第6―2話 研究所本棟へ(2)

文字数 6,624文字


11月18日
ビジター・センター 1F

             ――『施設境界ゲート』




【23:11現在】


 出発前、クォンからささやかな情報がもたらされた。それはパスカード作成の過程で判明した、“セキュリティ設定がすべてオフにされていた”という事実。

 おそらくテロリストの仕業と思われ、今やレベル制限に関係なく、カードさえ所持していれば“どこへでも自由に出入りできる状況”になっているというのだ。
 ただし、室内側から物理的ロックができる『機密保管室』などは例外としての話しだ。
 当然、元に戻せばテロリストの自由を奪えるが、どこかで生き残っているはずの警備員達の行動をも制限する怖れがあり、結局、事態を把握しきれていない現状で、余計な真似はすべきでないとの判断が下された。

 かくして、新しいパスカードを入手したジュード達は、『機密保管室』へ向かうべく、境界ゲートの前に緊張の面持ちで立つに至る。

「……こちらダリオ。念のための確認だが“検閲システム”は切れてるよな?」

 今さらな懸念の言葉はチームの誰かに向けられたものではない。

≪しっかりオフにしたから問題ない≫

 監視室でバックアップしているクォンの声が、全員への同時通話で返される。

≪仮に何かあっても、銃弾やレーザーが飛んでくるわけじゃない。ただ両端のドアがロックされて、臨時の“簡易牢獄”のできあがりってだけさ≫
「閉じ込められても、餓死できるだろ」
≪そうなる前にロックを解除してやるから、安心してくれていい≫

 まるで双方向通信かと思わせる器用なやりとり。
 ダリオの怒り方が面白かったのか、クォンの返事には笑いが含まれる。その緊張感のないお気楽なやりとりをジュードが終わらせる。

「ダリオ、任務に集中しろ」
「あいよ」

 返事は良いが、注意された理由を正しく理解しているのか?
 携帯無線による交信は、発信ボタンを押した者だけが“発言権”を得られる仕組みになっている。もし、緊急時の発信を私語通信に邪魔されたらどうなるか――作戦行動に絡まらないかぎり、無闇に利用すべきものではない。
 だからジュードは視線に威圧を込めて、口の軽い班員をきっちり黙らせてからカードをかざす。
 圧搾された空気の抜ける音がして、瞬時に重厚なゲートが重さも感じさせぬ滑らかさで横にスライドした。
 こうした密閉性の高さに、ドア向こうの施設がこれまでと異なる領域であることをジュード達に感じさせる。

「まさかマスクはいらないよな?」

 そもそも任務の発端は、『研究所本棟』における“実験トラブル”の発生にある。今度は真っ当なダリオの確認に、

≪ああ。必要なのはもっと先さ≫

 少しも安心できないクォンの返事。
 彼の事前レクチャーでは、実験トラブルの対処法である『CSP処理』はすでに完了しており、使われた“高濃度ホルムアルデヒドガス”はきれいすっきり排気処理されているとのことだった。
 それでも2時間前までは、研究所内に致死性ガスが充満していたかと思うと、進むことに躊躇を覚えるのは当然だ。

≪仮に間違ってたら、所員もテロリストもガスにやられて死んでることになる。彼らが中にいるそのことが、ガスが排気されている証拠だよ≫
「甘いな。所員なら備えも万全だろ? テロリストにしたって、実験トラブルが奴らの仕業だとしたらどうだ? だったら化学防護の準備くらいしててもおかしくねえ」

 疑り深いダリオにクォンの苦笑が無線越しに洩れ聞こえる。

≪いいから屁理屈はそこまでにして、さっさと出発するんだ≫
「ちっ。だったら、てめえも来てみろってんだ」

 ダリオが非交信で毒づきながら、慎重に一歩を踏み出した。
 ゲートが開放された先――煌々と照らされた通路はよく磨かれ、清潔感に溢れていた。
 何事もなかったような空々しさが、かえってジュード達に緊張感を抱かせる。
 歩みは自然と遅くなり、息殺し足音を忍ばせながら、彼らはゆるやかに『研究所本棟』へと踏み込んでいった。


