第12話 極秘事案

文字数 10,060文字

11月19日
研究所本棟 1F

                ――『医務室』


【00:22現在】


 半ば強引にクォンを説き伏せたイメルダが、研究所の実態について語り出す。

「薄々気付いていただろうが、この研究所を僻地に隔離しているのは、微生物等実験における安全基準を守るためばかりじゃない。
 セオドラの基本業務とは別に、表に出せない政府発注の秘匿すべき研究を行っていたからだ」
「それが『B4』と『B7』の研究か」

 ダリオの呟きにイメルダは首を振る。

「半分当たりだ」
「半分?」
「『B4』についてな。対テロのような小規模局地戦を想定した、人道的な“化学系非殺傷兵器”の研究だと聞いている。しかし『B7』については、その概要すら聞かされていない。それが兵器なのか、あるいは別のアプローチなのか、まったくな。何しろフロアの存在(・・・・・・)そのものを(・・・・・)政府に秘匿していた(・・・・・・・・・)くらいだ(・・・・)

 どういうことだ?
 皆の視線が自然とクォンに集められる。

「……」

 一斉に向けられた無言の圧力に、クォンが顔を逸らして抵抗する。それも一分保たずに根を上げた。

「……よく、分からない」
「あ?」

 ダリオが片眉を吊り上げるのに、クォンが声を荒げて言い返す。

僕も(・・)よく分からないんだよっ。そもそも研究内容どころか『B7』の存在自体、今日初めて聞かされたくらいで……」
「へー、あんたも俺らと同類だと?」
「信じられなくても本当だ」

 半ば開き直った感じでクォンは言い切る。

「フロア構造は『B4』と似ているから何とか対応できたけど、ほんとは見るのも聞くのも初めてだったんだ。
 そりゃ……僕だっておかしいとは思ったさ。
 これでも僕は危機管理部門の上級職員だ。この施設の基本設計や改修工事のスタートから関わってもいる。その僕が携わらないプロジェクトが存在するなんて……いや、噂すら耳にしないなんてあるはずがないっ。もしあるとすれば、おそらく――一部の幹部と執行役員しか知らない極秘中の“極秘事案”てことになる!!」

 興奮気味に捲し立てる一方で、惑い、言葉を探すようなぎこちなさ(・・・・・)
 混乱しているのは確かだろう。
 だが誰もが疑わしげにクォンの話を聞いていた。

 普通に考えれば『B7』の設備投資だけでも相当の金額が動いているはずだ。
 ならば後から増築したものでなく、はじめから多額の総事業費にまぎれこませて秘密裏に施工が進められていたことになる。
 実は研究所そのものが、この極秘研究のためにだけ造られたとも推測できるのだ。
 なのに、リスクマネジメントを司る部門担当者が何も知らされていないだなどと――。

 ジュード、ダリオ、クリスにエンゲル。それぞれの視線が互いに互いの意見を求め合う。
 果たしてクォンのでまかせか(・・・・・)
 真実だとすれば、これはセオドラ幹部だけの動きなのか。わざわざ隠蔽に懸かる多額の費用と細部に神経を行き届かせる労力を注ぎ込んでまで――。

「へっ……そんでやってることが、地下で“化け物づくり”かよ」

 呆れ半分、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすダリオと同様に、ジュードも半信半疑で聞き直す。

「つまり……政府に内緒で“生物兵器”の開発をしていたということか?」
「そんなこと、するはずがないっ」

 はっきりと否定したのは女研究員――ランドリッジ。慣れない医療行為に疲れ切って放心状態かと思えば、意識はつなぎ止めていたらしい。

「私たちは難病で苦しむ人々に“光”をもたらしたかった――ただ、それだけよっ。“光”なのよ――その治療効果だけでなく、副作用も劇的に軽減される『抗体医薬』の研究は」

 崇高な使命があると信じる信徒のように、ランドリッジは誇らしげな顔で研究の正当性を主張する。勘違いも甚だしいと。その視線が挑むように細められるのは、ジュードの“生物兵器”発言に矜持を傷つけられたせいかもしれない。

「……あーそれで?」

 嫌悪感も隠さず聞き返すのはダリオ。

「それがなんで化け物の誕生に繋がるんだ? 助けるどころか犠牲が出てるってことくらい、分かってるよな? すでにYDSで二名。ヘタすりゃ施設の連中も犠牲になってるんじゃねえのか? 少なくとも、ありゃ――あんたらが造ったので間違いないだろ」

