(二・三) 敵国条項

文字数 2,095文字

 初対面でまことを気に入った美砂は、それからしばしばまことを自宅に招き、かでなと共にお茶をご馳走した。お陰でかでなとまことは、急速に親密さを深めていった。
「へえ、まこと君の家は読谷村かあ。あそこも米軍の戦闘機うるさいでしょ」
 珈琲を入れながら、美砂が問う。
「はい。もう、絶え間ないです。あの音だけは、いつまで経っても慣れません」
「そりゃ、そうよ」
 かでなは、美砂とまことの会話をぼんやりと聴いているだけ。それでも視線は、終始まことの横顔に注がれていた。
「あんな低空飛行されたら、いつ事故が起こるか分かったもんじゃない」
「ほんとうに恐いです」
 かでなもまことも、訓練の名の下に米軍の戦闘機の発するノイズと事故の危険に、日常的に晒されていた。加えて米兵たちの犯罪にも悩まされていた。
 例えば勉強をしていると上空に戦闘機の接近する音がして、家の窓ががたがたと激しく揺れるから、勉強どころではなかった。また夜中突如家のドアを激しく叩く者がいるから、吃驚して家族全員で玄関に行くと、相手は決まって酔っ払いの米兵だった。
「女はいないか、女を出せ」
 どんどん、どんどんドアを壊さんばかりに叩き続け、女を求めて英語でわめき散らすのだった。幼い頃のかでななど恐ろしさの余り、布団を被ってぶるぶる震えていたものだった。
 またかでなが中学生の時のこと。夏の日暮れ時、嘉手納海岸の岩陰でかでなの同級生である女生徒二人が、五人の米兵たちに危うくレイプされそうになったのを必死に逃げ、近くの民家に助けられるという事件も発生した。しかし被害者の家族は、米兵たちからの報復を恐れ、被害届は出さなかった。
 それからはかでなは勿論、美砂も神経質になり、かでなの帰りがちょっと遅いと直ぐに心配した。

 初めのうちは美砂を交え、三人で顔を合わせていたかでなとまことだったが、段々とふたりだけで会うようになっていった。学校でこそ噂になるのを嫌い大人しくしていたけれど、放課後や休日にはデートを重ねた。
 まことの親もかでなを気に入り、ふたりの交際は両方の家族公認のものとなった。ふたりはやがて結婚し、それは良い家庭を築くであろうと、周りの大人たちは温かく見守った。
 ふたりの交際には、何の障害もなかった。そしてふたりは、高校二年の夏休みを迎えた。

 一九七五年八月
 夏休みになると、かでなとまことの仲はますます深まっていった。と言ってもふたりとも、どちらかと言えばストイックな性格。肉体的交わりよりは、精神的なつながりを好み、それを重視した関係を維持していた。一日中図書館で勉強し、嘉手納の海辺では基地問題を始め人生や日本、世界の問題と未来について、大いに語り合ったのだった。
「こんな美しい沖縄の海に囲まれていながら、あの米兵たちは多くの沖縄の女たちを襲い、泣かせ、彼女たちの人生をぼろぼろにして来た。なのに今でもそれは続いている。ねえ、まこと。なぜなの、どうしていつまでも、やつらの蛮行を止めることは出来ないの」
「それはね、かでな。日本が実質、この沖縄がまだアメリカの植民地だからなんだよ。だから日本政府はアメリカの言いなり。幾らぼくたちが声を上げたところで、何も変わらないのさ。無駄な抵抗ってやつ」
「ヤマトの市民たちがそのことに気付いていないか、或いはまったく無関心、他人事、よその国のことのように思っているのも、問題よね」
「そうなんだよ。彼らだって本当はまったくの無関係って訳でもないのにさ。だって沖縄の犠牲のお陰で、東京も、大阪も、日本の大都会の繁栄はあるようなもんなんだから」
「こうなったら、国際世論に訴えるしかないわね」
「国際世論か。それがまた厄介なんだよね」
「どうして、国連があるでしょ」
「その国連が曲者なのさ。常任理事国アメリカのこれまた言いなりだし、それに国連憲章の中には、敵国条項って言うのがあってさ」
「敵国条項」
「そう。第二次世界大戦が終わってもう三十年にもなるっていうのに、未だに沖縄がアメリカの植民地であるように、日本は国連にとって敵国扱いなんだよ」
「敵国。何、それ。植民地で敵国って、それじゃわたしたちには、絶望しかないじゃない」
「でもぼくは絶対、諦めないよ」
「わたしだって」
 こんなふうにふたりは、今まで家庭やクラスでは話したことのなかったシリアスな問題についても、熱く語り合った。嘉手納の海辺に佇みながら、遠い水平線を見詰める若いふたりの瞳は、きらきらと輝いていた。
「でも、まこと。正直わたし、恐い。だってわたしだって一応女だし、いつ被害者女性たちと同じ目に遭うか分かんないもん」
「大丈夫だよ、かでなは」
「どうして」
「だってさ」
 そしてまことは、照れ臭そうに言った。
「だってきみのことは、ぼくが絶対に守るから」
「まこと……」
 しばし沈黙するかでなであった。じっとまことを見詰め、まこともかでなを見詰め返した。
「ありがとう、まこと。わたし、まことと出会えて本当に良かった」
「ぼくもだよ、かでな」
 たとえ嘉手納の海の潮騒が絶えようとも、かでなとまこと、ふたりを分かつものなど何もないと、若きふたりは信じていた。
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