第11話 交渉

文字数 8,468文字

11月18日
研究所本棟 1F

           ――『第1エレベータ』前


【23:46現在】


「とにかく――ここにいたら、殺られる」

 目の前のドアを睨み付けながら、ジュードが口にするのは確実にくる未来予測。
 この至近距離で、エレベータという“パンドラの箱”から溢れ出る悪意に、三点射しかできないSMGでは抗えるはずもない。二秒と保たずボロ雑巾にされるのがオチだ。
 ならば手を打たなくては。

食堂(ダイニング)まで下がろう」

 無論、距離をとることだけがジュードの考えではない。ちょうど駆け寄ってくるダリオに「戻れ」と指図しながら、イメルダにアイディアを伝える。

「あそこのテーブルで通路に簡易なバリケードを築けば、俺達四人でも耐えきれるはずだ。今は少しでも――」
「それよりイイ手がある」

 同意する代わりにイメルダがこれみよがしに無線のPTTスイッチを押す。呼び出したのは、『第一監視室』に出向いているクォン。

≪なんだい……?≫
「今すぐ『第一エレベータ』を止めてくれ」

 説明もなしに用件のみを伝えるイメルダ。
 当然ながら脈絡のない要請に無線の向こう側で戸惑うクォン。それにも構わず、イメルダは語気を強めて再度の要請を繰り返す。

「いいから今すぐ停止させろ。やつらが襲ってくるぞっ」
≪……わかった。やるよっ。こっちだって……≫

 切迫した声音と最後の台詞が効いたのか、クォンが声を荒げて応じる。無線の切れ間にぶつくさ云う声が聞こえたのはやむを得まい。正直、こんなことで依頼人と揉めてほしくはないのだが、それより先に案じることがあった。

「間に合うか?」

 邪鬼共を乗せたエレベータはいつ到着してもおかしくない。ジュードの当然な懸念をイメルダはさらりと受け流す。

「やらないよりはいい」

 自ら「いい手」だと云っておきながら、イメルダもさほど期待しているわけではないらしい。要請を済ませてすぐ、自ら先頭切って走り出す。慌てるのは、そばでうろちょろしていたダリオだ。

「くそ、やっぱり戻るのかよ」
「合図したぞ」
「いいから、さっさと走れ」

 イメルダに背中を突っつかれるダリオを先頭に三人は駆け戻る。その様子を愉しげに見守るのはクリスだ。彼女ははじめから、目標地点に近しいところで足を止めていたようだ。

「私の“読み”は正しかった」

 得意げに出迎えるクリスに、「手抜きがうまくいっただけだろ」と憎まれ口を返すダリオ。そんな二人を押し退け、イメルダが食堂へのドアを開ける。

「云ってくれれば……」

 新しくもらえたのか、クリスが人差し指でパスカードをくるくると振り回す。それを物欲しげに見るダリオ。二人がまた余計なじゃれあいをはじめる前に、ジュードはリーダーの責務を果たす。

「手伝いたいなら、いい仕事がある」
「え?」
「おい、押すなって」

 二人を食堂に押しやるジュードが「今から仮の防衛拠点を起ち上げるぞ」と労働開始を高らかに宣言する。

「急げよ。いつ連中がきても不思議じゃないんだ」
「で、おまえは何でそこに突っ立ってる?」

 ドアを手で押さえているだけのジュードにダリオが不審げに尋ねる。にやりと笑うジュード。

「無論、“見張り”だ」
「ズルいです!」
「せめて交代制にしろっ」

 子供のように騒ぎ出す二人に「口を閉じろ。身体を動かせ」との端的な叱責がイメルダから叩きつけられる。

「なんだよ、こいつは――」

 口を尖らせるダリオが、そこで黙り込む。
 軽量素材で作られた簡易テーブルとはいえ、片手でひょいと持ち上げるイメルダの怪力ぶりに、二人が黙って従ったのを笑うことはできまい。

「……なんだ?」

 思案げに自分を見つめるジュードにイメルダが怪訝な顔をする。

「いや、リンゴを握りつぶせるなと」
「無理だ」

 できない、ではない。
 リンゴは好きだから(・・・・・)だと。
 だがすれ違い様に「タマなら潰したことがある」
との意表を突く爆弾発言が。


「?!」


 まさか女兵士がジョークを口にするとは。
 思わず振り返ったジュードは、そこでふと、ジョークでない可能性も頭に浮かんで苦笑いを浮かべるしかなかった。



 ◇◇◇ 



【23:48現在】


 結論から言えば、無理があるかと思われたクォンの制御が間に合い、エレベータの稼働が停止――邪鬼共の襲撃は未然に防がれた。
 あの短い時間で対処できたクォンの手腕に驚いたものの、それより気になることがジュード達にはあった。

