キリストは永遠の命を与える
文字数 1,362文字
彼女が死んでから一年がたった。元々身体が弱く、長くは生きられない身体だった。
僕は看護師をしていて、入院中の彼女と出会ったのが、付き合うきっかけだった。いろいろと事情があり、今は介護施設で働いているが。
今日は久々に休日。
近所に散歩に行く。この辺りは、田舎だ。古い家々や野菜畑があり、のんびりとした所だった。
散歩に行く目的もあった。キリスト看板野撮影。
キリスト看板とは、よく田舎にある黒と白の聖書のメッセージが書かれた看板だ。
彼女はクリアスチャンだったから、あの看板を撮影した画像を見せると、とても喜んだ事を思い出す。
「死後さばきにあうとかって怖いんですけどー」
一人で文句を言いながら、キリスト看板を撮影していく。ホラー風のメッージに思わずたじろぐが、彼女の事が目に浮かぶ。僕が撮影した画像を見せると、無邪気に喜んでいたっけ。クリスチャンの中には、キリスト看板が嫌いな人も多いそうだが、彼女は「見るだけで面白い」と笑っていた。
辛い治療の中、笑顔を見せる彼女の為に、僕もせっせとキリスト看板の写真を撮影していたっっけ。
今日、久々に撮影をしていると、当時の記憶が蘇ってくる。
「なんで神様がいるなら、病気なんてあるのさ。っていうか神様と喧嘩した覚えもないし、和解とか言われてもね」
僕もついつい苛立ち、そんな事を言ってしまう事もあった。
そんな時、彼女は薄く微笑みながら、聖書の壮大なストーリーを教えてくれた。
「だから、私は死ぬのは怖くはないの。どうか、私が死んでも悲しまないでね」
なんて事も言っていたが、一年たった今もやるせない気持ちは残っていた。僕は無宗教だったし、十字架とか永遠の命とか言われても、よくわらから無いというのもあるが。
あの時もっとこうして居ればよかったとか、後悔の気持ちも拭えない。
彼女はいない喪失に飲み込まれそうだった。悲しまないなんて無理だった。
後悔や悲しみで胸が占められた時、あるキリスト看板がに目があう。
ボロボロの空き家の壁に一枚だけ張り付いていた。なぜかそのキリスト看板だけは劣化しておらず、ピカピカだった。周囲には色褪せた紫陽花が咲き、全然写真ちして映える光景ではなかったが、撮影する。
「キリストは永遠の命を与える」
キリスト看板には、そう書いてあった。
太陽の日差しのせいで、キリスト看板は余計にピカピカしているように見えてしまった。
なぜか、泣きたいような気持ちになってくる。
確かにもう彼女はいない。死んでしまった。
それでみ神を信じている彼女は、天国では生きているだろう。そう看板が伝えてくれている気がして、悲しみや後悔ではない涙がポロリと落ちる。
もう一枚、このキリスト看板を写真におさめる。
もう。誰もこの写真を見るものはいないだろう。それでも今の僕は、救われていた。宗教なんて悪いイメージしかないが、本当のそれは心を救うものなのかもしれない。要はそれを使う人の心の問題なのかもしれない。どんなに良いものも扱い方を間違えば凶器にもなるのだ。逆に正しく使えば、悪いものでは無いはずだ。特に人間の死に関わる時は。
「どうか元気で」
涙を拭い、天を見上げながら、お別れの言葉をつぶやいていた。
今はまだ悲しみは消えないだろう。それでも心にほんの少し光が差し込んでいた。
僕は看護師をしていて、入院中の彼女と出会ったのが、付き合うきっかけだった。いろいろと事情があり、今は介護施設で働いているが。
今日は久々に休日。
近所に散歩に行く。この辺りは、田舎だ。古い家々や野菜畑があり、のんびりとした所だった。
散歩に行く目的もあった。キリスト看板野撮影。
キリスト看板とは、よく田舎にある黒と白の聖書のメッセージが書かれた看板だ。
彼女はクリアスチャンだったから、あの看板を撮影した画像を見せると、とても喜んだ事を思い出す。
「死後さばきにあうとかって怖いんですけどー」
一人で文句を言いながら、キリスト看板を撮影していく。ホラー風のメッージに思わずたじろぐが、彼女の事が目に浮かぶ。僕が撮影した画像を見せると、無邪気に喜んでいたっけ。クリスチャンの中には、キリスト看板が嫌いな人も多いそうだが、彼女は「見るだけで面白い」と笑っていた。
辛い治療の中、笑顔を見せる彼女の為に、僕もせっせとキリスト看板の写真を撮影していたっっけ。
今日、久々に撮影をしていると、当時の記憶が蘇ってくる。
「なんで神様がいるなら、病気なんてあるのさ。っていうか神様と喧嘩した覚えもないし、和解とか言われてもね」
僕もついつい苛立ち、そんな事を言ってしまう事もあった。
そんな時、彼女は薄く微笑みながら、聖書の壮大なストーリーを教えてくれた。
「だから、私は死ぬのは怖くはないの。どうか、私が死んでも悲しまないでね」
なんて事も言っていたが、一年たった今もやるせない気持ちは残っていた。僕は無宗教だったし、十字架とか永遠の命とか言われても、よくわらから無いというのもあるが。
あの時もっとこうして居ればよかったとか、後悔の気持ちも拭えない。
彼女はいない喪失に飲み込まれそうだった。悲しまないなんて無理だった。
後悔や悲しみで胸が占められた時、あるキリスト看板がに目があう。
ボロボロの空き家の壁に一枚だけ張り付いていた。なぜかそのキリスト看板だけは劣化しておらず、ピカピカだった。周囲には色褪せた紫陽花が咲き、全然写真ちして映える光景ではなかったが、撮影する。
「キリストは永遠の命を与える」
キリスト看板には、そう書いてあった。
太陽の日差しのせいで、キリスト看板は余計にピカピカしているように見えてしまった。
なぜか、泣きたいような気持ちになってくる。
確かにもう彼女はいない。死んでしまった。
それでみ神を信じている彼女は、天国では生きているだろう。そう看板が伝えてくれている気がして、悲しみや後悔ではない涙がポロリと落ちる。
もう一枚、このキリスト看板を写真におさめる。
もう。誰もこの写真を見るものはいないだろう。それでも今の僕は、救われていた。宗教なんて悪いイメージしかないが、本当のそれは心を救うものなのかもしれない。要はそれを使う人の心の問題なのかもしれない。どんなに良いものも扱い方を間違えば凶器にもなるのだ。逆に正しく使えば、悪いものでは無いはずだ。特に人間の死に関わる時は。
「どうか元気で」
涙を拭い、天を見上げながら、お別れの言葉をつぶやいていた。
今はまだ悲しみは消えないだろう。それでも心にほんの少し光が差し込んでいた。
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