第15話:英語で日本語を教える

文字数 2,316文字

 そして良く1人で頑張ってきたなーと言うと彼女は号泣し塚田守の目にも涙が浮かんだ。少しして、じゃー車で家へいこうと言い20分後、夕方17時に家に着いた。すると母が和美を見て抱き付き、全然、構ってやれなくてごめんねと言うと、和美が、また号泣。そして塚田守が、先ほどの話をすると、よく頑張ったねと母が和美の頭をなでた。また和美が泣き出し、いっぱい泣いて良いのよと、母が、優しく言った。

 ポルトガルは自然が美しく住む人達も、ゆったりしているから、ゆっくり旅行でもして休息しなさいと告げた。リスボン、ポルトやコインブラなど名所が多いわよと教えた。夜6時過ぎると、肇、美恵子、美恵子も帰ってきて、久しぶりに、6人で夕食をとった。和美は、すっかり元気になり、大きくなった、肇、美恵子、美恵子をみて、目を細めて、みんな元気だったと言い、アメリカのお土産を、彼らに渡した。

 一番下の10歳の美恵子が、お姉ちゃん、いつまでいられるのと聞くと、笑いながら、いつまでいようかなーと言うと、美恵子が、ずーっといてよと言うと、大笑いになった。ポルトガルで、ゆっくり旅行して来るねと言った。そうして、3日ほど、和美は、家から、電車、バスを使って、リスボンの町を旅して歩いて、4日目に、ポルトへ行き、数日観光して、帰ってくると言い、必ず、毎日、電話してねと母が言うので、わかりましたと言って、家を後にした。

 そして5日後、2011年11月11日、和美が帰ってきて、父に、私、アメリカの会社、辞めると言い、こっちで暮らしたくなったと言い、この家にいても良いと言うので、構わないよと言うと、じゃーそうすると言った。その晩、ポルトガルの町は、町中を大きな川が流れて、そのほとりに、美味しくて安い、カフェがいっぱいあって、楽しいわと言い、歴史ある建物が、こんなに、たくさんあるとは知らなかったと驚いていた。

 また、夜、ファド・レストランで聞いた、女性のファドの哀愁を帯びた歌は、なにか、日本の演歌、民謡を聴いているかのような、やすらぎがあり、非常に気に入ったと話してくれた。私って、いくら背伸びしても、日本人の血が流れていて、アメリカの弱肉強食の競争社会には、どうしても、ついて行けないことがわかったと語った。まー無理しないで、自分に、合った生活をして、世の中のためになる事をして、自分も楽しんで、生きて行くべきだと、父が言った。

 そして1ケ月たった頃、リスボンの海辺のカフェで、手伝いをすると言い、毎週、3日、朝9時に出かけて、夜6時に帰ってくるようになった。カフェの洗い物や、料理、盛りつけ、品出しなどの仕事を始めたようだ。やがて、2011年が終わり、2012年を迎えた。今年は、肇が、高校生になる年だ。さすがに、1月は、寒く、特に海風が強い日は、寒さが身にしみた。

 この頃、学校の友人の男の子、アントニオ、マリオ、ルイス、女の子、カミラ、エレナ、イザベラ、ジュリアナが近くに住んでいて遊びに来るようになった。日本から送ってもらった、お餅を見て驚いていたが焼いた餅に海苔にまいて醤油をつけると喜んで食べた。2月中旬の土日、車でスペインのセビーリャを抜けてマラガに泊まって英国領・シブラルタルを見学した。その後、リスボンへ戻る長旅を経験した。

 マラガ、ジブラルタルは冬場でも強い日射しで20度を超えて車の中は暑いほどになる。またジブラルタルから天気の良い日には海峡の向こうにアフリカ・モロッコが見えて、とても壮観。食事はポルトガルに比べて油が多い気がしてポルトガル料理の方が口に合った。そして日曜の夜に自宅に戻った。やがて3月になり暖かくなった。肇のクラスメイトのマリオの、お父さんニコラスが日本語を教えて欲しいとマリオと一緒にやってきた。

 そこで塚田守が日本語を習いたい理由を聞いた。すると以前、日本へ奥さんと友人夫婦4人で旅行した時に東京や橫浜の近代的な都市と広い公園、港が素敵で、横浜のホテルの料理も一流で驚いたと話した。その後、京都へ行くと日本の古くからの文化、風習、町並みが残っていた。翌日、大阪、神戸を回ると大阪は全く同じ国とは思えないほど個性的な町。日本って、いろんな顔を持つ,ユニークな国だと好きになったと語った。

 富士山と、やさしい人達が気に入ったと言い、毎年、行くつもりだと話した。そこで日本語を覚えたいと思っていたところに息子のマリオのクラスに日本から来た、肇君が入ってきた。そしてマリオと仲良くなったと聞いて一緒に来たと英語で話した。そこで英語を使って日本語を教えましょうかと伝えると、お願いしますと答えた。そこで1時間、別の部屋で基礎的な日常会話を英語と日本語で話すと語った。

 そして日本のひらがな練習帳を渡した。すると喜んでくれた。勉強の内容をレコーダーで、とっても良いかの聞くので構わないと言い挨拶の仕方から入り1時間レッスンをした。その後、珈琲を飲みながらニコラスが塚田守に、あなたはヨットを買えるだけのお金あるかと聞いてきたので、いくらぐらいと聞いた。35万ユーロから50万ユーロというので、あると言うと、彼が、人生って、1回きりだからクルーズをしてみないかと言われた。

 彼は、この近くのリスボンの名門ヨットクラブに入っていて、クルーザーヨットを持って、年に3-4回、長いときには7日間かけて、クルーズを楽しむと話した。1年みっちり勉強すれば、船舶免許1級がとれて、外海も自由にでられると言い、挑戦してみないかと言った。良かったら、その、リスボンヨットクラブの会員に推薦してあげると語った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み