第19話 裏切る者
文字数 5,859文字
11月19日
研究所本棟 B7
――『管理通路』
【04:08現在】
壁の爆裂孔を抜けてすぐ、ジュードは通路床に小さな血だまりを発見した。
先行する誰かが大きなケガを負ったのだろう。
おそらくは『02』でバケモノ共と戦った“強奪者”。
この場で止血を行ったのか、流血量はわずかに抑えられ、非常階段へ向けて血の滴がポツリポツリと垂れていた。
それも2人分。
これで“強奪者”の人数が最低でも2人以上であることが確定したことになる。
「……ウチらと同じ『
「つまり“追いつきゃいい”ってもんじゃない」
そう声に苦みが混じるジュード。
例え2名がケガで“お荷物”になったとしても、銃の扱いに支障がなければ、人数分の脅威は健在なままだ。
こちらも相応の小細工を用意せねばならない。
クリスもそう考えたのだろう。
「“不意打ち”は当然の条件として、ボーズ先輩らのバックアップも欠かせませんね」
「追跡は静かに、叩くときはド派手に、だな」
ジュードも格言めいたことを口にして、速さよりも足音を殺すことを優先する。なのにクリスは黙っていられないらしい。
「それにしても、連中……どうやって脱出するつもりだったんでしょう」
ここは断崖の中腹だ。
しかも夜で視界は悪く、風も読めない。
つまり滑空装備で飛び降りるのは自殺行為である以上、必然、航空機に頼るしかない。
なのにセンターの外でそれらしき機体を見た覚えがない。クリスの疑問は最もである。
だから注意しようと口を開けたところでジュードは思い止まり、話に付き合ってやることにする。
「……無論、ヘリに決まってる」
「いや、ありませんでしたよ?」
「なくて当然だろう」
さらりと答えるジュード。
「本当はトラブルの騒動に乗じて奪い取る計画だったはずだ。だが想定以上の混乱に巻き込まれ、深手を負うアクシデントまで発生した。当然、脱出に時間が掛かる。――ヘリの仲間に見捨てられた可能性は高い」
「『B7』じゃ外とは通信できませんからね」
なるほどと理解を示すクリス。
「焦れたパイロットが“任務の失敗”と判断しても仕方ないですか」
「それに『移送プロトコル』による護送部隊が来ることを連中は知ってたはずだ。例え“時間稼ぎ”をしたところで限度はある。俺達と同じだよ。奴らにも滞在のタイムリミットがあったわけだ」
こうして憐れ脱出手段を失った侵入者達は、それでも任務を全うすべく今も全力を尽くしている。
あるいは、ただ生き残りを賭けて脱出しようと足掻き続けているだけかもしれない。少なくとも、手元に“切り札”がある限り、逆転の目はまだあるのだと自身に言い聞かせながら。
「――追い込まれている相手だからこそ、厄介かもな」
やけに声を低くさせるジュードは、記憶の隅で焦げ痕のように残っている、中東での対テロ作戦を思い起こしていた。
あの時もたった2人しかいない手負いの過激主義者相手に、8人で戦ったにも関わらず4人の仲間を失った。
戦術にミスはなかった。
それでも決死の特攻や被弾しても撃ち返してくる執念を相手に、無傷で切り抜ける術は無かった。
(思えば高すぎる勉強代だ――)
口中に苦みを感じ、銃身を支える手指に思わず力が入るジュード。
これでは索敵に支障が出る。
ジュードは軽く首を振って雑念を払い、あらためて前方を睨み据える。
フラッシュ・ライトが照らす先に白光を鈍く照り返すスチール・ドアが見えていた。
つい少し前、イメルダを先頭にメイン・フロアに踏み込む時までは、そのドアがきっちり締めらていたことをジュードは覚えている。それが今は
そこにはバックアップに回ったクォン達がいるはずだ。なのにドア向こうからは物音ひとつ洩れてこない。
ダリオ達は何をやっている?