 誤魔化すなとダリオが語気を強めれば、ランドリッジが顔色の悪い相貌をより一層青ざめさせる。必死に目を反らしていた現実を、目の前に突きつけられて。

「別に望んだわけじゃない――」

 何とか絞り出したそれは、現実逃避の言葉。

「あくまで偶然が生んだ産物だったのよ……」
「おたくにとってはそうでも、こんな結果(・・・・・)を招いちゃな……けど勘違いしないでくれ。聞きたいのは弁解でも反省の言葉でもねえ、俺達が生き残れるためのネタだ」

 ダリオは論点がズレないように指を突きつけ、強調する。

「今は生き残ることしか興味ねえ。みんなもそうだろ? あんただって。だから、知ってることを、ちゃんと話してくれ」

 そうしてダリオは、「そうそう」と思い出したように付け加える。

「それと分かり易く頼むぜ。こういうときの学者さんてのは、“標準語”でしゃべってくれねーのが相場だからな」

 映画でもそうだろ、と。
 そんなフザケタ感じの注文がランドリッジの意表を突いたらしい。
 一瞬、狐につままれた顔をして、次いで「標準語って……」と困惑げに眉をひそめる。ただ、それが彼女に少しの冷静さを取り戻させることになる。さらに、

「捜索によって他の生存者も救えるかもしれん」

 ジュードの取って付けた言葉さえ、彼女の慰めになったかもしれない。
 勝手なことを云うなと、顔に出すクォンをイメルダが手で制す中、眉尻を吊り上げていたランドリッジの表情は和らぎ、肩の力が抜けていた。

「そうね……」

 軽く息をつき、覚悟を決めたようにランドリッジが表情を引き締める。

「分かり易くするために、かなり乱暴に省いて説明するわよ?」
「ああ。好きにしてくれ」

 頷くのはジュード。
 誰も異論なしとみてランドリッジははじめる。

「まず、『抗体医薬』が“ヒトや動物の免疫機能を利用する治療薬”だということを知ってもらうべきね。その免疫機能とは、病原体に目印を付ける“抗体”を生み出し、目印を頼りに退治する仕組みだということも。
 当然、難病を患っているヒトにも“抗体”がつくられているのだけど、残念ながら病原体の増殖力に負けてしまうのが難病の怖ろしさなの」

 けれどそこに希望があるとランドリッジ。

「これは逆に言えば、人為的に“抗体”を大量生産して一気に投与すれば、病原体に押し勝てる――治癒が可能になる理屈じゃない? つまり、実験動物をわざと病気にさせて、体内でつくられた“抗体”をうまく抽出し、大量に培養する一連の技術を開発しさえすれば――」

 難病を克服できると。
 しかも、『免疫』という元来備わっている機能を利用するだけだ、これまでの化学薬品にみられた強力な副作用もかなり緩和するとなれば、天啓とも言える治療法である。

「近年、この技術はある程度確立されて、すでに幾つもの新薬が世に出ているわ。それでも検体となるマウスやウサギなどの由来種の違いで、“抗体”の特異性、再現性、安定性など……とにかく精製に影響を及ぼす差異が出てくることは避けられない。
 今のところ、この分野における潮流は、高コストを打開するための『培養技術』に焦点が当てられているのだけど、私たちはあえてその流れに逆らうことにした。
 つまり、現状開発されているどの“抗体”よりも“基本性能が優れた抗体”を発見することを目指したのよ」

 より優れた“抗体”は、より強い効果を発揮し、さらに培養技術の間口さえも広げてくれると。

「“優れた抗体”を発見するには、土台となる検体を吟味する必要がある。幸い、輸入業も営むセオドラは、諸外国に独自の輸送網と情報網を持っているから、遠慮なく総動員して世界中から稀少な動物を――まだ研究者達の手垢が付いていない生き物を集めることにした――」

 そこでランドリッジの声音に微妙な変化があったのを全員が感じ取る。ようやく話しの本題に入るらしい。

「あるとき、出所不明の『検体α』が送られてきた――それも冷凍保全された“肉片”としてね」

 その時、彼女の瞳がまわりにいる誰も見ていないことにジュードは気付く。記憶の“刻”に彼女はいるのだと。

「私も同僚もすぐにその正体に察しがついたわ。実際、分析したら“米国籍英国人男性”で年齢二十代前半の“遺体の肉片”だと分かった。けど重要なのはそこじゃない。遺体が“誰の者か”ではなくて、肉片に英国人とは別の判別不能なDNA(・・・・・・・・)が混在していたことが重要だった――」

