(二・六)嘉手納の海
文字数 2,722文字
※過激な場面がありますので、御注意下さい。
「おい。なんでも今、守衛室の前に威勢のいい小娘がいるんだとよ」
「人数は」
「ひとり」
「幾つだ」
「高校生」
「よーし。ちょっとかわいがってやるか」
「ちょっとじゃ、済まない癖に」
その日の訓練を終え、飲みにでも行くかと、基地のロビーでくつろいでいた四人の米兵がいた。軍曹と上等兵と二人の一等兵だった。
抗議を諦め米軍基地を後にしたかでなの背中を、そして四人は尾行した。かでなはまったく気付かなかった。かでなが嘉手納の海の砂浜に腰を下ろし、プリッツを頬張っている頃、浜辺とその一帯に人影はなかった。これは絶好のチャンスと、軍曹たちは一斉にかでなに襲い掛かった。
すべては一瞬の出来事だった。チョコプリッツは折れ、ショルダーバッグの中身は散らばり、麦藁帽子もセーラー服もむしり取られ、そしてナイフによって引き裂かれた。かでなは絶叫し悲鳴を上げた。けれどその声、SOSは、戦闘機の爆音によって掻き消された。四匹の鬼畜の前に非力なかでなの抵抗はむなしく砕け散り、夕映えの嘉手納の海に、かでなの希望のすべては泡と消えた。
殴り蹴り気絶させたかでなを、四匹の鬼畜は容赦なく次から次へと強姦した。そして欲望の果て、鬼畜どもの前には、最早用済みとなった日本の少女の肉体という一個の、物、が横たわっているに過ぎなかった。リーダー格の軍曹はさっきかでなの麦藁帽子とセーラー服を引き裂いたナイフによって、今度は砂にまみれたかでなの胸を、躊躇いもなく一刺し。これですべては、終わったのだった。
訓練からの帰還途上にあった米軍の戦闘機の乗組員が、嘉手納海岸に残されたかでなの遺体を発見した。彼らは基地に連絡を入れた。
「ああ、日本の少女だ。無残にも全裸で血だらけ。恐らく強姦され、殺されたのに間違いない」
「我等の同胞の仕業だと、思うか」
「おそらくな」
「了解。後は我々に任せたまえ」
戦闘機と入れ替えに、現場には米軍の一台の車が到着した。かと思うとあっという間にかでなの遺体を車に乗せ、さっさと運び去ってしまった。そして嘉手納の砂浜に僅かに残されたかでなの血痕も、寄せ返す波によって洗い流された。すべては、洗い流されたかに思えた。
しかしその後そこに現れたのが、まことだった。まことは息を切らし、駆け足でやって来た。その時既に嘉手納の海辺は平穏に包まれ、時は日没間際。まことは暗くなり始めた海岸一帯を見回し、かでながいないか捜した。けれどかでなの姿は何処にもなかった。
このまま嘉手納基地まで行ってみるべきか、それとも美砂の待つ松堂家に急ぐか、まことは悩んだ。迷いの中、波打ち際に寄せ返す波をぼんやりと眺めた。その時、まことの目に一瞬何かが留まった。まことはそれに見覚えがあることを悟った。
かでなの麦藁帽子だ。
波間に浮かび漂っていたのは、引き裂かれたかでなの麦藁帽子だった。なぜ。まことは一歩一歩波打ち際に近付き、それをつかまえた。
やっぱり、かでなのだ。でも、なぜこんなに引き裂かれ、そして、どうしてこんなところに……。まことの顔がさっと凍り付き、青ざめた。
まさか。
他にも何か落ちていないか、まことは無我夢中、汗だくになって海岸一帯を駆け回った。けれど既に日は沈み、夜の帳が降りた嘉手納の海はまっ暗になっていた。
どうしよう。
まことは焦った。兎に角、かでなの家に急ごう。その手にかでなの麦藁帽子を握り締めながら、まことは急いだ。
まことが松堂家に到着しても、そこにかでなの姿はなかった。
「かでな、かでなさんから、何か連絡有りませんでしたか」
けれど美砂はかぶりを振るばかりだった。まことは発見したかでなの麦藁帽子を、美砂と晴人に見せた。
「なに、これーーっ」
美砂は悲鳴を上げた。美砂も晴人も忽ち顔色を変え、パニックに陥った。
「こんなこと、今迄一度もなかったのよ。あの子が何にも連絡して来ないなんて。帰宅が遅くなる時は必ず……」
「そんなことは、分かってるさね」
近所の住人たちも、松堂家に集結した。みんな本気で心配していた。
「俺たちみんなで、基地周辺と海岸一帯を捜してるから、晴人と美砂ちゃんは警察に行ってくれ」
住民の有志によって捜索隊が結成され、まことも加わり、かでなの捜索が開始された。相談を受けた警察も協力し、美砂、晴人と共に一晩捜し回った。けれどかでなの行方は分からなかった。夜が明けても、捜索は続けられた。
