第9話 撤退

文字数 6,941文字

11月18日
研究所本棟 B3

           ――『第2エレベータ』前


【23:30現在】


 クリス達に迫る不穏な気配――。
 すぐにでも彼女らを援護するべく、そして階上への避難ルートを確保するためにも、足を速めたジュードはダリオに肩を並べて声を掛ける。

「俺達で先行するぞ」
「――おう」

 エンゲルに片手を上げて意図を伝え、二人は一段とスピードを上げた。
 直線廊下を突っ走り、小規模検閲室を二人一緒に通り抜け、目標間近の『大通廊』に踏み込むと、エレベータ前に陣取る小柄な影を捉えた。


 クリス――――


 声を張り上げるわけにいかないが、彼女ならジュード達の気配に気付いたはずだ。
 だが彼女は二人の方へ見向きもせずに、北奥の通路に向かって何かを投げ放つ。
 カッ、コンと硬い金属物が通路で跳ねる物音が響いて。
 直後に鼓膜を鋭く叩く大音響と白き閃光が、北奥通路から横殴りに迸った。

「はじまってやがる……!」

 出遅れたと無念を滲ませるダリオに、ジュードは「まだ間に合うっ」と叱咤する。
 クリスのいる『第1エレベータ』前までは、たかが20メートル。いやすでに、15メートルを切っているか。
 時間にして数秒の距離。
 その数秒を生み出すために、クリスがM84(フラッシュバン)による遅滞戦術を図ったのは明白だ。それにジュードは気付いたからこそ、こぼれ落ちそうな“希望”へ必死に手を伸ばす。

「間に合わせるっ――」
「くおっ」

 気力を絞り有言実行――邪鬼共の群影に呑み込まれる前に二人はクリスとの合流を果たす。

「ダリオ、弾幕を張れっ」
「任せろ!」

 ダリオがクリスの脇に並んでUMP9を構え、ジュードは足を止めずに進み、エレベータの読み取り機にカードを叩きつける。
 寸秒も待たせずドアが反応し、ジュードが振り向いたところで、大通路に達したエンゲル達の姿を捉えた。
 これならイケる。
 想定よりも早いスピードだ。

「急げっ、――あんたもだ(・・・・・)

 ジュードはエンゲル達を手招きながら、すぐそばの壁際にへたりこんでいた人物に声を掛ける。
 例の“生存者”だろう。
 血で汚れた白衣に身を包み、両膝を抱え込んだまま深く項垂れていた。

「おい、しっかり立て」

 こんなところにいられては守りきれないと、ジュードは脇の下に腕を入れ、強引に抱きかかえて何とか立ち上がらせた。

「ここは危険だ。中へ入っててくれ」
「……」

 まるで人形を相手にしてるようにヘタに抗わないので助かるが、あまりに大人しすぎるのもかえって不安になる。だんまりを決め込む“生存者”をジュードはエレベータ内に押し込んだ。

「いいか、そこから動くなよ」

 犬でも調教するように身振りを交えてきつく言い含める。あとはエンゲル達の進み具合だが――残すところ10メートル。
 しかし邪鬼共のわめき声も間近に迫り、間に合うか否かは五分五分だ。
 ならばあと10秒――ジュードも含めた三人で狂気の波を抑え込むしかない。

「弾を惜しむなっ、撃てるだけ撃ち込め!」
「分かってる、遠慮するわけねーだろっ」

 ダリオが派手に弾をばらまいて、瞬く間に30発弾倉を空にする。

弾倉交換(リロード)!!」

 頭を下げながら退くダリオのカバー。ジュードが半身を乗り出し、適当に狙いを付けて撃ちまくる。
 何でもいいから怯ませろ。
 銃声にビビってくれる相手ではないのだが。

「くっ」

 はじめの一射が空を切った。
 邪鬼の背丈が低すぎて想像以上に狙いにくい。
 ジュードは銃口を気持ち下げ、腰も深く落とし込み、射線の水平軸を合わせる形で修正する。

 今度は狙いどおりにヒット!

 9ミリのST弾頭が濃緑色の膿んだ肉体に食い込んで、マッシュルーム状に膨脹――全エネルギーをぶちまける。
 腕が、鎖骨が激しく損傷し、頭部を半壊された邪鬼がばたりと倒れる。
 そもそも成体をターゲットに開発した弾丸を幼体に等しき胴体に撃ち込むのだ。化け物相手であろうと悪魔的な破壊力になるのは当然だ。
 一発だけでは止まらぬ化け物でも、二発も喰らえば身動きできなくなる。少しでも身体の芯寄りにぶち込めば――

