(三・十三)マリアとデイヴ

文字数 4,878文字

 兎に角マコトに伝えなきゃ。一分でも一秒でも早く、三笠のこと、核兵器のことを、マコトちゃんに……。
 ローレンスの部屋を後にしたカデナは、自室に戻るとローレンスとの約束通り、旅行の支度をした。しかしそれはカモフラージュ。こうやって旅行カバンを並べておけば、如何にもみんなと明日出発するように思わせられるだろう。
 旅行の準備が済んだカデナは、ジェームズと和貴子のいるリビングに向かった。
「ママ。心配掛けたけど、やっぱりわたしもみんなと一緒に、熊本に行くことにしたから」
「えっ、本当。それは良かった。流石お祖父様ね、一体どんな話してくれたの」
「そんな大した話じゃなかったわ。それよりわたし今から、友だちんとこ挨拶回りしてくるから、いいでしょう」
「えっ。今からって、もう十時前よ。気持ちは分かるけど、女の子ひとりじゃ遅いわ。電話じゃ駄目なの」
「ええっ。電話だけなんて、絶対嫌よ。だって向こうに行ったら、いつこっちに帰ってこれるか、分かんないんでしょ。だったらちゃんと顔見て、さようなら、しときたいよ」
「困ったわね。どうします、パパ」
 和貴子はジェームズに尋ねた。するとジェームズは笑顔で答えた。
「ま、いいじゃないか。カデナだって、もう高校生なんだから」
「流石パパ、サンキュー」
「でも気を付けるんだよ、危険な場所は避けるように」
「はーい、大丈夫。じゃ時間ないから、さっさと行って来まーーす」
 しかしカデナは思い出したように振り返り、和貴子に尋ねた。
「ね、ママ。わたしのカデナって名前、もしかして、おじいちゃんが付けたの」
「あら。お祖父様、そんなことまであなたに話したの。実はね、今迄黙ってたけどそうなのよ。だってお祖父様がどうしてもこの名前がいいって、言うもんだから……」
「分かったわ。いいのよ、ママ。わたしは全然気にしてないから。じゃ、ちょっと行って来る」
 やっぱり、そうだったんだ。やっぱり、綾瀬香出菜さんの香出菜、だったのね、おじいちゃん……。そしてカデナは、弾丸のように家を飛び出した。

 さあ、さっさとマコトちゃんに連絡しなきゃ。早くすべてを、マコトに伝えなければならない。慌てて家を飛び出して来たカデナの服装は、セーラー服。それに麦藁帽子まで手にしていた。見ると、いつ糸がほつれたのか、飾りの向日葵が麦藁帽子から取れかかっていた。でも今はそれどころではない。カデナは額の汗を拭い、気持ちを落ち着かせようとした。背後が気になって、何度も振り返った。人影はなかった。
 ふう、良かった。大丈夫そう。
 あの国際平和委員会とか言う組織に尾行されているのではないかと心配したが、今のところまだその気配はなかった。さあ、マコトちゃんのところへ。
 カデナの自宅のある汐入町は坂の多い住宅街で、最寄りの駅は京浜急行線の汐入駅だった。片やマコトの家は、同じく京浜急行線の県立大学駅から歩いて十分。電車で向かっても良かったが、歩いてゆこうと思えば歩けない距離でもなかった。どうしよう。でも、あっ、待って……。逸るカデナの足が止まった。
 ローレンスの話を聴いている間はずっと、兎に角マコトに伝えようという気持ちだけで一杯だった。しかし相手は、世にも恐ろしい国際平和委員会である。もしマコトに三笠と核兵器の事を漏らしたら、もしかするとマコトにまで危害が及ぶかも知れない。それは駄目、絶対。
 カデナは迷いに迷ったが、結局マコトに会いにゆくことは断念した。マコトちゃんには迷惑を掛けずに、何とかわたしひとりだけで、あいつらの計画を阻止しなきゃ。あいつらの計画、詰まり明日三笠からの核爆弾の打ち上げを阻止すること。だってわたしがやらなきゃ、誰がやるのよ。
 カデナの顔には、十六歳の少女とは思えぬ悲壮感が宿っていた。わたしがみんなを守らなきゃ。みんなを守りたい。たとえわたしは殺されてもいいから。だから、綾瀬香出菜さん、松堂かでなさん、わたしに力を貸して。とは言っても、さて、どうしよう……。
