。その後、両親も部屋に帰ってきた。そして、両親が昔、行った旨い
中華料理店で夕食を食べよというので、電話を入れ予約して出かけた。

 すると円卓が用意されていて、店の人が注文を聞きに来たので逆にお奨めを聞くとスブタ、麻婆豆腐、焼き餃子、水餃子とかに玉、茄子の味噌炒めと、ご飯を注文した。どれも旨いが、餃子が取り合いになる程、美味しくて追加した。食後に杏仁豆腐をいただき満腹になった。女性達は杏仁豆腐、最高と笑った。

 翌日、両親が湯河原のホテルが空いていたら、もう一泊して、湯河原梅林の梅まつりも見ていかないかと塚田守に聞くと、守の奥さんが学校には連絡しておくから、行きましょうよと言うので出かける事にした。夕食後、ホテルに帰り、しばらく休み、再び温泉に入った。出てからビールを飲むと眠くなり22時には床についた。翌朝、チェックアウトして10時に出発し、隣町の湯河原の温泉宿に入った。

 旅館に車を置いて湯河原梅林へ徒歩で出かけると平日にもかかわらず梅まつりでにぎわっていた。正式には幕山公園と言い、このシーズンは山の中腹に多くの白梅、紅梅が咲き誇り壮観な景色。その梅の木の数は日本でも屈指の多さの様だ。その公園を散策して回ると、しだれ梅も見つかり多くの写真を撮った。その他、黄色い菜の花と白梅、紅梅のコントラストも素晴らしい。

 午後15時頃になり少し疲れたので帰りは下り坂を下がり7分で旅館に到着。湯河原の温泉
に、ゆっくりと入ると眠気をもよして、部屋に早くも布団が敷いてあり昼寝した。1時間以上寝てすっきりしてお茶を飲むと旅館の女将さんがせっかくお泊まりになるのだから夕食後、夜の梅林見学に行かれたらどうですか言ってくれた。すると女性達が是非行きたいと言った。

 そして18時過ぎに夕食を済ませて、徒歩10分で再び湯河原梅林へむかった。暖かい格好で着たが、やはり肌寒い。しかし、ライトアップされた白梅、紅梅は、また、昼の雰囲気とは全く違い気品と荘厳ささえ感じるほど素晴らしかった。白梅、紅梅のコントラストが最高で、思わず、たくさんの写真を撮りまくった。30分程、見て回り、旅館に戻った。

 旅館では冷えた体を温泉で暖め、湯上がり後、熱燗の酒をつけてもらい、大人達は、観梅の話で盛り上がっていた。子供達はコーラ、ジュースを飲んで、飽きたら、温泉に入りに言った。その晩は昼寝をしたせいもあり0時頃まで雑談して、床について寝た。翌朝8時に起きて旅館の性椀をすませ、車で小田原から西湘バイパスには入り、右に相模湾を眺めながら大磯、平塚へ向かった。平塚から厚木、相模原、橋本を抜けて武蔵野の家に帰った。

 夏は富士山麓ドライブに出かけ、中央高速で富士吉田の富士急ハイランドで子供達は大はしゃぎした。その後、富士五湖めぐりをして、多くの写真を撮り山中湖の湖畔に宿をとって、忍野八海、河口湖を散策して1泊2日で自宅に帰った。秋は清里高原の紅葉を見に早朝出て、日帰りで帰って来た。やがて2007年を迎えた。

 2007年になると為替市場では米国からより金利の高い通貨国への資金移動が起こり始め、双子の赤字をもつ米ドルは下落に転じた。イラク戦争の費用はドル安のため高くついた。米ドル決済で行う原油取引で原油売却代金の実質収入が減少に転じ、その対策からOPEC非加盟国であるロシアや中南米諸国が原油の量的規制を強化して価格の一段の上昇を図った。

 その当時、日本では、2007年7月16日10時13分 に発生。新潟県中越地方沖を震源とする地震でマグニチュード6.8、 新潟県長岡市、柏崎市、刈羽村、長野県飯綱町で震度は6強と大きな被害。非公式ながら柏崎刈羽原子力発電所敷地内にある地震計1基において震度7に相当する揺れがあったされた。全体の被害は、死者15名、負傷者2346名、住家全壊1331棟、半壊5710棟、一部破損237633棟となっていた。

 その後、梅雨が明けて8月に入ると太平洋高気圧が強まって安定し晴天。一気に高温傾向へ。8月中旬、関東から南、九州まで最高気温35℃以上の猛暑日を観測する地点が急増。8月15日には館林市で40.2℃を観測。翌8月16日には埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40.9℃を観測し記録更新。その後も収まらず、9月21日札幌市で最高気温31.1℃。

 9月21日、日田市で最高気温35.1℃。熊本市と並ぶ27日目の猛暑日を観測。翌22日、大阪市で35.1℃。さらに10月8日、熊本市で最高気温32.3℃、この年、日本で99日目の真夏日、最多日数を観測。数十人の死者も出たが、多くは自宅にいた高齢者。猛暑時の高齢者の健康や安全確保などが課題として浮き彫りとなった。

 そんな夏、 パリバショック、「フランスBNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが資産凍結」が起きた。連鎖的な金融不安を恐れた欧州中央銀行は948億ユーロ「当時の日本円で約15兆円」の資金供給を行う。この段階でサブプライムローン問題がクローズアップされる。
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