 SMGの速射を浴びて次々と倒れてゆく邪鬼共。

 B7では心的動揺で狙いを乱してしまったが、二度目の対戦ともなれば冷静さを取り戻し、命中精度を一段増しにできる。それがプロというもの。

 TATATA
  GYUEEYA!
 TATATA…… 

「――いいぞ、近づかせるなっ」

 このままうまく三人で弾幕管理に努めれば、防衛ラインは死守できる。そうジュードが確信を得た矢先、今度はクリスの放つ発砲炎(マズルフラッシュ)がぴたりと止まった。
 全弾撃ち尽くし――気付いたダリオがカバーに入ろうとするも、タイミング悪く駆け込んできたエンゲル達に射線を遮られてしまう。

「!」

 銃口を掲げる途中で止めるダリオ。
 迫る邪鬼共。
 ジュードも銃口を横振りしてフォローしようとするが、全自動(フル・オート)射撃でないため効果は期待できない。
 ぱらついた弾幕の間隙を縫い、接近した邪鬼の一匹が棒立ちの娘へ爪を振るう。

「クリス――」

 叫ぶジュードは見た。
 はじめからそうすると決めていたように、クリスが手早く拳銃に持ち替え、狙う間もなく発砲する様を。

 タン、
 タン、
 タン!!

 小気味よいリズムで刻み込む、シングル・ショットの三連射。
 まるでスナイパーのごとき精確さで、矮躯(わいく)で俊敏な邪鬼を相手に、全弾を胸部中央に必中させた。
 まるで大道芸の曲撃ちだ。
 二十歳そこそこの小娘が魅せる離れ業に、ジュードは初見で度肝を抜かれた記憶を今さらながらに思い出す。
 それでも相手の脅威は“数”にある。
 いくら射撃の技巧を尽くしたところで、湧き出る邪鬼の群体を抑え込む“圧力”までは持ち得ない。
 だから手近な邪鬼を一掃したタイミングで、ジュードは今が引き際と見定めた。

「十分だ、下がれクリスっ」
「ですが――」
「下がるんだっ」

 有無を言わせず命令するのは、エンゲル達の収用が済んだから。無駄に身体を張って命を削る必要はどこにもない。
 言い合ううちに、突然、クリスの髪がわずかであったがブワリと逆立った。

「クリス……?」
「……」

 異変に気付いて呼ぶジュードに彼女は答えない。
 いや、邪鬼の群れよりさらに奥――目を細めるクリスはその暗がりに何かを見出し息を呑んでいた。

(何だ……)

 ジュードも目を凝らす。

(何がいるんだ――?)

 目に映るは照明の絶えた漆黒の闇。
 だがそこに何も見えずとも、異常な緊張感に包まれるクリスの背中が、しかと指し示す。


 そこに何かがいるのだと(・・・・・・・・)――


 蛇に魅入られたカエルように動かぬクリスを邪鬼共が襲い掛かった。
 舌打ちしてフォローするジュード。
 緊張にSMGを携える腕が強張る。
 邪鬼との距離が近すぎて、意図せず当ててしまいそうになる。
 それでもクリスは動かない。

「クリス?!」

 下がらせるつもりで叫んだ声が合図になった。


 タタ――――ン!!


 拳銃を二連射させたクリスの銃口は、襲撃者をガン無視した別の方――邪鬼の背丈を倍する位置に向けられていた。
 彼女は何を狙った?
 答えのないまま、さらにもう一発。


   タンッ
 GYEEEE!!


 今度こそ、目に見えぬ暗がりの奥で何かが叫ぶ。
 背筋をぞくりとさせるその声は、甲高い邪鬼のそれとは異なるドスの利いた低さ。
 その声に何かを感じ取ったクリスの髪が、さらに逆立った。



 ――――くるっ(・・・)



 ジュードにもそれが分かった。
 理由も分からず全身に鳥肌が立つ感覚で。
 息を呑み、通路奥を凝視する目が何かを捉えたのは次の刹那だった。


 フワ、と――


 視界上方ギリギリに“何か”が浮かび上がる。
 それは通路の天井に頭をこすりつかせる勢いで、跳躍してきた人の巨影――いや、まぎれもない長身の大邪鬼が、着地しざまにクリスを頭頂部から掌で押し潰していた。

 いや、そう見えただけだ!

 クリスは避けた勢いあまって通路の壁に背中から激突していた。

「かはっ……」

 口を半開きにし、大きく目をみはらせるクリス。
 間髪置かずに大邪鬼の腕が横に振るわれ、一瞬早く屈み込んだクリスの赤毛をわずかに切り裂く。


 GYEEEEEE!!


 怒り任せにもう片腕が突き出され、さらに転がるようにして躱すクリス。
 逃がすかと大邪鬼が一歩踏み――


 TATAN!!


