第21話 亀裂

文字数 6,034文字



11月19日
研究所本棟 B4

                ――『脱衣室』




【04:15現在】

 ダリオの回復を待ってから先へと進んだジュード達は、エレベータの見える通路まで支障なく辿り着いた。

「ボス、こっちです」

 エレベータ手前のT字路でクリスに呼び止められる。見れば右折した奥のドア前で不機嫌そうに唇を歪めて待っていた。
 何があったと気にしたジュードが、ドアにペイントされた文字を読み取れば、


  【The second Monitoring room】
        第2監視室


 どうやら機密エリア専用の監視室らしい。
 なるほど。
 深層階では最も安全な部屋であり、誰かが閉じ籠もるにはうってつけの場所というわけだ。無論、その誰かというのはクォンしかいない。

「あいつ部屋に閉じ籠もって出てきません。助けがくるまでここ(・・)にいると。まるで怯えたガキですよ」

 処置無しと肩をすくめるクリスをどかせてジュードがドアを強めに叩く。

「おい、聞こえるかクォン?」
「……」

 この下りを何回やらせるつもりだと苛立ちながらもジュードは声を掛け続ける。

「ここにいても助けがいつ来るか、分からんぞっ。それに今より進化したバケモノが現れたら、どうするつもりだ? このドアもぶち破られる可能性だってゼロじゃない」

 懸命に説得するジュードの声が届いていないはずがない。それでも部屋からは何の反応もない。

「なあ――」

 もう一度、声を掛けようとしたところでジュードは肩を掴まれる。振り向けばイメルダが。

「放っておこう」
「は?」
「可能性だけで云うのなら、確かに閉じ籠もっていた方が生存率は高くなる。それにヤツは非戦闘員で一緒に来れば足手まといになるのは確実だ。それは俺達の生存率を下げることにもなるし、ランドリッジを取り逃がすことにもなる」

 だから置いていくべきだと主張するイメルダにダリオまでが同意する。

「冷たいようだが俺も賛成だ。護りながらバケモノの相手なんて御免被るぜ。一緒にいて生存率を下げるくらいなら、これはむしろ、お互いが得する話ってもんだ。そうだろ?」

 なぜかドヤ顔で力説するダリオに腹立たしさを覚えるが、云っていることは間違っていない。

「それに置いてくと云っても、ずっと隠れている必要もねえ。要救助者がいるとなれば、警察や軍も奮起するはずだ。さすがに2、3日もあれば助け出せるだろうさ」
「まさに“たまリオ”」

 ひとり大きく頷くクリスの呟きに、皆が怪訝な視線を向ける。代表して問うのはジュード。

「リオがどうしたって?」
「“たまリオ”です。“たまにはダリオも正しいことを口にする”の略語」

 辞書のページを読み上げるようなクリスの真面目解説に、「たまにじゃねえ!」と早速噛みつくダリオ。 

「むしろ“まいリオ”と云え。意味は――」
「そこまでだ」

 アツくなるふたりに手を振って遮るジュード。

「今は揉めてる時でもなければ、クォンの泣き言に構っている暇だってない。――とにかく、クリスも放置するのに賛成ってことなんだな?」
「パニクったヤツ相手に何言ってもムダですから」

 にべもないクリスの言葉に嘆息が漏れる。
 これで3対1。
 決はとれたものの、ジュードも素直には受け入れられない。

「それでいいのか? ここで離れたら、あとで何かあっても対処が難しくなる。結果的に見捨てるハメになるかもしれんぞ?」
「これはヤツの判断だ」

 イメルダが冷たく言い放つ。

「オレ達は他の選択肢も提示してやり、ヤツは残ると判断した。これから何が起きても、すべては自己責任だ」
「そうだぜ、ジュード」

 またもダリオが肩を持つ。

「俺達だって、これからあの(・・)『B3』を抜ける危険なルートに挑むんだ。この判断が正しいかなんて分からねえ。けど、どう転んだとしても他人のせいにはできない。結局、自分の判断は自分でケツ持ちするしかないんだよ」
「ダリオにしては、大人な意見」