 ◇◇◇


 頭で分かっていても、『検閲システム』の一環である通路閉鎖時は、必要以上の緊張を強いられた。

 頑丈なゲートが重々しく閉まる迫力。
 分析装置の作動音なのか、ブゥンと無数の羽虫が唸り飛ぶ低い鳴動音。
 そして通路に閉じ込められ、先行するチームBだけとなった心許なさも、少なからず心理的な圧迫を皆に与えていたはずだ。

 当然、こういう時に焦れて口が軽くなるヤツは大抵決まっている。

「……なんか、ヤベえトラップが発動しそうな雰囲気だよな?」

 某映画の殺戮シーンを思い出させるダリオの妄言に、クリスが「シャラップ!」と隊列を乱してでもケツを蹴飛ばす暴挙に出て、場の混乱を招いたのはご愛敬。
 結果的に危機的トラブルは何も起こらなかった。
 それで済ませるジュードではなかったが。

「報酬マイナス10ドルだ」
「「ええーっ」」

 ダリオと共に「何で自分も?!」と小声でわめく(?)クリスをジュードは睨み返す。

「次やったら、今の倍減らす」
「おい、どう考えてもクリスが――」
「はあ? それはこっちの――」
「マイナス20ドル」

 冷めきった宣告に、ふたりが口を両手で覆う。
 笑えるくらいおたつく(・・・・)二人にジュードは唇を引き結んで凄んでみせる。

「次は40ドル。報酬があるうちに学習しろ」

 いいなと念を押し、先へと促した。
 イメルダが知ったら依頼を後悔するだろう悶着を強引に終わらせ、ようやく検閲通路を抜けると、そこはセンター右側で見たのと同じレストルームになっていた。

≪何かあったかい? 進むのが遅いよ≫
「別に」

 ジュードが素っ気なく答えたのが良かったのだろう。監視カメラの映像でチームを追いかけるクォンは、気にせず部屋の説明をしてくれる。

≪そこは常駐する所員の『食堂兼休憩室』だ。左手に隣接するのが厨房になる≫

 20人くらいが一度に入れる広々とした部屋は、食事を受け取るカウンターで厨房と隔たれており、当日限りのスペシャル・メニューが手書きされたボードも立て掛けられている。
 トップ企業の提供するメニューがどれほどのものか興味も湧くが、ジュード達の視線を惹きつけたのは、乱雑に倒されたイスやテーブルの姿だ。

あれ(・・)――」
「ああ」

 ダリオの目配せにジュードは頷く。
 少なくない量の血だまりが、損傷の目立つテーブルの下などに散見された。だが。
 
「死体はないな」

 床にひざまずくダリオに、クリスが「何とか逃げられたようですね」と血の跡を示す。
 点々と滴る血もあれば、引きずったように擦れた血の跡も辛うじて残されている。それらは正面奥のドアに向かって集約されていた。

「逃げた、ね。……逃がしたのかもしれねえぜ?」
「どーいうことです?」

 厭な笑みを浮かべるダリオにクリスが尋ねるが、「それよか」と答えをはぐらかし、血痕に近づく。

「あの? 何ですか?」
「……これ固まってるぜ。ガスのせいか?」

 慎重に指でこするダリオに「そんなこと」とクリスが肩すかしを喰らった顔をする。

「2時間も経てば固まりもするかと」
「けど2時間前なら、毒ガス発射のタイミングだ」

 テロリストだって施設内をうろついているはずがないと。

「なら、そのあとに襲撃されただけでは。屋内なのに結構寒いですし、案外早く乾いたのでしょう」
「……ああ、そうか。そうだな」

 どこか納得いかなげなダリオに「そこ、こだわるトコですか?」とクリスは肩をすくめる。そんな二人と同様に、

「どうした?」

 床をじっと見つめるエンゲルにジュードが尋ねると、どうやらまき散らされた食器などを気にしているらしい。

「いや、食事が――」
「研究にのめり込んで、遅めの食事を採ってたみたいだな。おかげで真っ先にテロリストに狙われるハメになったわけだ」
「ああ。だが云いたいのはそこじゃない」

