第7話 異変

文字数 6,021文字

11月18日
セオドラ疾病対策研究所
    (研究所本棟)

             ――B3『機密保管室』




【23:15現在】


「それでどうする――?」

 ジュードの問いかけに合流したイメルダは「決まっている」と迷うことなく答えを返す。

「装置がここになければ、出発点である『実験室(ラボ)』を確認するだけだ。そもそも移送プロトコルの発動自体がなかったとも考えられる」
「けどその可能性は低い」

 ジュードは即座に否定する。 

「テロリストの脅威が高まるほどに、施設で最も安全な『機密保管室』に運ぶのが当然の理。警備員にそれを判断する力も時間もなかったとは考えられない」
「だがこの部屋に記憶装置はない。それはまぎれもない事実だ」

 今度はイメルダによる否定。

「ないのが確かなら、元の場所から動かしていないと考えるのが筋だ」
「あるいは、すでに強奪されている(・・・・・・・・・・)か――」

 その可能性はイメルダも思い至っていたはずだ。
 ジュード達にとっても無報酬に終わるかもしれない不都合なケースは、これまで意図的に議論から外してきたのが真実だ。
 だが不都合だからと目を反らし続け、状況判断を見誤れば、最悪、こちらのミスだと依頼者に不満をぶつけられかねない。
 だから事ここに至り、ジュードも逃げずにはっきりと可能性を示す。

「事態発覚から偵察のヘリが到着するまでのおよそ一時間――誰にも見られず強奪する時間はテロリストにあった」
「確かに」

 イメルダもそれを認めつつ、「だが記憶装置にはGPSが内蔵されている」と後出しで否定材料を放り込んでくる。

「地中の研究所では電波が遮断されて位置信号を捕捉できないが、一歩でも外へ搬出すれば、セオドラ本社で最長72時間の信号追跡ができる仕組みになっている」
「そのGPS機能で外部搬出されていないことを把握していると?」
「そういうことだ」

 その確信があるからこそ、彼女は落ち着いていられるのか。
 ジュードの理解を表情から読み取ったのだろう。
 イメルダがさらに言葉を募る。

「どの可能性を探ったところで何らかの疑念は必ずで出てくる。ならば余計な憶測の捻出に時間を費やすよりも、任務を遂行することのみに注力すべきだろう」
「それで、実験室の確認か?」
「現状、もっとも手堅い確認の方法だ。捜し物が見つかれば、そこで任務に区切りが付けられる」
「なかったら?」

 そう口を挟むのはダリオ。
 横合いからの声にもイメルダは冷静に応じる。

「仮になかったとしても、施設内のどこかにあることを前提に、くまなく調べる必要がある。少なくとも、任務を“次なる段階”に進められることは確実だ」

 確かにそうだが。
 聞いたダリオがうんざりした顔になる。
 タイムリミットまでの時間はまだあるが、少数で施設全体を探し回るのは、さすがに骨が折れそうな話しだ。
 ジュードも内心の嫌気が表に出ぬよう声を張る。

「ならさっさと済ませよう」
「待て」

 そこで再び先導しようとするジュードをイメルダが止めた。怪訝な顔をするジュードに「ここから先は機密案件だ」と今さらながらな理由を口にする。

「悪いがチームAとクォンだけで行かせてもらう」「本気か? テロリストはどうする」

 装置が奪われていなければ、敵の脅威も去ってはいないことになる。
 ならば依頼者の盾となり、また脅威を排除するために雇われたジュード達からすれば、あまりに困惑させられる発言だ。だが彼女にとっては機密案件を守る方が重要視されるらしい。

「実験室にはデータ化されてない事物もある。見られないようにするには、やむを得ない処置だ。ただし万一セオドラ社員が危機に陥った場合、“緊急時対応”としておまえ達の介入も特別に認められる。その時は支援を要請するからすぐに対応してくれ」
「――わかった。そう云うしかないようだな」

