第16話 カーニバル

文字数 9,414文字



11月19日
研究所本棟 B7

            ――『監視エリア通路』




【03:57現在】


「……何の音だ?」

 ジュードの耳が捉えるは削り、千切り、壊す音。
 同じく怪音を聞き咎めたイメルダも、足を止めて聴力に全神経を尖らせている。



 カリカリ、カキコキ、カリカリ……
   ガリコリ、キッ、クコキコキ……
 コリコリコキクキ……



 無数の何かで金属をひっかき、削り、噛み砕く。
 そうとしか思えぬ、背筋に蟲が這い回るような悪寒を抱かせる嫌な音。

「どっからだ――?」

 たまらずジュードが後ろを振り返れば、ぶわりと鳥肌を立てる細腕を、これ見よがしに突きつけてくるクリス。

「これは――良くない気がします」
「……同感だ」

 頷くジュードが班長の意向を窺うと、

「止まるな、前進だっ」

 しごく真っ当な決断が下される。
 ジュードやクリスに異論があるはずもない。
 『B7』が“化け物の巣”になっていることは、はじめから分かっていたことだ。ならば、その場に留まるほどに事態が悪化することは容易に予想がつく。

 だから考えても無駄だ。
 打開の策は“前進”のみにある――。

 脇目も振らず顔を正面に固定したまま、大股でT字路を突っ切るイメルダ。
 続けて跳び込むジュードが、我慢できずに横目でちらりと左通路奥の様子を窺ってしまう。


 ――――いる。


 幸いにして連絡路に入り込んでいなかったが、向こう側のエリアにはバケモノ共の不気味な影がちらついていた。

(こっちを見るなよ――)

 その一事に、ありったけの念を込めるジュード。
 今は無神論者となった彼であっても、この時ばかりは胸の中で何度も十字を切る。
 その行為を嘲笑うように、背後では連中の相争う喚き声が。
 どうやら新たに現れたゴブリンの集団が、凶羊の屍肉を目に留めて、獣欲のままに襲い掛かったらしい。
 これもランドリッジが予想した“生存競争”の一端か?
 己が細胞の異常活性化がもたらす“飢餓感”に行動のすべてが支配されるバケモノ達の饗宴。
 それは奴らの最後の一匹、いや、体細胞のすべてが死に絶えるまで、生きてる限り永劫に続く呪われた祭儀。
 そんなものに付き合うだけ馬鹿だ。
 好きにやらせておけばいい。
 ジュードはこのT字路で線引きし、すべての凶事を置き去りにするつもりで力強く横切る。まるで今後の運命を占うような一瞬が無事に過ぎ、思わず安堵の息をついたところで、



 …………あ…………



 背後で洩れる小さな悲鳴。
 まさか奴らと目を合わせてしまったのか?

「ボス!!」
「分かってるっ」

 皆まで云わせず、ジュードは駆けだした。もはや足音を忍ばせる意味は無く、彼女を叱責するのも無駄に時間を浪費するだけだ。
 それよりもと、ジュードは急いで通路に並ぶドアプレートの字数をチェックしはじめる。

「ここが【04】、【03】……」

 そもそもの目的は装置の捜索だ。
 チームはすでにエリア中央部まで到達しており、ゴールの『ケージ02』は目前である。
 ならば遮蔽物すらない場所でゴブリン共を迎え撃つ無茶をするよりも、とりあえず目的の部屋に立て籠もった方がマシだとジュードは判断する。

「ボス――」
「ダメだ、我慢しろ」

 交戦したいのだろうクリスの要望を即座に却下するジュード。だが、

「そうじゃなくて、ボス!」

 二度目は悲鳴に近くなったクリスの叫び。それは別の緊急事態を差してのものだった。

 あれは――?!

 ジュードもそのことに気が付いた。
 『ケージ03』の壁面が心持ち膨らんでいるように見えるのを。いや、こうして見ている間にも、急激に膨脹しはじめて今にも破裂せんばかりになっていた!
 怪音の正体がコレか。
 今や背後からだけでなく、すぐそばでも。
 襲い来るバケモノ共や突発する怪事に煽られて、逃げるだけの消極策に我慢しきれなくなったクリスが、声高に宣言する。 


「すみません、一発カマします!!」
「バ――」


 何をやらかす気か瞬時に察したジュードが、バカヤロウと怒鳴りながら耳を塞ぐ。
 イメルダに注意する暇はない。
 背後の動向に気づけぬイメルダが、ふと無防備に立ち止まったところで、激烈な音響と閃光が通路いっぱいに迸っていた。



 ――――――!!!!



