神は心を見る

文字数 1,541文字

 人目を気にしてしまう。

 佐藤真奈美の悩みは、この一つの事に集約される。

 今は大学の夏休み中だったが、マスクを外して外出もできなかった。マスクは個人の自己責任として判断されていたが、外で皆んながしていると外せなかった。

 マスクだけなく、洋服なんかも人の基準で選んでいた。なるべく地味で、年齢に合ったものを選ぶ。ネットで話題の婚活カウンセラーが、特定のファッションを批判しているのを見かけたが、そう言ったものを見ると、周囲から浮いてないか気になってしまうのだった。メイクも無難に塗っているだけで、ちっとも楽しくない。

 そのうち、何回目かの接種のお知らせがあったので受ける。しかし、今回は副反応がきつく、なぜか髪の毛が抜け落ち、すっかり恥ずかしい頭皮になってしまった。ますます外に出られず、引きこもりのような日々を送っていた。

 そろそろ夏休みも終わってしまうが、どうしよう……と悩んでいる時、思い切って実家に帰る事にした。都会にいるから人目が余計に気になるのかもしれない。

 ウィッグをつけ、その上に帽子を被り、実家に帰る事にした。それだけでもかなりの勇気がいったが、意外と田舎でも注射の危険性が囁かれていた。田舎でも何人か亡くなっているという噂も聞き、実家の家族もさすがに打つのをやめていた。

 この注射も人目を気にした結果で、真奈美は脱力しそうだった。人目を気にした結果、最悪命まで取られていた可能性もあると思うと笑えなかった。そう思うと反ワクや頭おかしい陰謀論者と言われても、別に良い気もしてきてしまった。死ぬよりはマシだ。

 少し心が軽くなってきた所で、近所を散歩してみる。もう髪の毛も無くなり、恥ずかしい容姿になってしまったが、人目を気にしすぎると死ぬ事もあると思うと、怖くもなってくる。日本人は他人を優先するのが美徳と言われているが、死んでしまったら、意味がない。

 近所の家の塀にキリスト看板が貼ってあった。田舎によくあるホラーティストの看板で怖いが、何となく目がとまる。

「神は心を見る」。

 そう書いてあった。

 その通りかもしれない。人目を優先するあまり、自分の心がどこにあるのかすっかり忘れていた。

 今、自分の心を誰かに見られたら、決して良いものでも無い。マスクも注射もファッションも人目を気にした結果で、自分の心を置いてきぼりにしていた。まして誰かの為の思いやりでもマナーでも優しさでも全く無い。むしろ、臆病な自分の心の表れだった。

 黒くて、白抜き文字のキリスト看板。ホラーにしか見えないが、書いてある事は合っているようだった。田舎の強い夏に日差しを受け、何だか輝いて見えるのは、気のせいだろうか。

 蝉の鳴き声もうるさく、気温も高い。今、マスクをしている理由って何だろう。単に臆病な自分の心の結果ではないだろうか。

 真奈美は思い切って耳の裏に手をやり、マスクを外す。外したマスクはもちろん、カバンにしまった。

 都内に住んでいた時は、よく道端にマスクが捨ててあったが、本当に思いやりのある人の行動では無いだろう。案外、自分と同じように人目を気にしているだけの者も多いのかもしれない。

 当然ながら、マスクを外すと呼吸が楽になってきた。吸い込む空気も不味くは無い。気が抜けてきた。

「うん、別に人にどう言われてもいいよね」

 大事な髪の毛も失ってしまったし。人目を気にしても、結局損をするのは、自分だけだったと気づいた。

 これからは、もう少し自分の心をよく見て大事にしてやった方がいいだろう。「人目」とやらは、髪の毛を失っても自分の人生に責任など持ってはくれない。

 そう思うと、縛られていた心が自由になってきた。今後、髪の毛が生えてくるかはわからないけれど、希望は戻ってきたようだった。
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