離さないから

文字数 2,562文字

 午後五時半、ファミリーレストラン前で和臣くんと待ち合わせ。共に約束の十分前に落ち合った。
 和臣くんは合宿前に会った頃よりも日に焼けている。海沿いの施設らしいから、泳いだのだろうか。
 紺のポロシャツに色の褪せたデニム。スニーカーを履いて、ワンショルダーリュックを斜め掛けしている。
「高台をナメた格好だね」
 フワリとした白のロングスカートにミュールを履く私に、和臣くんは意地悪を言った。少しでも身長の低さをカバーしたくて、ついヒールの高いものを履いてきていた。
「あの、歩きやすい格好に替えてきていいかな」
「そのままでいいよ。菜乃さんの場合、家に戻ったら面倒になって、やっぱり行くのやめるって言いそう」
 思考パターンを読まれている。和臣くんはクスッと笑ってから、腰を屈めた。間近に端整な顔がある。
「もし歩けなくなったら、俺がおぶってあげる。図体の大きい男を背負って砂浜ダッシュするのに比べれば楽勝だよ」
 和臣くんって、本当に体力お化け。これでも県大会敗退なのだから、全国大会のレベルって、もはや人外なのでは。
「菜乃さんは、そういうフワッとした格好が似合う」
 油断していたところに、不意打ちで誉められた。勘違いしないでよね、今シーズンに可愛い服を買ったから着ただけだもん。和臣くんに会うからオシャレした訳じゃないわ。


 ファミリーレストランで早めの夕食を摂ってから、高台の登り口に自転車で向かう。ガランとした駐車スペースに自転車を停めた。上にもあるけど、自転車を引きながら坂道を登るのは大変だろうと、和臣くんが配慮する。
 夕方になってこの辺りに来たのは初めてだけど、寂しい場所だ。辺りは田んぼに囲まれて、人家はポツポツとあるのみ。道は辛うじて車が行き交えるくらいの幅で、人どころか猫さえも歩いていない。
 スマートフォンで時間を確認すれば、午後六時半ぐらい。まだ明るさは残るけど、こんなところで置き去りにされたら確実にトラウマとなる。
「今から登れば七時前には到着するね。完全に暗くなるのは、まだまだかな」
 星が現れるまで、和臣くんと待機か。以前に比べれば、気まずさはなくなっている。代わりに、過去のものとして区分けした筈のものが手前に引き出されそう。
「菜乃さんは怖がりらしいから、明るさがあるうちに行こう」
 和臣くんが私を促すので、三歩下がってついて行く。急勾配ではないけど、歩くと早速、足がだるさを訴えた。
 葉を沢山つけた木の枝が坂道まで伸びている。藪からガサッと音がして、私はビクッと怯えた。
「今の何、幽霊じゃないよね」
「まさか、タヌキか熊でしょ」
 幽霊も嫌だけど、熊は別の意味で怖い。その場で立ち尽くして、私は耳をそば立てる。
「大丈夫だって、先に進もう」
「気を紛らわせる為に、ゲームをしていいかな」
「歩きスマホは駄目。今はハルじゃなくて、俺を頼って」
 和臣くんは呆れ混じりに笑いながら、私に手を差し出す。私は和臣くんの顔を窺いながらも、手を取れないでいた。和臣くんは私の右手を掴んで歩きはじめる。
 駄目、心臓がバクバクして痛い。男の子と手を繋ぐのは、幼稚園以来だ。
 掌の皮が厚くて、少しカサついている。でも、大きくて温かい。
「ハアハア言っているけど、熊じゃなくて菜乃さんだよね?」
 喋る余裕がない。只でさえ手を繋がれて心拍数がヤバいのに、坂道を登らされている。不安的中で、足の親指と小指が靴擦れを起こしていた。
「頑張れ、あと半分だ」
「まだ半分なの?」
「もう少し暗ければ、夜景が綺麗なんだけどね。まだ中途半端だ」
 和臣くんは全く息が弾んでいなくて、涼しい顔をしている。こちらはこめかみに汗が滲んでいるし、手汗が気になってきた。


 和臣くんとしっかり手を握ったまま、ゴールに到着する。頂上には桜が沢山植えてあるので、春は花見で賑やかになった。駐車スペース付近で水道を見つけると、手を洗って、ついでに汗も拭う。
 日はゆっくりと落ちて、暑さがマイルドになった。それでも湿度はあって、体の内に熱がこもる。
 駐車スペースを離れると、明かりは一切ない。私達以外の気配はなくて、頼みの綱は和臣くんのみだ。
 丸太を模したベンチに座って、空を見上げる。透明なバイオレットブルーの中で、ポツリ、ポツリと、星が姿を現した。
 雲一つなくて、天体観測には最適。じっくりと空を眺めるのは、いつ振りだろう。
「菜乃さんは星に興味ある?」
「人並みレベルかな。星座や星の名前はメジャーどころしか知らないけど、優海ちゃんとプラネタリウムに行った時は楽しかったよ」
「俺も何回か行ったけど、季節によって投影する星が違うのは面白いよね。日本にいながら、南半球の星が見られる」
 デートで行ったんだろうな。リーズナブルにロマンティックな気持ちになれるもの。
「賑やかになってきた」
 いつの間にか黒に染まった空を仰ぎながら、和臣くんが囁く。まばらに瞬く状態だったのが、黒の画用紙に光の粒をぶちまけたようになった。ベタな表現だけど、手を伸ばせば届きそうなくらい星が近い。
「来て良かった」
 顔を見なくても分かるくらい、満足そうな口振り。一方、私は帰りのことを考えて、ゲンナリした。
 今は痛みが鳴りを潜めているけど、靴擦れがある。こんな真っ暗な中、何か出そうな坂道を通るのが怖い。それでも、星空は見る価値があった。
 確か、あれがアルタイルで、あれはベガ。もう一つは、何て名前だったかな。
 コソッとスマートフォンで調べようとしたら、和臣くんと目が合う。和臣くんは悪戯を咎めるような感じで、軽く顔をしかめた。
「この状況でも、ハルに会いたい?」
「夏の大三角形でアルタイルとベガまでは分かったんだけど、残りの一つを思い出せなくて調べようとしたの」
「デネブだよ。遠慮しないで聞けばいいのに」
「邪魔しちゃ悪いと思って」
「だったら、一人で来ているよ。そういえば、十二星座に纏わる殺人事件が起きるミステリってあったよね」
「それ、プラネタリウムを見た時に私も思った」
「やっぱり?」
 和臣くんは我が意を得たりと、ミステリの話をはじめる。つい盛り上がって、現在読んでいる本の紹介をし合った。
 星空の下、創作とはいえ物騒な話をしている。でも、こういうのが私達らしい。甘い言葉は、嘘の世界でハルに囁いてもらえばいい。
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登場人物紹介

鈴原菜乃(すずはら・なの)

普通科高校に通う二年生。

内向的で自己評価が低い。

インドア派で運動は苦手、中学時代はミステリ小説にハマっていた。

現在はスマートフォンのアプリゲーム「AIらぶシュガー」に依存中。

藤堂和臣(とうどう・かずおみ)

菜乃と同じ中学校出身で、進学校に通う。

中・高共にバレーボール部所属のハイスペックイケメン。

体を動かすことが好きな一方、ミステリ小説を好む。

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