 エンゲルもダリオ同様に、床に顔を近づけ、冷たくなったニンジンの煮物をしげしげと見つめる。

「なんて云ったらいいか……古いというと言い過ぎだが、作り置きしていた料理みたいな感じがする」
「悪い。云ってることが分からん」

 目一杯、眉をひそませるジュードにエンゲルも困り顔で応じる。そのまま悩ましげに唸っているところで、

社長(ボス)、厨房もクリアです」

 いつの間にか、隣室奥までチェックしていたクリスの報告を受けて、ジュードは話を打ち切り、前進を促した。

「依頼人のご指示だ。違和感あるのは認めるが、まずは『B3』にある『機密保管室』の確認を優先する」
「わかってる」

 異論なしと頷くエンゲル。

「ただ……周囲への警戒を怠らない方がいい」 
「もちろんだ」

 ジュードはエンゲルの肩を叩いて奥のドアへと歩を進めた。


 ◇◇◇


 正面ドアの先は横に延びる通路。
 エンゲルに右を警戒させ、三人で左側へ。
 すぐに右へ折れる通路に差し掛かったが、無視してまっすぐ奥に向かって突き進む。
 目指すは地階へ降りるエレベータ。
 他は寝室や医務室などで居住区画を構成しているだけの枝通路で、今のジュード達にとって特別用はない。とはいえ、

「クォン。あとでチームAに居住区画をチェックさせてくれ」
≪そんな暇はないと云ったろ?≫

 当然の返答にジュードは粘る。

「一室だけでもいい。どうしても食堂の血痕が気になってな。とにかく、余計な憂いは断っておきたいんだ」
≪……分かった。一室だけだ。それ以上は、君たちへのバックアップに支障が出るからね≫
「すまん」

 意外にも承諾を得られてジュードは胸を撫で下ろす。何気なくエンゲルに視線を向ければ、同じく安堵の表情で頷き返された。
 これでいい。
 どっかの映画みたいに“死体が蘇る”と思っているわけじゃない。それでも万一、テロリストが潜伏している可能性だってある。懸念は払拭しておくべきだ。
 そんな先陣を切る者の抱える不安など知る由もなく、安全を担保されているクォンは、ただ先を急がせる。

≪乗ったら『B3』だ。『B2』は基礎実験フロアだから、僕らには関係ない≫
「ん?『B1』が選択肢にないが……?」

 エレベータに乗り込んだジュードが、タッチ画面のデジタル表示に違和感を感じて尋ねる。

≪仮にも疾病対策を旨とする研究所だよ? 感染源の漏洩対策の一環で、『B1』にあたる部分をあえて造らず、天然の土砂層を用いて分厚い疑似隔壁を構築しているのさ≫

 それは大した念の入れ用だ。
 あるいはベースが旧軍事施設だからこその造りなのかもしれない。

≪それより定員オーバーになるはずだから、結局は君たちだけで先に降りることになる≫
「了解」

 どのみちチームAには別口の捜索を依頼中だ。
 合流を待たずにジュードは『B3』を指定して、クォンから事前にタブレットで教示された『B3』マップを脳裏に蘇らせた。
 
「肝心なのはここからだ。着いたら、俺がエレベータを開けておくから、ダリオを先頭にエンゲルと二人で進んで保管室前に展開。クリスは手前左に延びる通路を監視しろ」
「相手の火力が強すぎる時は?」

 テロリストの迎撃ありきなエンゲルの問いに「一度上に撤退する」とジュードは答える。これらの戦術は事前に検討済だ。今は再確認しているだけにすぎない。

「もう一回、肩透かしってことは、ないよな……」

 ダリオの呟きにクリスが細眉をひそめる。呆れたのか、侮蔑であったのか。ジュードは緊張感をほぐすための軽口と受け止め聞き流す。
 無言のまま、エンゲルが銃身下部に取り付けたフラッシュライトを点灯させた。
 同様に他のメンバーも銃のライトや胸部に固定したライトを点灯させていく。
 そろそろだ。
 すぐにかすかな降下感が消え失せ、『B3』到着を知る。

 いきなりの熱烈な歓迎か――?

 緊張感を高めた全員がほぼ同時に身構え、エレベータのドアがゆっくりと開かれた。
 臆せず先陣を切るダリオ。
 ぴたりと張り付くエンゲルの真後ろにクリスも続く。そのすぐあと。



「……さすがに、これはないな……」



 ジュードの呟きは、弾幕の狂騒曲を聞かされるどころか、不気味なほどの暗闇と静寂に出迎えられたためのもの。


 問題の『B3』フロア。


 そこには空虚さを感じるほどの乾ききった空気に満たされているだけであった。

「こんなことって、あるのかよ……」

 当惑げなダリオの囁き。
 それは全員の胸中に湧き上がった思いでもある。
 なぜなら、ここにテロリストがいなければ、これまで築いた現状予測を根底から見直す必要が出てくるからだ。
 だが何を、どう見直せばいい――?


