第1話 テロリストの遺産

文字数 6,553文字



某日
アメリカ合衆国 某州

         ――レベル5『重警備刑務所』







「…………何があった?」




 そう声を発するのは、コンクリート地が剥き出しの広く寒々しい部屋の真ん中で、“墓標”のごとく立ち尽くす“囚人”だ。


 全身を真っ白な拘束帯や鈍色の手錠で封じられ。


 硬質なLED灯の白光に浮き上がる姿は、断崖の底で陽射しに照らされる、忘れ去られし“使徒の古墓”を思わせる。



 だがその使徒は、四度の爆破テロにより、千もの無垢なる命を(にえ)とした“邪悪な御使い”だ。



 その象徴たる爆薬の扱いに秀でるだけでなく、敵や一般群集を惑わす心理戦に情報戦、さらには個別の戦闘技能及び部隊の戦術運用に至るまで――

 先進各国のA級諜報員(エージェント)に比肩する能力を有し、いかに堅牢な牢獄に閉じ込めても決して油断することを許さない“世界屈指のテロリスト”。

 そんな凶悪犯との面会を、夜の時間帯に、それも警護を伴わない“同室面談”の条件で許すなど、警備レベル最大を誇る刑務所では、正気を疑う措置である。
 だがあり得ぬ対面は容易く実現された。
 囚人もその異常性をよく解すればこそ、冒頭のような疑念を“奇蹟の体現者”たる面会人にぶつけるのだろう。



「“外”で何もなければ、いたずらに俺を刺激する馬鹿はしまい。そうだろう――特別捜査官ジェイミー・マロギンス?」



 何とも嫌味臭いフルネーム呼びに、「別に」と無愛想な声で面会人――捜査官が応じる。

「おまえを刺激したからなんだ? それをいちいち米国(おれたち)が気にするとでも? ――必要だと思えば何度でも、このツラを拝ませてやるだけだ」

 そうして自分の顔を突き出しながら、捜査官が接近制限を示すゼブラゾーンへ大胆に踏み込んでみせる。その途端、



     ≪規定違反だ、捜査官っ≫



 部屋隅のスピーカーから鋭い警告が放たれて、無精髭が目立つ捜査官の横顔を平手打ちした。



   ≪今すぐ囚人と距離を取れ――――≫



 有無を言わせぬ看守の指示に、捜査官は囚人を見据えたまま、監視カメラに向けて人差し指を立ててみせる。
 「黙っていろ」との強気なゼスチャーに、当然返されるべき憤慨の声は不思議と上がらず、ただ沈黙したスピーカーから静かな怒りが伝わってくる。
 そのおかしな力関係をみて、かすかに唇の端を吊り上げるのは囚人だ。

「いくら『国家保安部のエージェント』でも、看守に規定違反を黙認させられるか? やはり……」

 そう含みのある間を置いて、

「政府を本気にさせる何かが(・・・)、あったというわけだ」

 確信を込める囚人の碧眼に、鈍い光が宿る。
 それは監視カメラで捉えることのできない微細な変化であったろう。
 だが捕縛されて以来、虚ろであった眼窩の暗がりに、確かに“何か”が蘇っていたのだ。
 それには気付かぬ振りをして「あったとしたら何だ」と捜査官がさりげなく水を向ける。

「今さら気になるか?」
「よしてくれ」

 呆れたように洩らされる囚人の苦笑。

「用があるのはあんたの方で、この俺じゃない」
「ああ、そのとおりだ」

 当然のように捜査官が頷き、「実は少し前――」と茶番劇の終わりを告げるように話題を一転、本題へと切り込んだ。

「おまえらの“盟主”――サヴァルの動きを掴んでな。無論、ヤツが死ぬ(・・・・・)数日前の行動だ(・・・・・・・)
「……」

 その程度の揺さぶりで囚人が反応を示すことはない。
 そもそもあらゆる意味で原動力となっていた“盟主”の死は致命的であり、囚人が属する“組織”はとっくに活動停止を余儀なくされていた。

 彼らの戦いは、とうに終わっているのだ――。

 そんな今さら感のぬぐえぬ情報に、囚人が1セントの値打ちも見出すはずがない。
 なのに捜査官はいかなる確信によるものか、「具体的には」と熱すら込めて話を続ける。

「サヴァルが保有するすべての金融資産を売却し、ある企業の“債権購入”に全額注ぎ込んでいたという内容だ。近年、バイオテクノロジーの分野で台頭してきた『セオドラ』という国内の企業にな」
「それがどうした」

