第10話 走破でなく走融
文字数 1,330文字
融合。
溶け合わせることがひいなのテーマだった。
阿闍梨にしてひいなの師匠にしてひとりの生まれながらの走る人間、桐谷 は熱く語った。
「かつてこの国に君臣の紊れ が起こった。早世なさった若き摂政であったそのお方の御供養にあたるはずだった人々を私利私欲のためにわが身とわが子の供養のために私用した逆賊が権勢を欲しいままにした。しかしそのお方は甘んじてそれを受け止めた。なぜというにその逆賊を正そうとするならば必ずや国を二分し場合によっては国が滅びるほどの重篤な結果を招く恐れがあったからだ。逆賊どもはとうとう権勢の最高位に上り詰めたが民心はついぞ掴めなかった。民は、愚鈍ではない。民は、我儘ではない。民は、常に道理を持って治世する者を慕う。民は常に自己実現をする矮小な努力家ではなく身を捨て欲を捨てて治世を実現しようと奮戦するリーダーを慕う。間違っても我が身や我が親族の利益を極大化しようとする卑怯な為政者には心からは靡かない。ひいな」
「はい」
「わたしがそなたに千日回峰を許すために神仏にひれ伏し、何度もこれでよいのだろうかと自問自答するのみならず身を大地に投げ打つようにしてこの若者を導き給えと請い願ったのはほかでもない。華乃 という数え年15歳のその少女の実在があったからだ」
ひいなはよく分かっていた。
桐谷が何の修行も経ない小娘を、しかも間接的に人をひとり殺してしまった女を回峰行に推したために、僧団内において失脚するかもしれなかったほどの議論に晒されたことを。
「ひいな」
「はい」
「その華乃という少女は早世した若き摂政の心根を既にして持っている。そしてその華乃はひいな、そなたの婆の婆の婆のそのまた婆の婆だという。ならば毛ほどでもその血がそなたの血の管に混じり流れておろう。それに賭けるのだ。華乃という少女の、決して自己実現などというひとりよがりの甘ちょろい自助努力などではない大いなる願望、すなわち本願!」
「!」
「敵軍の進軍の絨毯に踏み滅ぼされた領民の村の、陵辱された上で殺されし幼き母親のその脇で、ほぎゃ、ほぎゃ、と泣いておった赤子を不憫に思い、最初は心の臓に己の唯一の武器にして自決のための懐刀を突き立てて父母の元に送り届けようとしたところを思いとどまってそのまま赤子をサラシで、きゅっ、と背中に負うて戦場を人類史上最速のスピードで駆けおおせた少女、華乃!そなたはそのランを受け継ぎし子孫であるのだ!ひいな!」
「はいっ!」
「走れ!Gonna Run!」
ひいなは事前準備にあたって千日回峰をも超えるトレーニングをと自ら求め、追い込み、ロードを、クロスカントリーを、砂利道を、川底を、極端な熱のアスファルトに裸足を焦がし、万年雪の湧水の小川で爪先を凍傷寸前にまで冷やし尽くし、苦と苦の両極端を追い求めた。
それは、アスリートとは別次元の、『行《ぎょう》』!
国の名誉でもなければメダルという物質でもなければ、ましてや欧州のストックホルムで開催される形式ばった燕尾服とイヴニングドレスの集団に混じることなどではあり得なかった。
何のために?
ひとこと、ひいなは、断言した。
「救うため」
誰を?
「遍 く、全員!」
ひいなは、華乃の心根をただひたすらに追い求めた。
溶け合わせることがひいなのテーマだった。
阿闍梨にしてひいなの師匠にしてひとりの生まれながらの走る人間、
「かつてこの国に君臣の
「はい」
「わたしがそなたに千日回峰を許すために神仏にひれ伏し、何度もこれでよいのだろうかと自問自答するのみならず身を大地に投げ打つようにしてこの若者を導き給えと請い願ったのはほかでもない。
ひいなはよく分かっていた。
桐谷が何の修行も経ない小娘を、しかも間接的に人をひとり殺してしまった女を回峰行に推したために、僧団内において失脚するかもしれなかったほどの議論に晒されたことを。
「ひいな」
「はい」
「その華乃という少女は早世した若き摂政の心根を既にして持っている。そしてその華乃はひいな、そなたの婆の婆の婆のそのまた婆の婆だという。ならば毛ほどでもその血がそなたの血の管に混じり流れておろう。それに賭けるのだ。華乃という少女の、決して自己実現などというひとりよがりの甘ちょろい自助努力などではない大いなる願望、すなわち本願!」
「!」
「敵軍の進軍の絨毯に踏み滅ぼされた領民の村の、陵辱された上で殺されし幼き母親のその脇で、ほぎゃ、ほぎゃ、と泣いておった赤子を不憫に思い、最初は心の臓に己の唯一の武器にして自決のための懐刀を突き立てて父母の元に送り届けようとしたところを思いとどまってそのまま赤子をサラシで、きゅっ、と背中に負うて戦場を人類史上最速のスピードで駆けおおせた少女、華乃!そなたはそのランを受け継ぎし子孫であるのだ!ひいな!」
「はいっ!」
「走れ!Gonna Run!」
ひいなは事前準備にあたって千日回峰をも超えるトレーニングをと自ら求め、追い込み、ロードを、クロスカントリーを、砂利道を、川底を、極端な熱のアスファルトに裸足を焦がし、万年雪の湧水の小川で爪先を凍傷寸前にまで冷やし尽くし、苦と苦の両極端を追い求めた。
それは、アスリートとは別次元の、『行《ぎょう》』!
国の名誉でもなければメダルという物質でもなければ、ましてや欧州のストックホルムで開催される形式ばった燕尾服とイヴニングドレスの集団に混じることなどではあり得なかった。
何のために?
ひとこと、ひいなは、断言した。
「救うため」
誰を?
「
ひいなは、華乃の心根をただひたすらに追い求めた。