第10話 防衛戦

文字数 8,725文字

11月18日
研究所本棟 1F

                ――『医務室』



【23:36現在】


 岸壁内に築かれた研究所本棟は、ほぼ四角形のフロアを七つ重ねた階層構造になっている。
 ジュード達が降りたのは、四角形フロアの西端にあるエレベータ前であり、目指す『医務室』は、通路をまっすぐ進んだ突き当たり――フロア東端に沿った通路に面する一室であった。

「これだ、手前の部屋っ」

 突き当たりを左に折れてすぐに目標を見つける。
 ジュードを先頭に診療室へ駆け込むや、すぐさまベイルを落ち着かせる場所を捜した。
 一人用の腰掛けイスはダメだ。
 できれば横になれるソファか寝台を。

「隣に手術台があるぞ」

 指差すダリオの言葉で急ぎ隣室へ。
 ベイルを手術台に寝かせてエンゲルが脈をとり、ジュードは応急処置に必要な医療品等を要求する。

「何か縫合するものは? 清潔なガーゼか似たものを捜してくれ!」
「消毒液と鎮痛剤も必要だ」
「なあ、こいつの血液型は?」

 皆で部屋中の引き出しやボックス、重ねられたトレイを引っかき回し、必要な品物を探し回る。そこで必然的に喧噪から取り残され、所在なげに佇む女研究員がポツリと浮いてしまう。それを目に留めたイメルダが、彼女の肩書きに淡い希望を見出すのもまた、必然であったろう。

「あんた――ドクター・ランドリッジ」
「……」

 呼ばれても顔を俯かせ身動ぎもしない研究員に、イメルダは近づき語気強めに要求する。

「あんたならベイルを何とかできるだろう。バイオテクノロジー部門の第一線で働き、動物実験まで手がける、あんたなら」
「それとこれとは――」
「別じゃない」

 イメルダは逃げを許さない。

「医者がいない今、嫌でもあんたに代わりを務めてもらうしかない。やってくれるな?」

 有無を言わせず詰め寄るイメルダが、研究員の両肩を鷲掴む。
 だが彼女は痛みに顔をしかめるだけで、頑として承諾を口にしない。

「ショックを受けているのはわかる。しかも専門外の医療行為を頼まれれば、逃げたくなって当然だ。だが選択の余地はない。今やるべきことをやらなければ、あんたがベイルを(・・・・・・・・)殺したことに(・・・・・・)なる(・・)
「「「!」」」

 とんでもない言いがかりだ。
 あまりに一方的なイメルダの暴論に、言われた研究員よりもジュード達の方が表情を変え、一瞬動きを止める。
 肝心の研究員は小声で「無理よ」と抵抗を試みるだけだ。だが。


「無理でも何でも、やってもらうしかない」


 周囲の視線を気にもせず、愛用の鉄面貌に相応しき冷厳なる声をイメルダは響かせる。その拒否を許さぬ圧力に、「無理よ、無理なのよっ」と研究員は意外な意志の強さを示して頑なに首を振る。

「マウスやサルとは訳が違う。人の命なんて、手に負えるわけがないっ」
「考えすぎだ」
「?」

 あまりにも淡々と、そして奇異すぎるイメルダの発言に、思わず研究員の眉が寄る。聞き違いと思ったろうが、そうではなかった。

「ベイルの人生に家族や友人の心情。確かに失い傷つくものは色々ある。だが余計なものすべて取り払えば……実はマウスも人も同じ命(・・・)。どちらか一方にだけ、特別な“重み”があるわけじゃない。
 今も世界のどこかで次々に命が誕生し、次々に失われている。それにいちいち理由付けをして、わざわざ意味をもたせようとするから、面倒(・・)になる(・・・)

 それが職業戦闘員である彼女の世界観なのか。
 何ともドライすぎる持論に、面食らった研究員が困惑を顔に貼り付かせ、言葉を失う。
 ジュード達も同様で、特にエンゲルは変化の乏しい表情を憮然とさせてイメルダを睨んでいた。“気に入らない”のか、“同意せざるを得ない”なのかは分からない。
 