 タイミング良く――むしろそれをこそクリスは狙ったのだろう――T字路の横合いから溢れだした、別のゴブリンの群れが、直撃を受けてバタバタと倒れる。
 同じく凶羊の屍を貪り尽くし、迫っていたゴブリンの第二波も、電源を喪失したドローンのごとくまとめて床に転がった。
 だが良いことばかりじゃない。
 独断専行の代償は、チームへの被害となって払わされることになる。三半規管をやられたらしいイメルダが、よろめいて壁に手をついていた。
 
「――このスカタンが!」

 立場上、とりあえずジュードは叱責したものの、戦術的成果としては申し分ない。むしろハンド・グレネードの扱い方としては褒めるべき投擲タイミングと言えるだろう。
 だから反省の色も見せないクリスへの小言を即座に諦めて、ジュードは足早にイメルダの下へ。

「大丈夫か?」

 視覚を奪う閃光は背中から浴びたので心配ない。
 問題は“音撃”による一時的な脳機能の障害だ。
 だが鉄仮面が邪魔して見た目には分からない。
 防御力を高めるのも結構だが、もはや敵に対する物理的防御よりも味方に対する心理的防御でしか活躍していないように思える。
 これでマスクする意味があるのか?

「構うな」

 イメルダはそっけなく手を振り、覚束ない足取りで『02』とペイントされた部屋の前に立つ。
 そうか。
 先ほど彼女が立ち止まったのは、目的の場所に着いていたからか。

「もう壁が――」

 クリスの切迫した声にジュードは振り返る。
 耳障りな金属の破砕音に背筋を痺れさせながら、ジュードは『ケージ03』の裂壊した壁面から一匹の小動物が顔を出すのをはっきり視認した。

 それは羊と同様、こちらも猫ほどの大きさがある巨大化した鼠。
 鼻をひくひくさせるのは、通路側の状況を鋭敏なる嗅覚で見極めようとしているためか。

「くっ」

 ジュードがSMGの銃口を向けるより早く、撃ち込まれるクリスの9ミリ弾。

 ピギッ

 肉片を飛び散らせて鼠が室内へと弾かれた次の瞬間、別の新たな一匹がひょこりと顔を出す。
 間髪置かずに発砲音。
 クリスの精密射撃が鼠の頭部を吹き飛ばす。
 それでも次の鼠が顔を出す。

 発砲。
 鼠。
 発砲。
 鼠。

 そのまま立て続けに6発撃ち込んでも新たな鼠が際限なく顔を出してくる。これでは切りが無い。
 いや――むしろ壁の損傷が広がって、一度に這い出る鼠が二匹、三匹と数を増す。

「ジョーダン――」

 さすがに焦りを滲ませるクリス。狙点を小刻みにズラして精確無比に撃ち抜く射撃センスは尋常じゃないが、鼠の攻勢はそれをわずかに上回る。
 ベキリ、と。また壁の裂け目が大きくなる。
 間違いない。
 この鼠が鉄の壁を食い破っているのだ(・・・・・・・・・)

「こいつが……『噛み鼠(バイト)』ですねっ」

 凶羊に続く新たなバケモノの出現に、記憶を呼び起こされたクリスが苦しげに呻く。
 ゴブリンと違い、一発で撃退できるとしても、こうも数が多いと一度のミスが命取りになる。その忙しさと極度の緊張感が、クリスから一切の余裕を奪っているのだ。
 クリスの集中力が限界に達する前に何か手を打たないと。
 そうジュードが思ったところで、追い打ちを掛けるように、通路奥の角を曲がって“ゴブリンの第三波”が現れた。しかも今度は少しじゃない。これまで以上に密集度の高い群れだ。

「くそっ……」

 ジュードの眉間に強くシワが寄る。
 やはりあの場所で、ダリオが防波堤の役を果たせていないことがつくづく悔やまれた。
 何よりまずいのは、このペースで増え続けるようなことがあれば、いずれ通路いっぱいにバケモノが溢れかえり、必然的に逃走経路を断たれてしまうことだ。

