ビター・メモリー

文字数 2,415文字

 中学生の頃、私はミステリ小説ばかり読んでいた。残酷な描写は苦手で、うっかり夜中に読んでしまい、怖さのあまり眠れなくなったことがある。それでも、大胆なトリックに驚き、ロジックが解明される過程を楽しんだ。
 毎週、学校の図書室で本を借りる。給食の後、私は返却分を抱えて北校舎に向かった。
 乾いた紙の匂い。天井まで届く棚にビッシリと詰まった本。カウンターで返却を済ませると、迷うことなく日本の現代作家コーナーに進む。
 特に、文学科の准教授が殺人事件の謎を解くシリーズにハマっていた。ミステリとしては勿論、主人公の先生に興味がある。スマートな紳士だけど陰があり、先生の過去が気になって仕方がない。
 順番からすると、次はこれだろうか。前回借りたシリーズ作の二倍厚みがある。
 凶器になりそうだな。ベッドで寝ながら読む時は、顔に本を落とさないよう注意しなくては。むんずと片手でハードカバーを掴んで、パラパラと捲る。
 序盤は、先生がリゾート気分を満喫していた。お金持ちは孤島に別荘を建てがち。どうせ、この後に殺人事件が起きるんでしょ。
「それ、面白いよね」
 中学生男子にしては、低めで甘いボイスが降ってきた。ピタッと動きを止めたものの、私に話し掛けたのではないと思い直す。こちとら、仲の良い男子なんていない。
 勘違いなんてしないわと、斜め読みを再開。あら、早い段階で二人も殺された。
 船は三日経たないと迎えに来ないし、予備のボートもない。電話線は切られ、インターネットのルーターも壊された。携帯端末は圏外で使いものにならない。
「ガチのクローズドサークルだ」
「孤島もの、好きなの?」
 つい漏らしてしまった呟きに対し、反応があった。勘違いでなかったのか。
 右隣を見れば、学生服に包まれた広い胸元。そのままパーンアップすると、彩度の低い室内にまばゆいくらい端整な顔があった。
 クラスは違うけど、有名人だから知っている。藤堂和臣。見た目は良く、成績優秀で、運動神経が抜群、人望もある。
「えっと、まあ……そうですね」
「俺も好き」
 藤堂くんは人懐こく笑う。分かっているって、好きなのは孤島ものでしょ。
「隣を見たら好きな作家の本を読んでいたから、嬉しくなって声を掛けちゃった」
 中学生に人気なのは、ライトノベルやファンタジー、甘々か切ないラブストーリー。最低三人は殺される本格ミステリを読むのは、稀な部類と思われる。
「今、君が持っているやつの次回作が俺的にオススメ」
 藤堂くんは腰を屈めて耳打ちした後、近くの棚に並ぶ本の背表紙を目で追いはじめる。二冊抜き取ると、じゃあと挨拶するように微笑んだ。
 しばしフリーズした後、ハッと我に返る。陽キャが陰キャに絡まないでいただきたい。気を取り直して読もうとしても、活字が頭に入らなくなった。


 以来、藤堂くんは図書室だけではなく、廊下や昇降口で会うと声を掛けてくる。オススメの作品や最近読み終えたミステリの感想について意見を交わした。
 はじめはハイスペック陽キャに気後れしたけど、共通の趣味を語るのは楽しい。私の周りに本格ミステリを読む人はいなくて、「殺」や「罪」などの物騒な漢字を含むタイトルにドン引きされていた。オタク特有の早口でまくし立てても、藤堂くんはにこやかに頷きながら聞いてくれる。
 私と藤堂くんが一緒にいると、意外な組み合わせだと、よく言われた。藤堂くんに惚れては駄目だよと、仲の良い子が親切心で忠告する。大丈夫、彼女がいるのは知っているよ。
 藤堂くんは麻帆ちゃんと付き合っている。公認のカップルで、心からお似合いだと思った。
 麻帆ちゃんは大人びた美少女で、男子から人気がある。成績は学年上位をキープ、バレーボール部の名アタッカーという才色兼備振り。性格も良くて、非の打ち所がない。
 麻帆ちゃんは一年生の時に同じクラスだった。板書が間に合わなくて困っていたら、どうぞとノートを貸してくれる。さり気ない優しさに、女の私でもキュンときた。


 ソワソワしながら、図書室に藤堂くんが現れるのを待つ。約束はしていないので、会えればラッキーという感じ。
 ミステリの話がしたいだけだもん。熱くなった頬を気にしながら、最近知ったミステリ作家の本を手に取った。漫画みたいなキャラクターばかり登場している。
「それ、壁投げ本だよ」
 待ち侘びた声に反応して、心臓が大きくバウンドした。藤堂くんが気安い調子で、やあ、と片手を挙げる。
「そんなに酷い内容なの?」
「次々と不可解な謎が提示されるところまでは面白かった。オチを読んで、時間を返しやがれと思ったね」
 そんな風に言われると、どれくらい酷いのか興味が湧く。よし、借りてやれ。壁投げ本を棚に戻すどころか胸に抱えたままでいると、藤堂くんは変わり者だと呆れるように笑った。
「呪術師探偵シリーズの最新刊を買ったけど、読みたい?」
「うん」
「了解。今夜中に読み終えるから、明日、給食の後に廊下で渡すよ」
「分かった、ありがとう」
「お礼は感想とミルクチョコレートがもらえたら嬉しい」
 甘いものを要求するなんて、可愛いところがある。軽口を叩くくらい、私に気を許しているのかな。同士に向ける笑みと分かっていても、胸の内がピンクに染まっていった。


 三年生の前期に、藤堂くんが生徒会会長、麻帆ちゃんが副会長になった。クラスも部活も志望校も一緒。このまま結婚までまっしぐらかもねと、女の子達が囁き合う。
 つけ入る隙がない。美男美女カップルを見掛ける度、絶望的状況に芽生えた恋を自覚する。
 グズグズ腐らせるよりは間引いてしまおう。卒業間近になり、借りた本を返す時、私は藤堂くんに告白した。
「好きです」
「ごめん」
「分かっているよ」
 ワンフレーズのラリーは、すぐ決着した。ずっと俯いて、視界に映るのは、長い足と大きなサイズの上履き。それと、艶を失った廊下のタイル。
 私は頭を下げて、教室に逃げ帰った。さようなら、初恋。
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登場人物紹介

鈴原菜乃(すずはら・なの)

普通科高校に通う二年生。

内向的で自己評価が低い。

インドア派で運動は苦手、中学時代はミステリ小説にハマっていた。

現在はスマートフォンのアプリゲーム「AIらぶシュガー」に依存中。

藤堂和臣(とうどう・かずおみ)

菜乃と同じ中学校出身で、進学校に通う。

中・高共にバレーボール部所属のハイスペックイケメン。

体を動かすことが好きな一方、ミステリ小説を好む。

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