 厳密には、遺体の肉片に癒着している(・・・・・・)別の肉片があるためだと判明。人種に相似しているが別物であり、ならばと世界中の動物種のDNAと比較照合したが、合致することはなかった。それは何を意味するのか。

「これはまだ公表されていない“新種の存在”を示すものなのか、あるいは、人種に似ていることからご先祖様(・・・・)の可能性もあると考えたわ。早速会社に大金払わせて、古今東西のミイラからそれこそアルプスの氷河で見つかった『アイスマン』に至るまで――あらゆる古代人のDNAを手に入れて粘り強く照合を続けた。来る日も来る日も。
 けれど、結局は該当者を見つけることはできなかった」

 サンプル・データは数百万種にも上る。
 世界中の研究機関や製薬会社が固有のデータを持っていることも考えられ、サンプルを集めるだけでも相応の大金や取引が行われたとランドリッジは語る。
 別に省けるはずの苦労話であったが、彼女にはできなかったらしい。ひどく疲れを帯びたその声は、苦労を重ねた日々の記憶を呼び起こしたせいも間違いなくあった。

「でも、だから考え直したの――“判別不能の何がいけないのか”って。重要なのは、“求める抗体”を生み出せるか否かだと」

 鋭く細められたランドリッジの双眸。
 先ほどと同じ“挑む視線”でも、そこにあるのは“覚悟”と取れる気概。
 検体の正体不明の不気味さを頭で理解しつつも、研究者としての欲求が、“実験に踏み出す覚悟”を彼女に決めさせたのだ。
 ランドリッジは力強く話す。

「実験は成功だった。誰も想像し得ないほどの、神憑りな成功を収めたわ。業界の寵児である『モノクローナル抗体』になぞらえて、『関節リウマチ』、『クローン病』、『潰瘍性大腸炎』そしてガンの抗体試作にトライし、そのすべての実験でより効果の大きい成功を重ねた。私たちは――――手に入れたのよ」

 セオドラは巨額の資金を生み出す黄金の種を。
 ランドリッジ達は歴史に刻まれる学徒の栄誉を。
 何よりも難病に苦しむ者への救済手段を。
 なのにその表情には、喜びよりも悲愴感が漂う。
その理由は次の台詞で明かされる。

「――夢中になった私たちは、他の難病でも試してみた。『検体α』の細胞を新たに培養し、難病の元である抗原を投与すれば勝手に強力な抗体がつくられる。何の労苦もなく。それどころか治癒力までが強化された。
 培養物を四等分に区切ったとき、あっという間に治癒してしまったの。その時になってはじめて、正体不明なDNAの持ち主に思いを馳せてみた。
 これほど再生力が高く、あらゆる病に負けない完全な生き物がいたら、“地上の支配者”は人間でなく彼ら(・・)だったんじゃないのかと――」 

 生命誕生の瞬間から、数多に枝分かれしていった命の分岐。
 可能性で云うならば、人以外の甲殻類やは虫類が地球の支配者になっていても不思議ではなく、別に進化を遂げた人類が生まれていた可能性だってあるだろう。あるいは――


 DNAの主は人類史上、最も尊きあの方(・・・)の系譜に連なる者ではないのか。


 “人”でありながら、“神”に近しく崇敬される者。
 それが証明されれば、あるいは存在が知れ渡るだけでも、宗教界だけでなく世界中が狂奔の渦に叩き込まれるほどの“世紀の大発見”になる。

 その真偽はともかく――。

 検体の主に思いを馳せ、偉大な成果を目の前にした彼女は、もはや狂信者のそれに近かった。
 今また肩や手に力が入り、宙へ延ばされたかすかに震える指先は、彼女にしか見えない“奇蹟”に触れていた。

「それで――」

 ランドリッジの醸し出す狂気に抗いながら、ジュードが硬い声で先を促す。

「その“奇蹟のサンプル”で何をした?」
「そう、私はしたわ」

 ランドリッジが熱い息を吐く。
 まるで禁断の秘術に手を染めてしまった魔女のごとく。
 発する言葉は呪術めいて聞く者を惑わす。

「『検体α』さえあれば……強力なDNAを有する『α細胞』さえあれば人は難病を克服できる。
 だから医薬品としての実用化を目指して、マウスにウサギにヒツジにサルで……『α細胞』を大量に培養できる手法を捜し求め、ひたすら実験を繰り返し続けた」