 再び歩き出したカデナの前には、汐入駅。そして駅の横には、行き付けのファミリーマートがある。そうだ。カデナは閃いた。誰に伝えるにしても、電話やメールのような通信手段ではきっとばれてしまう。そこでカデナはメモ帳とボールペンを購入すべく、ファミリーマートに入った。購入後早速カデナは、店内の隅でメモ帳にこう記した。
『明日三笠から打ち上げられるのは、花火ではなく核爆弾です。そしてその標的は、米軍基地なのです。早く三笠の中を調べて下さい』
 良し、OK。後はこのメモを誰かに渡せばいい。でも誰に。カデナは思案した。核爆弾なんかを調べられる人って言ったら、自衛隊か或いは……。そうだ。
 その時カデナの脳裏に、一組のカップルの姿が甦った。それは絶交中のクラスメイト、マリアと、彼女の恋人である米兵だった。マリア。そうだ、マリアに渡そう。そしてマリアから恋人に伝えてもらおう。そうよ、今は米兵が好きとか嫌いとか言ってる場合じゃない。
 思い立ったが早いか、カデナは汐入駅前のタクシー乗り場から一台のタクシーに飛び乗った。マリアの家は、JR横須賀線の田浦駅近くにある。移動をタクシーにしたのは、一刻も早くマリアに会いたかったことと、国際平和委員会の尾行から逃れる為。
 マリア、お願いだから、家にいて。タクシーに揺られている間、カデナは必死に祈った。祈り続けながら、尾行する車がないかのチェックも怠らなかった。
 十分もするとタクシーは、田浦駅の前に到着した。後を付いて来た車は一台もなかった。良し、大丈夫。安堵しながらカデナは支払いを済ませ、タクシーから下りた。この時にも不審な人物が後を付けて来ないか確かめながら歩いた。そして誰もいないのを確かめると、カデナは突然ダッシュ。そのままマリアの家まで走り続けた。
 滴り落ちる汗を拭いながら、カデナはマリアの家の前に立った。時刻は既に午後十時半を過ぎていた。周囲に怪しい人影がないか見回した後、マリアの部屋である二階の窓に灯りが点っているのを確かめた。良かったーーっ。歓喜しながら、カデナはインターホンのボタンを押した。

「どなた。こんな夜更けに」
 マリアの家のインターホンから、明らかに不快そうな声が返って来た。マリアのママである。カデナは囁くような声で答えた。
「わたしカデナ、カデナ・サンモントです。夜分すいません」
 するとマリアのママは安心しまた同時に心配しながら、玄関のドアを開けた。
「どうしたの、カデナちゃん。何かあったの」
「本当にごめんなさい、とっても大事な用があって。マリアいますか」
 カデナは祈るように、マリアのママに尋ねた。
「マリアなら、いるけど」
 良かった。カデナは安堵した。でも、これで安心しちゃ駄目。これからが、大事なんだから。
「じゃ、上がらせてもらいまーす」
 言うが早いかカデナは靴を脱ぎ捨て、マリアの部屋がある二階へさっさと駆け上がった。マリアの部屋の前で、カデナはマリアを呼んだ。
「マリア。わたし、カデナよ。開けて」
「カデナ」
 中から、マリアの吃驚した声が返って来た。続けて部屋のドアが開いた。
「どうしたのよ、カデナ。何であんたなんかが、ここにいるわけ」
 マリアは皮肉を込めて、カデナに言ったつもりだった。ところがカデナはマリアの顔を見るなり、マリアの肩に抱き付いた。
「ごめんね、マリア」
 同時に今迄堪えていた涙がカデナの瞳から溢れ、カデナは泣き出した。ローレンスのショッキングな話やら緊張や孤独感に苛まれつつ、何とかここまで辿り着いたカデナなのだから無理もない。
「ちょっと、どうしたのよ、カデナ。なんかあったの」
 心配になったマリアは、やさしくカデナの肩を抱いて慰めた。
「カデナ。泣いてないで、ちゃんと話して」
 マリアに促され、カデナは涙声で口を開いた。
「実はね、マリア。大変なことが起こりそうなの」
「大変なこと」
 うん。黙って頷くと、カデナはマリアに部屋のドアを閉めさせた。それからカデナは続けた。
「もう頼れるのは、あなたしかいないの。マリア、お願いだから、わたしを助けて」
