第19話 『戦場』と『地獄』との現世での顕現

文字数 5,014文字

『日本時間今朝未明、中東のテロ組織『Living in Hell』が犯行声明を発表しました。繰り返します。昨夜の東京都内での米大使館爆破の犯行声明を中東のテロ組織、Living in Hellがおこないました』

 それはまさしく『悪魔の業』だった。
 世界最高のセキュリティを持つはずの米大使館が自爆テロなどという非合理的なやり方ではなく、きちんとセッティングされたプラスティック爆弾によって爆破されたのだから。
 それも、跡形もなく。

 だから、そもそも大使夫妻の生死すら確認しようが無かった。

 だが、それは単に彼らの『プロモーション』でしかなかった。

『いかなる国によるものでも反撃があれば、我々は躊躇なく細菌兵器を東京23区でくまなく散布する』

 米国大統領は日本を戦場にしてでも報復すると日本国総理に

が、日本の影の諮問機関である『賢人会』が総理による大統領への同調を叱り付けて抑えた。総理大臣はやむなく国内の安全確保に走る。

「都内すべての公共交通機関を閉鎖する。救急・消防・警察の緊急車両以外は道路の通行を禁止する」

 会見場で詮無い質問を記者がした。

「自転車はいいんですか?」
「安全を補償できません」

 東京23区における交通手段は徒歩しかなくなった。

 あるいは・・・・

「とんび。行くよ」
「ああ。これが、

なんだな」

 閉鎖の対象となる直前の、東京行きの『片道』新幹線に2人は飛び乗った。この状況で東京へ行こうなどという人間はこのふたりのような『不審者』以外におらず、ひいなととんびはゆうゆうと車内で駅弁を胃袋に詰められるだけ詰め込んで即効の『カーボ・ローディング』を行い、最後には座席から立ち上がって胃袋をまっすぐに伸ばし切って弁当を流し込んだ。

 東京駅の周辺は道路が既に封鎖され、車を乗り捨てて徒歩で避難する人間で大混雑していた。

 八重洲口から東京の地上に降り立ったひいなととんびは、ウインド・ブレーカーを脱ぎ捨てる。

 下には白のランニング・ウェア。
 生地が極端に少ないタンクトップとショートパンツ、ふたりとも凹んだ腹筋を見せている。

 髪の短いひいなは更にその後ろ髪を縛り、まるで昔の武家の少女のようだ。

 明らかに浮いた出で立ちのふたりだが、道を歩く人間どもは気にかける余裕すらなかった。

 死ぬかもしれないから。

 凶悪なウイルスによって。

「抜けようか、とんび」
「ああ」

 ふらあ、と体を揺らしたかと思うと、ふたりはそのまま疾駆した。
 隙間がほぼないはずの人間の林をまるで透過するように素晴らしいスピードとステップで走り抜けた。

「ひいな。『敵』の場所が分かるかい?」
「五感では分からない。第六感の領域に入らないと」
「入れるかい?」
「うん。たやすいこと」

 ひいなは千日のランを終えた後の、不動明王の前での食べず、飲まず、眠らず、横臥せず、の九日間の感覚を呼び覚ます。

 目を閉じ、真言を無言で唱える。

『ノウマク・サンマンダバサラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン』

 まぶたの裏側に、あの時の不動明王の姿が閃光のように浮かんで消えた。

「東京で一番高い所」
「それって・・・スカイツリーか!」

 納得するふたり。

 もし、空から拡散して空気感染する細菌だとしたら、最適の場所だろう。

 空を見上げる2人。

 見上げるとスカイツリーがそこにある。

 今皇居の辺りにいるので距離も10kmとないはずだ。仮に人をすり抜けて走るにしても2人の走力ならば数十分で辿り着ける。

 ところが。

 味方であるはずの警察や自衛隊が障害物となった。

「止まりなさい!」
「通行禁止です!」

 道路を封鎖している警察・自衛隊が、ひいなととんびの異様な場違いの風貌を見て排除にかかる。だが、はい分かりましたなどと言う訳にはいかなかった。

 止まらない。

「確保!確保ぉっ!」
「こらあっ!」

 警察官たちのランは速かった。
 おそらくそれは華乃の走った戦場のランに近いだろう。
 犯罪者と向き合い、場合によっては発砲し、自らも例えば金属バットで後頭部を潰される危険のある職業。
 ひいなは警官たちに嫉妬しかけたが、自らの千日に及ぶランと9日間の死に漸近した事実がある。
 実はとんびも神社の石段ダッシュとその合間のウルトラ・マラソンの中で、何度も死に直面したことがあった。濃霧で森林コースの視界がゼロとなりコースアウトして三日間山中をさまよったのはひいなのランに近いだろう。