 だがランドリッジら研究陣は、意図せぬ成果をここでも挙げることになる。

「直接『α細胞』を移植した動物が、体積によって差は出るものの、最大72時間以内にすべての細胞が『α細胞』に切り替わってしまったの」
「切り替わる?」

 理解できないダリオに「別に誰にでも起きることよ」とランドリッジは気軽に云う。

「毎日垢ができ、爪や髪が伸びるのと同じ話し。細胞単位でヒトは常に生まれ変わってる。けれど『α細胞』を注入された実験体は、通常細胞の代わりに『α細胞』への置き換えが起きてしまう。それだけ活性率が高く、通常細胞から分裂余力を奪うほどの増殖スピードは、ガンの比じゃない」
「それで、そうなると……どうなるんだ?」

 ジュードの問いに「分かるでしょう」とランドリッジの開ききった瞳が問い返す。すでにその成果を目にしたはずだと。

「まずは“体色の変化”……例えば肌が膿んだように濃緑色になり、次に“骨格の変形”……歯と爪が鋭利さを増し、背骨が曲がり四肢関節が異常に発達し、そして“筋肉の増量”……相対的に6割増しで力を発揮するようになる」

 さらに特筆すべきは凶暴化だ。
 本能的に弱者を見抜き、襲い来る。

「私見だけれど、凶暴化の本質は“飢え”にあると見ているわ。並外れた身体能力のアップに伴い、それを維持するためのカロリーと栄養が――つまりは“適正な食事”が必要となるからよ」
「すると何か、あいつらにとって俺達は“ご馳走”なわけか」

 吐き捨てるダリオにランドリッジは頷く。

「“成果”に拘るあまり、“原因”を追求してこなかったから、憶測ばかりになるけど……『α細胞』の『ミトコンドリア』の数は、ヒト細胞の4倍はある。膨大なカロリーが必要とするのは当然ね」
「あ? ドリアが何だって?」
「ミトコンドリア。細胞内でエネルギー生産を担ってくれる重要な存在よ」

 さらに説明を続けようとする女研究員にジュードが歯止めを掛ける。もういいと。実際、話しがだいぶ長くなっていた。

「とにかく、さっきの化け物も何かの実験動物が変異したせいだと云うんだな?」
「ええ。あれはニホンザルがベースになってるわ。私たちは童話をモチーフに『ゴブリン』と呼んでいる。他にも検体ごとに特徴的な生き物を生み出してしまった――」

 曰く、鉄をも噛み砕く『噛み鼠(バイト)』。
 禍々しく渦巻き角が発達した『凶角羊(アモン)』。
 他にも数種類の化け物が生まれたという。

「警戒すべきは、身体能力だけじゃなく知能も検体の個体差に比して強化される点ね。エレベータを使用できたのも、サルがベースの『ゴブリン』ならではよ」
「おかげでえらいメにあったぜ」

 恨みがましげにダリオがランドリッジを見やる。

「まあ、馬鹿みたいに突っ込んでくるだけだから、まだラクだったけどよ」
「次もそうとは限らんぞ」

 そんな風に脅かすのはエンゲル。

「サルは群れ同士で“戦争”をすると何かの本で読んだことがある。知能がアップしているなら、学習し、次は簡単な作戦くらい立てるかもしれない」
「冗談だろ」

 笑い飛ばすダリオにエンゲルは生真面目な顔を崩さない。ランドリッジの目も真剣だ。二人が本気だと知ってダリオの笑顔が強張る。

「他にも厄介な点があるわ」
「もう十分だろ」

 うんざりするダリオにランドリッジは容赦なく宣告する。

「細胞の活性率が高いということは、“繁殖力”と“変移速度”も別次元だということよ」

 それにはジュードもなるほどと納得げに頷き、これまでの話しをきれいに整理する。

「つまり消えた職員はエサで、たっぷり栄養つけた化け物が増えちまったというわけか。しかも、時間の経過に伴い、より厄介な形態に進化する――そういうことだな?」

 それがどういうことか。

「ふざ、けるなよ……っ」

 顔を青ざめさせて大きく呻くダリオ。
 そんな馬鹿げたことがあるのかと。

「それが本当なら、とっととここから逃げるべきだろうがっ。どう考えても『B3』以降は“トチ狂った動物園”になってる。そんな化け物の巣に、いくら金をくれるって云われても、立ち入る理由にはならねえぞ!」