 続けられた無駄話を囚人は鼻で笑う。

「もはや“死蔵”するだけとなった資金情報に何の意味がある? まさか押収したカネで、あんたらの活動資金が潤ったと、“組織(おれたち)”に礼を述べたいわけじゃあるまい」
「茶化すなよ――」

 あくまで冷静にいなす捜査官。

「ウチの分析官は“株”でなく、あえて“債権”を選択したことに意味があると見抜いたぞ。サヴァルが自己資金を増やすためでなく、“セオドラへ資金の融資をするため”に仕組んだものだと」

 つまりテロリストが銀行や投資家のマネゴトを?
 無論、そうではない。
 その資金援助の目的は、セオドラが得意とする分野を考えれば、実に明白だ。
 獲物を追い詰める猟犬のごとき眼光を瞳に宿し、捜査官はズバリと言い放つ。

「サヴァルの狙いは、生化学兵器につながる研究をセオドラにさせること――つまりヤツが仕掛けるはずだった“テロ計画の核心”が、いまだアメリカのどこかで、息づいている(・・・・・・)というわけだ」

 それは全米中を震撼させるに足る劇物だ。
 なぜなら、サヴァルを盟主とするテロ組織『聖櫃の守護者』が活動停止に追い込まれ、国内で頻発していた別の爆破テロまでもが沈静化するに至ってから、まだ三年程しか経っていない。
 米国人の胸に刻まれた怒りと哀しみ、そしてテロに対する恐怖は癒えてなどいないのだ。
 なのに捜査官の発言は、『9.11事件』以来と言われた“災厄”の残り火が、いまだ国内に(くすぶ)っている事実を無情に宣告していた。

「……これは確度の高い情報だ。上層部も看過できない“事実”と受け止めた。だがだからこそ、俺は疑問を抱かずにはいられない」

 捜査官がさぐるような視線を囚人に向けて。

「なぜ今になって――あえてこう呼ぼう――“サヴァルの遺産”の情報が掴めたかってことだ」
「お仲間の調査能力を疑うのか?」
「信じているさ。だからこれまで隠し通せた“お前らの力”も決して侮りはしないのさ」

 つまりこの情報が、意図的に流されたものではないかと。
 だとすれば、それは誰の仕業か?

「当然、情報の出所に“組織”が絡んでいると俺は睨んでいる」

 そうして今や確信を込めて、捜査官は囚人の病的な面差しを睨み据える。



俺をここに呼んだのは(・・・・・・・・・・)、おまえだな?」



 銃口を突きつけるような鋭い指摘に、囚人の表情が歪む。
 笑みの形に。

「惜しい。呼んだのは俺じゃない」
「おまえじゃなければ――」
「“あの方”に決まっているだろう」

 原因が死者にあると当然のように囚人は告げる。
 その真偽を図りかねて眉をひそめる捜査官。

「なぜ疑う?」

 逆に心外そうな表情をする囚人。

「この地で活動をはじめてから最後まで……我らの計画はすべて“あの方”によって構想されてきた。それはあんたも知ってのとおりだ」

 それよりも、と。
 蒼白くやつれた頬に、今や生気を取り戻した囚人が力強く明言する。

「生き延びた俺に、役目があった(・・・・・・)と気付いたことが、大事だな」
「役目?」
「伝えることだ。アメリカに。その同胞に。これか(・・・)ら降される神罰が(・・・・・・・・)、自らの欲が招いた結果だと伝える役目だ。
 悪しきはイスラムでも他の誰でもなく、他人の土地にまで踏み込んで搾取の限りを尽くす、“おまえたち自身なのだ”と――」

 何かに憑かれたような囚人の眼差しは、目前の捜査官にでなく、広く世界を透かし見ているようであった。

 その瞳に宿るのは憎悪ばかりではない。
 哀しみや憐れみも揺らいで見えた。

 間違いなく、何かを負っている者の瞳だ。
 そして確かなことがもうひとつ。
 “アメリカの仇敵”――防衛戦略に記された仮想敵国ではなく、今目の前にある危機がいかなるもの(・・・・・・)()、それを囚人は告げようとしていた。

