59 愛しき君との別れ

文字数 1,745文字

「長期休みには必ず来るから」
「楽しみにしてる」
 愛しい彼女の温もりを忘れないように何度も抱きしめる。
「毎日連絡するわね」
 恋と自覚するまでは、会えなくても平気だったのにと思う。再会してからほとんど毎日会っていたせいか、離れるのが辛かった。

「これは終わりじゃないわ。バットエンディングじゃないの」
 『始まりよ』と言って彼女が口づけをくれる。
「大丈夫。わたしはあなたを諦めることなんて出来ないのだから」
 どんなに言葉を尽くしても悲し気に見つめる奏斗に、(しま)いには苦笑いを浮かべる花穂。わがままを言うわけにもいかず、奏斗は肩を竦めた。
「もう。そんな表情(かお)しないの」
「二泊三日じゃ満たされないよ」
「あんなにしたのに?」
 そんなつもりではなかったのに肉体的な交わりのことを言われ、奏斗は思わず視線を逸らす。
「ほんと相変わらずね」
「別に欲求不満なわけじゃない。ただ、一緒にいたいだけ」
 そっと彼女に腰に手を回す。このまま一緒にいられたらどんなに良いだろうか。しかし、帰国の時間は迫っていた。

「人間って不思議な生き物ね」
「うん?」
「大切な者とはいつまでも繋がりを求めるもの」
 動物は巣立ってしまえば、一緒にいることは無い。だが人間はそうもいかない。ずっと同じ(つがい)を持つ動物もいればそうでない動物もいるかもしれない。しかし、人間は自分たちの意思で決める。そういう生き物だ。
 恋しく思うのも人間特有のものかもしれない。
 とは言え、その感情が長続きするとは限らない。だから努力をする。
「何がそんなに不安?」
「離れている間に気持ちが変わってしまったら」
「そんなことになると思う?」
 背中に回された手の温もり。
 自分は忘れずにいられるだろうか。

「奏斗と離れてから一年近く。あなたのことばかり考えていたの。凄く心配もした」
 ”あなたは後悔しなかった?”と問われ、何も答えられない。
 自分の中に合ったのは後悔というよりも、疑問だ。
「わたしは後悔した。ズルくても浅ましくても汚くても、この手を離すんじゃなかったって」
 ”奏斗を不幸にしたのはわたし”と言って彼女は真っ直ぐにこちらを見上げる。
「またこうやって、辛い想いさせてる」
「花穂のせいじゃ……」
「ねえ、思い出して。私たちの始まりを」

 花穂との出逢いは突然だった。当時好きだった相手と出向いたデパートでばったり。その直後、人を介して名刺を受け取った。
 覚悟を決めてメッセージアプリのIDに連絡を取ったところ、すぐに呼び出されたのである。
『明日は休みなんだし、おしゃべりでもしましょう』と。

「懐かしいな」
 思わず笑みが零れる。
 自分は彼女の義弟や彼の好きな教師の代わりだと思っていた。
 性的なことを知らなかった義弟には多くを求めず、女性に性欲の向かない教師には肉体関係を求めなかった花穂。では自分には何が求められるのだろうか。覚悟して行った食事先での会話に少し驚いたものだ。
 
 深夜のレストランで。
『男なんて結局、ヤルことしか考えてないのよ』
 花穂は男に対しての不満をぶちまけていた。
『愛の言葉だって、良いように自分に持っていくための演出でしかない。やることやったからって、愛が深まるわけでもない。それが無責任な性行為ってやつだわ』
 彼女は頬杖をつき、アイスティーをストローでくるくるとかき混ぜながら。
 奏斗は向かい側の席で足を組み、腕を組んでそれを面白そうに眺めていた。

 あの時、自分は花穂に対して好感を持ったし、想像と違うなと感じたのである。次から次へと男をとっかえひっかえしているという噂のあった花穂。
 だが彼女は男遊びをしているわけではなかった。
 それは単なる自衛。
 結果的に肉体関係にはなったが、彼女の初めての相手は自分。

「初めは見た目が好みなだけで、噂の真相が知りたいくらいだった」
 彼女は”写真を見て一目ぼれ”だったと言っていた。
「そして知れば知るほど好きになった。わたしにとって、あなたの変わりは何処にもいないの」
 気丈に振舞っていた花穂が涙を零す。
「だから不安にならないで。わたしは絶対にこの手を離したりはしない。例え誰かに奪われたとしても、奪い返すから」
 ”そんなフラフラしないよ”と言おうとし、自分のこれまでを振り返った奏斗は何も言えなくなったのだった。
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