第20話 YDSの本音

文字数 6,235文字



11月19日
研究所本棟 B4

               ――『一般通路』




【04:12現在】

 チェックもしてないスペースへ無防備に跳び込んだ背中にジュードは苛立ちを覚える。

「独りで行かすな、クリス!!」
「アイ」
 
 短い返事を残して追跡するクリス。
 ジュードも内股でもたつくダリオを押し退け、後を追う。

 扉を抜けた先は『B7』と似たパターン。
 すぐ右に扉、左は少し歩いた先に別の扉が。
 そして真っ正面の通路の壁に『B4』とのペイントが。

「ああ、あの時の……」

 ジュードは初めてゴブリンと遭遇した時のことを思い出す。
 イメルダの救援要請の通信を受け、最初に向かった先が『B4』だった。確か政府発注の非殺傷兵器を研究していた『実験フロア』で、構造的には『B7』とほとんど変わりがない。

 それより印象に残っているのは、通路の壁に残された血の跡。

 左に進めば、エレベータから見たあの場所へ辿り着く。そう思い出したところで、左の通路突き当たりから激しい音が響いてきた。

「――このクソガキ!」

 クリスがドアを蹴り飛ばしているところだった。
 どうやらクォンはそちらへ逃げたらしい。

「ロックされたのか?」

 ジュードが走って行くとクリスは首を振る。

「シャワー浴びてる」
「何だって?」
「たぶん滅菌室――プロセスが終わるまで自動ロックがかかるんだと思います」

 少し気持ちを落ち着けてから、クリスが推論を口にして、ドアに付けられたガラスの小窓を目の動きで指し示す。
 ジュードがガラス窓を覗きこむと、実際にはシャワーでなく白煙に燻されるクォンの姿が見えた。

「防護服もナシで大丈夫なのか?」
「息を止めているのかも」

 煙で見通しが悪いものの、薄煙の向こうでクォンがきつく目を閉じているように見える。
 念のため、腕時計でおおよそのタイムを計るジュード。

「さっきの様子じゃ、このフロアも安全とは言えない。何とかクォンをとっ捕まえないと」

 ガラス窓を叩き、向こうで待ってろと声をかけてみるが、聞こえているのかどうか。
 そうこうしているうちに、後方で銃声と扉を閉める音が聞こえてくる。

「早く締めろ、イメルダ」
「わめくより手伝えっ」

 あっちはっちでダリオがわめいてイメルダと揉めている。
 イメルダが取っ手を掴み、その手をエンゲルの手が外から覆って力を貸す。それでもガチャガチャと小刻みに音を立てるドアノブ。猿と同じでゴブリンの身体も小柄だが、野性の力は侮れない。いつまでも保たせられるはずがない。

「負けるんじゃねえ、その調子だぞ!!」
「だからお前も手伝えって話だ」

 エンゲルの皮肉を背中で聞き流し、ダリオは早くもこちらへ向かって逃げはじめる。

「あいつ……」

 嘆かわしい年長者の行動にしかし、ジュードも構っている暇はなかった。
 ブザーが鳴ってクォンの除菌が終わったからだ。
 急速に殺菌ガスが排気され、同時に向こう側のドアロックが解除される。

「待て、クォン。独りで行くんじゃないっ」
「うるさい、もうたくさんなんだよ!」

 腕を振るって叫び返すクォン。
 窓の厚みで声がだいぶ遠くなってしまうものの、興奮して声高になっているおかげで何とか会話を成立させられる。

「せっかく我慢して、『B7』探索に付き合ったのにあのクソ学者……」
「おい、聞くんだクォン」
「もういいって云ったろ」

 ジュードに怒鳴られ、余計に気持ちが昂ぶるクォンは髪の毛を掻きむしる。

「もう少しで任務達成だったのに、サンプルをこの手に掴んだはずなのに、あの女ぁぁ……あいつも狙ってたんだよ」
「狙ってた? 装置をか?」
「サンプルに決まってるだろ!!」