「まず肝心なことは――」

 そうして碧眼の焦点が、緊張で強張る捜査官のツラに結ばれる。

「――我々『聖櫃の守護者』が“聖櫃の力”を用いて傲慢(ごうまん)な米国とそれに追従する諸国を、厳しく(いさ)めることにある」

 それは旧約聖書からの引用。
 原初の聖書には、神による“十の戒めを記した石版”とそれが納められていた“聖櫃”について記されている。それが囚人の属する組織の原点だ。
 だからアメリカを罰すると称して爆破テロを実行するときも、原点を抑えることが重要視された。
 
「神罰に相応しき手段か……一説には、モーゼが運んだ『聖櫃』は“強力な放射線を帯びた箱”だと云われていたな」

 そう応じる捜査官も、今ではカルト的な知識もそれなりに持っていた。

「だからおまえらは、これまで米国内への“小型核爆弾”や“放射性物質散布爆弾”などの持ち込みを何度も画策してきた」
「そうだ。だが“力”の正体がプルトニウムと決めつけた覚えはない。例えば、箱に納められていたのが“災い”かもしれないとも考えられる。有名な神話があったな?」

 何を言い出すつもりだ?
 捜査官は無言を貫くことで話の先を促す。

「それは神々から人への贈り物。神々によって生み出されし美しき娘。彼女は人界へ降り、結婚し、やがて“禁断の箱”に手を出してしまう。そうして開かれた箱からは、いくつもの“災い”が世に解き放たれることになる――」

 それは古代ギリシャ神話のひとつ。
 囚人の話に記憶を呼び起こされた捜査官が、大きな困惑を顔に浮かべる。

「まさか……聖書とは、別物の神話だぞ?」
「それがなんだ。“空飛ぶ船”や“星から来たるモノ”の例にあるとおり、世界中の異なる神話や民間伝承で、相似する事案を扱っていることなど、珍しくもない」
「つまり、それが……“パンドラの箱”が“聖櫃”のことを差した逸話かもしれないと?」

 イカレてやがると表情を歪ませる捜査官。
 そのいかがわしい知識もさることながら、同じ神域の箱であれば、聖櫃もパンドラの箱も狂人にとっては同一視できることに困惑させられる。
 理解しがたい発想に、しばし言葉を詰まらせていた捜査官であったが、今は話を合わせるしかないと判断する。

「……つまり、こういうことか。おまえらの胡散臭い教義を成立させるために、箱の中身を(・・・・・)――いや、“パンドラの箱”そのものをセオドラに造らせていると。その“箱”とは具体的にどんなものだ? まさか“炭疽菌入りの郵便物”でも大量生産させるつもりか?」

 無論、そんな露骨な兵器開発をセオドラが承諾するとは思えない。
 いくら利益至上主義の企業でも、悪評を避け、株主を説得できるだけのプランが必要だ。
 それをどうクリアしたのか?

「“あの方”は云っていた――“テロ行為の進化形は自ら行使せず、ただ促すだけ(・・・・・・)”だと。だから“アメリカ人に箱を開けさせればいい”とも。その切っ掛けとなる何かを“あの方”は欲していた」

 その言葉が引き金となり、捜査官の表情が見る間に険しくなっていく。

「――それを手に入れたのか(・・・・・・・・・・)。手に入れ、セオドラに渡したな? つまり“研究資金”と“研究材料”のふたつをセオドラに渡したわけか」

 それはよほど魅力的な素材に違いない。
 研究の危険性を承知しながらも、研究開発の意欲を抑えられないほどに。
 そしてそれは、暴発の危険性が非常に高い研究のはず。そうでなければ、“組織”の手による“最後の一押し”が必要になる。
 そこまで推測できれば、自然と憂慮すべきことが見えてくる。


「待て。その研究をはじめて、すでに三年が(・・・・・・)――」


 今度こそ、身震いする捜査官。
 最新設備をそろえる近代研究において、三年という月日の長さがどれほどの進歩を促すか想像したために。
 不安に駆られた捜査官の視線が、囚人のそれと合う。


「ところで、今日は何月何日だ?」


 唐突な、囚人による意味不明な質問。
 いや、意味はあったのだ。


「もうすぐ“あの日”じゃないか……?」


 盟主が死んだ日。
 いや彼らからすれば、“殉教した日”か。
 捜査官が黙ったままでも、その表情から囚人は読み取ったらしい。

「そうとも、それしかない。今日、あんたがここに来たのは、やはり偶然じゃない(・・・・・・・・・)。この考えが当たっているなら、恐らくはもう、手遅れだ(・・・・)。今やセオドラで、あるいはアメリカのどこかで――何が起きても不思議じゃないってことだ!」



