(三・四)三笠公園

文字数 1,847文字

 月が替わって七月。梅雨も明け、カデナとマコトの街、横須賀にも本格的な夏が訪れ、日々猛暑が続いた。
 土曜日の午後、カデナとマコトは先月の約束通り、三笠公園へと出掛けた。JR横須賀駅から歩いても行けない距離ではなかったが、兎に角暑い。そこでふたりは、バスで移動することにした。三笠公園に行くには、観音崎行きのバスに乗らなければならない。
 ふたりは、JR横須賀駅前のバスターミナルの三番乗り場に向かった。そこのベンチには老人たちが腰を下ろしていたから、カデナとマコトは乗り場から少し離れた日陰に立って、バスを待った。
 取り止めのない会話が途絶え、横須賀湾の潮風に吹かれながら、マコトは歌を口遊んだ。カデナには聴き覚えのない歌だった。
「ひとりの部屋、掌の……」
 マコトがその歌を歌い終わるまで、カデナは黙って聴いていた。
「いい歌だね、誰の曲」
「渡辺美里の」
「うん」
「知ってる、渡辺美里」
「知らない」
 カデナはかぶりを振った。
「だよね、俺だって知らなかったもん。自衛隊の先輩に教えてもらったんだ」
「そうなんだ」
「今の曲は『男の子のように』」
「『男の子のように』。ねえ、もう一回歌って」
「いいよ。じゃ、教えたげようか」
「うん」
 こうしてカデナは、この歌を覚えた。
 『男の子のように』を歌うふたりの前に、遂にバスがやって来た。バスに乗り込み、しばし揺られ、ふたりは三笠公園の最寄りの大滝町停留所で下車した。
 そこから歩くこと十分足らず。三笠公園の敷地内に入ったふたりを、渋いグレーの衣をまとった戦艦三笠が迎えた。と言っても今は改造され牙を抜かれた野獣の如く、戦闘機能を失ったお飾りの記念艦として、海上ではなく陸上に浮かんでいた。その姿は若いふたりの目から見ても、哀愁を帯びていた。それに現在主砲の改造工事が夜間行われていて、艦橋を始め一部立ち入り禁止の規制がなされていた。
 早速入場券を購入し、マコトの案内で艦内の見学コースを巡った。資料展示室、通信室、上映室、長官室……。そして甲板に出て目の前に広がる眩しい青い空と海を見た時、突如カデナは眩暈を覚えた。ふらっとして咄嗟に、マコトの腕に寄り掛かった。その時カデナの脳裏に、悪夢の情景が襲い掛かった。三番目の悪夢即ち第三次世界大戦の核戦争による、人類滅亡の風景……。
「カデナさん、大丈夫。しっかりして」
 悪夢に怯えるカデナを心配して、マコトが囁くように声を掛けた。はっとしてカデナは正気を取り戻した。
「ごめんね」
 カデナは直ぐに、マコトの腕から離れた。
「もう大丈夫。ちょっと眩暈がしただけだから」
「艦内から急に外に出て、眩しい太陽の光を浴びたからかな」
「うん、そうかも知んない」
 頷いた後、カデナはこう切り出した。
「実はね、わたし。小さい時からずっと、変な夢ばっか見るの」
「変な夢」
 どきっとしたマコトは、カデナをじっと見詰めた。
「そう、悪夢ってやつ」
 悪夢……。
「それ、一緒」
「何が」
「だから、俺も見んの。その、悪夢ってやつ」
「ええっ、マコトちゃんも」
「うん。俺も小さい時からずっと、悪夢にうなされっぱなしなんだ」
「ええっ。じゃわたしたち、おんなじじゃない」
 カデナもまた吃驚。ふたりはしばし、じっと見詰め合わずにはいられなかった。
 その後三笠公園を後にしたふたりは、道々互いの悪夢について、猛暑も忘れ熱く語り合った。夏の昼下がり、つくつく法師が鳴き、レストランからカレーの匂いが漂い、何処かで夏祭りの太鼓練習の音がしていた。
 カデナは悪夢の話の最後に、三番目の悪夢の中に現れる少女のことをマコトに話した。
「その子がね、わたしに向かってこう訴えるの。どうか行方不明になった、わたしのノートを捜して下さい。そこにすべてのことは、書かれています。わたしのカデナノートを捜して下さい……って」
「カデナノート。何、それ。そんなのあんの」
「わかんない。夢の中の事だし」
 しかし二人が最も関心を抱いたのは、何と言っても海辺でカデナ或いは少女が米兵に襲われる二番目の悪夢であった。マコトは不安がるカデナに、力強く誓った。
「もしもそんなことがきみの身に起こりそうになったら、俺が絶対守るから」
「ほんと、嬉しい。ありがとう、マコトちゃん」
 そして初めてのことだったが、若いふたりは汗ばむ手と手を握り合った。どきどき、どきどきっ……。互いの鼓動と鼓動とが重なり合って、ひとつになるようだった。
「でも、あんまり無理しなくていいよ、マコトちゃん。米兵ってやっぱり強そうだし……」
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