 大金に弱いダリオでも、さすがに命との天秤になれば話しは別だ。欲望よりも命を惜しむ者だからこそ、これまで生き残ってこれたのだ。
 ジュードが落ち着けと宥めにかかる。

「危険なのは分かってたはずだ。その対策を練るために情報を仕入れているんだろ」
「危険の度合いが、ぶっ飛びすぎなんだよ」

 ジュードの手を振り払うダリオ。

「こうしている間も、やつらは増え続けているんだろ? 大人数で作戦を立てて、円陣組んで、俺達が罠に掛かるのをほくそ笑みながら待ってるわけだ。そんなトコへマヌケ面さらして顔を出す必要があるか? ないだろうがっ」
「その通りだ。だから連中の裏をかく必要がある」

 そう告げたのはイメルダだ。

「この部屋を出た先に『非常口』があった。『第1エレベータ』のちょうど対面になる。それを使えば待ち伏せの裏をかき、各階に移動できるはずだ」
「内側からなら、ドアに鍵も掛けられるな」

 意図に気付いたエンゲルが合いの手を入れる。
 「そうだ」と頷くイメルダ。

「ドアをロックする人員を配置すれば、非常口を仮の拠点にして捜索活動ができる。そして時間の経過と共にやつらが増えすぎれば、エサ不足に陥る。あの凶暴さなら種族間での“潰し合い”が起きても不思議ではない」
「確かに、その可能性はあるわ」

 今度はランドリッジ。少し顔を青ざめさせながら冷静に考察を進める。

「そもそも所員の数はそれほど多くない。仮に全員を食したところで(・・・・・・・)、大量の個体数を養えるはずがない。数時間も経てば、変異体同士で生存競争が――“共食い”が起きる可能性は非常に高い」

 犠牲を出したことにショックを受けていた割に、研究者モードに入ると冷徹な思考ができるらしい。
 薄情ともとれる彼女の言動にクリスが薄い眉をひそめるが、口には出さない。

「数時間か……」

 ジュードが軍用時計を確認する。

「撤退予定は午前4時前。捜索に1、2時間は必要とすれば、待つ時間は残念ながら、ないな」
「なら考えるまでもねえ。ここで終了だ」

 文句は聞かぬとダリオが宣言する。
 あれよあれよという間に、対策可能な方向で話しが進んでしまったのを、ここが勝負所とダリオはゲーム・オーバーを声高に推す。これに慌てるのは、捜索推進派のクォンだ。

「ちょ、ちょっと勝手に決めるなよ。今は捜索をうまく進めるための情報収集だと云ってたろ」
「それが無理だと分かったから、中止にすると云ったんだ」

 抗議は聴かぬとダリオが返す。

「いやいや待てよ、待ってくれっ。そんなこと会社は絶対に認めないぞ?!」

 悲鳴を上げるクォンに、ダリオはそっぽを向いて無視を決め込む。ならばとクォンの視線は、同朋であるはずのイメルダへと向けられる。

「貴女からも何とか言ってくれ。“太尉”だって、勝手な中止など認めないはずだ」
「悪いが任務遂行条件が許容値を越えれば、その限りではない」

 そうクォンの顔を蒼白にさせる台詞を口にして、しかしイメルダなりに打開の案があるのだろう。

「さっき『リスク判定』がどうのと云ってたな」
「ああ……それが?」
「“環境条件”を変えれなくとも、オレ達の“装備条件”を向上させたらどうだ? 『リスク判定』とやらはどう変わる?」

 その意図に気付いて、「できるのかい?」とクォンが期待の眼差しを向ける。
 イメルダの返事は自信に溢れていた。
 
「『ビジター・センター』の隣にある倉庫に、『武器庫』があると聞いている。そこなら通常装備以外の武器が置いてあるとも」

 どうやら万一の場合に備えて、装備強化の手段を教えてもらっていたらしい。
 さすがに突撃自動小銃(アサルト・ライフル)などの軍用銃があるとは思えないが、散弾銃(ショットガン)があるだけでも十分戦力強化にはなるだろうと。
 救いの女神を見たように、勝ち誇った笑みを浮かべるクォンがダリオを見やる。思わぬ反撃に動揺するダリオ。

