第2話 旧知からの依頼

文字数 6,291文字


11月18日
コロラド州 デンバー

              ――とある雑居ビル




【21:15現在】


 夜中に響く卓上電話のコール音。
 びくりと身体を奮わせ目覚めたジュードは、口元のヨダレをぬぐうこともなく、反射的に受話器を掴み取っていた。

「ふぁい、こちら『無色の支援者(カラーレス)』……」

 辛うじて会社の体裁を保ちつつ、それまで机上の主役だったポップコーンや缶ビールの飲食物を、急ぎ舞台の袖へと掃けさせる。
 あとは使い古した手帳を素早く広げて、愛用のペンを構えれば準備OKだ――視界の隅でデスクからこぼれ落ちた雑貨物が、ハデな物音を立てることには無視を決め込んで。
 そんな電話越しのドタバタ騒ぎが、残念ながら相手には筒抜けであったらしい。


≪相変わらずのようだな、ジュード≫


 わずかに嘲笑を含ませるバリトンボイスが耳朶を打ち、


≪似合わない髭で背伸びするのも(・・・・・・・)相変わらずか?≫


 さらに揶揄するセリフを耳にして、ジュードはきれいに笑顔をぬぐい去り、無言で受話器を元に戻した。

「……くそっ、寝覚めにサイアクの声だ」

 不愉快さを眉間のシワに表し、アゴまわりの髭をしきりとしごく。
 童顔は日本人である祖父の血が混じるせいだ。
 まさか禿げるまで似やしまいが。
 苛立ちをまぎらすように缶ビールへ手を伸ばしところで、再び電話が鳴った。

 チラと視線だけ向けるジュード。
 鳴り響く電話。

 さらにたっぷりと五秒間、自分を手にしろと迫る受話器と睨み合ってから、ジュードは小さくため息をついた。


≪悪いが時間がない。金は弾むから、話を聞け≫


 今度は会話の遊びもナシ。
 切迫した声音で切り出す相手に「今度は何をさせるつもりだ?」とジュードは警戒感を露わにする。

「先に云っておくが――次に俺達を舐め腐って“伝達ミス”だとぬかしたら(・・・・・)、あんたの眉間をぶち抜いてやる」

 声を低くませ、一言一句に固い決意を込めて。
 なのに相手はどこ吹く風で受け流す。

≪別に、そう構えなくていい。依頼そのものはひどくシンプルだ。これからすぐ(・・・・・・)現地に行き、我が社の派遣チームに対してバックアップしてもらえばいい。ただそれだけだ≫

 それだけ?
 ジュードの片眉がぴくりと上がる。

 『YDS(ユアーズ・ディフェンス・サービス)』といえば、元軍人・元警察官を契約社員に抱え、要人警護や金品護送などの民間仕事だけでなく政府軍や州軍からの軍事下請け業務までこなすコロラド州のPMSC(民間軍事・警備会社)業界最大手だ。
 しかもその守備範囲は、今や国内だけでなく国外にまで広がっていると聞く。

 その資金もコネも人的資産も、何から何まで桁違いのYDSを弱小会社(カラーレス)で武力支援することが、そうしなければならない緊急の事態が発生していることが、それだけだと――?!
 喉元まで突き上げた言葉を何とかこらえきり、ジュードはひと息入れてから相手に尋ねる。

「ご自慢の『実行部隊』はどうした? まさか“残業はさせられない”とか可愛いことぬかすなよ?」
≪あいにく全チームが出払っててな≫

 そうだろうとも。
 前回も同じセリフを口にして、本音は“非合法な依頼だったから関わらせなかった”ことをジュードは知っている。
 ついでにいえば、あの任務で受けた“尻の傷”はまだ疼いている。無論、これはただの恨み節だが。
 
≪もちろん頭数だけなら集められたが、熟慮の末、あえて四人に絞り込んだ。おまえらも不慣れな連中と組みたくはあるまい≫
「俺達の参加は決定事項かよ」

 図々しい相手の態度にジュードは呆れ返る。
 だが悔しいことに“仕事の日照り”が続いている状況だ。容易に断れない弱味があった。

「それで、どこでドンパチさせるつもりだ。8人とはいえ2チームも投入する必要になるなんて……まさか東欧や中東、あるいはアフリカなんてことはないよな? だったら、別途規定の料金を請求させてもらうぞ」

