(三・八)mikasaとローレンス

文字数 3,325文字

 三笠公園に着いたら、先ずは自販機のペットボトルの水でふたりは喉を潤した。それから艦内に乗り込む前に、改めて堂々たる三笠の姿を眺めた。眼前で見る全長百三十メートル以上の巨艦、及び全長二十メートルの主砲の迫力に圧倒され、マコトは武者震い。当然ながら、予定していた主砲の改造工事は完了済みである。
「こんなのマコトちゃんが操作すんの、大丈夫かなあ」
 隣りで心配するカデナに、しかしマコトは精一杯の強がりで、余裕の笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫、大丈夫。だって俺ひとりじゃないし。発射ボタンを押すのは確かに俺だけど、隣りに上官の斉藤さんが付いていてくれるから」
「なあんだ、じゃ安心ね」
「でもね、今迄コンクリートの贋物だったのを、急きょ花火大会の打ち上げの為に改造したじゃない」
「うん」
「でもさ、それの試運転ていうか、まだ一度も動作テストはしてないんだよ」
「何、それ」
「だから、明日ぶっつけ本番でやるってこと」
「ええっ、うっそーーっ。大丈夫なの、そんなんで」
「大丈夫なわけ、ないじゃん。三笠もぶっつけ本番、俺もぶっつけ本番って、しくじったら洒落なんないよ」
「うわあ、大変そう。他人事ながら、同情しちゃうな、マコトちゃん。でもまあ兎に角、大砲の操縦室に行ってみようよ」
 カデナに促され、ふたりは三笠の艦橋へと向かった。ところがマコトの考えは甘かった。確かに前回七月に訪れた時は、主砲の改造工事の関係で艦橋は立ち入り禁止だった。しかしその工事は既に終わっている。にも関わらず本日も立ち入り規制は継続されており、マコトたちは警備員によって入場を拒まれてしまった。マコトが海上自衛隊の制服を着用していても、警備員は首を縦には振らなかった。
 ふたりは潔く諦め、前回同様艦内の見学コースを一通り巡った後、甲板に出た。ところがである。そこから三笠公園の敷地を見下ろしたその時、カデナはひとりの奇妙な男の姿を目にした。どう奇妙かと言えばその男、顔を隠すようにサングラスにマスク、緑と紺のタータンチェックのハンティングハットを被っていたが、更に八月だと言うのにグレーのコートを羽織っていたのである。
 あれっ、何、あの人。なんか変なの。でも、もしかしてあの人……。
 その男は長身でスリム、そしてどう見ても英国紳士風の老人であった。その為咄嗟にカデナは、相手が自分の祖父ローレンス・サンモントではないかと訝った。
 でももしおじいちゃんだったら、こんな所で、しかもあんな恰好で一体何しているんだろう。暑くないのかなあ。
 どうしても気になったカデナは、マコトと会話を続けながらも、その男の行方を目で追った。相手の方はと言えば、そんなカデナには一向に気付かず、目撃されているとも知らずに、三笠の艦内へさっさと入り、カデナの視界から消え去った。
 あーあ、行っちゃった。
「さっきから、どうしたの」
「えっ」
 落ち着かないカデナの様子に、マコトが尋ねた。ローレンスらしき男への、カデナの関心はそこで途切れた。
「ううん、何でもない」
 我に返ったカデナは、マコトと共に甲板を下り、三笠から外へ出た。
「ふーっ、あっちい」
「わたしも」
 ペットボトルの水を一気に飲み干すと、マコトが告げた。
「俺、もう明日のことで頭が一杯。今日はさっさと帰って寝るよ」
「そうだね、その方がいいかも」
「今日は付き合ってくれて、ありがと」
「うん、こっちこそ」
「明日、絶対見に来てよ」
「行く行く。死んでも行くから心配しないで」
 どきっ、死んでもって……。カデナは自分が発した言葉に、言いようのない不安を覚えた。不安と言うか、恐怖にも近かった。明日、何か悪いことが起こりそう。急にそんな気がして来てならなかった。でも明日、どんなことが。カデナは目の前の三笠を見上げた。三笠、明日、花火の打ち上げ、マコトが発射ボタンを押す、発射ボタンを……。
 もしかして、明日マコトの身に、わたしの大事なこの人に、そしてこの三笠に、何か大変な事が起こるんじゃないかしら。そんな胸騒ぎがしてならないカデナ。脳裏にそして、いつもの悪夢のひとつが駆け巡った。それは第三次世界大戦の悪夢であった。ふとさっきのローレンスらしき男のことが甦った。やっぱりあの人、おじいちゃんだわ、きっと。でもこんなとこに、何しに来たのかしら、おじいちゃん……。
「カデナさん、どうしたの。顔色悪いよ。なんか心配で、このままじゃ俺、帰れないよ」
「ごめん、ごめん。マコトちゃんの晴れ舞台だから、わたしまで緊張しちゃって」
 カデナは無理に微笑んでみせた。
「なーんだ。でも良かった」
「マコトちゃんこそ、明日気を付けてね」
「うん。俺なら大丈夫」
 マコトは元気に笑ってみせたけれど、カデナの不安は少しも解消などされない。でもマコトに心配掛けちゃ、だめ。でも、もしわたしの予感が当たったら、そしたら、もしかしてもう、マコトと会えなくなるかも知れない……。嫌だ、そんなの絶対、いや。
「ね、指切りしよ」
「え」
 突然小指を差し出すカデナに、マコトは戸惑った。
「指切りって、何の指切り」
「だから。明日も、そしてこれからもずっと、マコトちゃんとわたしが会えますようにって」
「カデナさん……。分かった」
 マコトは頷き、カデナの小指に自分のそれを絡めた。カデナの小指は白く繊細で、ちょっと力を加えたら、爪楊枝のように折れてしまいそうな気がした。どきどき、どきどきっ……。小指を通して、若いふたりの鼓動が通い合う。見詰め合うふたり。マコトの指の温もりが、カデナの不安を払うように、カデナの心を包み込んでいた。
「ありがとう、マコトちゃん」
 薄っすらと、カデナの目に涙が滲んでいた。
「カデナさん……、カデナ」
 マコトはつい衝動を抑え切れず、カデナの唇に自分の唇を押し当てた。けれど直ぐに離した。ほんの一瞬の出来事だった。
「ごめん、カデナさん」
「いいの、謝らなくて。ありがとう、マコトちゃん」
 そしてふたりの小指は離れた。大丈夫。絶対に、大丈夫だよ。わたしのマコトに、変な事なんて起こんないから……。マコトに向かって微笑みながら、カデナは自分の胸に何度も何度も言い聞かせていた。

