第7話 草鞋履きの日常
文字数 3,210文字
ロードは裸足で走り、派遣隊の本業であるティーンですらないストリートギャングの子たちの更生でスラムを訪れる際はラン用のサンダルを履いてやはり疾走して訪れた。
走って訪れることに意味があるのか?
ある、とひいなは誰に対しても等しく答えた。
時としてその理由を説明するための英語を簡略な言葉で二重にも三重にも言い換えないと伝わらないもどかしさがあったが、子供たちにはそれを視覚で理解してもらえた。
『あのねえさん、変わってる』
変わってる、ヘンだ、異常だ、だからねえさんの話を聞いてみよう。
けれども子供たちの発想が突拍子もないのではなく、それは極めて合理的な選択だと思われた。
なぜならば、変わってなくて、ヘンでなくて、正常だと思われた人間たちと関わり続けた成れの果てが今の状況だからだ。
その逆を行けばいいだけの話だ、と子供たちは賢かった。
半年、9ヶ月、そして一年経った。
派遣隊のプログラムが満了した。
帰りの飛行機までひいなとユキは一緒で、一昼夜のフライト便が到着した羽田でふたりは別れた。
「じゃあね、ユキ。ほんとにありがとう」
「こちらこそ。ひいなは日本でどこ走るの?」
「うーん。山、かな・・・」
「へー」
休学している間にとんびは三年生になり、ひいなは二年生のままだった。今となってはひいなは他人の視線など全く気にしなくなっていたが、とんびは休み時間になるごとに二年生のクラスまでひいなに遭いにやって来た。
「ひいな坊、肩身狭くないか?大丈夫か?」
「別に。こんなもんでしょ」
「おい・・・そんな態度だといじめられるぞ」
「わたしをいじめようなんて度胸のあるヤツなんかいないよ」
「陸上部にも戻らないのか」
「うん。無理だよ」
「じゃあ、ひいな」
「はい」
「もう走らないのか」
「まさか」
「え」
「走るに決まってるじゃない」
「ひとりでか」
「うん。ひとりぼっちで」
ひいなはもう目標を定めていた。
それは誰も思いつかない場所、方法。
ひいなは報告のつもりで担任の教師に面談を求めた。
「え。山を走りたい?トレイル・ランニングか?」
「うーん。もっと険しい感じですね」
「ほんとの山岳コースか」
「そ、ですね」
「それを陸上部所属選手としてやれないのか。親鳥 は陸上に関しては抜群の実績を残している。アフリカでも怠らずトレーニングしてたんだろ?」
「はい。走ってました」
「空爆の中を走ったとも聞いている」
あちゃー、とひいなは思った。
ライフル相手のまごうことなき戦場ではあったが爆撃を受けた覚えはない。色々と話が大きくなっていた。
「親鳥が進学するつもりなら陸上での推薦だろう」
「そこです先生」
「?」
「わたし、中退します」
ひいなは担任に話した以外は学内の誰にも告げずに静かに高校を辞めた。
ただ、容赦をしない人間がひとりだけ居た。
「ひいなっ!」
「最近『坊』をつけないんだね、とんび」
「辞めてどうすんだよ」
「大丈夫。もう決まってるから」
「・・・就職か?」
「うーん。まあ、住み込み、かな?」
「どこだよ」
「内緒」
「怒るぞ」
「それでも、言えない」
そこまで言うと、とんびはしばらく沈黙した。ひいなはさっさとドリンク・バーに緑茶を汲みに行く。ファミレスへ来てもひいなはストイックに炭酸飲料や甘味の飲み物は摂らずに節制した。
「もしかして、華乃 さんが関係あるのか?」
「おり?年下の華乃には『さん』付けでわたしには『坊』とはこれいかに」
「はぐらかすな。分かってるんだ。ひいながずっとあの人を追い続けてることは」
「まあそうだね。近い所までは来たけど、まだ抜けてない。まだ華乃をブチ抜くまでの実力はわたしにはない」
「戦場を走ってもか」
「重みが違う。わたしは自分の命を守るためだけに走った。華乃は何万ていう領民の生活すべてを安寧させるために走った」
「じゃあ、どうするんだ」
「これならば『超えられるかも』っていうステージを見つけた」
「だから、それは一体どこなんだ」
「言えない」