 またもクリスの余計な一言に、「あん?」と引っかかるダリオ。ジュードはまたかと頭痛を感じて顔に手をあてる。

「それじゃ、俺がいつも子供じみ――」

 そこまで言いかけたところで、またもダリオの言葉は遮られた。それもこの場にいない第三者による横槍で。


≪警告。警告。ただいま、『CSPプロトコル』が発令されました――≫


 性別不明の無機質な電子音声で、廊下に警告が響き渡る。
 同時に照明の輝度がトーンダウンし、通路下側の間接照明が黄色と通常色で点滅を繰り返し、一気に施設全体が不穏な空気へと切り替わった。
 
「――おい、これって」

 表情を険しくさせたダリオにエンゲルが頷く。

例のヤツだ(・・・・・)
「なぜだ? ここにゃ誰もいないだろ、もう誰も」

 システムをいじれる所員は全滅したはずで、本社からの遠隔操作もできない仕組みのはずだ。
 うろたえるダリオに「所員ならいる」と答えたのはイメルダ。ほかのみんなも気付いている。まさかと思いつつも、彼女しかいないと。


     ≪……聞こえてる?≫


 繰り返される警告音声に紛れるのは、ランドリッジの声。
 思わず廊下のスピーカーを捜し出し、睨み付けるジュード達。

「てめえ、何の真似だ?!」

 届くはずのない詰問をぶつけずにはいられないダリオ。その叫びに答えたわけではないのだろう。


≪悪いけど、誰にも……サンプルを渡すわけに……いかないわ。それに……ゴホッ……怪物共を外に出すわけにも、政府に渡す……のも≫


 途切れ途切れに聞こえるランドリッジの声はどこか苦しげで、彼女も楽に逃げれたわけでないことをうかがわせる。

「それで俺達ごと薬殺すると?」

 やはりランドリッジに聞こえないと分かっていても、ジュードは皮肉を云わずにはいられない。

「人助けの研究と云っていた割には、ずいぶんと冷徹すぎる決断だな」
「これだから、学者さんってのはよ!」

 ダリオも一緒に憤慨するが、彼女には何の痛痒も与えられない。しかし。


≪ガスの放出範囲を、『最大』で設定したから……逃れる……ない。でも大丈夫。防護服を着て……動かずじっとして≫


 どうやら殺意まではないらしい。
 ガスから身を守る方法を教えてくれる。


≪80分で完了……怪物は死ぬ……その間に逃げさせ……うわ≫


 殺菌が終わるまで大人しくしていろと?
 つまり彼女の目論見は、怪物の薬殺と逃走のための時間稼ぎというわけだ。
 そしておそらくは、警察や消防などがやってきてジュード達を施設襲撃犯として捕らえさせるシナリオだ。

「あの女……セオドラとも手を切るつもりだな」 

 ジュードの考えに、「政府に隠しきれないと踏んだか」とイメルダも賛同する。

「サンプルとそれを知悉している研究者の組み合わせなら、食いつく企業は五万とある。研究の続きはどこででもやれるだろう」
「問題は、最初のガス散布でバケモノが生き延びてるって事実だな。今回もそうなると封じ込め作戦としては大穴だ。気を失っていたから分かっていないのか?」
「その可能性はある」
 
 冷静に思考を進めるふたりに焦れたような声をかけるのはダリオだ。

「おい、くっちゃべってる余裕はねえぞ?」
「そうです。バケモノはへっちゃらでも、私たちは瞬足であの世に行けちゃいます。それに防護服はさっきの『滅菌室』にありますが、人数分あるかも不明ですから」