「やつら、何匹いやがるんだ……」
≪まずいぞ、これは≫

 今さらなクォンの呻き声。
 思えば展開の速さに、彼の情報を活かすことができていない。彼自身もその道のプロでないため、どのタイミングでどんな情報を流せば良いのか分からない、ということもあろう。
 だが嘆いても仕方が無いことだ。

≪手榴弾のせいかな? フロア中のバケモノがそっちに向かって動き出してるっ≫

 まあ、グレネードを使えばこうなるに決まっている。ただのケモノだって、大きな音に興奮し殺気立つものだから。
 ただジュードにとてっは、もはや情報過多。すでに第三波の物量だけでも十分持て余しそうな感じなのだ。
 そう。
 状況は絶望的と云ってもいい。
 ジュードの表情も自然と険しいものになる。なのに、


「……やるしかないですよ、ボス」


 新たなバケモノの群れを見てもなお、闘争心を萎えさせるどころか、逆に奮起するクリス。
 拗ねた目付きに似合わぬ精気をギラつかせる。
 それも当然の反応か。

 彼女はカレッジ・スクール時代、不慮の飛行機事故で中米の密林に墜落――望まぬサバイバル生活を余儀なくされた経歴の持ち主だ。
 その三年間で何があったかは分からない。
 ただ、世間知らずのお嬢様が、過酷な環境を生き抜いた事実で、その精神的強さは十分証明されている。
 いや、そのように変わらざるを得なかったのだ。
 同年代の女性とは相容れない、こうして危険と隣り合わせの仕事に身を置くことが当然と言えるような人間に。

「こんなところで、くたばってたまるか」

 語気荒く吠える姿こそクリスの本性か。
 偶然にも、鼠の死骸で壁の裂け目が詰まったチャンスを逃さず、クリスは背負っていたバッグから、消費したM84を手早く補充する。
 さらに数本抜き取った9ミリ弾倉(カートリッジ)も空きポーチに補充するだけでなく、アーミーパンツの間にまでねじ込んでいく。
 彼女は本気だ。
 こんな手狭な空間で、物量で攻めてくるバケモノ相手に“ノーガードの撃ち合い”を本気で仕掛けるつもりなのだ。

「ボスだって死なせない――」

 そう洩れ聞こえた呟きに、ジュードは思い当たる節があるからこそ、しかめっ面になる。
 ヘビーなサバイバル生活は彼女から真っ当な感性を奪っていた。
 そんな彼女に居場所を与えたのはジュード。
 実際はただの雇い主にすぎないが、“普通の暮らし”ができなくなった彼女にとっては“恩人”という捉え方になる。
 契約にない“覚悟”を見せるのはそのせいだ。
 プロとしては問題ありだが、その念いを厳しく諫めることもできないジュードには、諦めて腹をくくるしかなかった。

「――先に行ってくれ」

 そうイメルダを促すジュード。
 もちろん、ただ“情”に流されてクリスに付き合うわけではない。
 状況は刻々と変化しており、今や立て籠もる方が悪手という確かな判断があった。
 そう。
 これは極めて戦略的な選択だ。
 ジュードは自身に言い聞かせると、無線でダリオに命じる。

「ダリオ。例の『02』前で一戦交えるから、背後を取ってくれ」
≪……囮になるってか? 無茶するじゃねえか≫

 こちらの意図を察したダリオが案じてくる。
 そう思うなら、今度こそしっかり戦ってほしいものだが。

「こっちじゃ“リオのカーニバル状態”だ、もう踊るしかないだろ」

 壁から次々あふれでてくる『噛み鼠』に押し寄せるゴブリンの大行進。
 さらにフロアのどこからか、低音を響かせる怪生物の咆哮まで響いてくるとなれば、通路の魔界化ここに極まれり、だ。
 そんな狂乱状態に身を置くともなれば、こっちもそれなりの“狂気”に身を委ねる他ない。いや、その方がうまくいく。
 多少の皮肉も込めるジュードに、