 無論、そんな仰々しい“規定”などジュードの会社にはない。
 一流相手に必死で体裁を繕っているだけだ。

≪安心しろ、国内(じもと)だ――民間の研究施設で仕事をしてもらう。機密事項で正確な場所までは明かせないが――『セオドラ社』は知っているな?≫
「ああ。最近よくCMで観る健康食品の会社だろ」
≪元々は、特許切れの薬を販売する『ジェネリック医薬品』取扱い専門の会社だった。それが“海外医薬品の輸入業”に“健康器具”や“医療関係検査機器”など取扱品の対象を広げ、さらに一部商品の自社開発にまで乗り出して――最近では“バイオテクノロジー産業”への参入を本格化させている≫

 詳しい業態はともかく、州民でその名を知らぬ者のない新進気鋭の企業だ。
 特にメディアへの露出が精力的で、若き経営者の自信に溢れた相貌は、TVでもネットでも会社のCM以上に目にする機会が多かった。

「そのセオドラが今度の依頼者(クライアント)か……」
≪YDSのな。おまえたちの依頼人は、あくまでYDSになる≫
「ほう。勝手に下請けを使って大丈夫か?」
≪無論、事前協議は済んでいる≫

 その言い回しに、ジュードは何となくきな臭さを覚える。
 眉をひそめ、“使い捨て”にされてはたまらないと語気を強めて。

「隠し事はナシだぞ?」
≪必要なことは、きっちり話すとも≫

 なら必要でないことは?
 ジュードがツッコむ前に、相手は簡潔に経緯から説明しはじめた。

≪今から約30分前、『セオドラ社』のある施設から、“実験トラブル”の緊急メールが発信された。本社担当は詳細を知るべくすぐさま連絡――しかし施設で応じる者は誰もいなかった(・・・・・・・)

 この時点で推測されるのは、“実験トラブルの沈静化に失敗した”最悪のストーリー・ライン。
 だが、相手は異なる展開を口にする。

≪ここで肝心なのは、回線が通じているのに“応答者がいない”という点だ。
 通信機器は正常に機能。加えて実験内容や施設の構造を考えても、実験トラブルの余波が“通信できる部屋”に悪影響を及ぼすことはない。
 つまり実験トラブルとは別に、施設で“何かが起きている”と考えられ、依頼人の推論としては外的要因――ずばり、環境テロに遭った(・・・・・・・・)と捉えている≫

 その一足跳びな結論に、ジュードは疑念を口にする。

「“環境テロ”? 唐突すぎるワードだな」
≪依頼人にとってはそうでもない。施設では最新の医薬品開発を行っているから、動物実験もお盛んだ(・・・・)。そうなれば必然的に愛護団体から目を付けられる。事実、セオドラも『動物の権利を奪還する者達』と名乗る団体から、二度にわたり脅迫を受けていた≫

 調べた限りでは、新しく生まれた団体であるらしく、有名な『ALF(動物解放戦線)』から派生したことを窺わせたが、はっきりした関係は特定できなかったという。

「ALFね……確か動物実験だけじゃなく、畜産や精肉加工業など動物を犠牲にして成り立つ産業全般を敵と見なすとか、破壊活動も辞さない過激な連中だと聞いたことはある。けど」
≪コロシを厭わない“凶悪な連中”というわけではない≫
「俺の知る話も同じだな。なのに、俺達に声を掛けるほどの脅威を、連中に感じるのか?」

 ジュードもよく知る組織ではない。それでも納得いかなげな声音を相手は聴き取ったか。

≪現地に行けば分かるが、施設は簡単に侵入できる場所ではない。どんな計画を練ったにしろ、協力者とテクノロジー、それに戦闘か強盗か某かのスキルなしには達成できない難易度だ≫
「ただの“動物好き”じゃないってわけか」

 例えば、捕鯨に異を唱える『シー・シェパード』のように、動物愛護活動には有力なパトロンが付き物だ。
 潤沢な資金を背景に優秀な人材と機材を調達できるだろうし、動物愛にあふれた元兵士がメンバーにいるかもしれない。