「……そんな屁理屈が、慰めになるとでも……?」

 ようやく声を出せた研究員に「そうじゃない」とイメルダは否定する。いや、正しくは“指摘”だ。

「自分を癒やそうとするな。守る必要もない。かえって痛みが増すだけだ」
「だったら――」
「ただ何も感じず、余計なことも考えず、いつも通りに、そこの肉を(・・・・・)いじればいい」

 仲間であるはずのベイルを実験動物になぞらえるように。
 そうして指し示された方へ研究員の視線が誘われて、台上に横たわるベイルの血塗れな姿を目にしたところで、表情を険しくさせる。
 恐怖がこみ上げてきたのか、「こんなことしても無駄よ」と声を絞り出す。

「運良く延命させても結局は苦しめるだけ。どうせここにいるみんな、あいつらに(・・・・・)捕まって殺されるのよ。それより……そうよっ、それよりも今がチャンスよ。ここから脱出できれば、この人も助けられる! みんな助かるの!!」
「そんな時間はない」

 涙を滲ませる研究員の訴えをイメルダはばっさり切り捨てる。ヘリで片道一時間近い行程は、研究員も承知のはずだ。ここで止血処置しなければベイルの命は絶たれると。
 それでも研究員は諦めない。

「人のことより自分の命を心配するべきよ。――あいつらは、ただの猿じゃない(・・・・・・・・)
「いいから、やるんだ」

 もはや交渉ではない。
 殺気さえ込めてイメルダが迫る。
 実戦で幾人もの命を奪ってきた者の言葉だ。ラボでパソコンと実験動物を相手にしてきただけの女に抗えるはずもない。
 顔色をなくし、肩を震わす研究員が最後の抵抗を試みる。

「だ、だったら……貴女がやればいいでしょ。私には無理、本当に――――っ」

 小刻みに震える両手を、これみよがしに突き出して見せて。
 ヘタに処置させ、肉どころか臓器に傷でも付けたら、目も当てられないでしょうと訴える。
 だがイメルダの視線は研究員の顔から放されることはない。
 気持ちをへし折るつもりで目力を強めるだけだ。


「――」
「――」


 両者一歩も譲らぬ睨み合いに、そこで終止符を打ったのは思わぬヘルプの声。

「もう無理強いはするな。――俺がやってみる」

 そうして名乗り出たのはエンゲルだ。
 驚いたジュードが聞き返す。

「“やってみる”って……できるのか?」
正隊員(・・・)になるにも、それなりに医療技能の修得は必須でな」

 それは自身の前歴を云っているのだろう。
 四人一組を活動単位とする英国特殊空挺部隊――通称SASでは、あらゆる困難をチームで乗り越えるため、個人では不足する技能を互いに補完し合えるように、生存術や戦闘術などの基本教科のほか、各人に複数の高度な専門的分野の技術修得が課せられる。
 エンゲルもその一環として、一定レベルの医療技術を修得しているというわけだ。

