第5話 部隊突入

文字数 9,189文字

11月18日
コロラド州 地域不明

       ――『セオドラ疾病対策研究所』近傍




【22:52現在】

 最高峰四千メートルを越える雄大なロッキー山脈を左手に、ヘリが北上を続けることおよそ40分。
 時折、強烈な山風に機体が煽られながらも700馬力を誇る強力な2基のエンジンが、戦車のごとく空気の壁を押し退けてジュード達を安全に目的地へと運び込む。
 その途上、すれ違いで偵察ヘリの帰投と最終報告がもたらされる。
 現地の状況に変化なし。
 それが誰にとって幸運であり、不幸なのかも判断つかぬまま、搭乗するEC145の機体は、ついに着陸ポイントに差し掛かった。

「ハッ、まるで秘密基地だな。とんでもねートコに造りやがる」

 機外に顔をへばりつかせたダリオが、大きな岩棚に設けられた建築群を目にして感嘆を洩らす。耳にしたクォンはどこか誇らしげだ。

「標高二千四百メートルにある“天空の研究施設”ですからね。ベースとなる軍事施設を築いてくれた連邦政府には、感謝ですよ」
「まわりは険しい崖ばかり。天然の防犯設備に守られてセキュリティ面でも万全だな」

 皮肉にしか聞こえぬエンゲルの感想に、「何かを隠すのもな」とジュードも小さく独りごちる。
 ふとイメルダと目が合ったが発したのは号令だ。

「そろそろ準備しろ。到着と同時にチームBから進発だ」

 さすがにジュードも気を引き締めて、「いつものフォーメイションだ」と表情の読めないシマリス娘に目を向ける。

「クリス、前に出ろ」

 無言でうなずく彼女からダリオへ。

「組むのはダリオ」
「おうよ」
「エンゲルは俺とバックアップだ」
「了解」

 エンゲルの応答と同時に機外の景色が上へと流れ始める。
 機体が着陸に向けて降下していた。
 チームの打ち合わせを済ませたイメルダが、ジュードへ顔を寄せてきた。

「ドアはオレが開けてやる」

 そのタイミングで、上げていた鉄面貌をぐいと下ろす女兵士に、ジュードは戸惑いつつも軽く顎を引き、シートベルトのボタンに指を掛けた。
 誰もが同じく指を掛け、イメルダだけが勇ましく天井に両手をつく姿勢で立ち尽くす。
 岩棚が迫り、岸壁に張り付く『ビジター・センター』と渡り廊下で繋がる巨大倉庫の影がぐんぐん大きくなる。
 中空を睨み集中力を高める面々。
 その中で、噛み煙草を粘つかせるベイルが、先陣を切るクリスに向けて、縁起でもないことを口にした。

「嬢ちゃん、いきなり撃たれるなよ」
「撃たれるのはあんたのチ●コです」

 思わぬカウンターに呆気にとらる熟練者。
 タッチダウン――軽い衝撃に機体が揺れ、間髪置かずに勢いよくドアを開けたイメルダが「GO!」と叫んだ。

「行け、クリス!!」

 ジュードの号令より早く、クリスが小動物のごとき俊敏さで機外に躍り出る。
 続いてダリオ。
 ジュードが白雪に染められたヘリポートに飛び出すと、夜の高山らしい鋭利な寒気が頬を、首筋を切りつけてくる。
 頭上で唸るローター音。
 巻き上がる雪片に目を凝らし、片膝姿勢で素早く右方へUMP9の銃口を向けるジュード。同時に左方面をエンゲルがカバーして、人影がないことを確認する。
 先頭のクリスは?
 すでにダリオを連れ立って、半ば雪化粧に覆われた『ビジター・センター』へと駆けだしていた。それははじめから決めていた方針だ。
 すぐさまジュードもエンゲルと共に二人の後を追う。

(よし、狙撃の心配はない――)

 想定通り建物の窓すべてに防護シャッターが下りていて、迎え撃たれる不安もなく、防犯灯の明かりを頼りに四人はひた走る。
 途中、例の銃殺された遺体らしき何かを視界の隅に捉えるが、ジュードは無視して玄関口へと突っ走る。
 先行するクリス達が玄関付近に到達。
 そこで出し抜けに、玄関口が白光に照らされた。
 踏み込んでいたクリスが反射的に飛び退き、ダリオは驚きで身体を強張らせて棒立ちのまま。

「!」

 ぎょっとしたジュードが残雪を蹴散らせて急停止し、同時に拳を突き上げ後続チームを制止する。
 ここで待ち伏せか!