 何言ってやがるとクォンは逆ギレする。

「装置なんてとっくに奪われてる(・・・・・)。どっかの誰かに奪われた! 分かるか? このミッションの目的は、はじめからサンプル採取が目的だったんだよっ」

 どこか見下すような目を向けてくるクォンに、ジュードは「……なるほどね」と小さく呟く。これですべてに合点がいったと。

「なのにあの女……弱ったふりしてボクから……」

 かすめとられたと。
 盗まれた挙げ句にゴブリンをけしかけられ、事務屋にすぎない彼は、初めて死の恐怖を味わうハメに陥った。そこでようやく気付いたが、彼の服はあちこち破れ、血が滲んでいた。
 初めての実戦現場で相手の爪に肌を裂かれ、牙を立てられるなど、トラウマ級の体験だ。
 小刻みに震える手は、身体に刻み込まれた恐怖に今も蝕まれている証であった。


「……もういいよ……」


 話しているうちに恐怖がこみ上げてきたのか、クォンはぼそりとこぼす。


「もうどうでもいい!!」


 再び声を荒げるクォンはどこか開き直ったような表情を見せる。

「ボクはそもそも実動部隊の人間じゃない。任務が失敗しようが、YDSがどうなろうが、もうどうでもいい。ボクには関係ないっ。ボクなら他の会社でも十分やっていけるっ。生き延びさえすれば、それでいい!!」

 そう自分に言い聞かせるように喚いたクォンは、そこで卑しい笑みを浮かべてみせる。
 どこか均衡の崩れかけた半笑い――それまで会社の利益を考え、冷静に振る舞っていた彼の自制心が壊れかけているのは明らかだった。
 その様変わりした様子に「何を云ってるンです、あの男」とクリスが小首を傾げる。

「セオドラでなくてYDS?」

 彼の支離滅裂な言動を気にするクリスに、

「キャパを超えちまったんだろう――」

 そうジュードがため息突いたところで、何者かが近づいてきた。

「――ヤツが何か言ったのか?」
「イメルダ」

 ダリオを突き飛ばすように駆け寄ってきた女兵士が小窓に顔を突きつける。ドアはエンゲルひとりに任せてしまったらしい。

「落ち着け、クォン。セオドラの意向は俺達YDSが成し遂げてみせる。だから上級職員としての立場を忘れるなっ」
「無駄だよ」

 揶揄するようにジュードが横槍を入れる。

どっちの上級職員か(・・・・・・・・・)忘れちまったようだ」

 その言葉に、ジュードに視線を突きつけるイメルダ。だがそれは、彼女のミス。認めたも同然の行為になる。

「なるほど」
「何がだ?」
「クォンもあんたも仲間だったわけだ」
「それはお前達もだ。この依頼は三者が運命共同体だ」

 わざわざ“三者”と口にしたイメルダにジュードは笑みを浮かべる。

「そうじゃない。あんたらが同じYDSの職員だっ(・・・・・・・・・・)てことだ(・・・・)。もうクォンがしゃべったよ」

 あくまで推測レベルの話にすぎなかったので、わざとカマをかけてみる。イメルダの態度で確信を得ているし、実際、彼女は舌打ちをした。ビンゴ。
 
「そうだとして、不都合があるか?」
「ないな」

 ジュードもあっさりしたものだ。

「けれども事実が分かれば、余計な話に気を回さなくて済むし、依頼に集中できる。はじめからそうしろと、おたくのボスにも云ったんだが、な」
「知らない方がいいこともある」
「なんでだ?」

 また誤魔化すかと思ったが、イメルダは素直に打ち明ける。

「これがセオドラの知らないミッションだからだ」「おい、まさか俺達……雇い主の施設に潜入してることになるのか?」
「まあ、そうなるな」

 呆れた発言にジュードの顔が憮然となる。
 つまりYDSは警備業務の立場を利用して、研究サンプルの奪取を謀っていたというわけだ。もっと直裁的に云えば――犯罪行為を。
 イメルダは平然とその犯行動機を話してくれる。

「先発と云ったヘリこそが、移送プロトコルに基づく正式なアクションだった。そこからの情報で、極秘施設のトラブルが致命的であり、政府の介入が避けられないこと、そして装置が盗まれたことを我々は知った」