「ただしメディック分野に関しては、正直、及第点を下回っていたがな」
「でも合格したんだろ?」
「……やけに俺を買ってくれた上官がいてな。とにかく、運が良かった」

 あまり口外できない話しらしい。
 やけにあっさりしたエンゲルの返事に「やらせてやれ」と促すのはイメルダだ。冷えきった視線を研究員に向けながら。

「どうせ他に期待できる者はいない。だったら聞きかじっている者に託すしかない」
「それじゃ俺達と大して変わらん」
「ジュード、消毒液とガーゼをみつけたぜっ」

 そこで声を掛けてきたのはダリオだ。
 場の深刻げな空気に気付かず捜索の戦果を差しだしてみせる。

「それとホッチキスみたいなのもあったが、これで傷口を塞ぐのかね?」

 医療用ホッチキスを掲げるダリオに「そうだ」と受け取るのはエンゲル。そのままトレイに他の道具と共に並べて消毒液をたっぷり注ぎはじめた。すっかりやる気でいるようだ。

「――いいだろう」

 エンゲルの決意を感じたジュードが頷く。確かにこれ以上の問答は時間の浪費にすぎない。
 自分の両手も消毒しながらエンゲルが研究員に声を掛ける。

「俺がやるから、せめてサポートを頼めるか?」

 その思わぬ依頼に、

「……ええ。それくらいなら……」

 さすがに罪悪感を刺激されては、咄嗟に断ることもできなかったようだ。研究員があっさり承諾して器具の準備を手伝いはじめる。

「……任せてよさそうだな」

 ようやくケリがついたかとジュードが肩の力を抜けば、すかさずダリオが嬉しげに声かける。

「だったら休ませてもらっていいよな?」
「そうしてくれ」

 エンゲルの応じに後押しされ、治療の従事からあぶれたジュード達は手術室を離れることにした。



 ◇◇◇



【23:42現在】


 ようやくひと息つける状況に、各人がイスを確保して重い身体をドカリと落ち着かせる。


「……はぁ……」


 思わず洩れるジュードのため息。
 ここまで異常な状況下で神経を張り詰めっ放しでいたのだ。例え一時間に満たない探索行為であったとしても、いつも以上の疲労を感じずにはいられない。なのに。

「……どこへ行く?」

 ひとり腰を落ち着けず、診療室から出て行こうとする女兵士にジュードが声を掛ける。

「念のため、見張りは必要だ。おまえたちは休んでいろ」
「いいのか? 遠慮はしないぞ」
「構わん」

 表情や声音に疲れも見せぬイメルダは、軽快な足取りで出て行く。
 タフな女だ。
 あるいは、先ほど研究員が口にした不穏な台詞が気になったのか?


 あいつらは、ただの猿じゃない(・・・・・・・・)――


 あれはどういう意味なのか。
 その言葉が頭から離れないからこそ、イメルダは自ら歩哨に立ったのではないか。そう思うのもジュードも同じ不安を抱いていたからだ。

「……少し情報を整理したかったんだが、な」

 困り顔で顎髭をしごくジュードの言葉は、さらりとした口調以上に深刻だ。


 デジタル・マップにさえなかった『B7』とは?
 研究員が『ゴブリン』と呼んだあの化け物は?
 そもそもの目的である記録装置はどうなった?


 状況は当初の想定から外れて霧の中。
 ならば互いの情報を持ち寄って、これからのことについて早急に検討し、打てる手を打つべきだ。

「……なのに、あの落ち着き振り……」

 気にくわないと口にしたジュードが眉間を揉む。
 心なしか思考が鈍い。
 思っていた以上に疲労が濃いせいか。その様子に気付いたのだろう。

「まずはアタマやカラダを休めようや」

 さっさと誘惑に白旗上げ、休憩に一票投じるのはダリオだ。

「けどな」
「ヘタに無理してパフォーマンスを落とす方が、よっぽどこえーぜ? 別にいいじゃねーか、ベイルの治療が済んだらで」

 そう説得しながらも、ダリオはイスにぐったりと身をもたせかけ、すでに眠る気まんまんで目を閉じている。
 夢うつつの声でダリオがぼやく。 

「……一杯だけ、ビールを一気飲みしてぇ」
「俺はコーヒーがあればいい」

 ジュードの本音も休憩に一票だ。

「お湯とカップがあればいいんだが」

 ベストの隙間へ器用に手をねじこんで、ジュードは密かに持参したドリップ式のインスタント・コーヒーを取り出してもてあそぶ。
 半目でチラ見したダリオが不思議そうに問う。