「違う。あれは、自動点灯式だ」

 エンゲルが冷静に指摘するが、テロリストに気付かれていれば厄介だ。連中が警報装置代わりに使っていないとも限らない。

「どうする?」

 判断を仰ぐエンゲルに、

「決まっている」

 遮蔽物のない半端な位置を嫌い、ジュードは前へ向けてダッシュする。どのみち任務を達成するには施設に入り込む必要がある。
 ここで後退など論外だ!
 クリス達も仕掛けに気付いたか、玄関口から少し離れた壁に張り付き、足場となる位置をしっかりキープしていた。

「中を見たか?」

 合流したジュードがクリスに問う。

「一瞬だけ。中の照明は夜間モード。奥の受付まで辛うじて見通せましたが、人影はありません。それも、つい先ほどまでの話しになりますが」
「今も反応がないということは、連中、付近にいないのかもしれない」
「呑気なテロリストで助かるぜ」

 ダリオが緊張をまぎらせるように軽口を叩く。
 視界の隅では、前進をはじめたチームAがこちらに近づいてくるが、相談するまでもない。

「少し驚かされたが、何も問題はない。ブービー・トラップにだけ気をつけて、作戦通りに進めるぞ」

 ジュードが力強く宣言すると、当然だと全員が力強く頷く。

「この先は、『防風室』、『検閲室』、『通路』が縦に繋がるストレート構造だ。まともな遮蔽物がないのが厄介だが、対処法を悩まなくて済むメリットがある」
「つまり“力押し”するしかない」

 無感情に告げるエンゲルに「そうだ」とジュードは頷き視線をダリオに向けた。

「だから、今度はおまえが先頭だ」
「ああ、任せておけ」

 自信たっぷりなダリオにクリスのジト目が向けられる。

「結局持ってきたんですか」
「さっきは取引(・・)が成立しなかったからな」

 ダリオは恥ずかしげも無く拝借してきた防弾盾を掲げてみせる。

「だから、使えるモンは遠慮無く使うだけよ」
「云っておきますが、カッコ悪いです」

 こちらも遠慮のない娘に「いいんだよ」とダリオはめげもしない。

「格好付ける相手がいない時は、な」

 軽口をたたき合いながら、ダリオの後ろにクリスがつき、続いてジュード、エンゲルとフォーメイションを縦列に組み替える。
 そこへチームAが合流し、承知しているとばかりにBの突入支援のため、二人一組になって玄関脇に位置取った。クォンはさらに離れた壁際へ。

 よし、行け――イメルダの合図。

 ダリオを先頭にジュード達チームBが玄関から突入する。
 まさにこの瞬間――極度の緊迫感に肌をひりつかせながら、各人が己が担当する射角に全神経を研ぎ澄ます。


 ――――こないっ(・・・・)


 一斉射どころか一発の弾丸も。
 幸運なことに、空気を焼き焦がす弾幕の手荒い歓迎を受けることもなく。
 すんなり玄関ドアをくぐりぬけ、防風室に入るなり寒気による肌刺す感覚がぴたりと収まった。
 続けて無人の検閲室で検査ゲートを迂回して、さらに奥の受付へ。

 やはり敵の動きはない。

 ジュードなら、カウンター席に戦力を集中させて玄関からの侵入者を一斉射撃で掃討する。だがテロリストには、もっと効果的な別の手があるらしい。
 実際、常夜灯で浮かび上がる受付からは、人気は感じられず、感覚の鋭いクリスの背にも、何かを察知したような緊張感はなさそうだ。

