審判者/2,罪人は誉れ高き煉獄へ

文字数 2,585文字

 痛みなんて気にも留めない俺は、声の限りに吠えた。


 「惚れた男、泣かせたままで居られるか!」


 鉄砲玉みたいに裸足で部屋から飛び出す。
 廊下を駆け抜け、詰所を横切り後ろから追いかけてくる青輝丸に差をつけて壁に立てた松葉杖を掴み寸でに閉まるエレベーターのドアにぶつけて強引に開き、見舞客の足下に転がり込んだ。
 「きゃあ!」悲鳴に脇目もふらず1階へ急ぎたい気持ちからボタンを連打。
 扉が左右に分かれるのを待てず…
 素手で押し開ける、俺の逃走スタート。

 何処だ…

 宙に問いかけるようにして名前を繰り返す。
 息を切らして駆けつけた青輝丸は脱いだコートで俺を包み
 「戻れ、命令だ」強く抱きしめる。
 師弟愛を知る瞬間
 「俺のためだと思って、死んでくれ」
 「……は?」そのまま振りかぶって青輝丸を横断歩道に投げ入れた。
 アスファルトを焼きながらブレーキの悲鳴が耳を引き裂く。
 眼下にはハロゲンバルブを顔面に受け止める青輝丸の透かされた横顔と前屈みにハンドルを握るタクシー運転手。地面に落ちたスマホを拾い上げた勢いでタクシーの窓ガラスを叩き、強引にドアを開けて「早く出せ」短い言葉に圧を込めて走らせた。
 
 乾いた血が張り付く指で番号を押す。
 頭がおかしいと思われても構わない。ただ求めてやまない衝動に俺は身を委ねていることを正当化して、血塗られたスマホに耳を当てる。
 「頼む、繋がってくれ」
 繰り返される電子音…
 どうして俺がこんな目に遭わなければいけないのか?
 俺と玲音に訪れるものは不幸だけじゃないってこと証明してやる。
 電話が繋がった瞬間
 「レン、今どこ。頼む俺の話を聞いてくれ」答えは無かった。
 目的地もなく走り出すタクシーの中で、鳴りやまないナビのガイダンスに腹を立て運転席を蹴たぐる。
 汗を滲ませて玲音の返事を辛抱強く待つ、俺と運転手だけの静まり返る空間。


 玲音、聞いてくれ。
 お前にずっと嫌な思いをさせたことは謝る。
 お前、言ったよな?
 俺のことが好きだって、俺もお前が好きだ。
 それは誰かに咎められることなのかよ。誰なんだ?
 今すぐ殺してやるから、正直に言ってみろ。


 「もう、やめて…」微かに聞こえる玲音の声に、意識を集中させる。


 時刻は夕方の6時過ぎ。
 ノイズ混じりの雑踏は帰宅を急ぐ混雑を意味する足音、その決定打は改札のベル音だった。玲音は今、どこかの駅に着いたばかりだ。
 「ここから一番近い駅は?」
 「品川ですが、この時間だと動かない…と思いますよ」
 ルームミラー越しに俺を見る運転手と緑色に光るデジタル時計を交互に見ながら渋滞を予測。先を急ぐとタクシーを乗り捨て、裸足でアスファルトを蹴った。
 病み上がりの身体に鞭を打って走る振動は思っていた以上にキツい。
 寒さに晒された手足は感覚を失い痛みだけが鋭利に響いてくる。
 アスファルトを擦る足の裏は皮が破れて、もう爪先立ちで急ぐのが精一杯だ。
 息を止めては吐きながら大都会の、ど真ん中に位置する駅に、勇み参る。

 ここで会えなかったら、もう終わりだ。

 残された時間を生きる
 俺は、ただ会いたい一心で躓き転びながら何度も起き上がり、玲音を目指す。
 「何あれ?」突き進む俺を避けるようにして人が左右に割れる。
 血に染まるトレンチコートを羽織り、頭に巻いた包帯が解けて垂れ下がる先に見え隠れする醜い顔。血色を浮かせた皮膚には生傷と火傷を腫らせ、乾いた唇の薄皮が捲れ上がる醜態を公衆の面前に晒す、場違いモンスター。
 しかし、化け物にも心はある。
 掟破りの恋だってする。その為だけに今があって、俺は…


 「今すぐ、ご主人様のところへ…戻って…昌」


 改札の向こう側で
 玲音は、俺をまっすぐに見て告げた。

 こんな時だけ、お前は俺を見るんだな。

 これで俺の望みは叶った。
 神さま。俺に残酷な運命を与えてくれて、ありがとう。
 アンタが創った愚かな人形は
 慎むべき聖なる夜であろうと苦しみにのた打ち回り、過ちを繰り返す。
 俺の覚悟を、そこから見てろ。

 もう、笑わない玲音に手を伸ばす。

 「お前も一緒だ。帰るぞ」首を横に振る玲音は肩を落として言った。
 「俺は花形を降りる。あの人から聞かなかったの?」
 「だから、どうした」
 新造の育て役である花形は一度外れたら最後、二度と会うことは無い。
 それは臓器提供をした人の遺族が恩恵を受けた相手が誰なのか?
 知ることも許されず会ってはいけない道理と同じ。
 生前の思いが居着き、離れられなくなる。
 花形と新造に芽生えた信頼と愛情が引き裂かれる時、駆け落ちをするのはおそらくこれが理由だ。親方として一番避けたい大きな損害。
 渦中にいる俺と玲音の気持ちは反発し合い
 交わることなく、擦り切れる。
 それでも俺は一蓮托生の想いをお前に渡す。


 いいだろう。俺たちは他人だ、お前の本気に免じて認めてやるよ。

 ――――でも、忘れるな。
 他人だからこそ俺にはできることがある。


 「調教師になってお前を身請けしてやる。
 親が邪魔なら殺して奪ってやるから、今のうちに精々愉しくやっとけ。
 それまで、絶対に…」


 後ろから警備員に押さえられる俺はあっという間に囲まれ、玲音の安全が確保された。構内に流れるアナウンスは家路を急ぐ人々に警戒心を強める一方で、俺は手錠をかけられた身をよじりながら、玲音の背中に向けて告げた。





 「絶対に、死ぬなよ。お前は俺のものだ」





 揉み消されそうになる俺の声に、磨かれた革靴が踏み出そうとして留まる。
 そしていつか俺に「好き」だと囁いてくれた唇がゆっくりと開き、声にならない声を呟く。俺が最後に見たものは、亡者の如く俺を囲む人の隙間から見えた涙する玲音の悲しい姿だった。
 薄れ逝く心の温もりは繋がりを失い解けた先が地に墜ちる。
 あの、優しい手が擦りながら離れた瞬間から…
 二度と戻らない分かれ道を往く
 俺の感情は行き場を失い、自分を殺すことで終わりを受け入れた。

 寒空の下
 涙が溢れ落ちないよう、上を向いて歩く。
 俺は、どこで間違えたんだろう?
 考えるほどに解らなくて乾いた指先から抜ける温もりを取り戻せないことを知って半開きになった唇から声を漏らす。いくら呼んでも、願っても…
 嘆きの壁に俺の祈りは虚しく
 八つ裂きにされた心に今日の記憶を刻み、閉ざすことで自分を守れる気がした。

 また、会う日まで。
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