≪なら喜んで、俺達も混ぜてもらうぜ。もちろん、おまえが囮になる必要はねえ!≫

 無線の向こうでダリオが相変わらず調子のいい返事をしたところで、銃声が鼓膜を叩いた。
 同時に通路の最奥で火線が瞬き、数匹のゴブリンが血煙に舞う。


≪俺に続け、エンゲル! 派手に“開幕宣言”といこうや!!≫


 なるほど。
 共に戦ってくれる相棒を得て、逃げ腰だったダリオの士気にも火が点いたらしい。
 だがこの際、自ら打って出てくれた理由など、どうでもいい。
 唐突に背後を突かれ、ゴブリンの群れに混乱が生じて明らかに攻勢が弱まったのであれば。

「はじめから、そうしてほしかったですね!」

 戦局の変化を機敏に察したクリスが、再び裂け目から這いだしてきた鼠を銃口で追いかける。
 先手を取った鼠数匹はすでに床の上。
 そして真っ先に襲うのは近場のクリス達。


 タ、タ、タン!!


 だが得意の曲芸打ちを活かし、クリスは足下にまで迫る鼠共を瞬く間に撃ち殺して一気に戦線を押し戻す。

再装填(リロード)!!」

 宣告に反応してクリスをカバーするジュード。
 壁面の亀裂に向かってSMGを掃射する。
 その間にクリスが弾倉交換を終わらせ、すぐさま射撃を再開させる。
 気持ち、さっきよりも銃口の動きが滑らかだ。
 焦りに囚われていた時と違い、戦意の昂揚がクリスの持つ本来のパフォーマンスを引き出していた。
 これで戦況は振り出しに戻り、この場はクリスひとりで抑え込める目処が立つ。ならば。

「そっちは任せたっ」

 ジュードは素早く立ち位置を変え、今や間近に迫っていたゴブリン第三波を迎え撃つべく、膝立ち姿勢を取る。
 銃床(ストック)をきっちり肩にあてながら、背後で棒立ちしているイメルダに再度呼びかけた。

「何をしてる? 早く行けっ」

 それでもイメルダは動かない。
 彼女にしては珍しい躊躇。

「……おまえらは、失うには惜しい戦士だ」

 さらにガラにも無い感傷を聞かされて、ジュードは片眉を吊り上げた。

「誰が命を賭けると云った?」

 ジュードは勘違いしている女兵士に云ってやる。

「俺の優先順位は、“任務”よりも“命”だ。退路を維持できるうちに戻らなければ、追いていかれるのはお前の方だぞ」
「それこそいらぬ心配だ」

 よほど自分に自信があるのだろう。
 はっきりと断言するイメルダ。
 そして踏ん切りを付けたように入室しようとして足を止める。

「いいか。オレの背を見失うな――」

 やけに情感を込めた言葉を遺し、今度こそ姿を消した。
 去り際のおかしな台詞にクリスが反応する。

「何です、あれ?」
「“クレバーさを見習え”ってことだろ」

 苦笑しながらジュードは、通路奥へ向けて迎撃を開始する。
 銃床(ストック)伝いに、9ミリ弾より重たい衝撃が肩にくる。
 これが45口径の威力だと、安心感を与えてくれるリコイルの強さにジュードの闘争心が掻き立てられる。
 
「バケモノめ、人間様の兵器を舐めるなよっ」

 ジュードは密集度の高いポイントに狙いを付けて三点射した。
 いや、狙わなくても外すわけがない。
 そして当たれば、“ハイになった蛮族”すらも力でねじ伏せる銃弾が凶気の集団を食い破る。

 肩を撃たれた強烈な衝撃で回転するもの。
 撃ち込まれた弾頭の膨脹で内臓を激しく痛めつけられて絶命するもの。

 ST弾の凶悪な破壊力で次々と打ち倒されるゴブリンの群れは、容易にこちらへ近づけない。それでも数の暴威はおそろしい。密集しすぎて回避運動できなくとも、ただ足を前に進め、遺骸となった仲間も瀕死の仲間も無情に踏み越えて、戦線をこちら側へ確実に押し込んでくる。そこへ、

≪ジュード。炎の壁は、長くは保たねえぞ!≫
 
 ダリオからの連絡が入る。
 “実験エリア”からの流入を火炎瓶による威嚇で押し留めているのだろう。兵器として使える代物だったのは朗報だが、バケモノの本能的な恐怖を煽っているだけで、物理的に遮っているわけではない。
 やはり一時凌ぎにしかならないというわけだ。
 だったらなおさら、今のうちに第三波を駆逐しておきたいところだ。