 ただし、どこからか聞こえる細き風鳴りが。

 前をゆく、クリスの髪から覗くリスを思わす小さな耳が、ぴくりと動くのをジュードは見逃さない。
 だが今はこのままだ。
 通路は受付で左右に分かれ、その直前でチームは一度足を止めた。
 合図でダリオが左、クリスは右をカバー。ジュードはカウンターから現れるかもしれない敵を想定して、前に向けた銃口を不動にする。

 ――誰もいない。

 カウンター裏にも。
 奴らは何をやっている?
 不用心すぎるテロリストの行動に、誰もが疑念を抱いたであろう中、そこでクリスの細腕が上がり、ジュードは視線を投げた。
 右は確か、訪問客用の広い休憩室兼展望室だったはず。実際、わずか三メートル先のレストルームが今いる位置から望め、吹き抜けらしい上階まで延びるガラス張りの窓が、数枚割られてイスや小テーブルをひどく凍えさせていた。
 それが風切り音の正体か。
 ダリオに監視を任せて三人で近づく。
 広いホールに動く影はない。ただし――

「警備員。こっちは研究員ってとこですか」
「外に何体あった?」

 ジュードの問いにクリスは首を振る。
 割れた展望ガラスから吹き付けたのだろう。白雪でコーティングされた屍体は各二体づつ。

「警備員だけなら、屋外と合わせて三、四体……てところか」
社長(ボス)?」

 怪訝そうなクリスに、「イメルダが云っていたろう」とジュードが機内の話しを思い出させる。

「センター内の警備員は、いても四名程度だと」
「じゃあ、ここはもう……」

 占拠されたのか。
 察したクリスが、あらためて周囲の物陰に鋭い視線を飛ばして警戒感を募らせる。呼応したようにエンゲルの構える銃口が、小刻みに角度を変えて不穏な影を捜し求める。
 だが腕時計に視線を落とすジュードが気にしたのは、時刻の方だ。

「午後十時五十六分――もう二時間か」

 入念に準備したであろうテロリストが、二時間あればどこまで計画を進められるか。そう考えれば、この場にいつまでも留まっているべきではない。
 争いの舞台は“次のステージ”に移っていると考えるのが妥当だ。

「これだけの大きさだ。向こうさんも(・・・・・・)、貴重な人的リソースを割り振るなら、警備員エリアの護りを堅めて、あとはデータの奪取に注ぎ込む――そう思わないか?」

 ホールにあるエレベーターを気にしているエンゲルにジュードは声を掛ける。センター上階の索敵は無意味だと。

「電撃作戦ならそうだ。ただ――」
「ただ?」

 いや、とエンゲルは言い直す。

「事件発生から二時間。手遅れでないといいが」

 足早に戻るエンゲルにジュードも厭な予感を抱きながら、先を急ぐのだった。



 ◇◇◇



11月18日
セオドラ疾病対策研究所
(ビジター・センター)

             ――受付カウンター前
           

【22:58現在】


「おそらくセンター内の警備員は全滅だ」

 ジュードの見解に、手招かれたチームAを含めて異論の声を上げる者はいなかった。
 ただ、この先に待つ“厳しい戦いの予感”に誰もが緊張感を高めるだけだ。それをクォンの報告がさらに押し上げる。

「私も外の死体を少し検分したけど、やはり撃たれたのが死因みたいだ。病原体や化学的な何かに冒されたのが原因じゃない」
「今さらだな」

 ダリオが鼻で笑う。

「どう考えたって、テロリストが攻め込んでいるのは間違いねーぞ」
「いや、私が言いたいのは“実験トラブルの余波がセンター内にまで及んでいない”ということさ」
「おい、それこそ今言うか?!」 

 その手の警告も受けずに屋内に突入した後だ。
 ひとりだけ防護服に身を包むクォンに、「これからはお前が先に歩けや!」とダリオが歯を剥き出しにする。

「こんなところで騒ぐな、ダリオ」

 制止するジュードもクォンに睨みを利かせ、

「本気で俺達をカナリヤに(・・・・・)見立てたなら(・・・・・・)、依頼人だとて容赦はしないぞ」

 しっかり抗議する。
 ちなみにカナリヤの話は、鉱山作業でガス感知器代わりに使われる古典的な手法を差す。危険な“身代わり行為”をさせるなとジュードは怒ったのだ。
 もちろん、念のための確認にすぎないと冷静に弁明するクォン。