「おいっ!」

 警察官の、人間を拘束するためのステップ・ワークと駆け引きにひいなととんびは取り囲まれた。ある意味彼らは『職業』として走る、まごうことなきランナーだろう。どうやらこの班は女性警官が指揮を執っているようだ。

「右へ展開!」

 短い適切な指示でひいなととんびを追い込む。こういう、忖度などしていたら死んでしまう命懸けの現場の人間たちが一番手強いことをひいなは知っていた。

 だからこそ、全力を一気に使った。

「どいて!」

 ひいなの声にではない、そのダッシュのスピードに警官たちは『ビビっ』た。

「体を盾に!」

 女性指揮官が怒鳴る。併せて彼女は男どもをあてにできないと判断し、武装していないはずのひいなに自ら拳銃を向けた。

 彼女は本気だと判断したひいなは、サラシで潰した胸の谷間から懐刀に手を掛け、鞘から抜いた。

「ひいな、出すな!撃たれるぞ!」

 とんびの叫びに対してもひいなは冷静に思考した。

『ううん。目の前のこの女はわたしが武器を出そうが出すまいが、撃つ。本能でわたしを危険だと判別している』

 パン!

 威嚇射撃ではなく、ひいなに照準して女性警官は銃を撃った。
 ひいなは、不動明王を唱える。

「南無不動明王、やあ!」

 ひいなは、ちゃっ、と刃の腹を銃口に向けて顔面の前で懐刀を横に倒し、右手の平を刃の腹の裏側に添えた。

 ゴキン、と弾丸が刃の腹の前面に着弾すると、ぐいん、と刃ごとひいなの鼻の方向に向かって押し込まれる。それを添えた右手で、ぐっ、と堪えると、弾丸の尖端が刃の側面で平に形取られた後、チン、とアスファルトの上に落下し、この瞬間しかないとひいなは再度彼女に向かってダッシュした。

「ごめんね!」

 ひいなは、懐刀の切っ先を彼女に向けて威嚇したまま包囲網を駆け抜ける。

 女性指揮官が第二弾を発砲しようと再度ひいなに照準した所を、

「うっ!」

 足を掬われて尻餅をついた。

「すいません!」

 とんびだった。

 追うのはもう間に合わないと合理的な判断を下した彼女は全警官に無線で拡散した。

「若い男女、山手通りをおそらく浅草方面に向けて高速移動中・・・はい?バイクか車のどっちだ、ですって?走ってます!二本の足で!」

 だがひいなととんびは最初の関門を通過した後も警官たちの群れている場所をいくつも突破しなければならなかった。

 とうとうそこに『戦場』が展開された。

「照準!」
「はっ!」

 直線の幹線道路。
 前方300mにバリケードが設営され、迷彩服を着た自衛官がハンディ・バズーカを肩に乗せている。
 ひいなととんびの

に砲口を向け、発射態勢に入っているようだ。

「そうだよな。ちょこまかする相手なら、『その辺』を丸ごと削ってしまえば手っ取り早いよな」

 とんびはそう言って、けれどもそのまま止まらずに走り続けた。

「死ぬのかな」

 とんびのつぶやきにひいなが怒鳴り返す。

「死ねないよっ!わたしは不動明王に誓ったんだ!『遍く全員、救い尽くす!』拝み倒してでも!」

 ひいなはこのランという専門分野において、まるでそれを仏の像に対する称名のように唱えた。

「華乃。華乃華乃華乃華乃華乃華乃・・・華ー乃ぉっ!」

 ぶわ、と左右の風景のビルの壁にプロジェクション・マッピングがなされるように、別の風景が重なった。

 これは・・・

「華乃っ!」
「ひいな!」

 咄嗟にひいなは分かった。
 そう、アスファルトの上に土と腐葉土の獣道(けものみち)が透き通って重なった映像になっている。
 ビルの壁面をスクリーンに見立てるように林の杉の木々が映像のように映し出されている。

 間違いない。

 戦国の世の山岳コース。
 戦場を駆けるコース。

 ついに、シンクロした!