歴史が物語る如く、誰もが米兵を疑った。かでな即ち沖縄の女子高校生が行方不明だというニュースが、沖縄を始めヤマトでも流されると、国民の多くが米兵による犯罪ではないかと疑いの目を向けた。その反響は大きく、日本国政府はこれを無視出来なくなった。そして重い腰を上げ、八月九日遂に米軍に調査を依頼した。
米軍は速やかに調査を実施し、その日のうちに結果を発表した。
「調査の結果、行方不明と思われる少女に暴行を働いた四人の兵士を洗い出した。しかしながら彼らは、犯行後気絶した少女をそのまま嘉手納海岸の砂浜に残し、自分らは直ぐに基地に戻ったということである。以上」
ではその後の少女の行方については、一切分からないのかという問いに対し、米軍はこう答えた。
「確かに分からない。ただもしかすると暴行されたショックから、少女は発作的に自殺を図り、目の前の海に飛び込んだのかも知れない」
これを受けその日の深夜から直ちに、米軍も協力して周辺の海の捜索が始まった。そして翌日八月十日の夕方、米軍のヘリが那覇港の沖を漂うかでなの姿を発見した。しかしかでなは既に死んでおり、死因は胸を刃物で刺された際の大量出血。恐らくレイプされたことを苦にしたかでなが自らナイフで胸を刺し、そのまま入水したのではないかとの推測が為された。
沖縄県警は直ちに、かでなをレイプした米兵四人の身柄引き渡しを、米軍に要求した。でなければ松堂家の人間、まことは勿論、沖縄県民が納得する筈がなかった。ところが実現しなかった。なぜなら例によって四人の身柄は日米地位協定によって守られ、八月九日の調査完了時点で、米軍はさっさと四人を本国アメリカへ強制送還していたからである。
なぜこんなことが許されるのか。かでなを失い悲嘆に暮れるまこと、松堂家の人々を先頭に、地元住民の怒りは爆発した。抗議団が結成され、嘉手納基地前で抗議活動が開始された。抗議の輪は拡大し、沖縄県内はもとよりヤマトの各地から賛同者が詰め掛け、抗議の列に加わった。
多い時は千人を超す参加者によって、昼夜を問わず激しいシュプレヒコールが繰り返された。しかし米軍は静観の構えを崩さず、沈黙を貫いたのである。
「おい。なんでも今、守衛室の前に威勢のいい小娘がいるんだとよ」
「人数は」
「ひとり」
「幾つだ」
「高校生」
「よーし。ちょっとかわいがってやるか」
「ちょっとじゃ、済まない癖に」
その日の訓練を終え、飲みにでも行くかと、基地のロビーでくつろいでいた四人の米兵がいた。軍曹と上等兵と二人の一等兵だった。
抗議を諦め米軍基地を後にしたかでなの背中を、そして四人は尾行した。かでなはまったく気付かなかった。かでなが嘉手納の海の砂浜に腰を下ろし、プリッツを頬張っている頃、浜辺とその一帯に人影はなかった。これは絶好のチャンスと、軍曹たちは一斉にかでなに襲い掛かった。
すべては一瞬の出来事だった。チョコプリッツは折れ、ショルダーバッグの中身は散らばり、麦藁帽子もセーラー服もむしり取られ、そしてナイフによって引き裂かれた。かでなは絶叫し悲鳴を上げた。けれどその声、SOSは、戦闘機の爆音によって掻き消された。四匹の鬼畜の前に非力なかでなの抵抗はむなしく砕け散り、夕映えの嘉手納の海に、かでなの希望のすべては泡と消えた。
殴り蹴り気絶させたかでなを、四匹の鬼畜は容赦なく次から次へと強姦した。そして欲望の果て、鬼畜どもの前には、最早用済みとなった日本の少女の肉体という一個の、物、が横たわっているに過ぎなかった。リーダー格の軍曹はさっきかでなの麦藁帽子とセーラー服を引き裂いたナイフによって、今度は砂にまみれたかでなの胸を、躊躇いもなく一刺し。これですべては、終わったのだった。
訓練からの帰還途上にあった米軍の戦闘機の乗組員が、嘉手納海岸に残されたかでなの遺体を発見した。彼らは基地に連絡を入れた。
「ああ、日本の少女だ。無残にも全裸で血だらけ。恐らく強姦され、殺されたのに間違いない」
「我等の同胞の仕業だと、思うか」
「おそらくな」
「了解。後は我々に任せたまえ」
戦闘機と入れ替えに、現場には米軍の一台の車が到着した。かと思うとあっという間にかでなの遺体を車に乗せ、さっさと運び去ってしまった。そして嘉手納の砂浜に僅かに残されたかでなの血痕も、寄せ返す波によって洗い流された。すべては、洗い流されたかに思えた。