「今、“途中で停止できた”て云ったよな? てことは、エレベータの中にあいつらがわんさか(・・・・)詰まってるのか?」

 空恐ろしいダリオの想像に、

「だったらバリケードを完成させるべきだな」

 エレベータのドアをじっと見つめるジュードが作業を続行すべしと口にする。他の三人に異論があるはずもない。万一にも不慮のアクシデントでエレベータが再稼働され、このドアから邪鬼の群れが溢れ出せば――反論の余地などあるものか。
 先ほどと変わらぬモチベーションで作業を再開させた四人であったが、ある一点についてだけ、ジュードの中に疑義を残すことになる。

「ほんとに意味があるのか?」

 片腕のちぎれかけた邪鬼の骸を抱き上げるジュードに、一体づつ鷲掴みで運ぶ女兵士が「できる手は打っておく」と応じる。どうもこの手のフレーズが彼女のお気に入りらしい。
 「どうせ処分しなきゃならねーからな」とはダリオの言だが、「けど後で通路が匂うかも」と顔をしかめるのは当然か。

 そういう彼らは何をしていたのか?

 イメルダの案でバリケードの外側に邪鬼の遺骸を捨て置き――恐怖を煽る演出らしい――死体処理とバリケード構築の両立を図っていたのだ。
 正直、化け物相手に心理的圧力が効くのか疑わしいが古来から使われる戦の常道だ。本能で動く相手だからこそ、効果も期待できる――かもしれない。
 結局は反対意見を呑み込むジュード。

「ただ付き合うにしても、せめて日付が変わる前に終わらせたいな……」

 硬質の軍用ウォッチに視線を落とすジュードの表情は冴えない。
 大抵のことがそうであるように、やはりジュードの願いが叶えられることはなかった――。



 ◇◇◇



【00:07現在】


 事件発覚からおよそ3時間。
 ついに日付が変わり、残された刻限は4時間となる。そして“死体運び”に余計な時間を取られたものの、ジュード達は防衛拠点を何とか形にすることができた。

「ロープか何かで縛れるといいんだがな」

 強度面に納得いかなげなダリオに「いや、足止めできるだけでも十分だ」とジュードが良しとする。そもそもこのバリケードが活躍する状況を招いてしまってはダメなので、予備プラン程度のものにこれ以上の手間はかけてられないというわけだ。
 それはそれでと受け入れるダリオ。

「なら、これで完了だな」

 ちょうど、作業終わりを見越したようなタイミングでクォンも合流し、皆で医務室まで戻ることにした。
 どうやらタイミングとは重なるものらしく、ジュード達が診療室に到着したところで、手術室から出てくるエンゲル達と顔を合わせることになった。
 口調はあくまで淡々とイメルダが容態を尋ねる。

「……ベイルは?」
「死にはしないが、血を流しすぎた。任務から外すのは当然として、このまま寝かせるのでなく、病院に搬送するのがベストだ」
 
 とりあえず今は眠っていると。
 エンゲルなりの所見をイメルダはどう受け止めたのか、ちらと隣室へ視線を投げたものの、それきりだ。その目の前をランドリッジが力ない足取りで通り過ぎ、壁際に背中を預けると、ずるずると滑らせ床にへたり込んでしまう。
 顔を俯かせる様子は、外界との“拒絶”とも、単に疲れきっているだけとも受け止められる。それは理解できる。元職業軍人のジュード達でさえ身体が重く感じるのだから。

「今度こそ、ゆっくり休憩できるよな……?」

 ダリオもまた、イスには見向きもせずに直接床に尻を着く。本人としては誰かに確認をとったつもりはないだろう。
 事実上の“休息宣言”にしかし、「無論、今後について話し合う」とイメルダが部隊長権限を以て却下する。

「――だよな」

 皮肉げに唇を歪めるダリオが異論の声を求めて視線をさまよわせるも、救世主の現れる気配はない。だからといって、皆に話し合いが歓迎されているわけでもないのだが。
 手術台で眠るベイルを除き、集まった6人の拭いきれぬ疲労感が診療室の空気を重くしていた。許されるなら、誰もが銃を置き、すぐにでも横になってしまいたいのだ。
 状況が許してくれるのなら。