「なあ、こだわるのは結構だが……ポットにコーヒー入れて持ち歩いた方が、よくねえか?」 
「その場で沸かして呑むのが、いいんだよ」

 雰囲気は大事だと。
 ダリオもなるほどと頷く。

「確かに“ただの裸の女”より“脱がした女”の方がコーフンするよな」
「……」

 そんな馬鹿話が長く続くことはなかった。
 通路側から緊迫したイメルダの叫ぶ声が聞こえてきたからだ。



「ジュードっ、敵襲だ!!!!」



 ほぼ同時にバネ仕掛けのごとく立ち上がった二人が、別人の表情を見せて猛然とダッシュする。

「くそっ、休もうとするとコレだっ」

 現役時代(・・・・)を思い出したか、忌々しげに吐き捨てるダリオ。
 二人が通路に跳びだしたところで銃声が。
 先ほど通ってきたばかりの通路の角を見ると、イメルダがエレベータのある方へ駆け出していくところだった。

「奴らだっ。エレベータから(・・・・・・・)溢れてくるぞっ(・・・・・・・)

 的確に情報を流してくれるイメルダのおかげで、ジュードは信じがたい状況にあることを理解する。それはダリオも同じだったらしい。

「まさか――連中、エレベータを使ったのか(・・・・・)?」
「そうなるな」

 ジュードの返事も半信半疑だ。
 例えセキュリティ制限が外されていても、パスカードなしにはドアの開閉はできない。ましてエレベータなど使えるはずがない。
 つまり連中は、死体からカードを奪い(・・・・・・)利用したことになる(・・・・・・・・・)
 あのような化け物に、そこまでの知恵が本当に回るのか?
 つまりそれこそが、“研究員の言葉”の真意であったのか?

(だが事実だとすれば……)

 その想像にジュードは背筋を冷たくさせる。
 なぜならこの施設における安全地帯(セイフティ・ゾーン)の大半が、消失することを意味するからだ。

「……冗談じゃねえぞ、ジュード」

 同じ推論に至ったらしいダリオが低く唸る。

「弾丸は?」
「……弾倉一本」

 ふいの残弾数確認に、不景気なツラで答えるダリオ。
 ジュードも同じ。
 互いにグレネード1個あるだけまだマシか。
 仮に三人で連携し防衛ラインを構築できたところで、どれだけ粘れるかと不安を抱きつつ角を曲がれば。

「おい、どこまで突っ込む気だ?!」

 ダリオが前方奥へと突き進むイメルダの姿を捉えて驚きの声を上げる。あれでは自殺行為もいいところ。

「止まれ、イメルダ! 戻るんだ!!」

 必死で呼び止めるジュードの口が、そこでぴたりと閉じられた。

「なんだ、ジュード?」
「いや、あれでいい」
「は? どこがいいんだよっ」

 疑念たっぷりのダリオに説明せずイメルダの後を追う。

「おい、待てジュード! ふざけろよっ」

 躊躇ったダリオも結局は班長に追随する。
 理由は単純。
 そこそこに通路の幅があるものの、この距離感でイメルダを避けながら射線を通すのが難しすぎるからだ。手許が狂えば背中を撃ってしまう。なので防衛ラインを敷くには、何とか彼女に追いつき、肩を並べて戦うしかなかった。

「これじゃ白兵戦に――」

 呻くダリオ。
 迫る邪鬼の群れ。
 瞬く間に互いの距離が詰まる中、イメルダが通路中央付近に位置する『食堂兼休憩室』のドアまであと少しに迫ったところで、そのドアが急に開けられた。
 正確には十センチ開いたところでぴたりと止められる。通路の喧噪に気付いたのだ。

「そうか――クリスっ」

 ダリオも思い出したらしい。
 彼女を弾薬確保のためにセンターへ行かせていたことを。
 確かに“弾薬補充”を防衛戦術に加えなければ、邪鬼との第二戦は、こちらの陣営が大敗すると見えている。イメルダはそこまで考え、クリスのルートを確保するため、強引にでもラインの押し上げを図ったのだろう。