 その脇腹にST弾が叩きつけられた。
 ジュードのSMGだ。
 胴体なら一発で邪鬼を転がす威力の銃撃にも、大邪鬼の足は止まらない。
 さらに追撃を叩き込むジュード。
 しっかと腰を落として銃身(バレル)ごと全体の重心を安定させ、素早く確実に強力な弾丸を化け物の脇腹に撃ち込んでゆく。


 GRYAUUUUE!!


 確かに巨体を震わせた。
 だがそれだけだ。
 効きもしないと内心舌打ちするジュード。
 実際、脇腹の傷からさほど血も流れず、単に大邪鬼を怒らせただけのような気さえする。
 いや、注意を反らすことはできたし、クリスもピンチから抜け出した。
 代わりにこっちがヤバくなってしまったが。


「けど、コレなら効くだろ?」


 呟くジュードの銃口が、大邪鬼の下腹に向けられて。
 標的をジュードに変えた大邪鬼の踏み込みを、乾いた一撃が今度こそ留めさせた。



 △○×*@△~~~~!?!!



 身も世もない絶叫が通路いっぱいに迸り、鼓膜を叩くあまりの衝撃にジュードは耳を押さえ、苦悶に顔を歪めた。
 生殖器を潰された相手はそれどころですらなかったろうが。
 だが、それを確認する余裕はジュードにはない。

「――っ」

 気付けば身体ごと宙に吹き飛ばされ、肺の空気をすべて吐き出させるほどの勢いで、床にたたきつけられていたからだ。
 それが床でのたうち回る大邪鬼の仕業とは分からずに、半ば意識を飛ばした状態で誰かに引きずられる。

「――――ろ、ジュード!!」
「……ぅ、ぁ」
「――るなっ」

 揺れる視界が上方から下方へと流れ、自身が引きずられていることを何となく察するジュード。
 視界の隅に見えたのはダリオか?
 冷や汗で顔を濡らすクリスも走っている。
 どこか遠くの方で、ドタンバタンと床や壁に肉を打つ音や巻き込まれたらしい邪鬼の苦鳴がかすかに響く。それがすぐ近くの出来事だと今のジュードに分かるはずもなく。
 

「誰か――」


 ダリオが必至に声を上げ、ジュードを引っ張る手が二人分になった。

「そこをどけ、クォン!」
「援護を頼むっ」

 だが混乱は一時で猶予などさほどない。
 怒り狂った大邪鬼や一層興奮した邪鬼共が逆襲に転じる前に、この場から離脱しなければならない。
 実際、暴れる音が早くもぴたりと止んでいた。
 背後の様子を確認したクリスが年長者を頼る。

「一発頼みますよ、ダリオ」
「なんでおまえがやらねぇ――!!」

 文句を言いながら、汗だくのダリオがM84を放り投げた。
 タイミングを合わせてエレベータ内に引っ込むクリスとエンゲル。
 すでにタッチパネルに触れていたイメルダ。
 暗い大通廊に再び閃光が走り抜けたとき、エレベータのドアがゆりると閉じられた。途端に、



 ダガ!  ダガ!   ダガ!
   ダガ!   ダガ!
  ダガ!  ダガ!   ダガ!
 ダガ! ダガ!  ダガ!



 猛烈な打撃音に合わせてスチールのドアに無数の凹みが穿たれる。
 加えて耳をつんざき、四つ並びの深い溝が斜めに走ったのは奴らの爪痕であろうか?
 キィイイイイイイイと脊髄を痺れさせる甲高い金属音に、誰もが顔を引き攣らせ、両耳に掌をあてがう。
 極めつけは、恨みがましい啼き声だ。



 KRYUUOHOOOOOO――――……



 絞り込むように、心臓を鷲掴みにするような声。
 求め、焦がれ、逃さぬと。
 身震いするような妄執を感じさせる鳴き声が、エレベータ内に響き渡る。
 だが、邪鬼共の悪あがきはそこまでだった。
 上昇するエレベータが奴らを地の底に置き去りにする。できればこのまま爆破して生き埋めにしてやりたいところだ。


 とにかく、ようやくこれで難を逃れた――。


 それと分かるほどに、エレベータ内に張り詰めていた空気がはっきりと弛緩して、床の上に転がされていたジュードが、ほうっと息をつく。
 つられたように他の者も全身から力を抜く。

「……今度は、全員無事だな?」

 ドアに片手をついたダリオが誰に共なく声をかけた。
 『B7』から姿が見えないのはメジャーとバックスの二人。そうなったであろう理由も十分すぎるほどに我が身で体験したばかり。だからこその確認だった。
 だがそれには応じず、ジュードは隅に佇む小柄な娘を(ねぎら)う。