 不承不承とはいえ、承諾するジュードに「ちょ、ちょっと待て!」とダリオがまたしても話に割り込んでくる。

「それで報酬を削るわけじゃないよな?」
「ダリオ――」

 ジュードの制止を無視してダリオはイメルダにもの申す。

「こっちはやるべきことをやってるんだ。ラボの調査をそっちがやったからといって、その分の報酬を削られちゃかなわんぜ」
「そんな真似はしない」

 硬質の声音で応じるイメルダは、「本当か?!」と念押すダリオを無視して、無線機でクォンに呼びかけた。

「――状況は伝えたとおりだ。この先はオレ達だけで調査するしかない。悪いがこっちまで来てくれ」
<……はぁ……分かったよ>

 しぶしぶとした返事はよほど厭なのだろう。
 ここまできて、何も起きなさすぎる(・・・・・・・・・)異常さ(・・・)に、クォンは本能的な恐怖を感じているのかもしれない。
 だが機密事案のラボは、防犯上の理由で同じフロアにある『第二監視室』でなければ情報収集ができない仕組みになっている。『第一監視室』に閉じ籠もっていたのでは、自ら耳目を塞いでいるのと同義なのだ。さらに無線機の交信にしても、『第二監視室』で通信設定を調整しなければ回線がシャットアウトされ、セキュリティの高いフロアで利用することは不可能となる。どうあっても、一度はクォンが現場へ出向く必要があった。
 
「ま、無駄骨かもしれんがな」

 また肩すかしを食らう――現状を把握できない苛立ちや不安がダリオに皮肉を口にさせるのだろう。それを「いいじゃねえか」と返してきたのはベイルだった。

「これだけ便利な世の中で、結局は自分の足を使って確かめる――泥臭いのは嫌いじゃねえ。むしろ、安心するってもんだ」
「へえ――」
「なんだ?」

 意外そうなダリオにベイルが眉を怒らせる。その肩を叩くのはメジャー。

「ガラにも無いこと云うからだ。あっちは、あんたが元コップだなんて知らねえからな」
「え、あんた警官だったのか?!」

 軽く声を裏返させるダリオにメジャーがニヤニヤしながら返事する。

「驚くよな? でもこんな下品な顔は“コップ”か“売人”のどちらかさ」
「好き勝手云いやがって」

 ベイルが肩を荒々しく振って、不機嫌そうに横を向く。「とにかく――」と咳払いして。

「足で掴んだネタほど、確かなものはねえ。ひとつひとつポイントを潰してきゃ、いずれ捜しモンにぶち当たるだろうよ」
「道理だな」

 ダリオが納得したように頷くも、どこか釈然としない表情でいるのは仕方がない。
 他の者もそうだ。

「それにしてもテロリスト共め……どこに消えやがった?」

 ここまで沈黙を保っていたバックスが、顎髭をしごきながら、初めて口にした言葉がその疑念であった。
 もちろん誰も答えられない。
 バックスの疑問は、冷たいリノリウムの床に弾かれ消えた――。



 ◇◇◇



「しばらく待機しててくれ」
「ああ。休憩時間(コーヒー・ブレイク)だと思っておくさ」

 これも隔離対策の一環らしい、別系統のエレベータに乗り込むチームAをジュード達はリラックスした空気で見送った。
 エンゲルは廊下の壁に背をもたせかけ、ダリオは肩回しのストレッチ、クリスに至ってはその場に座り込んで拳銃の点検に余念が無い。
 そんな彼らにメジャーやバックスが苦笑を漏らして「じゃあな」と別れを告げる。
 最後に緊張で表情を強張らせるクォンの姿が扉の隙間から見えなくなった途端、表情をガラリと変えたダリオがジュードを睨み付けてきた。

「ぜったいにおかしいぞ――」
「何がだ?」
「人の気配がなさすぎることです」

 なぜか答えたのはクリス。

「そもそも事態発覚の切っ掛けになった、“実験トラブルの話し”はどうなったのでしょう?」
「それにこれだけ警備がしっかりした施設に、テロリストがすんなり潜入できたのも腑に落ちない」