静かすぎる状況に、抑えめにしていたジュードの足は自然と速められる。
10秒と経たずにドア前に到達。
ジュードはクリスとのアイコンタクトもなしに素早く中を覗き込んだ。
右方空間には誰もいない。
一歩踏み込んでドア裏の空間をチェックした時、それが目に入った。
「――誰だ?」
思わず疑問の声を上げたのは、目にした人物が、ここで待機しているはずのクォン達でなければダリオ達でもなかったからだ。
ただし見覚えがないわけではない。
壁際で足を伸ばして座り込み、血塗れの上半身を力なく斜め倒しにする男は、野球帽を逆向きに被っていた。
「この人――“メジャー”ですよね?」
後ろから覗き込んできたクリスが驚きの声を上げるのも無理はない。
「あれ? だって、死んだはずじゃ」
「ああ、確かに死んでるな」
腰を屈め、首筋の脈をみたジュードが淡々と同意する。
「いや、そうじゃなくてっ。さっきなかった死体が何でこんなトコにあるのかって事ですよ!!」
「歩いたからに決まってる」
「死人が歩くもんですかっ」
妙にドライすぎるボスの態度にクリスは苛立ちを隠せない。地団駄踏むように握り拳を上下に振る彼女を、「だから」と語気を強めるジュードが、一語一句聞き取れるようにゆっくりと言い聞かせる。
「辛うじてメジャーは生きていた。何とかここまで歩いてきたものの、ついに力尽きたというだけだ」
「でも“死んだ”と云ってましたよね?」
「そう思ってただけかもしれん」
「どうだか。あの“捨てゼリフ”を云ったのもイメルダです。そう考えれば、ウソをついたとしか思えません」
辛辣に聞こえるが、ジュードもクリスの意見に賛成だ。
「チームAはクォンと共に行動していた。だから記録室に装置がなかったのは確かだし、バケモノに襲われたのも俺達自身が体験したから本当だ。
だが一方で、メジャーを『02』に先行させたとしか考えられない現実がある。それはなぜだ? 先に装置を奪っていた“強奪者”と落ち合うためだとしたら、おかしなやり方だ」
「そうじゃなければ、サンプル採取が目的になります。ただその場合、“強奪者”とイメルダ達は共犯関係にないことに……もう何がどうなってるんですか? 本当にこんな複雑な話なんですか?!」
「そりゃ――」
ジュードが答えようとしたところで、非常階段のブロック内に小刻みな銃声が鳴り響いた。
二人が天上を見上げる。
ここは最下層。
上層のどこかでアクシデントが起きたのは間違いない。
「――行ってみれば分かるっ」
回答を先送りしたジュードが階段を駆け上がりはじめる。
「――デスヨネ」と不満げに続くクリス。
正直、この状況にジュードも戸惑っていた。
“強奪者”を追いかけていたつもりが、実は死んだはずの人間で、かと思えば、クォンもイメルダも消え去り、仲間さえも見当たらない。そこで考える暇も無く銃声だ。
「くそっ、振り回されてばっかりだっ」
苛立ちを階段登りの力に換えるジュード。
同様にクリスも悪態をつく。
「だからYDSの案件はキライなんですよ!!」
命懸けの戦闘行為だからこそ、本来なら綿密な計画立案と十分な準備が必須だ。なのに、YDS依頼の案件は“状況次第”に“適宜対応”していくのが多すぎる。
いや、それがすべてだと云っていい。
「これもボスのせいですからねっ」
「おい、俺は被害者だぞ?!」
「三度もひっかかれば確信犯ですっ」
ひとまわりも年若い小娘にツッコまれ、言い返すこともできずに押し黙るジュード。その顔がリコリス菓子を口にしたように渋面になるのは、きっちり自覚しているからだ。
調子づいたクリスの悪態は止まらない。
「サンプルも採れず、装置も手に入らない。当然ながら報酬がもらえるかもわからない。これじゃ生きて帰れても、実入りがあるのはボスだけですよっ」
「あ? 何でそうなる?!」
「ボスにはMポイントがありますから!!」
知らないんですか、とクリス。
「“タダ働きで、虐待じみた仕事”を心から求め欲する――」
「???」
「――“真性のマゾ”だと、ゼイゼイ……それが、ボスに対するゲフォッ……業界の認識ですっ」
さすがに無駄口を叩きすぎて息が上がりはじめたクリスが、もだえ苦しみながらも業界の噂を教えてくれる。
いや、ジュードにとっては知りたくもなかった醜聞であるが。
「今回で、コフッ、かなりのMポイントがっ」
「いい、黙ってろ」
ピタリと足を止め振り向くジュード。
不思議と胸の痛みもなく、自分でも惚れ惚れするような身のこなしで、銃口に見立てた二本指を小娘の額にポイントする。
クリスが小首を傾げて。
「貯めれば換金できますよ?」
「なら、そいつでおまえの墓を建ててやる」
どこまで本気か分からぬ小娘に悪態を返すだけで良しとして、ジュードは近づいてきた上階の騒動に意識を集中させた。
本当に遊んでる場合じゃない。
構造的に音響効果が高められるのか、鼓膜が痛くなるような銃声のタッピングが響き渡り、どれほどの戦いが起きているのか想像もできない。
ただ問題視すべきは銃声に混じるケモノや人の喚き声。
「どうなってんだこらぁ!」と聞き覚えのある叫び声を耳にして、ジュードは思わず苦笑いしてしまう。
「やっぱ生きてましたか」
残念がるような口調のクリス。「それにしても連絡を怠るなんて……」と憤り、「ねじ切っちゃいましょう」とか物騒なことを呟いている。
ならせめてとジュードは立ち止まり、
「弁明の機会を与えようじゃないか?」
そこでタイミング良く駆け下りてきたダリオをしかめっ面で出迎えた。なのに、
「どけぇ、ジュード!!」
「のわ?!」
踊り場に飛び降りてきたダリオは勢いそのまま、内側の手摺りを掴んで急旋回――待ち構えるジュードを激しく突き飛ばす。
いや、肩口に当て抜けながら、すぐ後ろにいたクリスとモロにぶつかった!!
