(三・十四)そして三笠へ

文字数 2,840文字

 よし、これで一安心。
 すべてをマリアとデイヴに託したカデナは、放心状態。これでマコトちゃんも大丈夫な筈。こうなったら、もうわたし、どうなってもいい。でも……。
 でもマコトに会いたい。会いたくてしょうがないけど、でもやっぱり駄目。マコトに迷惑掛けたくないから。その代わり、もしすべてが上手くいったなら、その時マコトに会いにゆこう。そう自分に言い聞かせながら、兎に角汐入に戻ろうと、カデナはJR田浦駅に向かった。
 ぼんやりと人影のないホームで待った後、がらがらの横須賀線下り電車に揺られ、カデナは横須賀駅で下車した。時計の針は、午後十一時を回っていた。
 汐入に戻ってはみたものの、さてこれから何処へ行こう。カデナは途方に暮れながら駅の改札を抜け、目の前のヴェルニー公園へと足を向けた。そこには暗い夜の海が横たわり、絶え間ない潮騒が胸に響いて来た。それはいつもと変わらない、やさしい横須賀港の海の音が……。
 左に自衛隊の、中央に米軍の、そして右側にショッパーズプラザ横須賀の灯りが点っていた。それら夜の闇を照らす見慣れた風景が、今更ながら何て美しいのだろうとカデナは思った。いつまでも見ていたいと。しかしそれは許されない贅沢なのだと分かっていた。
 カデナは夜の潮風に長い髪を揺らしながら、行き先を思案した。数人のクラスメイトの顔が浮かんだけれど、やっぱり駄目だとかぶりを振った。結局はみんなに迷惑が掛かってしまう。じゃ……、あっ、そうだ。カデナは閃いた。
 そうだ、三笠に行こう。もしマリアたちがちゃんとしてくれていたら、もしかしたらもう米軍が調査に来ているかも知れない。どきどき、どきどきっ……。心臓の鼓動の高鳴りを、カデナは抑え切れなかった。そうだ、もしかしたら……。まさか自分がこんなことを願おうとは夢にも思わなかったけれど、もしかしたら米軍が、わたしの身を守ってくれるかも知れない。カデナは淡いそんな期待を抱いた。
 よし、三笠だ。カデナはもうじっとしていられなくなり、歩き出した。駅前のバスはみんなもう終了していたし、夜風の中を歩いてゆきたい気分だった。カデナは三笠公園を目指して、深夜の横須賀の街をひとりぼっちで歩き続けた。

 一方、マリアとデイヴである。
 デイヴはマリアからの電話の後、米軍基地そばの自宅から直ぐにマリアの家へ向かった。ベンツを飛ばして、十分足らずで到着した。
 マリアは家の前に停まったベンツの音で、デイヴが来たことを察知した。早速家を飛び出し、車から降りたデイヴの姿を見るや、マリアはぶつかるように抱き付いた。ふたりの会話はいつも英語だった。
「マリア、一体何が起こったって言うんだ」
「ダーリン、兎に角車を出して」
「OK」
 言われるまま、マリアを助手席に乗せるとデイヴは直ぐに発車した。
「さ、マリア。何があったんだい」
「それがね、デイヴ……」
 マリアは途中で車を停車させると、カデナが家に来たことを告げ、カデナのメモを見せた。
「OH!一体これはどういうこったい。核爆弾だって。しかもその標的が米軍基地だって」
「ね、大変でしょ」
「そりゃ、事実ならばな」
「事実かどうか分からないけど、兎に角カデナは真剣だった。お願い、デイヴ。彼女の言う通り、米軍で三笠を調べて」
 マリアは合掌して、デイヴに頼んだ。いつになくシリアスなマリアに、遂にデイヴは頷いた。
「OK。じゃ今から基地に戻って、ボスに話してみる」
「サンキュー、デイヴ。わたしも一緒に行く」
 デイヴは直ぐに、米軍基地へとベンツを走らせた。
 基地入口前にマリアを乗せたベンツを残し、デイヴは米軍基地内へと入っていった。
「どうしたのかね、デイヴ」
「緊急事態なんだ」
 守衛室前で二言三言交わした後、デイヴは先を急いだ。行く先は二十四時間対応の緊急司令室だ。ドアを叩くと、宿直の長官ロバートが顔を出した。
「何事かね」
「実は……」
 デイヴは自分が知り得た情報を、ロバートに伝えた。核爆弾、標的は米軍基地……。
「何だって」
 それからの動きは、迅速だった。デイヴの情報は、緊急連絡網によって横須賀米軍基地の軍のトップ、幹部連中へと直ちに伝わった。指令により、核兵器の調査部隊が三笠公園に派遣された。
「情報源は何処かね、デイヴ」
「俺の彼女の知り合いからだ。しかし詳しい事はまだ言えない」
「良かろう。きみは早く恋人の許へ帰って、安心させて上げ給え。後はすべて、我々の方で処理するから」
「OK」
 デイヴは、言われるままマリアの許へ戻った。

 一方、三笠に向かったカデナである。カデナが三笠公園の前に辿り着いた時には、既に米軍が公園内を封鎖していた。カデナは公園の前のマンションの陰に身を潜め、状況を見守った。
 重装備の調査部隊が、明日の花火大会の為に三笠の警備に当たっていた神奈川県警の機動隊を押し退け、三笠の艦内へと入ってゆくのが見えた。
 良かった、これから調査するのね。もしかしたら、これで何とかなるかも。ありがとう、マリア。ありがとう、デイヴ。カデナはマンションの壁に凭れ、胸を撫で下ろした。
 ところがである。カデナは不意に人の気配を感じた。どきどき、どきどきっ……。高鳴る鼓動を抑えつつ恐る恐る横を見ると、そこにはやはり人影が。
 しまった。
 咄嗟に逃げようとしたが、恐怖の余りカデナは思うように動けなかった。きっと国際平和委員会のメンバーだわ。もう逃げられない。どうしよう。マコト、わたしもう駄目かも……。
 人影は、カデナの前に立ちはだかった。と見ると、相手は米軍の迷彩服と帽子に身を包んでいた。あれっ、単なる米軍の兵士だったりして。カデナは淡い期待を抱かずにはおれなかった。
「カデナ・サンモントね」
 迷彩服の兵士の発した声は、意外にも柔らかな女のそれ、かつ流暢な日本語だった。と言うことは女性兵士。
「あなたは」
 カデナは恐る恐る日本語で問い返した。
「米軍の者よ」
 相手は丁寧にまたも日本語で返答した。てことは、もしかしてわたしを保護しに来てくれたのかも……。
「あなたがデイヴに、mikasaのことを話したのね」
「はい」
 油断したカデナは頷いた。しかしその時既に女はその手に銃を持ち、銃口をカデナに向けていた。
「何するの、止めて」
「ごめんね、これがわたしの任務だから」
「いや。あなたは一体、誰」
「最後だから、教えて上げるわ」
 銃を構えたまま、女は答えた。
「わたしは国際平和委員会のスパイ。米軍基地に潜り込んで、軍の動きを監視していたのよ」
 バーン。
 答えと同時に、女は引き金を引いた。銃弾はカデナの心臓に命中し、カデナはその場に倒れ込んだ。即死だった。カデナの頭から麦藁帽子が落ちて、その拍子に向日葵の飾りが取れ、アスファルトの路地に音もなく落ちそして散った。

 その頃自宅で熟睡していたマコトは、はっとして目が覚めた。熱帯夜の八月六日、午前零時僅か五分過ぎのことであった。そして世界は何事もなく、二〇〇五年八月六日の朝を迎えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み