≪そもそも機密扱いする施設の場所を連中は特定させたことになる。決して侮れる相手ではなく、だからこそ、現地での交戦を視野に入れての要請だ≫
「相変わらず……どっか胡散臭い依頼だな」

 まだ環境テロと決まったわけではない。
 テロだとしても、相手の実態は朧げなまま。
 しかも舞台は、実験トラブルを発生させた秘匿性の高い民間施設。
 ジュードの声が非常にしぶくなるのも当然だ。

「大方の話しは分かった。結局は“現地に行かないと何も分からない”ということが、な」
≪だから、カネではっきりさせてやる≫

 さすがに相手も百戦錬磨。
 こういう場合の効果的な解決策を知っている。

≪報酬は5万ドル(およそ6百万円)。関連条件として――≫
「待て」
 
 思わず制止していた。

「期間は?」
≪今夜から明日未明――正確には午前4時までだ≫

 たった数時間で? 5万ドルも?!
 あまりにも衝撃的な金額にジュードの思考が一瞬停止する。
 業界の日給が一人当たり10から1000ドルと幅広いものの、5万ドルという大金の前には端金(はしたがね)もいいところ。
 もちろん『カラーレス』が社長兼営業マンであるジュードを含めて四人しかおらず、頭数で割れば、一人当たり約1.2万ドルの配当になることも相手は計算の内だろう。

(いや、成功報酬一人1万ドルで残りの1万ドルは会社の利益に……)

 それでも標準報酬の十倍など、一生に一度あるかないかのビッグ・チャンス。
 創業三年目で名前も知られていない零細企業(カラーレス)からすれば、夢物語のような案件だ。

≪――ジュード?≫
「聞こえている」

 そう応えたものの。
 受話器の向こう側に動揺を悟られぬよう、ジュードは一端、口元から受話器を離してゆっくり息を整えた。
 ふと目に付くのは、机上の『請負箱』に放り込んだ電気代と水道料の督促状、それに馴染みのバーで地道に積み上げたツケ一覧(・・・・)
 いや、そうじゃない。
 冷静になれ。

「……あんたと俺との仲だ」

 はやる気持ちを落ち着かせ、ジュードは乾きで張り付いた唇を慎重に引き剥がす。

「せっかく声かけしてくれたものを、断る不義理はない。ただな――」

 そこで深呼吸の成果を言葉に込めて。

「今話した内容は、こちらが受けた(・・・・・・・)契約だ。そちら(・・・)が受けた(・・・・)契約はどんな内容だ?」

 YDSを支援するということは、彼らの動きに合わせるということだ。間接的にだが、YDSの受け(・・・・・・)た依頼がこちらの依頼(・・・・・・・・・・)になる(・・・)ことを見逃してはいけない。

≪……≫

 電話の向こうで、洩れた笑い声を耳にした気がした。
 慎重すぎるジュードの姿勢を嘲笑ったのか、あるいは後ろ暗い魂胆がやはりあったのか。

≪こちらも単純な任務だ。依頼人からすれば、内外の要因に関わらず、重大トラブル発生が想定される以上、施設の機密情報を守らねばならん。当然、我が社で請け負う任務は“機密情報の確保”になる≫

 おかしな点はない。
 企業として“自社の利益”を守る当然の依頼が出され、YDSはそれを受けた。
 それだけだ。
 なのに、ジュードの顔つきは神妙なものになる。

「……テロリストが人質を取った場合は(・・・・・・・・・)?」
≪交渉はしない≫

 聞き覚えのある、無機質な回答。
 彼の地で(・・・・)困難な決断を下すとき、相手はいつも同じ声で命じたものだ。
 今度もまた。

≪これは企業の利益だけの話じゃない。機密情報には生化学兵器に転化できる基礎技術も内包されている。危険な技術を世界中のテロリストや犯罪者共に拡散させないためにも、目先の道徳観を殺して仕事に徹する必要がある。元兵士なら、優先順位を忘れるな≫
「その言葉は好きじゃない」

