第22話 ブッダの本

文字数 1,254文字

 ブッダに関する本は、けっこう買った。岩波文庫から出ている「ブッダが説いたこと」が最初だった。その後、中村元の一連の本、講談社学術文庫の「ゴータマ・ブッダ」、果ては「法句経」… これは9000円もしたが、どのような状況でブッダがこう言ったのかということが書かれていて、それが知りたかった。

 作家の立松和平もブッダが好きだったらしい。一説によると、奥さんが出産費用に蓄えていたお金をくすねて、ひとりでインドに行ってブッダの足跡を辿ったらしい。すごい人だと思う。
 吉本ばななは「ホ・オポノポノ」(自己啓発? 自己セラピー? みたいなもの)が好きらしいけれど、その教えみたいなものはブッダと似ている部分がある。
 だが、「ホ…」は、開発者の「これをやるとイイことがあります」というところで、ぼくはつまずく。そういう妙な期待をさせるようなことは、よくない。いくら気持ちが大切とはいえ、見返りを求めては、いけない。むしろ、そういった執着を失くす方向に向かった方が、よかったと思う。でも、それだと「信者」が増えないか…。ブッダにとっては、宗教なんて小さなものだったろうに。

 手塚治虫の描いたブッダも、面白かった。ダイバダッタを悪く描きすぎたと、あとがきにあったけれど、「法句経」によればずっとブッダにつきまとい、嫌がらせをしていたらしいから、そんなに悪くないと思う。
 ここ奈良には、家の近所といえば近所の「国宝館」に、ブッダの弟子たちが像になっている。弟子ではないが、阿修羅像が人気者であるらしい。この阿修羅さんは、よく東京にも出張に行かれる。
 萩尾望都のマンガには、アシュラとキリストが戦う設定があった。これまた、すごいテーマを描いたと思う。

 ブッダの言葉は、「口頭継承」のかたちで伝わってきた。ただ、ブッダの死後、「これで自由になれる!」と喜んだ弟子がいて、まわりの弟子たちを相当驚かせた。
 で、弟子のひとり、カッサパが「ブッダの教えを本に残そう」と発案し、他の弟子たちも協力して、主にアーナンダを中心に「私はブッダからこういう話を聞いた」から始まる、一連の物語ができたということだ。

 何にしても、こうして2000年以上前の言葉が、今も生きていることは素晴らしいと思う。アメリカの大手企業が社員教育のように行なっている「マインドフルネス」も、ブッダの発案とのこと。日頃、当たり前のように吸っている「呼吸」についての、微細な、あまりにも微細な見つめ方、その考察を哲学のように論理的に体系づけた人は、そうそうこの世に出てこまい。
「なぜ人は苦しむのか」ということのみに、ブッダはその考える作業の重点においた。じつは、かなり現実的な人だった。
 なぜ矢が放たれ、その人の胸に刺さったのか。それについての細かい点はどうでもいい。ただ、一心に、その矢が胸に刺さり、苦しむ人をなんとかしたかっただけなのだ。信者が増えればいいとか、そんなことより、目の前にいる人間の苦しみを、どうにかしたかったのだ。
 慈悲、という言葉は、ふかいと思う。
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