 ◇◇◇



 それはセオドラ本社を日常から切り離すのに、十分すぎるトラブルであった。

 まずは、全階のフロア照明が白光から暖色系へと瞬時に切り替わり。
 次いで、警告を繰り返す無機質な女性の屋内放送が流れはじめ、同時に神経を逆撫でする緊急アラートの警報が響き渡った。

 そして最後が問題だ。

 各ブースのドア・セキュリティがオートで上級レベルに設定変更され、強制的に人的流動を抑止したのだ。

 すべては保安規定に基づく正規の対応だ。

 だが突然の異常警報発令とビル内に閉じ込められた事実に、本社に居残っていた社員はパニックを起こし、器物損壊などの少なくない被害をセオドラにもたらすこととなった。
 不幸だったのは、社員が覚えている“天災関連の警報”と“発令された警報”が異なっていた事実。
 そして冷静に指示できるはずの危機管理担当が、遠隔監視システム発展の成果として、24時間体制を免除されて非駐在であったことだ。

「ちょっと、何がどうなってるの?!」
「とにかく、ここから抜け出すぞっ」

 女性社員の金切り声がフロアを貫き、男性社員の怒声と共に何かが壊される音が続く。

 各階層で沸き起こるパニック。

 皮肉にも、人が理性を失いつつある中で、地上27階――強化ガラス張りの特別室では、危機管理統括サーバーとリンクする『制御PC』が、チェックする者がいないディスプレイ上に警報受信のメッセージを必死に貼り出し続けていた。


 緊急警報『X指定事案』――発生!!
  緊急警報『X指定事案』――発生!!
   緊急警報『X指定事案』――発生!!
    緊急警報『X指定事案』――発生!!
     緊急警報『X指定事案』――発生!!
      緊急警報『X指定事案』――発生!!
       緊急警報『X指定事案』――発生!
        緊急警報『X指定事案』――発生
         緊急警報『X指定事案』――発
          緊急警報『X指定事案』――
           緊急警報『X指定事案』―
                  ・
                   ・
                    ・
                     ・
                      ・
      


 担当者がいれば、受信通知が止まらぬことの異常を察しただろう。
 システムエラーやハッキングを疑い、そのどれでもないと即座に首を振る。
 そしてひとつの“当たり前すぎる結論”に至る。


 ――発信者側に(・・・・・)問題があるのだと。


 だが気を弛めるには早すぎる。
 本社ビルに問題ないと分かって安堵するのも束の間。冷静にメールをチェックしたところで、顔色を変えることになる。
 真っ先に目に付くたったひとつのワードが、不穏すぎる内容を孕んでいたからだ。


 【CSP実行】
  ――即ち、致命的状況に対する(クリティカル・シチュエーション・)処置法(プロコトル)の実行


 それは『セオドラ』のバイオ・テクノロジー部門にて、最悪の事態(・・・・・)が起きた場合にだけ発動する“最終対処法”。
 当然、危機管理部門でも、直接関与を許されるのはセキュリティ・レベルが上位の者だけになる。

 それが実行されていた――

 だが真に問題視すべきはそこではない。
 さらに不安を煽る情報を目に留める。



 発信元が、
   『セオドラ疾病対策研究所』
                であると。


 
 そこだけはマズい(・・・・・・・・)
 そこはセオドラ社のブラック・ボックス――世間的にも公にされて(・・・・・)いない(・・・)、いや公にすべきでない(・・・・・・・・)機密事案を扱う施設。

 そんな重要施設で危機的トラブルが?!

 だがこの場に悲鳴を噛み殺し、顔面を蒼白とさせるはずの担当はいない。
 極度の緊張で流れる嫌な汗をぬぐい、震える手で専用回線の通話器を掴み取る者は、誰もいない。
 すべてはPCがアルゴリズムに従い、上級のセキュリティ・ライセンスを有する危機管理担当へ、ミスなく素早く自動通報するだけである。
 そしてこの日から、翌日に渡って起きる“事件”について知る者は、少なくともセオドラ社においてはごく一部の者に限られるのであった――。
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