「あなたを助けてって……」
 戸惑うマリアに、カデナはさっき汐入駅前のファミリーマートで書いたメモを渡した。
「何、これ」
「いいから、黙って読んで」
 カデナに従い、マリアはメモに記されたカデナの文字を目で読んだ。
「何よ、これ。核爆弾って何。カデナったら、わたしをからかいに来たの」
 けれどかぶりを振ってマリアをじっと見詰めるカデナの瞳は、真剣そのものだった。
「やだ、冗談じゃないって言うの」
 うん。確かめるマリアに、カデナはやっぱり黙って頷いた。これではマリアも、真剣にカデナの話に耳を傾けるしかなかった。しかし三笠から核爆弾、しかもその標的が米軍基地なんて、俄かには信じ難い話である。それにデイヴ……。動揺するマリアに、カデナは冷静に告げた。
「マリア。このメモを早く、あなたの恋人に見せて」
「デイヴに」
「そうよ。その為にわたし、ここに来たんだから」
「でも」
「お願い。あなたたちしか、わたし頼れる人いないんだから。そして直ぐに、三笠の中を調べて。そしたら嘘かどうか分かる」
「でも」
「早く。横須賀のみんなの命が、かかってるんだから」
「ええっ」
 急き立てるカデナの声に、マリアは圧倒され頷くしかなかった。
「分かった。でも、英語の方がいいわ」
 そう言うとマリアは、メモの余白に同内容を英語でさらさらっと記した。
「そっか、ごめん。そこまで考える余裕もなかったよ」
 その時既にマリアは、携帯でデイヴに電話を掛けていた。
「あっ、デイヴ。わたし」
 携帯から漏れ聴こえるデイヴの声が、カデナの耳にも届いた。
「ねえ、大変なことになっちゃったの。今から来れない」
 デイヴのOKの声で、マリアは携帯を切った。
「デイヴ、車を飛ばして来るって」
「良かった。ありがとう」
 胸を撫で下ろすカデナに、けれどマリアは迫った。
「ね、カデナ。ちゃんと説明して。一体これはどういうことなの」
「マリア」
「なぜ、あなたはこの事を知ってる訳。ねえ、どうして」
 マリアをじっと見詰め返しながら、カデナは迷った。マリアにすべてを打ち明けるべきか、それとも黙っていた方が良いか。出来ることならすべてを話してしまいたい。そしてこのままマリアたちと一緒にいたい。でも、でもやっぱり駄目……。だって、そんなことしたら、マリアたちにまで危害が及ぶ。あいつらに狙われるのは、わたしひとりだけで充分なんだから。
 そしてカデナは、かぶりを振った。
「ごめん、やっぱり話せない。だって、喋ったらみんなに迷惑が掛かるから」
「カデナ……」
 カデナが意地っ張りなことは、マリアは百も承知。
「分かったわ、カデナ」
 ごめんね、マリア。カデナは唇を噛み締めた。
「兎に角、デイヴから米軍に連絡して。そして三笠を調べて」
「分かった。デイヴにそう伝えるわ」
「ありがとう、マリア。この恩は一生忘れない。絶交なんかして、ごめんね」
「いいのよ。もう、そんなこと」
「じゃ、わたし、もう行かなきゃ」
「えっ、何で。デイヴに会わないの。デイヴ来るまでもう少し待ってよ」
 部屋を立ち去ろうとするカデナを、マリアは呼び止めた。けれどカデナはかぶりを振った。
「それが、出来ないの」
「何で」
「メモに書いた事を実行しようと企んでいるやつらって、とても恐ろしい組織で、多分わたしのことを尾行したりしている筈だから……」
「カデナ」
「だから、わたしがいつまでもここにいたら、デイヴに頼んだことがばれてしまう」
「そうね、分かった。でも何処に行くの、カデナ」
「わかんない。でも心配しないで。兎に角逃げて逃げて、逃げ切ってみせるから」
「本当に大丈夫」
「大丈夫。だからまた明日会おう。そうだ、Wデートしよう」
 ニコッと微笑むカデナに、仕方なさそうにマリアも笑い返した。
「もう、カデナったら」
「兎に角、三笠よ。お願いね」
「分かってる」
 そしてマリアの肩をポンと叩くと、カデナはマリアの家を後にした。
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