「カマすぞ、クリス!」

 躊躇せず切り札のM84を投げ込むジュード。
 その有効性は先の戦闘で実感していたため、ジュードは多めに確保していた。おかげで重量が嵩み、走力を減少させるだけでなく、体力を激しく消耗させる要因ともなったが、それを上回るメリットが確かにある。


 再び炸裂するグレネードの猛威。


 それでも耐えきった残敵をジュードは威力が増したSMGで掃討する。

「もう一発だ!」

 出し惜しみなどしない。
 叩けるときに、最大火力で叩きのめし、敵に反撃する隙さえ与えない。
 与えたら、即、死なのだから。
 その切迫感による徹底した戦いぶりがジュードの攻勢を安定させる。
 第三波を確実に抑え込んだところで、戦線を押し上げるジュード。先のT字路で踏ん張らないと退路を確保できたとは言えないためだ。
 猛然とダッシュし、T字路の角に張り付いたところで半身をのぞかせる。
 “実験エリア方面”の様子を窺えば、向こう側のT字路に大きな人影を捉えた。あれは。


 ゴブリン・ジャイアント――。


 思わず目を瞠らせたところで、ダリオからも無線が入る。


≪――来やがった≫


 重苦しい言葉の意味を質すまでもない。
 ダリオも同じものを確認したに違いないからだ。
 どうする、とジュードが考えあぐねたところで、
 

 ――――TANH!!


 鋭く響いたのはライフルの射撃音。
 ダリオではない。
 精鋭部隊でメンタルまで強靱に鍛え上げられたエンゲルが、悪夢の再来を前に、冷静さを失わず迎撃してみせたのだ。
 弾着の強烈な衝撃で人影の上半身が弾かれたようにのけぞり、大きく一歩後退する。
 倒れるかと見えたが、堪えきった。

「あいつ――」

 呻くジュード。
 エンジンブロックを破壊する7.62ミリの高速弾を受けても、バケモノの分厚い胸板を貫き背中まで突き抜けた様子はない。どれほどヤツの肉体は強いのか。
 そんな精神的ショックをエンゲルが受けた様子もなく、続けて放たれる二度目の一射。
 狙撃手でもないのに、エンゲルの手際は慣れたもの。次撃までの速さと滑らかさ、そして的を穿つ精確さ。
 回避する余裕も与えられず、大きな人影は無防備に銃弾を浴びた。

「……っ」

 上半身を震わせ、さらに大きく一歩後退するゴブリン・ジャイアント。
 さしものヤツも胸に受けた痛打で息が詰まったか声も出ない。
 さらに一射。
 震える人影がバランスを崩す。

 もう一撃――――

 見守るジュードが思わず拳を握りこむ、エンゲルによる怒濤の攻勢。
 だが四射目で、思わぬ冷水を浴びせられる。

「……っ」

 四度襲った凶弾に、ゴブリン・ジャイアントが上体を屈めて踏ん張り耐えるのを目にして、ジュードの身中から恐怖が突き上げ、思わず命じていた。

「クリス、壁の中にもM84を喰らわせてやれっ」

 ライフル弾でもヤツを止められない。
 そう悟ると同時に、ジュードは全力で逃げる算段を考え始めていた。
 だからこその、鼠封じ。

「――クリス!!」
「了解」

 繰り返されるジュードの語気荒い命令に、我に返るクリス。
 ようやく反応したクリスが壁に近づきブーツで鼠の顔を蹴り込み、隙間に銃口を突っ込んで数発ぶち込んだ。
 牽制した上でM84を投げ入れ、数歩下がって背を向ける。
 だがジュードは耐ショック姿勢をとるのも忘れたように、周囲で気絶しているゴブリン共に向けて掃射をはじめる。

 当然、音撃をまともに受けた耳が馬鹿になる。

 それでも構わずに、失神しているゴブリン共を夢中で駆逐するジュード。弾倉を3本使い切りながらきっちり留めを刺していた。


 早く早く。
 始末しろ。

   ――奴が来る前に(・・・・・・)