しかしその後そこに現れたのが、まことだった。まことは息を切らし、駆け足でやって来た。その時既に嘉手納の海辺は平穏に包まれ、時は日没間際。まことは暗くなり始めた海岸一帯を見回し、かでながいないか捜した。けれどかでなの姿は何処にもなかった。
このまま嘉手納基地まで行ってみるべきか、それとも美砂の待つ松堂家に急ぐか、まことは悩んだ。迷いの中、波打ち際に寄せ返す波をぼんやりと眺めた。その時、まことの目に一瞬何かが留まった。まことはそれに見覚えがあることを悟った。
かでなの麦藁帽子だ。
波間に浮かび漂っていたのは、引き裂かれたかでなの麦藁帽子だった。なぜ。まことは一歩一歩波打ち際に近付き、それをつかまえた。
やっぱり、かでなのだ。でも、なぜこんなに引き裂かれ、そして、どうしてこんなところに……。まことの顔がさっと凍り付き、青ざめた。
まさか。
他にも何か落ちていないか、まことは無我夢中、汗だくになって海岸一帯を駆け回った。けれど既に日は沈み、夜の帳が降りた嘉手納の海はまっ暗になっていた。
どうしよう。
まことは焦った。兎に角、かでなの家に急ごう。その手にかでなの麦藁帽子を握り締めながら、まことは急いだ。
まことが松堂家に到着しても、そこにかでなの姿はなかった。
「かでな、かでなさんから、何か連絡有りませんでしたか」
けれど美砂はかぶりを振るばかりだった。まことは発見したかでなの麦藁帽子を、美砂と晴人に見せた。
「なに、これーーっ」
美砂は悲鳴を上げた。美砂も晴人も忽ち顔色を変え、パニックに陥った。
「こんなこと、今迄一度もなかったのよ。あの子が何にも連絡して来ないなんて。帰宅が遅くなる時は必ず……」
「そんなことは、分かってるさね」
近所の住人たちも、松堂家に集結した。みんな本気で心配していた。
「俺たちみんなで、基地周辺と海岸一帯を捜してるから、晴人と美砂ちゃんは警察に行ってくれ」
住民の有志によって捜索隊が結成され、まことも加わり、かでなの捜索が開始された。相談を受けた警察も協力し、美砂、晴人と共に一晩捜し回った。けれどかでなの行方は分からなかった。夜が明けても、捜索は続けられた。
歴史が物語る如く、誰もが米兵を疑った。かでな即ち沖縄の女子高校生が行方不明だというニュースが、沖縄を始めヤマトでも流されると、国民の多くが米兵による犯罪ではないかと疑いの目を向けた。その反響は大きく、日本国政府はこれを無視出来なくなった。そして重い腰を上げ、八月九日遂に米軍に調査を依頼した。
米軍は速やかに調査を実施し、その日のうちに結果を発表した。
「調査の結果、行方不明と思われる少女に暴行を働いた四人の兵士を洗い出した。しかしながら彼らは、犯行後気絶した少女をそのまま嘉手納海岸の砂浜に残し、自分らは直ぐに基地に戻ったということである。以上」
ではその後の少女の行方については、一切分からないのかという問いに対し、米軍はこう答えた。
「確かに分からない。ただもしかすると暴行されたショックから、少女は発作的に自殺を図り、目の前の海に飛び込んだのかも知れない」
これを受けその日の深夜から直ちに、米軍も協力して周辺の海の捜索が始まった。そして翌日八月十日の夕方、米軍のヘリが那覇港の沖を漂うかでなの姿を発見した。しかしかでなは既に死んでおり、死因は胸を刃物で刺された際の大量出血。恐らくレイプされたことを苦にしたかでなが自らナイフで胸を刺し、そのまま入水したのではないかとの推測が為された。
沖縄県警は直ちに、かでなをレイプした米兵四人の身柄引き渡しを、米軍に要求した。でなければ松堂家の人間、まことは勿論、沖縄県民が納得する筈がなかった。ところが実現しなかった。なぜなら例によって四人の身柄は日米地位協定によって守られ、八月九日の調査完了時点で、米軍はさっさと四人を本国アメリカへ強制送還していたからである。
なぜこんなことが許されるのか。かでなを失い悲嘆に暮れるまこと、松堂家の人々を先頭に、地元住民の怒りは爆発した。抗議団が結成され、嘉手納基地前で抗議活動が開始された。抗議の輪は拡大し、沖縄県内はもとよりヤマトの各地から賛同者が詰め掛け、抗議の列に加わった。
多い時は千人を超す参加者によって、昼夜を問わず激しいシュプレヒコールが繰り返された。しかし米軍は静観の構えを崩さず、沈黙を貫いたのである。
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