 そう続けたのはエンゲル。

「環境テロリストといっても、プロの工作者じゃない。内部に協力者がいなければ施設に踏み込むことはほぼ不可能。そもそも敷地への潜入時点で、即座にバレて派手な銃撃戦になっているはずだ。
 他にも気になる点はある。昨日今日作ったとは思えないあの食事(・・・・)――」
「それよりも、ただの一企業が旧軍事施設を買い取れることの方が、よっぽどおかしいぜ」

 ダリもまでが駄目押しのように疑念を畳み掛けてくる。その口端を意味深に歪めてみせて。

「セオドラが抱える“機密案件”てのは、政府機関発注のヤバいやつ(・・・・・)なんじゃねえのか? 情報も何もかも外部に漏れさせないために、ご丁寧なことに発注者である政府が研究場所まで提供した――そう考える方が筋もイイ」
「そうなると案件の内容は、軍事利用目的か――」

 ひどく苦い顔でジュードは唸る。
 そういう厄介事に関わりたくなかったのにと。

「ほんとうに“環境テロ”かも怪しいぜ」

 ダリオがそう(うそぶ)けば、

「また“大尉”に乗せられましたね」

 元上司との関係をクリスに突つかれて、ジュードの顔はますます不機嫌なものに変わる。
 YDSの役員会を占めるのは元米軍士官のお歴々だ。そんな彼らの牛耳るYDSが政府発注の大口業務を受託したセオドラと絡むのは当然の流れ。
 要するにプロジェクト一本丸ごと“政府案件”と云ってもいい。そう思えば途端に、今回の一件もきな臭くなってくる。

「早々に手を引くのも一考だ」

 そう告げるエンゲルに「報酬は惜しいですが」とクリスも渋々賛意を示す。驚くべきは、ダリオまでがそうすべしとフォローしたことだ。

「さっきも確認したように報酬の全部がパアになるわけじゃねえ。あれが嘘だったとしても、最低3割くらいはもらえるはずだ。それでも十分だ」
「勝手なことをぬかすな、おまえら」

 撤退すべしで盛り上がるメンバーにジュードは呆れ気味な感じで叱責する。いつもなら、任務続行を果敢に推すのは彼らの方なのだ。

「俺も任務中止には賛成だが、現実に明確な危機に見舞われていない状況では、相手から“任務放棄”としか見なされない。
 そうなれば“報酬”は守られるか? いや、相手がYDSであっても、俺は会社の信頼を損なう真似はしたくない。今は信頼を築く大事な時期なんだ」

 起業してまだ三年目。
 産声を上げたばかりで世間に名が売れておらず、顧客獲得に精を出すべき時期に信用を落とせば、致命的な失態になる。多少のリスクはとっても積極的に成果を出していく必要がジュードにはあるのだ。

「でしたら、確かめてみてはいかがでしょう」

 ジュードの切実な訴えに、クリスがさらりとした感じで提案する。

「確かめる? 何を?」
「このフロアです。確か『B3』は“サンプル・パーク”と呼ばれているとか」

 『実験試料園(サンプル・パーク)』――。
 常温倉庫に冷蔵倉庫、劇薬保管庫など。研究所で使われる実験用資材のすべてが貯蔵・管理されているのが名前の由来らしい。
 なので相応の知識があれば、フロアにある資材を確認するだけで、本研究所で行われる研究の方向性を見出すことも不可能ではない。

「ここなら実験動物の檻もありますし、案外、施設の人が閉じ込められていたりするかも……」
「……」

 悪巧みするシマリスがいれば、こんな表情をするのだろう。意味深に言葉を濁らせるクリスとジュードはしばし見つめ合う。

「休憩タイムと云ったが、万一に備えてエレベータ前に待機しておく必要がある」
「別に私とボスだけで、ササッと確かめに行って戻ればいいだけです。もし間に合わなくても、最低二人は支援に送れます」