 急迫観念にも似た焦りがジュードを急き立てる。
 今さらだがM84は非殺傷兵器。気絶させて一時的に脅威を排除しているにすぎない。だから万一のことを考え、目覚める前に始末しておく必要があった。
 もし目覚めて、ゴブリン・ジャイアントとのダブルパンチでも喰らえば、目も当てられない!
 焦りで額に汗の珠を浮かべるジュード。そこへいきなり背中を叩かれ、驚いて振り向く。
 必死に訴えるクリスの顔がそこにあった。

「****!!」
「何だって?」

 耳が馬鹿になっていて聞き取れない。
 そういえば、無線からも怒鳴り声のようなものが聞こえていた。実は同じ話をしていることは、“実験エリア”の方に目をやることで気付くことができた。
 ゴブリン・ジャイアントがこちらを睨みつけながら、向きを変えたからだ。

「来るぞ――『02』に逃げ込めっ」

 クリスの小柄な体を押しやりジュードが叫ぶ。
 直後に猛烈な悪寒がジュードを襲った。
 ヤツの殺気だ。
 まだ距離があるというのに、狙いを付けられたと実感しただけで、背筋の怖気が止まらない。

「ちっ」

 ジュードは駆け出しながらM84を手に取り背後に転がした。それが二つ、三つに増えた。クリスの仕業だ。直後。


 キャキキッ
 GHUOOH――――!!!!


 金属床を引き裂く音にゴブリン・ジャイアントの威嚇が重なる。
 まさかと思うがヤツならあり得る。
 四足獣並の瞬発力とスピードで連絡路を一瞬で走りきったのだ。
 だが二人はそれを見越していたからこそ、絶妙なタイミングでM84を仕掛けていた。
 しかも手狭な通路に過剰な数のグレネード。
 それがもたらす音撃は、もはや物理的圧力さえ伴う衝撃波となってその場に居るすべてを蹂躙した。


「――ググッ」
「…………っ」


 苦鳴を噛み殺す二人。
 耐ショック姿勢を取ったにも関わらず、思わず体をよろけさせてしまう。
 だがここで動きを止めてはダメだ。
 逃げるなら今がチャンスなのだから。
 閉じたまぶたに焼き付くような白光が、いまだ余韻に残る中、それでも無心に『02』のドアを開けるジュード。対照的に、


 GBHUAA――!!
  BRHUAA!!

 
 すぐ近くで苦しみ、もがき喚くバケモノ。
 目にすれば信じがたい光景が映ったろう。
 あのライフル弾にさえ耐えてみせるバケモノが?
 非殺傷性のグレネードを受けたくらいでここまで苦しむとは。

「――そうか。こいつら聴力も」

 ジュードは気付く。
 仮に強靱化されるものが、皮膚や筋骨格だけでなく感覚器官にまで――“聴力”まで高められていればどうなるか。
 激烈な音撃を与えられた苦しみは、鋭敏すぎるゴブリン・ジャイアントにとって、もはや拷問に等しき責め苦であるに違いない。
 同じことをクリスも察したらしい。
 残弾の残る弾倉を早めに交換したのは、例の徹甲弾に切り替えるために違いない。

「戦るつもりか――?」
「ボスは行ってください」

 無謀だと言いかけて止めるジュード。
 クリスがゴブリン・ジャイアントの右膝を狙って銃撃し、その成果が目に焼き付いたからだ。


 タ、タン!!
 GYAGIEE?!


 フルメタル・ジャケットの弾頭が強靱な肉を穿ち極太の靱帯を断裂させる。
 筋肉を裂き、骨を削って。
 赤黒い弾痕が次々と穿たれて、たまらずバケモノが倒れ込む。
 クリスはこの状況でも冷静だ。
 むしろ敵につけ込む隙を見逃さず、即座に反撃してみせる姿はシマリス顔に似合わない、捕食獣のそれ。
 当然、ジュードもチャンスを看過するほどマヌケではなかった。
 部屋に逃げ込むのをやめ、射線を確保するためにドアから離れたところで。

 まさか、倒れたように見えたゴブリン・ジャイアントが、軽く立てた片膝だけで跳び込んでくるとは予想だにしていなかった――。



********* 業務メモ ********



●B7人物配置
【管理通路】 クォン、ランドリッジ
【記 録 室】ダリオ、エンゲル
【監視エリア】
   【02】イメルダ
   【通路】ジュード、クリス
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