「ひいな!」
とんびは、ダン、とテーブルをひと突き叩いた。
周囲の客が一斉にふたりを見たがそれもほったらかしにしてとんびはひいなの目だけを見つめて言った。
「俺は、ひいなが好きだ」
「へえ・・・・・・・えっ!?」
「ずっと前から好きだった」
「ちょちょちょ。何言ってんの!?みんな聞いてるよ」
「いや、構わない。なんならスッキリしてから話そうか。皆さん!」
「お、おいっ!」
ひいなの静止も聞かずにとんびは立ち上がり、周囲に演説するように声を上げた。
「俺はここにいる子が好きです!たった今、告白しました!以上、報告終わります!」
そのまま、ダン、と腰を下ろした。ほおー、と感心するような声とまばらな拍手が上がる。
ひいなは衆目の視線に耐え切れず、顔を真っ赤にしたまま冷や汗を流した。
「ば、バカなの?それにとんびはてっきり華乃のことが好きなんだと思ってた・・・」
「ひいなの婆ちゃんに恋してどうすんだよ。そこまで非常識じゃないよ、俺は」
「はあ・・・どうしたいの?」
「俺はひいなに告白した。ひいなも告白する義務がある。言え、行き先を」
「・・・・・比叡山」
「え?」
「比叡山延暦寺。山を走る」
「なんだそれは・・・」
「千日回峰行。走る」
「マジか!」
「マジだよ!」
怒鳴り合う2人にまだ拍手をする客たちが居た。ふたりで同時に睨みつけて黙らせた上で会話を続けた。
「阿闍梨 になるのかっ!」
「まさか。わたしに人間としてそんな資格はない。それに阿闍梨になろうと思ったら一から行者としての修行を重ねて回峰行に入るまでに何年もかかっちゃう。わたしは私度僧として、走ることを許していただいた」
「嘘だ」
「ほんとよ」
「走るだけなんてそんなこと認めてもらえるわけがない」
「華乃のことを話したの」
「う」
「『わかった』って師匠は言ってくれた」
「師匠?」
「そう。その人も千日回峰をやったことがある」
「阿闍梨か」」
「そうよ。華乃のことを話して、それからわたしが神楽 桜 を殺したことも話した」
「・・・・それで?」
「アフリカでサンダル履きで山岳を走ったことも、民族間の戦闘に遭遇して走って逃げ切ったことも。それで『わかった』って」
「神楽さんのことやアフリカのことはともかく、華乃さんのことを信じるわけがないだろう」
「ううん。『信じるも信じないも、それが事実なんだね』って言ってくれた。だからその人がわたしの師匠」
「ひいな」
「なに」
「行かないでくれ」
「カッコわる」
「カッコなんてどうでもいい。行かないでくれ。俺と付き合って、俺が就職したら結婚してくれ」
「・・・ありがとう。そんなこと言ってくれるの、とんびだけだね」
「じゃあ・・・」
「でも行く」
「どうしてそこまでしないとダメなんだ」
「華乃に勝ちたいから」
「それこそ馬鹿じゃねえのか。中二病だろ」
「違う。本気。真顔で本気」
「勝ってどうなるんだ」
「勝った上で考える」
「ほん、とに・・・・」
とんびは言葉を終わらせずに、あーあ、と呟いてからもう一度真剣な顔に戻った。
「わかった。そういうところも含めて好きになった俺の負けだ。振るなら今はっきりと振ってくれ」
「ううん。振らない」
「なに?」
「わたしは子供が欲しい。戻ったら結婚しよ?」
「は、はあ?」
「華乃が言ってた。戦場を駆けてる途中で赤ちゃんを拾ったって」
「それって、どういうシチュエーションなんだ」
「それも戻った時に話すね。とにかくわたしは赤ちゃんが欲しいから、とんび、わたしが戻ったら結婚しよ?」
ひいなは甘えた顔で下から見上げるようなアングルで囁いた。
「ね?」
「お、おお・・・」
今度は、ばあっ、とひいなが立ち上がる。
「皆さん!聞いてください!わたしたちたった今、婚約しました!」
おおおおー!と今度は周囲の客たちが立ち上がって拍手喝采した。
軽いノリで手を上げながら周囲に愛想を振りまくひいなを見てとんびは急速に冷静になった。
「よかったのかな・・・これで・・・?」
走って訪れることに意味があるのか?