 クリスの云うのも尤もだ。
 特に防護服は先のトラブル発生時に所員が使っていた可能性がある。予備の服が十分あればいいが、何の保証もない。


≪警告。警告。『CSP実行』まで、あと15分。所員は速やかに研究棟から退避してください。繰り返します――≫


 ざわりと背筋に悪寒が走る。
 15分などあっという間だ。
 浄化滅菌プロトコルの運用にバケモノが立ちはだかる状況設定など想定されているはずがなく、しかして現実には、凶悪で大量のゴブリンが障壁となって行く手を塞いでいる。
 どう見ても、このままゴブリン共を蹴散らしながら脱出するのはギャンブル要素が強すぎた。それはダリオにも分かること。

「とにかく『滅菌室』に行こうぜ! あればあった分だけ、助かるヤツがいるんだ」
「だが、なければ奪い合いになる(・・・・・・・)

 そう平然と場を凍らせるセリフを告げたのはイメルダだ。
 鉄面貌に相応しい冷徹な声音で皆の胸に鋭い針の先を突きつける。

「少なくとも、オレは他人にゆずるつもりはない。それがただひとつであれば、全力でモノにする」
「おま、こんな時に――」

 黙ってればいいものをと歯を剥き睨み付けるダリオ。
 ここで誰もが口を閉ざしたのは、とっくに気付いていながら、揉め事を後回しにしたかったからだ。
 誰だって自分が生き残りたい。
 それを早速公言してしまうとは。

「『滅菌室』ならほかのフロアにもあるんじゃないか?」
「おお、エンゲル。いいこと云った!」

 思わず手を打ち鳴らすダリオに、「あるのは『B7』だ」とイメルダが冷水を掛ける。

「もう一度、戻りたいのか?」
「――うるせ! あればいいんだろ?!」

 声を張り上げ言い返したダリオが、突然、駆けだした。  

「ずるっ――」
「ダリオ?!」

 何が起きたのか、目を剥くクリスが間髪置かずにダッシュして、ジュードは呆気にとられて見送ってしまう。
 まさかというか当然というかのダリオの抜け駆けだ。
 一瞬で見抜いたクリスもさすがだが、遅れず三番手につけたイメルダもさすがである。

「くっ――聞こえたか、クオン?」

 追いたい気持ちを抑え付け、ドアに拳を叩きつけるジュード。

「監視室が安全だとは限らんぞっ。おまえも俺達と一緒に――」

 その肩を力強く掴むのはエンゲルだ。

「ヤツの分もあれば戻ってくればいい。それからでも遅くはない」
「……ああ、確かにそうだ……」

 猶予のない中、仲間を足止めさせている。そう気付けばジュードも断念せざるを得ない。

「この廊下にバケモノの気配はない。気持ちが変わったら、おまえも来い。いいな?」

 それだけドア越しに声を掛けると、ジュードはエンゲルを伴って3人の後を追うのだった。



 ◇◇◇



 しかし『脱衣室』で待っていたのはダリオの悲鳴だ。

「おい、てめえ……本気かよ?」

 SMGの銃口を突きつけながらダリオがイメルダを睨む。同じく銃口を突きつけ返す彼女の手には、今や値段の付けられない価値が付けられた防護服。それは手当たり次第に開けまくったロッカーのひとつからようやく見つけた奇蹟の一着だ。

「云ったはずだ。誰かに譲るつもりはないと」
「譲るもクソもあるか、俺から奪っておいてよ」

 吐き捨てるダリオに「勝手なこと云わないで」と憤るのはクリス。

「それははじめに私が見つけたモノです」

 所有権をきっちり主張しながら、クリスは両手に構えたUSPでイメルダの顔を狙う。撃てば鉄面貌に弾かれるだろうが脅しが伝わればそれでいい。
 だが彼女のメンタルは強靱だ。

「実行性のない言葉は脅しにもならない。ここで争うのがイヤなら、大人しくほかをあたれ。時間がどんどんなくなるぞ?」
「ほう、そうかい……だったらテメエをぶちのめして、奪ってやるよ!」