 それはセオドラが築いた栄華の終焉を意味しており、同時に深く関わっていたYDSにも大きなダメージを与えることも意味していた。
 それでも株価の下落ならまだいい。
 ヘタすれば主力業務である米軍との取引が断たれるかもしれないのだ。これは致命的だ。

「ふん。地下じゃ“生物兵器”がわんさかだ。こんなものを産み出したとなったら、戦犯ものだ。おたくらも無事じゃ済まんわな」
「だから“大佐”は保険を掛けることにした」
「それがサンプルを盗む理由か」

 ジュードがわざと“盗む”と口にして犯罪行為であることを強調する。イメルダには効きもしなかったが。むしろ盗むだけの価値があると力説される。

「世界の医療に衝撃を与える研究データだ。軍事利用としても有望株で、国防省が『B4』でやらせていた研究よりも、喉から手が出るほど欲しがるネタになる」
「それを交渉材料に、罪はセオドラだけにかぶせて世間体を取り繕い、YDSは見逃してもらおうという算段か」

 嫌味臭くジュードが解説すれば、

「そもそもYDSは警備契約していただけだ」

 迷惑だと云わんばかりに被害者アピールをするイメルダ。

「それにサンプル回収が難題だということを忘れるな。国も兵の損失は避けたいし、そうであれば代替え可能な戦闘力を保持する『PMC』に依頼することになる。
 必然的に施設を熟知する我々の力が重宝され、今回偶然にも、先んじてその任務を全うしたことになる。その功績を汲んでほしいと訴えるのは、妥当な線だろう」
「見逃し以外の報酬を要求しないと?」
「そこまで詳しい交渉内容を俺が知るはずもない」

 逃げたというわけではない。
 本当に実動部隊の班長程度では、詳しく教えられていないのだろう。YDSほどの会社規模にもなれば、彼女であっても末端の人間にすぎないということだ。
 まあ、大佐のことだ。
 ピンチを商機に変える強かな作戦を練っていてもおかしくはない。

「俺から言えるのは、正直、CSPプロトコルで変異体が全滅してなかったのは誤算だったということだ。せっかく入手したサンプルをランドリッジに奪われたのも」
「俺達が『B7』で生き残ったのも?」

 ジュードが皮肉を投げれば、「いや」とイメルダは否定する。

「メジャーが音信不通になった時点で彼らの生存を諦めていた。当然、おまえたちを必要戦力として期待していた」
「だったらなぜ、はじめから『管理通路』からアプローチしなかった?」
「メジャー達と合流できてない状況だ。『ケージ02』に荷物が残されている可能性はあっても、脱出路ができていると信じる根拠は何もなかった」

 もっともな話だ。
 実際には辛うじて脱出し、偶然にも合流を果たしたクォンがサンプルを手に入れ、最後にはランドリッジに奪われる結果になったのだが。

「――もういいだろう」

 イメルダが話を終わらせようとする。

「クォンが先に行ってしまった」
「――しまった」

 ジュードが顔をしかめる。
 話に夢中になるあまり、抑えておくべきクォンを見逃してしまうとは。

「ボス、早く」

 先に滅菌室に入ったクリスが操作盤に手を添え待ちかねている。
 ジュードはひとり奮闘するエンゲルを呼び寄せ、残り全員で滅菌室に入った。

「念のため息を止めろ、1分だ」
「おいジュード」

 ダリオが険しい顔つきで訴えてくる。

「自慢じゃないが、洗面器使った“息止め競争”で30秒も――」
「ぽち」

 訴え半ばでクリスが滅菌処理をスタートさせてしまう。
 時間がない。
 バカ云ってんな。
 とっととスタートさせた理由が澄まし顔のクリスに書いてあった。

「てめ――」

 食ってかかろうとする坊主頭をジュードとイメルダが咄嗟に止める。
 ガスの噴射音。
 瞬く間に立ちこめる殺菌ガスの濃霧。
 これにはさすがのダリオもばたつかせていた手脚をピタリと止める。


 ダン、ダン、ダン!!