ある、とひいなは誰に対しても等しく答えた。
時としてその理由を説明するための英語を簡略な言葉で二重にも三重にも言い換えないと伝わらないもどかしさがあったが、子供たちにはそれを視覚で理解してもらえた。
『あのねえさん、変わってる』
変わってる、ヘンだ、異常だ、だからねえさんの話を聞いてみよう。
けれども子供たちの発想が突拍子もないのではなく、それは極めて合理的な選択だと思われた。
なぜならば、変わってなくて、ヘンでなくて、正常だと思われた人間たちと関わり続けた成れの果てが今の状況だからだ。
その逆を行けばいいだけの話だ、と子供たちは賢かった。
半年、9ヶ月、そして一年経った。
派遣隊のプログラムが満了した。
帰りの飛行機までひいなとユキは一緒で、一昼夜のフライト便が到着した羽田でふたりは別れた。
「じゃあね、ユキ。ほんとにありがとう」
「こちらこそ。ひいなは日本でどこ走るの?」
「うーん。山、かな・・・」
「へー」
休学している間にとんびは三年生になり、ひいなは二年生のままだった。今となってはひいなは他人の視線など全く気にしなくなっていたが、とんびは休み時間になるごとに二年生のクラスまでひいなに遭いにやって来た。
「ひいな坊、肩身狭くないか?大丈夫か?」
「別に。こんなもんでしょ」
「おい・・・そんな態度だといじめられるぞ」
「わたしをいじめようなんて度胸のあるヤツなんかいないよ」
「陸上部にも戻らないのか」
「うん。無理だよ」
「じゃあ、ひいな」
「はい」
「もう走らないのか」
「まさか」
「え」
「走るに決まってるじゃない」
「ひとりでか」
「うん。ひとりぼっちで」
ひいなはもう目標を定めていた。
それは誰も思いつかない場所、方法。
ひいなは報告のつもりで担任の教師に面談を求めた。
「え。山を走りたい?トレイル・ランニングか?」
「うーん。もっと険しい感じですね」
「ほんとの山岳コースか」
「そ、ですね」
「それを陸上部所属選手としてやれないのか。
「はい。走ってました」
「空爆の中を走ったとも聞いている」
あちゃー、とひいなは思った。
ライフル相手のまごうことなき戦場ではあったが爆撃を受けた覚えはない。色々と話が大きくなっていた。
「親鳥が進学するつもりなら陸上での推薦だろう」
「そこです先生」
「?」
「わたし、中退します」
ひいなは担任に話した以外は学内の誰にも告げずに静かに高校を辞めた。
ただ、容赦をしない人間がひとりだけ居た。
「ひいなっ!」
「最近『坊』をつけないんだね、とんび」
「辞めてどうすんだよ」
「大丈夫。もう決まってるから」
「・・・就職か?」
「うーん。まあ、住み込み、かな?」
「どこだよ」
「内緒」
「怒るぞ」
「それでも、言えない」
そこまで言うと、とんびはしばらく沈黙した。ひいなはさっさとドリンク・バーに緑茶を汲みに行く。ファミレスへ来てもひいなはストイックに炭酸飲料や甘味の飲み物は摂らずに節制した。
「もしかして、
「おり?年下の華乃には『さん』付けでわたしには『坊』とはこれいかに」
「はぐらかすな。分かってるんだ。ひいながずっとあの人を追い続けてることは」
「まあそうだね。近い所までは来たけど、まだ抜けてない。まだ華乃をブチ抜くまでの実力はわたしにはない」
「戦場を走ってもか」
「重みが違う。わたしは自分の命を守るためだけに走った。華乃は何万ていう領民の生活すべてを安寧させるために走った」
「じゃあ、どうするんだ」
「これならば『超えられるかも』っていうステージを見つけた」
「だから、それは一体どこなんだ」
「言えない」
「ひいな!」
とんびは、ダン、とテーブルをひと突き叩いた。
周囲の客が一斉にふたりを見たがそれもほったらかしにしてとんびはひいなの目だけを見つめて言った。
