第5話:喫茶店の手伝い2

文字数 2,650文字

 それより葬式が終わるまでは付き合うから心配するなと言った。そのうち常連さん達が数人、入ってきて昨日のおばあさんから、すっかり話を聞いたと言う人が多かった。そのため入る度、今回は大変だったねーと言う挨拶ばかりだった。昨日の、おばあさんもやってきて気を落とさないでねと言い何か袋を渡した。美鈴さんが何ですかこれと言うと心ばかりのお悔やみの気持ちだよ、これから金銭的に困るから足しにしてくれと言った。

 その話を聞いて数人が私もと渡しに来てくれた。これを見ていた美鈴さんは呆然として本当にありがとうございますと深々と頭を下げた。すると、あのおばあさんが、「人はね、優しくされた人には、ちゃんと、お返しするものだ。お返しもらえる人も、もらえない人も、それは、その人の心根一つなんだよ」と諭すように言うと、美鈴さんが号泣して、化粧が、すっかり落ち、すっぴんの顔になってしまった。

 それを見ていた塚田守が席を立ち美鈴さんに化粧を直してこいと伝えた。直したらモーニングセットを作ってと言い渡した。僕は珈琲と紅茶を入れてやるからと笑いながら言った。そして大きなヤカンにお湯を沸かし始めた。10分位して化粧を直して、ちょっと待ってて下さいよと言って手早くトーストを次々と焼いて長女の和美さんがミルクとジャムとバターを用意した。

 お湯が沸くと小さな口の珈琲用のヤカンにお湯を入れて、ひいた珈琲豆を濾紙の上に入れて、お湯を注ぎ十分に珈琲に、お湯を含ませ30秒後、お湯を少し入れると珈琲の粉が盛り上がって良い珈琲の臭いが立ちこめた。1分後に勢いよく,お湯を回し入れて下の珈琲フラスコがいっぱいになると暖めた珈琲カップに珈琲を入れはじめた。並行して紅茶用の硝子容器に茶葉を入れて十分に沸騰したお湯を入れると茶葉が,踊り出して湯が茶褐色になって来て1分半で完成。

 次々と、カップに入れて、お客さんの元に届けて、そのうちにトーストが完成し30分程で8人分のモーニングセットが出来た。11時過ぎて、お客さんが少なくなって、今度、どうするのと聞くと美鈴さんに聞くと、今のうちの商品の在庫がなくなるまでは,店を続けると言った。その後は、今考えてないと言うと、もし、その後も商品が入るとしたら、どうすると聞くと、食事を提供しないで、モーニング、ランチセット中心でやっていくつもりと答えた。

 その他、珈琲、紅茶などレモン、オレンジ、グレープ、リンゴジュースなど水物で,やっていけば家族の食費ぐらい稼げると思うと言った。出来るなら店を続けたりと言い人手が足らなくなれば女性のお手伝いか女学生のアルバイトでも募集すると言った。塚田守が、俺、実のところ、土日の家庭教師とたまに株の売買をしてる位だから平日は手伝っても良いと話した。そして漫画や古本をこの店に並べて、読める様にすると面白いかも知れないと言った。

 そして1995年2月6日、お通夜の日、喫茶「美鈴」は2月6日、7日、8日、休業の看板を出して立川葬儀所の近くの葬儀屋の会場の2室で、お通夜を行い8人がやってきて当日は男性3人、女性3人が予約した部屋に泊まった。2月7日葬儀には21人が出席したが、ご焼香だけとい言う喫茶店の常連客が10人も来て遺影に手を合わせるだけで帰った。彼女と亡き御主人の鹿島義朗さんは秋田の山深い地域の出身。

 中学を卒業し東京に出て来て2人とも定時制高校に通って喫茶店で修行を積んで独立したと聞かされた。実家は専業農家で東京に出てきたのは2人だけだったようだ。特に会社関係の花輪も少ないので塚田守が大きな花輪を送った。そして葬儀の時、親戚筋の人達に目立たないように、して喫茶店の常連さんと言う事で紹介して欲しいと鹿島美鈴さんに話しておいた。そして葬儀は滞りなく終了し精進落としをいただいた。

 その後、解散し近くの、お寺に近親者のみが付き添った。葬式が終了して塚田守は美鈴さんに、もし店を続けるなら、私が、出資者になろうかと言い、。喫茶店事業に投資家として、お手伝いして良いかなと言った。それは、ありがたいけど儲からないかも知れないよと言うと構わないよと笑いながら言った。しかし私の考えも入れさせてもらうよと言った。

 それは出資者だから構わないと美鈴さんが言った。塚田守が学生に人気の漫画と雑誌を本棚において長い時間いられる様にしたいと言った。漫画、本を自由に読めて飲食代と合計で半日、11時から14時で千円、15時から18時で千円で使える様にしたいと言うと了解ですと答えた。鹿島義朗さんの生命保険は休業補償とか病気、入院、手術の保証だけで死亡保険はなく、ほとんど金が入らない。
 
 また残っている預貯金も20万円程度、支払いが半年分の20万円、店に残った残金10万円と経済的には厳しいと美鈴さんが言った。24席ある店が埋まるようになり4時間セットの客が増えてメニューもホットドッグを増やすと、忙しくなった。その時、学生の市川敏夫さんと石田俊子さんが食事付きで時給500円ならアルバイトしますと言った。美鈴さんが了解ですと言い、数日後勤務表を書いて常時2人に店を手伝って欲しいと言った。

 この話を聞いて、そりゃ良いと塚田守が言い、それだけ長い時間が喫茶店を使えるのはメリットが大きいと言った。そして美鈴さんとアルバイト3人で朝10時と昼12時、夜の18時前後は忙しくなるが、何とかこなせる様になり売上も伸びてきた。その後、女子学生の石田歩さんが短大の食物栄養科の学生さんで実習のために夏休み、冬休みにアルバイトしても良いと言い出した。

 それは大変助かると言い飲食付き、時給5百円で数人でローテーションを組んで2人ずつ、働けるようにしてくれるという申し出を受けた。これにより男子学生1名と女子学生2名のアルバイトが雇えることになり大人が1人出れば運営できる様になる。食料品は買いに行かず業者に全部運んでもらうようにしてケーキも作れるようになり販売し始めた。

 その後、休みの日、塚田守は鹿島美鈴さんと子供2人と出かける様になり彼女が1970年3月18日生まれで25歳だとわかり、まだ若いのにと驚いた。そして塚田守は実家を出て1995年3月18日、鹿島美鈴さんの25歳の誕生日から立川の郊外の3LDKのマンションを借りて鹿島美鈴さんと同棲を始めた。その後、国立駅前の喫茶「美鈴」に出かけて土日以外、毎日、出かけラジオ短波をイヤホンで聞いて株投資をしながら喫茶店経営を始めた。
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