 ただし、独りで突出するのは無謀すぎたが。

 全自動(フルオート)射撃機能が排除されたSMGでは、例えST弾で威力を高めたところで制圧兵器としては役不足。ジュード達の支援を待つべきだ。
 それでも待っていられない状況であり、彼女には打開する手があった。
 イメルダがM84の安全桿を弾けさせ、手首のスナップだけで的確なポイントに放り投げる。
 モーション途中で気付いたジュード達がSMGから手を離し、咄嗟に耐ショック姿勢をとる。


 閃光と衝撃――


 一瞬で脳みそをショートさせる音撃に、至近距離で喰らった邪鬼の数体が気絶し、少し離れた位置の数体が床に転がり苦しむ。その間隙を縫ってイメルダが叫んでいた。

「――来いっ」

 手招きに応じてクリスが飛び出す。
 ちょいとふらついたのは、重い弾薬バッグを運ぶせいか、あるいはまさか、音響攻撃を邪鬼と一緒に喰らってしまったせいなのか?

(何やってる?!)

 どこか焦点の合っていない拗ねた双瞳に、ジュードは援護すべく慌ててUMP9を構えた。
 発射機構の相違により、この銃はベースのMP5に比べて集弾性能が劣る。
 だが三点射撃(バースト)から単射撃(セルフ)に切り替える余裕はない。ならば、

(“指切り”で一発に絞る――)

 頭で自分に言い聞かせながら、ジュードは大股で通路の端に寄り、極力イメルダを避けながら狙いを付けた。
 クリスを追って邪鬼が迫っている。
 数は二体。

「右を殺る――」

 ジュードは叫んでトリガーをタップした。
 しくじって二発放つ。
 やはり使い慣れた銃でなければ曲芸はキツイ。
 それでも一発が邪鬼の肩に当たって態勢を崩れさせ、続けて撃ち込まれた弾丸で留めを刺した。
 やったのは気持ち左に踏み込んだイメルダ。
 取りこぼしの一体も、まとめて片付けてくれていた。どうやらジュードの意図に気付いてくれたらしい。

「お先――」

 命拾いしたクリスが、何とも気楽な挨拶でイメルダの脇を通り過ぎる。
 合わせてイメルダも撤退。

「もっと左に寄れっ」

 二人に声を掛けるジュードが、右端で片膝姿勢に移り、そのすぐ後ろでダリオが立射姿勢をとる。
 四人の見事な連携で、撤退と支援射撃を可能にする。
 だが迫る邪鬼共も、考えなしに突っ込んでは来ない。

「ちょことまかと……」

 苛立つダリオにジュードが冷静さを促す。

「弾を無駄にできない。よく狙えっ」
「いやばらまくしかないだろ!」

 邪鬼共はジグザグに走り回るだけでなく、飛びはね壁も蹴り、小癪にも回避行動を披露する。
 冷静さを口にしたジュードまでもが翻弄され、あっという間に浪費される弾薬。
 
「ダメだ、弾薬が足りねえっ」
「まだ拳銃(ガン)があるっ」

 肩吊りのSMGを背中へ押しやり、ジュードがホルスターからUSPを取り出した。すぐに弾倉が尽きたダリオも拳銃に移行する。

「このこのっ」

 だが焦りが手許を狂わせ、貴重な弾丸の浪費に拍車を掛ける。これでは弾薬がどれだけあっても保つはずがない。
 万事休すか――誰もがそう思った矢先に「もう一発」とクリスが叫んだ。

「あ?」
「いつの――」

 辛うじて目を瞑れただけ良しとすべきか。
 二度目の閃光と衝撃が通路に炸裂し、対処しきれなかったジュードとダリオが軽い麻痺状態に陥る。

(くそったれ――)

 五感をひとつ失うだけで、これほど状況把握が鈍るとは。
 分かってはいても、そして何度体験しても馴れることはない感覚。

 ただ幸いなのは、敵さんも同じこと。
 そしてほんの少しでも“体験慣れ”はあるということ。
 
 ミュートした動画を観る感覚で、ジュードは必死になって9ミリ弾を撃ちまくった。
 追い込まれた切迫感が異常な集中力を発揮させ、気持ち命中率を高めてくれた感じがする。
 いつの間にか、近づいていた邪鬼の頭部が弾かれた。
 フォローしてくれたのはイメルダ。
 憎らしいことに、彼女はしっかり耐ショック姿勢が間に合っていたらしい。
 数秒のち。