 大きな音に驚き、全員の視線が入ってきたドアに向けられた。

 ゴブリン共だ。

 小窓に醜い顔を2,3とへばりつかせ、濁りきった瞳をこちらに向けていた。

 叩く音。
 爪でひっかく音。

 好物を目の前にしてお預けを食らった子供のようにやつらが泣き叫ぶ。
 頑丈なドアで隔てているとはいえ、身の毛もよだつ眺めだ。

 20秒……30秒……

 その異常な緊張状態が続く中、たかが1分のはずが10分にも30分にも長く感じられ。

「……っ……っ」

 当然ながら、自己記録タイに至った時点でダリオが悶え出す。
 その口と鼻を塞いで必死に抑え込むジュードとイメルダ。
 よせムリだと呻くダリオ。
 必死に視線で訴えるも、2人は目線を合わせようとしない。
 ダリオの身体が小刻みに震え出す。
 さらに瞳がゆっくりと上向き、白目をむきはじめる。

 あと10秒……

 もうすぐだと思ったところで、ひときわ強力な打撃音が響き渡った。


「「「「――――!!」」」」


 ダリオをのぞく全員がびくりと身体を震わす。
 今の一撃で白いドアの内壁中央に、数センチ程度の折り目がつく。
 もはや経験則で分かる。
 これはゴブリン・ジャイアントの仕業だと。

 続く二度目の衝撃で折り目が30センチに伸び、
 三度目はタテヨコ斜めに折り目が増え、

 四度目でドア全体が見た目にはっきりと室内側に向かって大きくたわんだ。

 ダメだ、あと2、3撃で――。

 誰もがそう思い、それぞれの武器を構えたところでガスの排気がはじまる。

「ぶは――――ぅえっほ、ゲボ、げぇええっ」

 倒れ込むダリオ。
 こらえきれなかった彼は力任せに振り払い、排気完了前に深呼吸をしてしまったのだ。
 少量であったが激しくむせ、涙と鼻水をダラダラ垂れ流し、全身をケイレンさせながら、ダリオは肺に溜まった何かを吐き出そうとし続ける。
 ほぼ反射行為であるため本人にも止められない。

「ダメだ、立つんだダリオ!!」

 落ち着くのを待つのも介抱する余裕もない。
 ジュードはダリオの脇に腕を差し込み、無理矢理立たせようとする。

「ボス、伏せて――」

 突然のクリスの警告に重なり、爆発したような音共にドアが吹き飛んだ。

「――!!」

 ドアがジュードの背中に当たり、ダリオと一緒に倒される。
 イメルダとクリスは咄嗟に横へ飛び、巻き込まれずに済んでいた。そんな中、エンゲルは――


 グルァアアアアアアアア!!!!


 鼓膜を破られそうなゴブリン・ジャイアントの咆哮が滅菌室を揺さぶるように震わせる。それを合図とするように、銃声が一発。

 ゴブリン・ジャイアントの巨体が仰け反った。

 弾の出所は入口の先――脱衣室。
 いつの間に先んじたのか、膝立ち姿勢のエンゲルがライフルを構えていた。

 続けて二発目。
 三発目。


 ガガ――――ンン!!


 最後に銃声が重なったのはイメルダのショットガンも加勢したためだ。
 膝を打ち砕かれたゴブリン・ジャイアントが片膝をつき、手近となった頭にジュードが銃口をポイントした。
 しっかり二発。
 軟弾頭をきっちり叩き込んだ。

「動け、ダリオ。せめてここを出るんだ!」

 ゴブリン・ジャイアントを仕留めたジュードが坊主頭を怒鳴りつける。手を貸せず顔を歪めているのは、背中の激痛に耐えているためだ。
 一瞬でも生存本能が痛みを上回り、身体が動いたが、今は痛覚が戻って声を出すのも痛みが走る。

「ボスも」

 小型の方(・・・・)を処理したクリスが手を伸ばすのに「俺はいい」と拒絶するジュード。

「クォンを……追え」
「あんなやつ放っておけば」
「あいつもYDSだ。依頼者を、放置するわけにもいかん」

 確かに支援することが依頼だった。
 けれども相変わらずの腹黒い依頼のおかげで、またしても犯罪の片棒を担がされたのだ。クリスが放置したくなるのも分かろうというもの。

「エンゲル、あとをお願い」
「任せておけ」

 立ち上がったエンゲルがすれ違うクリスの肩を叩く。
 クリスは素早く脱衣室から消えていった。
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