「この施設は最新の危機管理システムを導入してるんだ。監視室で状況確認すれば分かるが、“実験トラブル”の対処はしっかり行われているはずだ」
「どうだかね。テロリストに襲撃されてる時点で説得力がゼロだよな」
「――そのくらいにしておけ」

 始まったばかりで余計な気疲れはしたくない。
 ジュードは早々に話を切り上げ、いよいよ建屋左側の『警備員エリア』を目指すことにした。

 立ちはだかるのは頑丈なセキュリティ・ドア。

 ここで玄関突入以来の緊張が、あらためてチームBの空気を引き締める。

「ドアの向こうはT字路だ」

 事前にクォンから借りていたパスカードを準備するジュードが、皆に手順を伝える。

「フロアの構造上、迎撃に適したポイントは、ここ以外にはあり得ない。俺がドアを開けたら、西部劇の開幕だ――遠慮なく閃光手榴弾(フラッシュ・バン)を投げつけろ」

 角に隠れるエンゲルが頷き、射線を通せぬクリスがカウンター席からひょこりと首だけを覗かせる。今回はただの“見届け人”だ。
 そしてジュードを守るように張り付くダリオは文字通りの“盾役”となる。
 強化ガラスの覗き窓が付いた防弾盾は、耐ライフル弾仕様の高強度な防御力を誇り、ジュードをテロリストの凶弾からしっかり守ってくれるだろう。
 ちなみに手榴弾がもたらす15メートルの効果範囲にいる者は、音響対策の耳栓もしっかり付けている。

「やるぞ――」

 ジュードが一度、カードを掲げてみせ、次いで読取機にかざす。
 自動的に開かれるドア。
 ほぼ同じタイミングでカン、コッとセフティ・レバーの外れた円筒弾が、通路奥へと弾み転がってゆく。

 

 ――――!!



 一瞬の間を置いて、百万カンデラの閃光が通路にはびこる暗がりを引き裂き、170デシベルの炸裂音がジュード達の全身にハンマーで殴りつけるような音圧を叩きつけてきた。
 当然、無防備で直撃するテロリストはたまったものではない。
 一瞬で心身が麻痺して戦闘不能に陥り、しばし彼らの時間は凍結される。
 構築した防御陣もその意味を失って。
 絶対的な攻撃権を得た今こそ、チャンスだった。

(行け――っ)

 すぐに目を開けたジュードがダリオの肩を強く叩く。
 だがダリオの反応が遅れる。
 何をやっていると憤る前に進み始めたが、その動きが鈍った理由をすぐにジュードも気付くことになった。



「マジで誰もいねえ……」



 思わずダリオが口にしたのも当然だ。
 T字路までの通路はもちろんのこと、その先の通路から見渡せるどこにもテロリストの影はなく、ジュードまでが思わず気を抜いてしまう。
 いくら何でも理解しがたい状況だ。

「なんだよコレ。そんなに人がいねえのか?」

 防衛拠点を構えることもできないほどに。
 ダリオの云わんとすることを理解しながらも、ジュードは応じずに、とりあえずチームの残人を呼び寄せる。
 ちょうどそこで、物問いたげな鉄面貌と視線が合った。

(おい、どういうことだ?)

 ついと顎先を向けてくる鉄面貌に、

(こっちが聞きたいさ)

 首を振るしかないジュード。
 こちらの想定以上に事態が進行しているのか、あるいは何か見落としがあるのか。
 そうして、あらためて『研究所』に至るはずの通路奥を見通そうとして、ジュードはそれに(・・・)気付いた。
 通路奥に鎮座するのは太い黄色の警告ラインで縁取りされた物々しいセキュリティ・ドア。
 それはセンターと『研究所』を区分する施設境界のゲートであり、そこに朱文字で荒々しく何かが殴り書きされていた。


   As you sow
       so you reap!!