 ジュードの声は心持ち硬かったが、それだけだ。
 だが相手はかつての上官で、戦友と呼べるくらいの長さを共にした男。
 わずかな声質の違いを聞き逃さなかった。

≪いいか――あの地(アフガン)でも優先順位はあった。人質救出の優先順、物資支援の、あるいは攻撃支援の、負傷者の……数えあげれば切りが無い。そして例え職種を変えようと、戦場もデンバーも変わりはない。どこにいても状況や立場の違いで、区切りを(・・・・)付ける(・・・)必要が出てくる≫
「上の命令でだ」

 下っ端に選択の余地はないと憤りを込めて。

 戦時でも平時でも。
 資本主義でも別の主義でも。

 舞台がどう変わろうと、常に共通する(ことわり)が働いているように、たいがいが上位者の一声でどうにでもされてしまう。だから。

「……せめて、その“選択権”を俺が持ちたかったんだが、な」

 他の誰かでなく、自分自身が。
 真の意味で(・・・・・)、自由に選択できる立場でありたい。
 その思いを胸に軍を辞め、軍事支援会社を起ち上げてから三年目。
 中東での苦い体験の繰り返しに、ジュードの声に疲れが滲む。

≪悪いが、起業理念に思いを馳せるのは、そこまでにしてもらおう。こうしている間も事態が深刻化(・・・・・・)している可能性が高い≫

 人命の喪失もイメージさせる、ズルい言い回しでジュードの意識を引き戻すと、相手は強めの口調で決断を促してくる。

「はっきりしているのは、実験トラブルの発生があったという事実のみ。現状で警察の介入を望めなければ、依頼者も望んでいない。だからこそ、我々にビジネス・チャンスがあり、依頼された内容は告げたとおりだ。
 ジュード。自分が社長であることをしっかり自覚した上で、どうするかを決めろ。今すぐに」
「受けるとも」

 答えに躊躇はない。
 例え“機密情報の確保”に重点が置かれていたとしても、誰かが現地に急行するだけで、テロリストの凶行に対する抑止力になれる希望はある。
 場合によっては、目的の途上で交戦することによってテロリストを排除できるかもしれない。

(ならば、受ける意味はある――)

 その真逆となる結果もあり得るのだが、業界人として、経営者としても避ける理由はどこにもない。
 むしろやりがいのある依頼だと、ジュードは受け止めた。

 そうだとも――。

 半ば無意識に自己肯定するジュードの目は、本来の目的を見失った『請負箱』に自然と向けられる。
 “未払い通知”の紙切れで溢れかえる『請負箱』を。

「すぐに条件を詰めてくれ」

 感情を殺してジュードが促せば、≪まず撤退刻限についてだが――≫相手は速やかに条件提示に移行する。
 コンパクトに説明を抑え、最後に施設警備員と同じ装備を支給する【付帯条件】とその理由まで話し終えたところで、ようやく相手はひと息入れた。

≪これからおまえがすべきことは、すぐさま契約社員に招集をかけて、デンバー北西郊外にある『オブライエン牧場』へ現地集合させるだけだ。ヘリを待たせておく≫
「集合時間は?」
≪午後10時≫

 連絡を済ませれば、せいぜい30分強しかない。
 間に合うか?

「時間がなさ過ぎる」
≪それをどうにかするのも報酬の内だ≫

 そう云われてしまえば言葉もない。
 それに現在進行形の事案となれば、時間との闘いになるのも当然のこと。

≪ちなみに、時間が無いから手付金の1万ドルをポストに入れておいた。契約替わりと思ってくれ≫
「……」

 ジュードが受けると確信していたのか。
 切れた通話器を忌々しげに見つめて数秒――ジュードは気持ちを切り替え、急いで一人目に連絡を取りはじめた。


********* 業務メモ ********        

●メール受信
 11月18日 20:45 CSP実行の緊急メール  

●依頼内容
【依頼相手】警備保障YDS
【任務内容】YDSチームの支援
       ※YDSは機密情報の確保が目的
【任務期間】11月19日 午前4時までに撤退。
【付帯条件】交戦は施設警備に準じた武器類で。
       ※YDSより支給される。

●補足
・当局への通報は午前6時予定。
・装備を施設警備員と同じくするのは、特別チームが活動していた痕跡をなくすため。
・カラーレスにジュード以外の正社員はいない。
 他の三人は、事案ごとに契約する請負人(コントラクター)と呼ばれる者。しかもカラーレス専属で『登録リスト』に名を載せている変わり者でもある。
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