「とりあえず、本社へ報告は済ませたよ」

 場の空気を変えようと、少し声高に話しの口火を切ったのは意外にもクォンだった。

「我々が確認している施設の状況や地下フロアで未確認生物に襲われたこと、そしてYDSの損失二名と負傷者一名、さらに研究所の生存者が一名だけ発見できたことなど――すべて本社には伝えてある」

 皆の様子を窺いながらクォンは語る。
 その表情に、施設突入前とはまた違った意味での緊張があるのをジュードは見抜く。平静を装い、努めてゆっくりと語る口ぶりは、経験上、良くない発言の前触れだ。

「当初の想定とは違った展開で、しかもチームに損失が出たのは残念でならない。先の読めない状況でみんなが尽力してくれたにも関わらず……そのことは見ていた僕がよく分かる。だからこそ、本当に残念でならない」

 ただ、と。
 忘れては困るとクォンは注意を促す。

「肝心な我々の目的は、果たされていないのが現状だ。『記録装置(ブラック・データ)』――その確保にまだ至っていない」

 それがクォンの云いたいことか。
 あれだけ生きるか死ぬかの怖い目に遭いながら、しかも相手はテロリストですらないというのに、なおも“任務の続行”を宣言すると。
 
「そこで、本社の意向を伝えさせてもらうよ――」
「その前に」

 語気強めに遮るのはジュード。

まずは(・・・)、『B7』の話しからはじめるのが筋だろう?」
「違うね」

 クォンはしれっとして拒否の意を示す。

「それは『機密事案』になると云っただろう。君たちの尽力は認めるけれど、あくまで雇われにすぎない部外者に、会社の秘事を明かせると? 分かるだろ――知らないことが、“あるべき姿”なんだよ」

 そんなクォンの小憎らしい言い回しに、

「今すぐこの馬鹿げたゲームが終わるなら、それでもいい」

 ジュードは努めて冷静に応じる。
 
「だが俺達がこの施設に留まる限り、奴らの脅威がつきまとうことになる。これがどういうことか分かるはずだ。危機管理が専門だと云ったな?」
「ああ。……もしかして、現場のリスク・マネジメントを云いたいのかい?」
「そうだ。これから取り組むミッションの内容に対し、現場となる施設の環境リスクはどうだ? あの化け物が存在するだけで、どれだけマイナス方向に跳ね上がる? それに取り組む人員についてもそうだ」

 そう自分達のことを問題視する。その理由は、

「例え技倆に装備、経験が豊富であっても情報不足(・・・・)が顕著なら(・・・・・)、リスク判定に悪影響を及ぼすのが当然だ。これをあんたはプロとして、どう考える」
「それは……」
「いつもと同じだと思うな」

 ジュードはキツく言い含める。

「これは危険物を扱う話しとは、モノが違うんだ。ヒューマン・エラーや天災は“不慮の事故”だが、やつらの場合は――明確に俺達を殺しに(・・・・・・・・・)来ている(・・・・)

 偶発と恣意的行為――それは大きな違いだ。
 突きつけられる現実に、クォンの頬がぴくりと動いて表情を歪ませる。『B7』で邪鬼に追い立てられ、『B3』のエレベータでドア一枚隔てて迫られた時の恐怖や焦燥が、再び脳裏に蘇ったのだろう。
 “化け物の脅威”は、決して非現実的なものじゃないのだと。
 内心の動揺が顔色にまで現れるセオドラ社員に代わり、譲歩したのは女兵士だ。

「確かにおまえたちには、話しておく必要があるだろう」
「――イメルダ」

 クォンの咎めるような視線を女兵士は眼光ひとつで跳ね返す。

「どのみち“実験体”も“秘密のフロア”も彼らに知られてしまっている。“処分”せずこのまま共闘するつもりなら、情報共有するのが正しい戦術だ」
「いや、そうだけど……っ」

 なおも踏ん切りのつけられないクォンに、「いいか」と語気を強めるイメルダ。

「会社の意向は、秘事を守るだけじゃない。我が身を護り、富の源泉にもなる“研究データ”の確保にある。むしろそれこそが優先される事項であり、そのために雇われたのが、オレ達だ。違うか?」
「……そのとおりだ」
「ならばデータを確保する最善の策は何だ。人員を失い戦力ダウンしたYDSだけで任務にあたることか? 忘れたなら思い出させてやるが、『B7(・・)()装置はなかった(・・・・・・・)。とりあえずデータのおこぼれがないかと、念のため、それらしいPC機器を積み込んだが、おそらくすべて無駄骨だ」