「きゃぶ?」
マヌけた悲鳴ごとクリスの小さな身体を胸に抱きしめたダリオは、「わわ?!」と困惑の悲鳴を残して次の踊り場まで駆け下りる。
そのまま受け身も取らずにまっすぐ壁に激突してようやく止まった。
壁とサンドイッチにされたクリスは?
勢いあまって壁に頭突きをカマしたダリオのダメージは?
とにかく二人もつれて落ちなくてよかったと、ジュードはちょっぴり安堵しながら、
「…………大丈夫か?」
おそるおそる声を掛ける。
無論、すぐに返事などあるはずがない。
打ち所が悪ければ、大ケガ必至の危険なアクシデントだ。
だがすぐ上の階から、大口径の発砲音や雄叫び、金属を傷つける擦過音などが近づいてくる。
おそらくはバケモノに襲われ、応戦しながら必死で逃げてくる者達が。
なのでジュードに二人を気遣ってやる余裕などなく、「悪いが――」そう強めに声を掛けようとした時、
「つあ?!」
ダリオが股間を押さえてうずくまった。そのボーズ頭が下げられる向こう側から、いつも以上に目付きを鋭くさせた娘の顔が現れる。
唇を歪めて「ぺっ」と年長者に唾を吐きかけ、
「いきなり何しやがるんです、このケダモノがっ」
そう鼻息荒く罵倒する。
銃口を突きつけないだけマシだとは思えない。
ジュードにはダリオの痛みがよく分かるからだ。
思わず大事なタマが竦み上がって叱責もできず言葉を詰まらせるところへ、思わぬ助け船が。
「ボス、連絡できなくてすまんっ」
小走りに降りてきたのはエンゲルだ。上方へ銃口を向けながら、詫び、そして撤退を促してくる。
「上からゴブリン共が雪崩れ込んできた。一度戻るしかない」
「何があった?」
ジュードが知りたいのは、別のことだ。
「詳しくは分からん。だがイメルダはランドリッジが裏切ったと」
「それでコレか?」
まるで銃声の雨を浴びるような状況をジュードが首を傾げて差し示す。
眉間にきつくシワを寄せてしまうのは、今の云いっぷりだとイメルダに害されたと思えないからだ。
(どうなってる――?)
表情以上にジュードの胸中は混乱する。
裏切ったのはイメルダの方じゃないか?
そのイメルダをランドリッジが裏切った?
それとも――
「クソッ。どの情報も噛み合いが悪すぎる。誰かがウソをついてるか、それとも繋ぎ合わせる重要なピースがそろってないのか。これじゃ――」
いくら考えたところで出口は見えない。
実際、悠長に考え込んでいる場合でもなかった。
エンゲルに続き、これでもかと顔を引き攣らせたクォンが、息も絶え絶えに駆け下りてきたからだ。
「ヒィ、ハァ……ちょ、どいてく――わ?!」
焦って階段をずり落ちて、咄嗟に手摺りにしがみつくクォン。
「は、早く逃げ……ろ!!」
「おまえら、何やってる?!」
かぶせるように上階から苛立ちをぶつけてきたのはイメルダだ。腹に響く発砲音を轟かせながら、一段一段、慎重に降りてくる。
発砲のたびにバケモノの断末魔が上がり、しかし連射ができない欠点を踊り場にいるエンゲルが的確にフォローする。
「モタモタするな、死にたいのかっ」
「ちっ。いったい誰のせいで――」
キレかけたクリスを「やめろ」とジュードは手をかざす。
「言い争ってる場合じゃない。即時退却だ」
「あーもう!!」
大声上げて不満をまぎらわし、反転するクリス。
ジュードも階下へ降りかけ、足を止める。
「待て、クリス」
先頭切って駆け下りようとする娘を呼び止め、
「そっちじゃジリ貧だ。ここは思い切ってフロアに出てみよう」
クリスが背にしていた壁のドアを指差した。
そこに記されているのは『B6』の大きな文字。
一種の賭けではあるが、ジュードなりに勝算はあった。
「了解!」元気よく返事して身を翻すクリス。それより早く、腰をトントンと叩いて自身をケアしているダリオの脇をすり抜け、クォンがドアに取り憑いた。
「おい、待て」
ジュードの制止に、「うるさい」と恐怖に駆られたクォンは聞きもしない。
「なら、向こう側に注意しろ」
「それより後ろの心配をしろっ」
せっかくの警告を憎まれ口で返してクォンはドアノブに手を掛ける。
顔や服に飛び散る血糊は誰のものか。
再開までの短い時間で、彼が味わったであろう恐怖を体現するような震える手が、力一杯にドアを開く。
クリスが手を伸ばすが間に合わない。
エンゲルも階段を飛び降りたが届くことはなく。
開かれた暗がりの向こうにクォンは跳びだした。
********* 業務メモ ********
●トピック
管理通路の床に血の滴が2人分。
非常階段の最下層にメジャーの死体。
ランドリッジの裏切りで非常階段にゴブリンが侵入した。