第49話 脱・心配性(私の場合)
文字数 1,632文字
他人から言わせると、「考えすぎだよ」ってことらしいんですが……
いやいや、考えずにはいられないんです!
心配することを糧に、生きているようなもんなんです!
10代の頃の私は、こんな感じでなかなかの「心配性」でした。何をするにも「考えること」が先に立ち、なかなか一歩が踏み出せず。やっと何か行動を起こしたと思えば今度はそれについていろいろ(その行動は正しかったのか?いったいどんな結果がついてくるだろう?周囲の人にどんな影響が及ぶだろう?などなど)と考え込んで眠れなくなる始末。自分でも、私はなんでこんななんだろうって、嫌になることがしばしばありました。
「もっと気楽に生きられないもんかな~自分。」
なんて、感傷にひたることも(笑)。
大学に進学して家族と離れ、一人暮らしを始めた私。何をしても一人な状況の中で、ますますその「症状」が悪化。眠れず、動けず、人にも会えず、……いつのまにか「ひきこもりのウツ人間」になってました。
眠れない夜が来るのが、毎日怖かったことを覚えています。何もなせずに一日が終わっていくのが、情けなくてしょうがなかったことも覚えています。たま~に食べ物を買いに行く以外は外出もせず、モヤモヤした頭を抱え、ただベッドに横たわっているだけの自分に、存在意義なんて見出すことはできませんでした。「これではいかん」と、思ってはいるんです。でも、抜け出せないんです……
ある日、いつものようにベッドに横になっていた私は、カーテンの隙間から外を覗いていました。住んでいたアパートの前は、バスと歩行者が譲り合ってお互いの進路を進んでいくといったような狭いバス通りでした。私のベッドからはバス停が見えます。そのバス停をぼんやり見ていたら、バスが停車し、高校生の一団と一緒に「おっさん」が一人、降車しました。
きっかけは突然訪れました。
その「おっさん」、缶ビールの500缶を両手に1本づつ持ってたんです。しかもすでに、だいぶ酔っぱらっている様子。降車してしばし、バス停の脇にしゃがみこんでました。
「やべーのがいるな……」
私は無感動に覗いていました。そしたらその「おっさん」、ふらふら歩きだしたと思ったら、そばの電柱にぶつかって行ったんです。その拍子に、手に持ってた缶ビールが落下。さらに運悪く、缶(未開栓だった?)が破裂。ビールの小さな噴水をくらい、そのおっさんは下半身ビールまみれになりながら転んでました。
「マジか!」
……気づけば私、笑ってました。
そのときふと、思ったんです。
「私の心配事や悩みって、あの「おっさん」には関係ないよな……」
私はハッとしました。
「そもそも、私の苦悩なんてあの「おっさん」は知りもしないよな……それでも、あの人はあの人の人生を変わらず歩んでいられるんだよな……」
「……じゃあ、大したことじゃないんじゃない?私の心配や悩みって……」
「私がここで悶々としてても、あの「おっさん」はそれとは無関係にあそこでこけてんじゃん!ビールまみれになってんじゃん!」
「じゃあやっぱり、大したことないんじゃない?うん。きっと大したことじゃないんだよね!」
「おっさん」の醜態が、どんより曇った精神状態の私に「一筋の光」を射してくれたんです。なぜかはわかりません。「そんなことで?」とも思います。でもこの出来事は、私にとってとても大きな「自己革命」でありました。それは間違いありません。
それ以来、何かで悩みそうになったり、不安の沼にはまりそうになったりしたときは、私は外を見ます。そして誰か人を見つけ、
「あそこのあの人にとっては、私の悩みも心配事も関係ない、関係ない。だから大丈夫。考えない、考えない。」
っていうふうに、自分に言い聞かせるようになりました。そして、どうにかこうにか、心配性を克服していったのでした。
「おっさん」、ありがとう。あなたのおかげで、私はだいぶ楽に生きられるようになりましたよ。
いやいや、考えずにはいられないんです!
心配することを糧に、生きているようなもんなんです!
10代の頃の私は、こんな感じでなかなかの「心配性」でした。何をするにも「考えること」が先に立ち、なかなか一歩が踏み出せず。やっと何か行動を起こしたと思えば今度はそれについていろいろ(その行動は正しかったのか?いったいどんな結果がついてくるだろう?周囲の人にどんな影響が及ぶだろう?などなど)と考え込んで眠れなくなる始末。自分でも、私はなんでこんななんだろうって、嫌になることがしばしばありました。
「もっと気楽に生きられないもんかな~自分。」
なんて、感傷にひたることも(笑)。
大学に進学して家族と離れ、一人暮らしを始めた私。何をしても一人な状況の中で、ますますその「症状」が悪化。眠れず、動けず、人にも会えず、……いつのまにか「ひきこもりのウツ人間」になってました。
眠れない夜が来るのが、毎日怖かったことを覚えています。何もなせずに一日が終わっていくのが、情けなくてしょうがなかったことも覚えています。たま~に食べ物を買いに行く以外は外出もせず、モヤモヤした頭を抱え、ただベッドに横たわっているだけの自分に、存在意義なんて見出すことはできませんでした。「これではいかん」と、思ってはいるんです。でも、抜け出せないんです……
ある日、いつものようにベッドに横になっていた私は、カーテンの隙間から外を覗いていました。住んでいたアパートの前は、バスと歩行者が譲り合ってお互いの進路を進んでいくといったような狭いバス通りでした。私のベッドからはバス停が見えます。そのバス停をぼんやり見ていたら、バスが停車し、高校生の一団と一緒に「おっさん」が一人、降車しました。
きっかけは突然訪れました。
その「おっさん」、缶ビールの500缶を両手に1本づつ持ってたんです。しかもすでに、だいぶ酔っぱらっている様子。降車してしばし、バス停の脇にしゃがみこんでました。
「やべーのがいるな……」
私は無感動に覗いていました。そしたらその「おっさん」、ふらふら歩きだしたと思ったら、そばの電柱にぶつかって行ったんです。その拍子に、手に持ってた缶ビールが落下。さらに運悪く、缶(未開栓だった?)が破裂。ビールの小さな噴水をくらい、そのおっさんは下半身ビールまみれになりながら転んでました。
「マジか!」
……気づけば私、笑ってました。
そのときふと、思ったんです。
「私の心配事や悩みって、あの「おっさん」には関係ないよな……」
私はハッとしました。
「そもそも、私の苦悩なんてあの「おっさん」は知りもしないよな……それでも、あの人はあの人の人生を変わらず歩んでいられるんだよな……」
「……じゃあ、大したことじゃないんじゃない?私の心配や悩みって……」
「私がここで悶々としてても、あの「おっさん」はそれとは無関係にあそこでこけてんじゃん!ビールまみれになってんじゃん!」
「じゃあやっぱり、大したことないんじゃない?うん。きっと大したことじゃないんだよね!」
「おっさん」の醜態が、どんより曇った精神状態の私に「一筋の光」を射してくれたんです。なぜかはわかりません。「そんなことで?」とも思います。でもこの出来事は、私にとってとても大きな「自己革命」でありました。それは間違いありません。
それ以来、何かで悩みそうになったり、不安の沼にはまりそうになったりしたときは、私は外を見ます。そして誰か人を見つけ、
「あそこのあの人にとっては、私の悩みも心配事も関係ない、関係ない。だから大丈夫。考えない、考えない。」
っていうふうに、自分に言い聞かせるようになりました。そして、どうにかこうにか、心配性を克服していったのでした。
「おっさん」、ありがとう。あなたのおかげで、私はだいぶ楽に生きられるようになりましたよ。