 取りに戻る必要はなく、結局は装置を捜し出すしかないのだと。それにはどうしても、カラーレスの理解を得、協力してもらわなければならないとイメルダは説く。
 幸い、GPS発信器のおかげで施設内にあることは分かっている。だが、それでも立ちはだかる障壁は大きすぎた。

「現状、装置があるのは『B3』より階下という目算が高い。しかしそこにあいつら(・・・・)が彷徨いているのは間違いない。どういうわけか、テロリストでなく化け物がな(・・・・・)
「そこが最も知りたいトコですねっ」

 気に入らないと口を挟むクリス。それまで聞き役に徹していたはずなのに、まるでスイッチが入ったようにしゃべり出す。

「さっきは邪魔されましたが、はっきり教えていただきたいですね。そもそも状況から判断するに、研究所で起きたという“実験トラブル”とは、あの化け物が逃げ出したことですよね?」

 クリスは溜め込んだ不満を吐き出すように自身の推測を述べる。


 まず実験中に化け物が暴れるトラブルが発生。
 騒動の輪は広がり『緊急移送プロトコル』が発動したものの、所内を暴れる化け物に追い立てられ、装置と搬送者はいずこかへ雲隠れ。
 そして化け物の跳梁を許した所内は、収集がつかずに『CSP』の発動に至る。


「――そう考えれば、本当に“環境テロ”が起きていたかはアヤシイです。確かに何者かが侵入した形跡はありますが、実際にテロリストの影すら見えず施設内で戦闘が行われた痕跡もありません。テロ行為を疑うには、どうにも無理がありすぎます」
「つまりおまえは――」

 そう口を挟むのはイメルダ。

「これがヒューマン・エラーによるものだと云うのか」
「正確には、個別の案件が偶然重なった(・・・・・・)――おかしな話ですか?」

 クリスはおどけたように小首を傾げてみせるが、目は真剣だ。イメルダも察する。

「いや、むしろ検討に値する」
「……“出来過ぎ感”があってもな」

 とはジュード。
 “偶然”で片付けることに違和感があり、トラブルと侵入者を関連付ける方がよほどしっくりくる。
なのに関連づけるべき確たる証拠がないのもまた、事実。
 だから“クリス案”を無下にはできず、そんな皆の心境をクリスも十分承知していた。

「侵入者を発見するか詳細な足跡が掴めれば、事実確認もできるかもしれませんが。まあ、おそらく無理でしょう。それはこの状況を見れば、見当がつきますよね……」

 地下での撤退戦や防衛戦で、疲弊しきった皆の顔を示すように両手を広げて見せるクリス。
 彼らは何者と戦ったのか?

「残念ながら、あのような化け物に所員達が希望を託した“最終手段”は通用しなかった。凶暴さに相応しい生命力。それに気付きました? こっちを見るあいつらの目……つまりは生き残った化け物に、みんな(・・・)食べられちゃった(・・・・・・・・)わけですよ」

 最後にとんでもない見解を付け加えるクリスに、ジュードは渋面をつくる。もう少し言葉を選べと。
 ランドリッジの様子をちらりと窺ったがぴくりとも動いていない。耳に入ってないなら幸いだ。
 ジュードの心労を他所に、クリスの話は続く。

「おそらく捜したところで、見つかるのは食べ残しか死体の山だけ。ふたつの関連性も分からないままでしょう。
 ですが私たちの任務は、“施設で何が起きたか”を調べることではありません」
「そのとおりだ」

 同意したイメルダが、

「“実験トラブル”の経過は、おそらくおまえの読み通りだろう。当然、あの化け物の正体は、実験動物の成れの果て(・・・・・)――というのもな」

 そうして研究員へ視線を向けるが、相手は気付いていないのか無反応。
 だがある程度、疑念を解消できたクリスは満足げに頷く。

「それしか考えられないですよね。“環境テロ”などはじめから起きてなかった。だから装置も盗まれておらず、研究所内のどこかにある。
 けど、私たちは日の出前に装置を見つける必要がある――じっくり探索している余裕は無いんです。何とかアレを攻略しないと」