「俺は、ひいなが好きだ」
「へえ・・・・・・・えっ!?」
「ずっと前から好きだった」
「ちょちょちょ。何言ってんの!?みんな聞いてるよ」
「いや、構わない。なんならスッキリしてから話そうか。皆さん!」
「お、おいっ!」
ひいなの静止も聞かずにとんびは立ち上がり、周囲に演説するように声を上げた。
「俺はここにいる子が好きです!たった今、告白しました!以上、報告終わります!」
そのまま、ダン、と腰を下ろした。ほおー、と感心するような声とまばらな拍手が上がる。
ひいなは衆目の視線に耐え切れず、顔を真っ赤にしたまま冷や汗を流した。
「ば、バカなの?それにとんびはてっきり華乃のことが好きなんだと思ってた・・・」
「ひいなの婆ちゃんに恋してどうすんだよ。そこまで非常識じゃないよ、俺は」
「はあ・・・どうしたいの?」
「俺はひいなに告白した。ひいなも告白する義務がある。言え、行き先を」
「・・・・・比叡山」
「え?」
「比叡山延暦寺。山を走る」
「なんだそれは・・・」
「千日回峰行。走る」
「マジか!」
「マジだよ!」
怒鳴り合う2人にまだ拍手をする客たちが居た。ふたりで同時に睨みつけて黙らせた上で会話を続けた。
「
「まさか。わたしに人間としてそんな資格はない。それに阿闍梨になろうと思ったら一から行者としての修行を重ねて回峰行に入るまでに何年もかかっちゃう。わたしは私度僧として、走ることを許していただいた」
「嘘だ」
「ほんとよ」
「走るだけなんてそんなこと認めてもらえるわけがない」
「華乃のことを話したの」
「う」
「『わかった』って師匠は言ってくれた」
「師匠?」
「そう。その人も千日回峰をやったことがある」
「阿闍梨か」」
「そうよ。華乃のことを話して、それからわたしが
「・・・・それで?」
「アフリカでサンダル履きで山岳を走ったことも、民族間の戦闘に遭遇して走って逃げ切ったことも。それで『わかった』って」
「神楽さんのことやアフリカのことはともかく、華乃さんのことを信じるわけがないだろう」
「ううん。『信じるも信じないも、それが事実なんだね』って言ってくれた。だからその人がわたしの師匠」
「ひいな」
「なに」
「行かないでくれ」
「カッコわる」
「カッコなんてどうでもいい。行かないでくれ。俺と付き合って、俺が就職したら結婚してくれ」
「・・・ありがとう。そんなこと言ってくれるの、とんびだけだね」
「じゃあ・・・」
「でも行く」
「どうしてそこまでしないとダメなんだ」
「華乃に勝ちたいから」
「それこそ馬鹿じゃねえのか。中二病だろ」
「違う。本気。真顔で本気」
「勝ってどうなるんだ」
「勝った上で考える」
「ほん、とに・・・・」
とんびは言葉を終わらせずに、あーあ、と呟いてからもう一度真剣な顔に戻った。
「わかった。そういうところも含めて好きになった俺の負けだ。振るなら今はっきりと振ってくれ」
「ううん。振らない」
「なに?」
「わたしは子供が欲しい。戻ったら結婚しよ?」
「は、はあ?」
「華乃が言ってた。戦場を駆けてる途中で赤ちゃんを拾ったって」
「それって、どういうシチュエーションなんだ」
「それも戻った時に話すね。とにかくわたしは赤ちゃんが欲しいから、とんび、わたしが戻ったら結婚しよ?」
ひいなは甘えた顔で下から見上げるようなアングルで囁いた。
「ね?」
「お、おお・・・」
今度は、ばあっ、とひいなが立ち上がる。
「皆さん!聞いてください!わたしたちたった今、婚約しました!」
おおおおー!と今度は周囲の客たちが立ち上がって拍手喝采した。
軽いノリで手を上げながら周囲に愛想を振りまくひいなを見てとんびは急速に冷静になった。
「よかったのかな・・・これで・・・?」