    まいた種は、刈らねばならない
       (自業自得の意)


 使ったのは赤色のラッカー・スプレーか。
 液だれもして読みにくいが、間違いない。

「――けっ、ガキが」

 吐き捨てるベイルの声に振り向けば、クリス達だけでなくチームAまでがやってきていた。
 
「連中、勝ち誇っていやがる」
「あるいは、あの向こう側にいる者に業を煮やしたか、だな」

 顎髭をしごくバックスが、別の見方を提示する。
 閉め出された腹いせに――そうだとすれば、テロリストがこのエリアに潜んでいる可能性は高く、それ即ち、今の乱れた態勢が危険であることを意味する。

「合図を出した覚えはないが?」

 さっさと戻れと促すジュードに応じず、物言わぬ鉄面貌が落書きされたドアへと向けられ続ける。一体何のつもりだ?

「おい――」
「戻るぞ」

 何事もなかったように一声でチームを引き戻すイメルダ。

「まったく、勝手な連中だな」

 代弁するようなダリオに相づちも返さず、ジュードは手近なドアへと向き直った。
 とりあえず、境界ゲートの件はあとでいい。今は不可解な状況に惑わされず、作戦通りに進めることがベストと信じる。

「先を急ごう」

 ジュードが見据えるドアには、


  『Security Gard  Room(警備室)』


 という文字ペイントが。
 記憶によれば、さらにその奥が目指す『第1監視室』になっていたはずだ。

「俺とエンゲルで通路をカバーする」
「なら、俺とクリスで敵さんと乳繰りあう(・・・・・)か」

 ちょいと下品な笑みを浮かべて突撃姿勢をとるダリオ。クリスは澄まし顔で応じるだけだ。

「いいですよ。右が得意でしょうから、自分が左をやります」

 UMP9を背に回し拳銃のUSPを構えるクリスに、「ん、なんでそう思う?」とダリオが何気なく尋ねれば。

「いえ、貴方は右曲がり(・・・・)でしょうから」
「あ?」

 ダリオがサッと股間を押さえつつ睨み付けた時には、クリスが開放パネルに手を触れていた。

「この――」
 開くドア。

 その隙間に滑り込ませる脅威の反応速度で跳び込むクリス――いや、ダリオも遅れずに床を蹴っている!

「――オゲレツ娘め!」

 そう低く鋭く、毒づきながら。

「先に下品シタ!」
「愛嬌レベルだ!」
「○△!」
「×◇?!」

 室内でまだ続けている。死ななければいいが。

「……いいのか?」

 呆れ混じりのエンゲルの懸念に、肩越しに返すジュードの回答は平坦なものだ。

「あれで息ピッタリだから」

 問題ないと。どのみち叱るにしても手遅れだ。
 社長のあっさりした返事にエンゲルも察したようだ。そのまま沈黙を決め込む。
 実際、特にトラブルが発生することもなく、「クリア!」とクリスの低い声が返される。
 むしろここからが、社長として一発カマすべきタイミングだろう。
 早速肩怒らせて室内に踏み込むジュード。

「今度やったら、使わんぞっ」

 人差し指の切っ先を力強く震わせて、精一杯に脅しつけるジュードだが、いつものごとく効果の程は疑わしい。

「ハンセー」

 ハンズアップで降参するクリスの単語は、なぜかジュードの知るそれとは異なるような気がした。気を取り直し、もう一方の問題児へ。

「おまえもセクハラをやめろ。年長者だろ」
「おいおい、この俺が小娘相手に欲情すると思っているのか? 見損なったぞ、ジュード」
「見損なったのはこっちだが?」

 呆れるジュードに、「俺を信用しろよ」とばかりにダリオは哀しげに首を振る。

「これは“種族保存の本能”だ」
「何だって?」
「ダーウィンだよ。男は女を求め、女も男に求められようと己を磨く。俺はね……ルージュと弾丸の区別もつかない、女の本能を忘れたクリスに刺激を与え、そして励ましたいだけなのさ。“諦めるな”ってね」
「どーいう意味?」