≪どうした? テロリストの気配を感じるのか?≫


 火線も交えず、ただ動きを止めた理由をクォンなりに推測したのだろう。
 「そうじゃない」と答えただけのジュードはろくに説明もせず、四つのライトが照らし出す先に目を凝らし続ける。
 フロアの構造に記憶との差異はない。
 エレベータから先の前方は、これまでの通路4、5本分はある幅広な大通廊となっていた。
 一部の照明が生きているだけで他は闇に呑まれており、奥まで見通しが利かない。例え強力なフラッシュライトをもってしても限界がある。
 ただ、幸いにも目標とする『機密保管室』は数メートル先の右手。視界の範囲だ。

(――よし)

 ジュードはたっぷり10秒待ち、危険なしと判断したところで、ダリオに前進を合図した。
 素早く近づいたダリオが、一度ジュードの様子を窺ってから、保管室ドアの開放を試みた。

「――開いた」

 軽い驚きと、やはりかという不安混じりの得心がジュードに呟かせる。
 同じ感想を抱いたらしい表情のダリオが、やけにあっさり開いたドアを警戒しつつ、真剣な目付きで室内をのぞき込み、やがてジュードに向けてゆっくり首を振った。

 何もない――?

 屍体が転がっているか争った跡があるなら、まだしも。
 肝心の装置はもちろんのこと、テロリストや所員の姿形も見えないのは、いくらなんでもおかしすぎる。
 本当に何もないのか?

「クリス、どうだ?」
「……特に。何も」
「そうか」

 担当方向へ銃を構えるクリスは至って平静そのもの。
 彼女の感覚は非凡だ。
 望まぬジャングル生活を強いられ、そこで生き抜くために研ぎ澄まされた鋭敏な感覚は、獣並みに利く。それが異常を察していないのであれば、そのとおりなのだろう。
 どことなくこの場に不安を覚えるのはジュードの気のせいなのだ。きっと。
 いや、他にもいた。


「……何だか怖くなってきたな」


 半笑いで呟くダリオの言葉をジュードはあえて無視する。
 リーダーの不安はチーム全員に伝播し、実力発揮を妨げる要因になりかねない。だからジュードはできるかぎり冷静な口調でクォンに問いかける。

「クォン。こちらの戦果はゼロだ。装置もなければ敵の影もない。――いや、誰の影も」
≪…………≫

 すぐには応答がなかった。
 普通に考えれば、あり得ない事態に、言葉に詰まるのも当然だ。

「クォン、チームAの成果はどうだ?」
≪……ああ、ちょっと待って≫

 ようやくそう応じてから、しばらく後。

≪特になし。部屋はもぬけの空だそうだ≫
「血痕は?」
≪何の異常報告もないね≫

 やはりテロリストから逃れるために、全員が避難したということか?

「地下4階以降はどうなってる? そこに所員達も逃げ込んだということは考えられないか?」
≪さて、どうだろう。『B4』以降は機密事案の研究フロアだったり、『動力フロア』や『燃料貯蔵フロア』にもなっている。どれも施設の要所だから、セキュリティが高くて一般所員が立ち入れるフロアにはなっていないんだ≫
「おい、今はセキュリティが解除されてると云ったのは、おまえだぞ」
≪そうだった――。けどそうなると、セキュリティを解除したのは、テロリストじゃなくて所長だったとか……?≫

 無線の向こうで何やら考え込むクォン。
 ジュードも傍受していた全員と互いの顔を見合わせる。


 この状況を、どう捉えればいい――?


 だが答えなど誰にも分からない。
 嫌が応にも困惑と動揺がチームに広がる中、ジュードは腹に力を込めて宣言した。

「チームAを呼ぶぞ」

 どのみち行動方針や作戦を決めるのは自分達じゃない。
 頭を悩ませるのは依頼人に任せようと、ジュードはさっさと気持ちを切り替えた。



********* 業務メモ ********



●確定事項
 ・B1居住区画の一室について異常なし。
 ・B3機密保管室に記憶装置なし。
  (所員もテロリストも、何かの痕跡もない)

●行動方針
 チームAと合流し判断を仰ぐ。
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