「クリス、よくやった」

 彼女が不意打ちを防ぎ、さらには化け物の隙をつくってくれた。それがなければ、ジュードが痛打を浴びせるチャンスは得られなかったろう。
 それほどの力ある化け物だ。

「それより、アレは何ですか? あの気持ち悪い猿――いえ、あんなイカレた獣なんか密林(アマゾン)でだって見たことありません」

 口調は普段と変わりなくとも丸い碧瞳の奥に怯えが見て取れる。死傷率の高い前衛(ポイントマン)を務める彼女さえ恐怖させるモノ――ジュードは自分も答えを持ち合わせていないと首を振るだけだ。
 だが代わりに答えたのは、女の声。

「……『ゴブリン』よ」
「え?」

 クリスやジュードだけでなく、その場にいる全員がただひとりの“生存者”に視線を向けた。
 黒く渇きはじめた血染めの白衣を着た女は、宙の一点に視線を据えたまま、小さく呟く。

「“実験№127”」

 それが意義あることのように間を置いて。

「何度も趣向を変えたステップの127回目。初めて“研究成果”と呼べる“変異”を表したモノを私たちはそう呼んでいたの……」
「それが――」
「はい、そこまで!!」

 急に大声を出したのは、もちろんクォンだ。

「いきなり機密事案を口にするのは、関心しないなミス――」

 そこでクォンは口ごもり、もう一度「ミス――」と繰り返す。

「「「?」」」
「えー、ミス――?」

 女もようやく気がついた。

「ランドリッジよ」
「ミス・ランドリッジ」

 クォンは張り付けたような笑顔を女に向ける。

「貴方は我が社と特別な契約を交わしていることを忘れていないよね? 然るべき義務を負っていることを? もちろん、それに相応しい破格の報酬をもらっていることも」
「……」
「よかった」

 胸を撫で下ろすクォンに「よくねえぜ」と噛みつくのはダリオだ。

「今は“キンキュージタイ”ってやつだ。機密だろうが大統領のプライベートだろうが、俺達と情報共有するのは何よりも大事だろ」
「それは“時と場合による”ね」
「はぁ――?」

 ダリオが小首を傾げ、唇の端を引き攣らせる。

「今がそうでなけりゃ、いつそうなんだよ!!」
「少なくとも、今じゃないのは確かだね」
「かーっ、話しになんねえっ。あんな化け物共に襲われたってのに、危機感がねえのかよっ。おまえイカレてんのか?!」

 眉間に青筋立てて、突っかかるダリオを「待て」とジュードが身体を割り込ませて押し留める。そのタイミングでエレベータが『1F』に到着した。

「どけよジュードっ」
「いいかい、あの生き物が何であろうと――」

 興奮するダリオを煽るようにクォンが口を開くのをジュードが注意する。

「あんたも少し黙っててくれ。今はベイルの治療が先だ」
「もちろんだとも。ただそちらのスキンヘッドが」
「いい加減にしろ」

 懲りずに開いた口を閉ざさせたのは、イメルダ。
 今も鉄面貌を下ろしたままなので、冷徹な声とも相まって異様な迫力を感じさせる。

「……」
「……」

 ダリオまで黙り込んだのを見て、イメルダが無言で顎をしゃくりエンゲルに行けと促す。
 『医務室』はこのまま廊下を突き当たりまで――そこを左折した枝通路に面したところにある。だから、ジュードは途上の『食堂兼休憩室』に差し掛かったところでクリスを呼び止めた。
 
「クォンと一緒に『警備室』に行ってくれ」
「?」
「そこに武器の保管庫があった。頑丈そうなロッカーだからすぐに分かる。さっきの戦闘で弾薬をかなり消費したから補充が必要だ。クォンなら、暗証番号も何とかできるだろ?」

 ふいに話しをフラれたクォンが、戸惑いつつもはっきり頷く。

「タブレットに情報が入ってる。すぐに調べられるよ。どのみち本社に連絡を入れたいから、行く必要はあるけどね」
「それはよかった」

 ジュードとしては、クォンとダリオを引き離したかった考えもある。ごねられなくてよかったと内心安堵する。

「このフロアもチェックを終えてない以上、安全を図れたわけじゃない。それを念頭に置いて、慎重に行動してくれ」
「了解」

 こうしてクリスとクォンが一時部隊から離れ、ジュード達だけで『医務室』へ向かうこととなった。

(それにしても、あの化け物共は……)

 他にも疑念はある。
 問題は、この疑念を自分達だけが抱いているものかということだ。
 だがベイルの傷は重く、イメルダの素顔は鉄仮面に隠されたまま。
 それでもジュードだけでなく、誰の胸にも強い不満や不安、それに疑念を抱かせているのは確かであろうと思われた。


********* 業務メモ ********


●未確認生物
 邪鬼(ゴブリン):一発で斃しきれないタフさ。
 大邪鬼(大ゴブリン):数発でも効果薄い。

●行動方針
 ジュード達:医務室でベイルの治療
 クリス&クォン:警備室へ。
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