第5話 アフリカ大陸で、四肢をいじめ尽くせ

文字数 2,269文字

 渡航した。

 アフリカへ。

「猫が見たくて」
「うーん。ライオンでもチーターでもなく?」
「そう。野生のねこ」

 ひいなの周囲は過剰なまでに彼女に気配りしたが、どうしてかひいな自身は特にココロ持ちが変わることはなかった。
 神楽(かぐら)(さくら)を結果的には自分が死なせてしまったことを残念だとは思ったが、それ以上にココロに呵責を抱いたりすることもなかった。
 神楽の葬儀にも堂々と参列し、彼女の恋人から罵倒されながらも香典袋をきちんと渡して焼香をし、京都から帰ってきた。
 恋人からは罵られたが、神楽の両親は、「仕方の無かったことです」と、却って日本国じゅうからバッシングに遭うひいなを慰めてくれた。
 だから、ひいなは神楽との激走・激闘を、自分の人生の分水嶺だと捉えることにしてアフリカ行きを決めた。

 ひいなはレースの後で陸上部を辞めただけでなく、休学し、アフリカへは海外青年協力派遣隊としてやって来た。

 やって来たのはアフリカ大陸の南に位置する港湾都市。
 ひいなと一緒に派遣隊として渡航したのは二歳年上の加ノ上(かのうえ)ユキだった。ふたりの共通項はたったひとつ。

 走る女であること。

「ひいな!目立ってるよ!」
「ユキ。恥ずかしい?」
「ううん、ちっとも!」

 ひいなは神楽とのレースの後、ロードを走る時は完全に裸足で走るようになった。足袋も履かない。

 この街にやって来た当初は市中でランニングをする際、住人たちや観光客たちから指差された。

「走る派遣隊員(エージェント)だ。しかも裸足でな!」


 ひいなとユキは余暇の時間をほとんど走って過ごすが、オンタイムのふたりの仕事は危険と繁忙を極める内容だった。
 派遣隊の仕事は主にストリートギャングたちの更生支援。ギャングと言っても十代ですらない。
 まだ8、9歳の女児・男児を組織から足抜けさせる仕事だ。

 彼女・彼らは親がそもそも強盗や窃盗を生業として生きてきているので、倫理観などに訴えかけるわけにもいかなかった。だから最初の足がかりは損得勘定に訴えることだった。
 それも子供たちに直接言ってもラチが開かないので彼女・彼らの親どもにその損得を説くところから始めていった。

「三段論法だよ。まず第一。アナタの子供がナイフを使ってグローサリーに強盗に入ったとする。防犯カメラもバッチリで仮に成功したとしても誰が犯人かは一発で分かる。当然、逮捕される。さあ、損か?得か?」
「得だ」
「・・・どうしてよ」
「俺が捕まるわけじゃない」
「・・・・・オーケイ。じゃあ第二。アナタの子供が捕まったら働き手が一人減るよ?さあ、損か?得か?」
「得だ」
「はあ・・・・・・・・・なんで?」
「食費が浮く」
「・・・・・・・・・・・・・・じゃあ、最後。アナタの子供が万一犯行の途中で殺されたら、アナタは悲しいでしょ?さあ、損!?得!?」
「得だ」
「はあっ?」
「『組織』から見舞金が出る。もっともこれまでにかけて来た経費には全然足りないがな」
「じゃあ、産むなよっ!!」

「ひいな!」
「あ・・・ごめん」
「昨日接見した父親のこと考えてたの?」
「うん。ろくでなしだなあ、って思って」
「まあね。でも日本だってそれは同じでしょ?」
「うん。虐待も平気でやるしね」

 仕事のことを話しながら交差点を折れて大通りに入った。徐々に街から離れていく。

「ひいな。今日の課題は?」
「『胸を張って走れ』」
「オーライ!」

 特にひいなのように裸足のランナーにとって胸を張って視線を決して落とさずに走ることは鉄則だった。なぜならそうやって無理にでも姿勢を正さないと、重心が後ろに偏って踵からアスファルトに着地することになり、あっという間に故障してしまうからだ。

華乃(かの)・・・どうしてるかな』

 ひいなは自分の置かれた状況の過酷さよりも、自分よりも遥かに婆だという華乃の身を案じる時間の方が多かった。ひいながロードや山岳コースでどのように自分を追い込んだラン、要求水準が異次元のトレーニングをしたところで、『戦場を駆けた』というランニングなど再現することも困難だった。

 今日も都会地である市の中心部から外れて、まるでどこかのテーマパークのシンボルのように街と隣り合って聳える1,000m級の山を走るが、華乃の実戦の走りを追体験することなどできるはずもなかった。

 因みにひいなが山岳コースの岩肌を走る時はさすがに裸足という訳にはいかず、かと言って足袋という訳にもいかず、メキシコの走る民族が使用する草履に近いサンダルを装着した。

 サンダルの足への装着方法、紐の縛り方等は師の居ないひいななので、WEBで検索して調べるしかなかった。

 こうしてアフリカにやって来てから3ヶ月、冒頭にあった、国土の中に存在する砂漠に生息する野生の猫にひいなは遭い、それからほんとうに血統も品種も関係のない、『ねこ』のプリミティブな姿を見ながら砂漠を走ったりもしてみたが、ひいなの心は未だ満たされない。

 戦場を駆ける。

 ひいなは華乃のありえないそのシチュエーションを特権であるとすら考えて羨んだ。渇望した。
 せめてもの代替案としてはじき出したのが、アフリカ大陸ならばひいなが求める過酷な状況を何か提供してくれるだろうという思いだった。

 余暇は市中を、港を、スラムを、山岳を、そして現地での世話人に頼み込んで車で喜望峰まで南下し、その暴風と大流動する大西洋と太平洋の衝突ポイントをバックにランしてみたが、それでもひいなが満たされることはなかった。

 だが、ちょうど滞在が四ヶ月目に入るというその朔日(ついたち)の日に、あまりにもあっさりとひいなの願望が叶うタイミングがやって来た。
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