 立ち去るマコトの背中に手を振って見送ると、カデナはひとり、ここ三笠公園に残った。どうしてもあのローレンスらしき男のことが気になって、仕方がなかったからである。
 でも、どうしよう。あの人まだ、ここにいるのかな、まだ三笠の中に。せめておじいちゃんかどうかだけでも、確かめたい。それにもし本当におじいちゃんだったら、なぜこんな所に来たのか、そのわけを知りたい。意外におじいちゃん、軍艦マニアだったりして。大和とか武蔵とか島風とか……。まさか、でもこれが切っ掛けで、おじいちゃんと仲良くなれたりして。
 期待と不安を混ぜながら、カデナは再び三笠の中に足を踏み入れた。マコトのお陰で、もう艦内の構造はだいたい分かっている。カデナはゆっくりと順番に中を巡った。そして上映室に一歩入ったところで、カデナは遂にさっきの人物の背中を発見したのである。
 あっ、いた。緊張の汗が、カデナの額に滲んだ。すらりと背の高いその男は、上映室の奥でひとり立ち止まっていた。まだカデナの存在には気付いていない様子。カデナは見学客を装いながら、男の背後へと静かに近付いていった。
 男は上映室内に幾つかあるドアのひとつの前に、突っ立っていた。しかしそのドアと男の間には、『関係者以外、立ち入り禁止』の文字が日本語、英語、中国語、韓国語で記された立て看板が置かれ、外部者による中への侵入並びにドアへのタッチを阻止されていた。それはカデナとマコトが前回七月にここに訪れた時も、同じだった。
 ところがである。男はカデナの足音や気配など気にも掛けず、そのドアの取っ手に手を掛け素早くドアを開けると、そのまま中に入っていった。後には閉ざされたそのドアと、カデナだけが残された。
 あれっ、入っていっちゃった。ってことは今の人、関係者ってこと三笠公園の。じゃ、おじいちゃんじゃなかったのかな。疑問符を抱きつつも、カデナは諦めた。ま、いっか。もし家でおじいちゃんに会ったら、確かめてみよっと。
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