「ひいな!その者どもは敵だっ!わたしが兄の指揮する戦地に爆薬の導火線を届けるのを妨害するための討手だっ!」

 華乃の叫び声に振り返ると、やはり華乃と似通った黒の布地で薄い疾駆用のウェアに特別(しつら)えの足袋を装着したラン専門の部隊が5名、全力で疾駆して来ている。真っ黒に日焼けしていて全員男に見えるが女も混じっているようだ。

 討手たちのスピードは、もはやケダモノのそれだった。

 華乃が叫ぶ。

「そやつらはトリカブトの毒を薄めた水にネズミの心臓を漬けこんだ『発狂薬』で神経を昂らせているのだ!もはや人間ではない。ひいな!とんび!全力で走れえ!」

 ドーピングか!
 それも致死レベルの!

 そうまでして戦争に勝たねばならないのか。

 正直ひいなは華乃の軍が正義なのか不義なのかすら分からなかった。

 あれだけ走ってもまだ分からない。

 でも、簡単なことだ。

 分からないなら自分で決めればよいのだ。

「とんび!バズーカに向かって走るのよ!」
「なんだって!?」
「バズーカに向かって、走れっ!」

 理由などわからないがとんびはひいなの声の通りに、今まさに自衛官が発射せんとしているハンディ・バズーカの砲口のど真ん中目掛けてスピードを上げた。ひいなも。

 その横を反磁力の作用で地上数mmを浮上するように高速疾走している華乃。

『美しい。やっぱりかなわない・・・』

 そして、究極のチキン・レースが終焉を迎えようとしていた。

 唾液を後方に吹っ飛ばしながら、瞳孔が開ききった討手たちが後5mでひいなたちに到達する。

 バズーカまでももはや15mを切った。

 そして、ひいなは肉眼で、砲身の隙間から見えていた細い光が、砲弾の迫り出しによって真っ黒になるのを視認した。

 そして怒鳴った。

躱せ(かわ)せえええっ!」

 一気に砲弾の真正面の映像が迫り、けれども華乃、ひいな、とんびは、決して弾の尖端から目を逸らさず、ランをやめもせず、首だけ、ぶいん、と横に傾けた!

 ず・ひゅん・・・・・・・・・・・!

 ゴオウ!!

「ぎぃやぁあああっ!」
「おおうっ!」
「あううううう!」

 ひいなたちの後頭部から突然出現した鉄の高速飛行するハンディ・バズーカの砲弾が、5人の討手の顔面、胸、四肢、を血肉と共に吹き飛ばして、鮮血と内臓とが獣道にばら撒かれた。

 自然の摂理によれば、山中の野獣たちが彼らの肉を貪って糞として地面に返すところを、それすらこの五人は許されなかった。

 ドォオオオオオォォン・・・
 シュゴォーーッ!!

 着弾と同時の爆発で、彼らの生きた証である血は蒸発し、肉と骨は一気に焦がれて炭化した。

 地獄。
 戦場は、地獄だ。
 人間は、神仏に断りもしない勝手な研究によって、地獄の悪鬼すらリンチのバリエーションとして作れなかった悪魔の炎を生み出した。

「な、なんだ、あれはあっ!」
「み、民間人を誤射した!?」

 ひいなたちこそ健全で世の安寧を守らんとする民間人なのだが、自衛官たちは忠実に指揮命令系統に沿った思考・行動をする余りに、こともあろうか討手たちを民間人と誤認した。

 だが、自衛官たちの名誉のために、誤認であっても誤射ではない、とひいなは強く思った。

 炎を見て呆然とする自衛官たちの横を、ランを継続してすっ飛んでいく華乃、ひいな、とんび。

「華乃っ!」
「ひいな!わたしは征く!兄の戦場へ!領民を救い尽くすために!」
「分かったあっ!」
「ひいなととんびはこの日本の、国中の人を守るのだ!日本じゅうの民を、遍く救うのだっ!」
「うん!華乃!ありがとう!」
「ひいな、おさらば!」
「さよなら!華乃っ!」

 即答したひいなとは違い、とんびは華乃への別れの言葉を探している。
 そしてようやく思いついて言った。

「華乃さん、勝つんだあ!」

 華乃もにっこり笑って拳を突き上げる。

「ああ!わらわは勝つ!とんび!」
「は、はいっ!」
「そなたのこと、好きだったぞ!」

 華乃の姿はさらにランを加速させて、消えた。

 照れてしまっているとんびに、一瞬だけひいなはむっとしたが、そのままふっ、と笑って更にスムースに前方への推進力を増し、スカイツリーを目指す。

 ただ、スカイツリーへの到達がゴールでないことは二人ともわかり切っていた。





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