 そうして最後にクリスはクォンの反応を窺う。
 研究員に次いで秘密をよく知るはずの者に。
 だが水を向けられた当人は、困惑の中にいた。


「……“環境テロ”が、ウソ?」


 信じがたいと唸るクォンに、

「そこは問題じゃない。あんたが思ってるよりも時間は無いんだ。さっさと知ってる限りの、化け物の情報を寄越せ」

 焦れたようにジュードが突つく。

「いいか、短時間でミッション・クリアするには、“化け物対策”が必要不可欠だ。実際、先ほども戦ってみて確信した。致命的なのは弾薬の消費量――一回2、3分程度の戦闘を二度繰り返しただけで、手持ちの弾薬が尽き果てた」
「だからこうして補充しています」

 クリスが弾薬を詰め込んだバッグをぱんぱんと叩いてみせる。

「こんな戦い方をしていれば、弾薬がいくらあっても足りないし、移動中に尽きたら目も当てられん。つまり作戦行動を短時間で済ませるために、しっかりした戦術がどうしても必要になってくる」
「それには相手を知る必要がある」

 エンゲルも合いの手を入れる。

「化け物の素性を知ることで、弱点、好み、行動パターンなどが少しづつ明るみになり、それが化け物対策に繋がってゆく」
「戦うだけでなく、惑わし、誘導し、隠れることにも応用できる」

 最後に補足したのはイメルダだ。

「そもそも戦闘行動に関する判断は、YDS(オレたち)に任せる契約だ。彼らには必要な情報を与えるべき――武器弾薬を提供するのと同じにな――あらためて決定させてもらう」

 毅然と告げるイメルダに、クォンの表情は明らかに屈していた。危機管理のプロとして認めるべき点があることも彼は分かっているのだ。それでも悩ましげに口を濁す。

「分かった。いいだろう。けど会社からは……」
「どうしろと?」

 ハッとしたようにクォンは口を手に当てるが後の祭りだ。

「会社は何と云ったんだ?」

 イメルダの美しいからこそ凄みが備わる眼光に押し負けて、クォンは諦めたように口を割る。

「……“できるだけ与える情報を制限しろ”と」
「ふん」

 ジュードが軽く鼻を鳴らす。まるで嫌がらせのような指示に。
 ダリオやクリスも同様にかすかな苦笑を浮かべていた。いかにも“太尉”が云いそうだと。おそらくYDS幹部の意向が強く反映されているのは間違いあるまい。
 ジュードが別の疲れを帯びて嘆息する。

「上官と事務屋の小細工は、現場の人間を殺す――どこの組織も同じだな。そんな指示をバカ正直に受け止めないで、さっさと情報を渡してくれ。あんただって、死にたくないだろう」
「……」

 それでも言いよどむクォンを無視して、「触りだけなら、オレからも話せる」とイメルダが勝手に代役を果たす。
 その言動に眉をひそめるジュード。

「何を知ってる? いや――そもそもここの警備を受託しているのが、YDSなんじゃないか? だからある程度の情報を持ってる。違うか?」
「そうだ」

 カマを掛けるジュードに素直に認めるイメルダ。

「ただし機密保持のため、警備に携わる者が限定されていたから、オレ達も施設に来るのは初めてだ。それに持ってる情報も“社内ブリーフィング”による付け焼き刃だ」

 ジュード達とさほど変わらないと。
 だが化け物の件はどうだ?
 はじめから、ある程度の犠牲を覚悟していたからこそ、こんなにも冷静でいられるのじゃないか?
 それに分かっていればこそ、実戦経験豊富な人材を必要とするのも当然だ。

「だから俺達を――」

 無機質な鉄面貌を睨み付けるジュード。
 だがカラーレスを誘ったのは彼女ではない。それに大金の魅力に負けた自覚がジュードにはあった。


「…………聞かせてもらおうか」

 
 ジュードは喉元までこみ上げた不満を押し殺し、イメルダに話を促す。最後まで依頼を遂行させるなら、余計な感情を捨てなければならない。

 それで任務達成への道が開けるなら。

 だが、この流れは本当に良い流れと云えるのか。
 深みにはまることをジュードは漠然と予感するのだった――。


********* 業務メモ ********


●施設状況
 1F『第1エレベータ』の稼働停止。
 1F『第1エレベータ』前にバリケード構築。
 実験動物が逃亡中(B3以下を徘徊)。

●環境テロ
 認識の過ち(侵入者はテロリストでない?)
 
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