第65話 「自由の彼方で」

文字数 900文字

 今はない出版社、冬樹社からの「椎名麟三全集」の5を読んでいる。
 キリスト者になってからの椎名麟三は、つまらない、と昔は感じていたが、今は面白いと感じることができている。
「あなたは、ほんとうに神を信じているのですか」という問いに、「ほんとうの、ほんとうの、ほんとうです」と椎名麟三は答えている。

「自由の彼方で」の主人公、山田清作は、「順調に不良少年のコースをたどった」椎名麟三の、自伝的小説であるという。
 その清作の姿の真骨頂は、「自分から窓ガラスへ頭から突っ込む」という、なんとも絶望的な行為の描写であるように思う。しかしこれは、清作の武器たり得た。

 不良少年を率いる、いわばボスのような新吉から、清作は殴られる。といっても、軽い女の手のような平手打ちである。だが、清作は、もう駄目だと思い、石につまずく偶然も手伝って、よろよろし、そこにあった店先の窓ガラスへ、頭から自主的に突っ込むのである。
 もちろん、その清作の頭や手からは、自動的に血が流れている。その音を聞いた近所の人たちや店の人たちが集まってくる。
 清作を殴った当の新吉は、「こいつが勝手にガラスへ突っ込んだんや。ほんまや。おれは、そんな強くやってへん」というふうに、まわりへ訴える。しかし、まわりは、非難の目を新吉に向ける。清作の、頭や手から流れる血が、事実だったから。

 その後も、何回か、清作は新吉に殴られている。いや、2回目だったか、その際はちょっと押されただけである。それでも清作は、まるでそうするしかないように、自分から、近くにある窓ガラスへ頭から突っ込んでいく。

 そして、近所の人が集まってくると、逃げていく新吉に、「なんで逃げるのだろう」と清作はぼんやり考える。

 あるときは、やはり、新吉にやられて(といっても、やはり軽いのだが)、よろよろと窓ガラスを探して、「これは厚そうだ。」と思い、それをよけて、仕方なくわざわざ薄いウインドウケースのようなものに頭から突っ込んだりしている。

 そうしないと、清作は、生きていけなかった。
 血を流すことは、清作の武器に、まちがいなかったと思われる。本人は、そう意識していなかったとしても。
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