「おいおい。いくら何でも、それだけでこっちが有利になるわけじゃねえんだぞ? 『ゴブリン』以外の化け物までいると分かった以上、特殊部隊を何班も投入するような戦力の増強が必要になる。そんくらいおまえにも分かるだろ」
「ガチンコ勝負をするならね。そこまでしなけりゃ何とかできるだろ?」

 勝手なことをとダリオが渋面をつくれば、ジュードは眉間に皺寄せ「うーむ」と腕組みする。今度こそ本気で慌てるダリオ。

「待て待て、ジュード。まさかやる気になってんじゃないだろな?」
「1万だ」

 ここぞとばかりにクォンが人差し指を突き出す。

「あーと……YDSとの契約とは別に、我が社から別途1万ドルだけ、報酬を払うと約束しよう。そこまでなら、僕にも決裁権が与えられているからね」
「それは『カラーレス』だけか?」

 あくまで確認だとイメルダが問えば、「……君らにも同額追加を認めるよ」とクォンが答える。

「途中の人命救助も認めてもらおうか」

 そう追加条件を提示するのはジュード。この時とばかり、胸奥でもやもやしていたわだかまりを晴らしにかかる。

「夢見の悪い真似だけは、したくなくってな」
「や、それは……」
「任務に支障がない程度にしろ。それならいい」

 承諾をためらうクォンをフォローするようにイメルダが妥協を迫る。当初の契約を根底から覆す条件は受け入れられないと。

「そのへんはうまく自重するさ」
「なら決まりだ」

 イメルダの勝手な宣言に、クォンも苦々しげに承服する。
 これで不満があるのはダリオだけとなる。
 
「おまえらヤキが回ったか? おかしな方向に話しをトントン拍子で進ませやがって」
「確かに危険は大きい」

 そうジュードが認めるも、「だが」と反意する。

「大金を稼げるチャンスは滅多にない。現実問題、会社を存続させるには金が必要だ。それに他の生存者がいる可能性もある。こんな軍事力しか能の無い俺達が、金をもらいながら誰かの役に立てるんだ」

 これ以上の何を望めるかと。
 これこそ自分が望んだ仕事なんだと。
 この時ダリオは、アフガン派遣前に見た、正義感あふれる若き兵士の面影をボスの相貌に重ねて見たはずだ。


「……今さら熱血かよ」


 嘆息混じりにぼやいて。

「おまえらも、それでいいのか?」
「正直、企業の利益を守るより、モチベーションは上がりますね」

 依頼人を前にして、シマリス娘が毒を吐く。

「無理があると思うがな」

 そうダリオをぬか喜びさせたエンゲルも、

「みんなの覚悟ができてるなら、俺に戦いを拒む理由はない」

 結局は問題なしと受け入れる。
 最後はイメルダが、思わぬ条件を追加した。

「悪いがベイルを先に搬送してもらえるか?」
「本社に聞いてはみる」

 自分にヘリを動かす権限はないとクォン。

「それでいい」
「いいもんかよ……っ」

 思わぬクレームは手術室の方から放たれた。

「ベイル……?!」
「おい、まだ起き上がっちゃ」
「ロートル扱いはやめてくれ」

 一同が驚き気遣うのを、蒼白い顔のベイルが邪険に振り払う。

「隊長さんよ、俺はまだやれる」

 点滴の投与剤片手にベイルは引き攣った笑みを浮かべる。
 大した根性だ。
 言葉を失くす面々に、イメルダの冷徹な声が届けられる。

「足手まといになれば、その場で切り捨てるぞ」
「それでいい」

 こうして半病人一人が隊に復帰した。
 これでクォンを除けば6名の捜索部隊が新たに編制されたことになる。
 付き合ってやるよと観念するダリオと共に、一同は装置捜索のための準備をはじめた。
 時刻は午前0時42分。
 撤退時刻まで残り4時間を切っていた――。


******** 依頼メモ *********

●研究所の秘密
 ・『B4』は政府事案の研究
 ・『B7』は政府非公認の極秘研究
 ・正体不明の『検体α』によって変異生物が発生

●変異生物の種類
 ・鉄をも噛み砕く『噛み鼠(バイト)
 ・禍々しく渦巻き角が発達した『凶角羊(アモン)
 ・悪知恵が働く『邪鬼(ゴブリン)
 他にも変異種あるとの情報

●研究所の現状
 ・『B3』以降は変異生物で溢れている。

●部隊方針
 ・装置の捜索続行
 ・6名で一部隊編制
  (班長イメルダ、副班長ジュード)
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