 問題ないと言い切るクリス。

「……確かにな」

 ささやかな抵抗を破られて、ジュードはあっさり折れた。本心では結局確かめてみたいのだ。居心地の悪い疑念が脳裏から離れないために。

 その足跡を明確に残しながら、一向に姿を見せぬテロリスト。
 例え殺されていたとしても、遺体さえ見つからない研究所の警備員や研究者達。
 そして言葉だけの機密データの存在。

 それらはどうなってしまったのか。
 法外な報酬に目が眩み、任務遂行を優先にしてきたジュードの思考が、メンバーとの話し合いによって多少なりと冷静さを取り戻す。

(あいつらの意向に添うことで、知らず俺達の動きは限定され、見聞きする情報まで管理されていたことは否めない。だったら――)

 あえて“待機行動”を無視して、クリスの提言を試してみるのも一興だ。
 ジュードがエンゲルを見る。

「少し離れるぞ」
「了解」
「ポイントでバックアップしてやるよ」

 エンゲルのみを残してダリオが途中までついてくる。
 B4以降への『第2エレベータ』はフロアの西南端に位置していた。そこから『機密保管室』を巻くようにして通路を歩き『小型検閲通路』を通過、最初の広い通廊に合流する。
 
「俺はここまでだ」

 ダリオがポイントを抑え、ジュードとクリスは通廊を横断する。ちなみに左手――西側すぐの突き当たりに『第1エレベータ』が見える。
 横断した先にあるのは壁一面――右手に進むほど照明が切れて視認できないが、ぽつりぽつりとドアがあるようだ。使途不明な部屋が列を為していた。

「どこから調べましょうか?」
「別に手前でいいだろ」

 何の特徴も無い部屋では迷っても仕方がない。
 ジュードは手近の部屋に入る間際、クリスとアイコンタクトで突入タイミングを合わせる。
 開閉パネルに指先を触れさせる程度でドアは敏感に反応した。
 滑り込むクリス。その背がびくりと強張った。

「――なんだ、これは?!」

 一歩踏み込んだジュードも思わず呻く。
 二人のフラッシュライトが照らし出すものは、天井から吊り下がる肉袋(・・)。そう錯覚してしまうほど血に塗れ、血を滴らせる人体は損傷が酷く濃厚な血臭を室内に充満させていた。それも複数ある。
 
「まるで屠畜場ですね」

 無神経なクリスの言葉だが、その顔は死人のごとく青ざめている。
 実際、部屋隅の小山も無造作に人体を積み上げたもののようだ。加工用の大型包丁やまな板が見当たらないだけで、精肉工場のごとく意図的に人体を集めている部屋なのは確かだろう。
 だが誰が、何のために?

「――おい、動いた」
「へ?!」

 クリスが今にも発砲しそうな勢いでUSPの銃口を突きつける。

「どれです――?」
「左だ。左隣の白衣」

 血で汚れてはいるが、目立つ外傷のない白衣の女が人山の裾に倒れていた。その細い指先がぴくりと動く。

「おい、聞こえるか?!」

 ジュードの声に反応は無い。
 慎重に歩み寄り、助け起こそうとしたところで、胸元の無線機が急に目を覚ます。



    ≪……A……チームA!!≫



 思わず目を見交わすジュードとクリス。
 目覚めた無線機からは、切迫した女の声ががなり立てる。

≪応答しろ、チームA! こちらイメルダ≫

 その途中で、激しい銃声がイメルダの声を引き裂いた。
 絶叫する男の咆哮。
 合間に響く奇矯なる声。
 その人間とは思えぬ肌を粟立たせる奇声に、ジュードは力強く無線のPTTボタンを押し込んだ。

「こちらジュード。何があった、チームA!!」
≪反応が遅いっ≫

 苛立ちのこもるイメルダの声。

≪襲撃を受けている。至急、支援に来いっ≫

 思わぬ要請に、もう一度、ジュードはクリスと顔を見合わせた。
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