「てめ――このっ」
「はい、お土産」

 憤慨しすぎて言葉がどもる(・・・)ダリオの鼻先に、逃げ切ってきたクリスが弾倉を突きつける。
 不意をつかれたダリオは、怒るタイミングを透かされ、忌々しげに弾倉をもぎ取った。

「ふんっ、後でお尻ぺんぺんだ」
「エロっ」
「バカヤロウ。薄尻を叩くオレの身にもなれっ」

 この非常時にじゃれはじめる二人の正気をジュードは疑う。怒るべきか呆れるべきか。気付けば自分に向けられる鉄面貌が。

「なんだ? 文句なら二人に云ってくれ」
「止める責務はリーダーにある」
「……どいつもこいつも」

 クリスの土産をもらったジュードが、憂さ晴らしするかのように9ミリ弾を派手にぶちまける。同じく新規弾倉を手にしたダリオもまた。

「いいぞ、ジュード。景気よくいこうぜ!」
「うるさい。黙って奴らを叩け」

 鬱憤を晴らすジュードに戦意と戦果を引き上げられ、四人は戦線を一気に盛り返した。エレベータに乗っていた邪鬼の数に限りがあったのも要因のひとつだ。
 クリスによる弾薬補充は戦局を劇的に変えた。
 皆の気持ちに余裕が生まれたのも大事な効果だ。
 おかげで苦戦したのがウソであるように、四人斉射の制圧力は圧倒的で、ほどなく第二戦は終了を迎えた。
 なのに邪鬼をきっちり殲滅したにも関わらず、イメルダがまたも前進を始める。

「おい、もう終わったろ」
「まだだ」

 その返事にダリオが「どういうこった?」と怪訝な顔をジュードに向ける。

「……階下(した)からの供給があるってことだな」
「冗談だろ」

 そう口にするダリオも納得しているようだ。
 やつらの数が尽きない限り、この戦いに終わりはないのだと。
 とはいえ、エレベータの扉はすでに閉じている。
 まだ間に合うかもしれないし、すでに第二陣を送り込んで来る最中かもしれない。
 後者の予想が当たりとすれば、走り込んでいく行為は第二次世界大戦の日本軍がやったという“バンザイ・アタック”そのものだ。
 無意識にダリオとクリスの走力がゆるめられるのも仕方がない。

 だがイメルダとジュードの考えは違う。

 大局的にみて、第三戦を回避できるか否かは、今後の活動に大きな影響を与えると察していた。なぜなら“一戦における弾薬の消費量”が尋常ではないからだ。
 弾薬の補充はできても無尽蔵ではなく、こんな馬鹿げた消耗戦を繰り返すわけにいかない。
 ならば“戦いを避けられる可能性”にベットすべきと考えた。
 ただし、ジュードまで頑張る必要はなかったかもしれないが。

「速い――」

 足には自信があったのだが、女兵士の走力はさらに上を行っていた。

 猫科の捕食獣を思わす、力強くしなやかで、伸びのあるストライド。

 前半のダッシュで差をつけられ、そのまま距離を詰めれず後塵を拝す。

「――やはり、ダメか」

 先着したイメルダがカードをかざすもエレベータのドアは無反応。
 考えられる理由はひとつしかない。

「来ると思うか?」

 遅れて到着したジュードにイメルダが問う。
 ジュードの答えはシンプルだ。

「……それは賭けにならない話しだな」

 焦燥を滲ませて、ジュードは物言わぬエレベータのドアを睨み付けた。


********* 業務メモ ********


●各員行動
・医務室でベイルの治療。(エンゲル、研究員)
・エレベータ前で防衛。(班長2名、ダリオ、クリス)
・センターで通信。(クォン)
・センターで弾薬確保。班長達と合流。(クリス)
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