 ダリオが叫んで拳銃を投げつける。
 顔に向かって飛んでくる拳銃をイメルダは避けもしなかった。


 ――――タンッ


 破裂音がして跳びかかったダリオが床に倒れる。

「ダリオ!!」

 思わぬ展開に、一瞬、クリスの視線が反れた隙をイメルダは見逃さなかった。
 軽いバックステップ。
 気付いたクリスが引き金を引く。
 惜しくも射線が外れた弾丸は、腰を屈めたイメルダの頭上をかすめる。

「この――」

 2発目も外れてイメルダは『滅菌室』の入口の影へ。追いかけるクリスの鼻先でドアが閉じられた。
 
「――もうっ」

 悔しげにドアを叩くクリス。
 その背後では、

「クソッ、マジで……」

 呻くダリオが太腿を押さえている。

「あいつマジで撃ちやがった!!」
「ほんと、私じゃなくてよかった」
「おい、こら――痛って」

 怒鳴ろうとして力んだ瞬間、痛みに悶絶するダリオ。そこで到着したジュードが、予想外の惨状に口を開けてふたりを交互に見やる。

「すみません。あの女ギツネを逃がしました」
「それより何が――いや、いい」

 ケガしたダリオに謝るクリス。
 説明など聞くまでもない。
 そう思ったジュードに「よくねえよ!」と年長者のツッコミが入る。

「俺への気遣いがさきだろうが?! あ?」
「元気なのは分かったが……普通に歩けるか?」
「撃たれてんだぞ、歩けるわけねーだろ」

 痛みと怒りの八つ当たりをジュードは軽く受け流し、そうした反面、内心ではひどく焦っていた。
 クオンという足手まといを嫌った当人が、足を引っ張る側に回ったのだ。実際、ゴブリンとの追いかけっこが必須の状況で、移動に支障があるのは問題だ。

「……おい、ここまでする必要あったのか?」

 怒りを滲ませるジュードが、ドア越しに鉄面貌を睨み付ける。
 滅菌作業がスタートした室内からは、さすがに反応はない。
 苛立ったクリスが銃口をドアの小窓に突きつけるのをジュードは上から抑え付ける。

「よせ。仲間で殺し合うのはナンセンスだ」
「仲間? いつの話です」

 冷え切ったクリスの返しに、

「今の話だ。バケモノが巣くった建物から抜け出すには、同じ人間同士で協力するしかない。少しでも戦力が必要なんだ」

 たとえ信頼をゴミ箱に捨てた相手だとしても。
 ジュードは怒り任せの復讐がさらなるリスクを呼び込むと言い聞かせる。

「しかし、相手もそう思ってるとは限りません」
「だったら防護服をくれてやればいい」

 ダリオが目を剥く発言をしたところで、タイミング良く滅菌作業が終了する。
 ガスが強制排気され、イメルダの姿が白い霧の中から現れる。

「イメルダ、その服を――」
「悪いが、協働するのはここまでだ」

 皆まで云わせずイメルダが宣言する。

「一度裂かれた信頼は元に戻せない」
「早まるな。その服をくれてやると云ってるんだ」
「おまえがそう思っても、ほかの二人が納得できるか?」
「もちろん――」
「――できねえな」

 答えたのはダリオ。
 低い声音に断固たる決意を込めながら。
 ジュードの非難の目にも動じず、意志を貫く。

「信頼ってのはそう簡単に築けるものじゃねえ。ここで折れるようなモノなら、おまえの信頼も安っぽいものだと宣言することになる」
「ダリオ――」
「マジな話だ。俺はそう捉えるぞ」

 いつにもまして、こいつは本気だ。
 チャラけてるくせに、こういうところは心底大事にしてくる。 
 だから、こうしてツルんでいるのだが。

「――わかった」

 ジュードが納得するとイメルダが補足する。

「離れても共同戦線を張れないことはない。互いに生き残れればな。とにかく、ここからは別行動だ」
「ああ、この借りは必ず返してもらう」

 少なくとも、ジュードの主張が認められようが認められまいが、それだけは決定事項だ。
 どんな風にするかはあとで考えるとして。
 イメルダが後ろ歩きで慎重に部屋を出て行く。
 その姿をジュードは忌々しげに見送っていた。
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