 ダリオの余計な一言に、片眉を怒らせたクリスが銃口を向ける。

「区別くらいつけられる」
「たぶん、そこじゃない」

 エンゲルの冷静な指摘は耳に入らず、ダリオとクリスが再び小競り合いをはじめる。そもそも、銃口を突きつけた時点で撃ち合いになっても不思議じゃない行為だが、思った以上にダリオは冷静であったようだ。
 “森の縄張り争い”じみた可愛げのある口論が室内で展開される。

「やっぱ放っときゃよかった……」

 嘆息するジュード。
 いつものことといえば、それまでだが。
 今は任務中で、隣室のチェックも済んでいない。気持ちを切り替えなければと思うジュードに声がかけられる。
 
社長(ボス)

 片手を上げて申告するのはクリス。
 不毛な口論に飽きたのだろう。いや、仮にもプロとして自制したと思いたい。

「何だ?」
「自分、ハンセーしたので次の部屋に突入します」
「勝手にしろ」

 突入も何も、ガラス張りの部屋向こうには誰もいないことが透けて見えている。
 壁の中央を200インチ級の大型ディスプレイが占め、その脇を固めるのも中型ディスプレイの数々だ。そこに一目で分からない種々のグラフとデータが表示され、リアルタイムで何かを監視・測定していることだけは理解できた。
 さらに三人分の座席前に整然と並ぶのは、おそらく監視システムを制御する電子デバイス群。
 『第1監視室』に危険が無いのは明らかだ。

「しかし――本当にどうなってるんだ?」

 ジュードは低く唸る。
 警備室内を丹念に見回しても、目的の記録装置らしき機器は見当たらない。そのことはジュード達の現状予測を補完する材料になるのだが、一方で陣取っていると予想したテロリストの影がないのは腑に落ちない。

「テロリストが、単にパスワードを知らないために監視システムの扱いを断念したというのは?」

 エンゲルの仮説にジュードは難色を示す。

「そんなことも打破できない連中が、施設に乗り込んだ挙げ句、この奥に侵入できたのか?」
「人質を取れば可能だ」
「だったらパスワードを吐かせるのも簡単じゃないか?」

 そうジュードがやり返すもエンゲルは動じない。

「何を優先するかの問題だ。研究所奥へ侵入できるなら、監視システムには目もくれまい」
「まあ、そうだな」

 実際、そこの監視室にいた者を人質にとった可能性だって考えられる。
 ならばエンゲルの云うような展開があり、警備員もテロリストも戦いの場を『機密保管室』へ移すことになったのか。しかし「どうだかね」とダリオは懐疑的だ。

「あまりに情報がなさすぎて、いくらでもテキトーな仮説が立てられちまう」

 つまり考えるだけ無駄だと。

「さっさとセオドラの社員を呼ぶべきでは?」

 そう促すのは、気抜けした風に監視室から戻ってきたクリスだ。

「イスと床に血痕がありました。量からみて、銃でなくナイフを使ったものかと。死体がないので致命傷ではなかったのでしょう」
「人質にとるためか……」

 エンゲルの推測が信憑性を増す。
 だがジュードの言葉に「さあ、どうでしょう」とクリスは回答を濁す。すべては“状況証拠”というやつで確たる根拠はない。
 だからセオドラ社員を呼べとクリスは繰り返す。

「ここの監視カメラを利用すれば、所員やテロリストがどこにいるか、施設の状況がある程度掴めるはずです。そもそも、監視室で調べることは行動計画に入っていた予定では?」
「もちろん、わかってる」

 さっきの醜態を忘れたかのようなクリスの態度に憮然と応じ、ジュードはチームAとの合流を図ることにした。


******* 業務メモ ********


●確定事項
 ・センター屋外に警備員の遺体 2名
 ・センター屋内に警備員の遺体 2名
         研究員の遺体 2名
 ・警備員室に『記録装置』なし。
 ・境界ゲートへの落書き。

●状況推察
 所員や警備員、テロリストも『研究所』へ?



※種族保存……ダーウィンは嘘です。念のため。
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