(二・四)墜落事故

文字数 3,630文字

 ところがそんなふたりを、突然の悲劇が襲った。一九七五年八月五日の昼下がり、米軍のヘリコプターがかでなの住む嘉手納町の民家に墜落したのである。
 上空からヘリの轟音がどんどん接近したかと思うと突如プロペラが停止し、そのまま落下した。機体は隣接する二軒の家にまたがるように両家の屋根の上に落ち、屋根を陥没させた。二軒は両方とも二階建てで、その時二階にいた子どもが各一人ずつ、落ちて来た屋根に挟まれ重傷を負った。被害に遭ったこの二軒は、かでなの家から僅か五軒離れた場所だった。
 ところがこの墜落事故発生後、現場にいち早く駆け付けたのは、米軍関係者の車だった。そして彼らはどうしたかと言うと、ヘリが墜落した現場一帯を、直ぐに封鎖してしまったのである。流石に被害者救出の救急車と消防隊員の出入りは許可したものの、被害を受けた家の主である筈の住民たちはさっさと追い出され、日本の警察とマスコミの立ち入りも一切拒否された。
 正に治外法権。しかも封鎖の任務に当たり、バリケードを立て地元住民たちの前に立ちはだかったのは、機動隊と民間警備会社の警備員。詰まり他でもない、同じ日本人だったのである。そして米軍はさっさと破損したヘリの機体を回収するや、とっとと撤収してしまったのであった。
 そんな中にあって、バリケードの前で同じ日本人であり沖縄県人である筈の機動隊員、警備員と睨み合いながら、付近住民の大人たちに混じって米軍に非難の声を上げる少女の姿があった。誰あろう、かでなである。
 重傷を負った子どもたちはかでなの幼馴染だったし、ヘリが落ちる場所がちょっとずれていたら間違いなく自分が同じ目に遭っていた筈である。そう思うと他人事などとはとても思えず、居ても立っても居られず駆け付けたのだった。事故の恐怖もさることながら、矢張り米軍の強引なやり方と、それにへつらい従う地元の大人たち、警察、機動隊らが、かでなには何とも許し難かった。
「何、封鎖してんのよ、ここは日本なのよ。さっさと日本の警察を入れて、現場検証させなさーい」
「そうだ、そうだ」
「訓練反対、基地反対、戦争反対。米軍なんか、とっとと沖縄から出てってよーーっ」
「そうだ、そうだ」
 振り返ると、事故の知らせを聴いて駆け付けたまことの姿があった。米軍は既に撤収した後で、事故現場には夜の帳が降り、すっかりもう暗くなっていた。
「まこと」
「かでな。無事だったんだね」
「わたしは大丈夫だけど、与那嶺君と京香ちゃんが重体なの。もう少しで死ぬ、いや殺されるとこだったんだから」
 まことの顔を見ても、かでなの怒りは収まらなかった。
「まこと。わたしもう、これ以上絶対、我慢出来ない」
 そう吐き捨てると、かでなはひとりで歩き出した。その細い背中には、悲壮感が漂っていた。
「何処に行くつもりなの、かでな」
 まことが後を追った。
「決まってるでしょ、あいつらのとこよ」
「あいつらって。じゃ、基地」
「そうよ。今日こそ最高責任者を呼び出して、思いっ切り文句言ってやるから」
「無茶だよ、それに無駄だって」
「そんなこと分かってる。でも誰かが行動を起こさなきゃ。だからわたしが行くの。お願いだから止めないで、まこと」
 引き止めるまことと、前進あるのみのかでな。ふたりはいつか、嘉手納の海岸まで来ていた。
 夜の海辺である。星と月の光を映す波が、穏やかに砂浜へと押し寄せては引いていた。若いふたりの一進一退の足音と情熱的な鼓動を、嘉手納の海の潮騒がやさしく包み込んだ。

 天候が穏やかなる時、海もまた限りなく穏やかであった。たとえ波打ち寄せる砂浜で、鬼畜たちに囲まれ幼き少女がその手に砂を握り締めながら、懸命に泣き叫んでいたとしても。海は荒れ狂うことを知らず、鬼畜たちはいつも野放しのまま。いつの世も、幾時代、幾年月、穏やかなる時、海はいつも穏やかでしかなかった。何卒嵐を起こし、鬼畜どもを荒々しい波で打ち砕いて下されと、幾度願って来たことか。されどその願いは常に叶わず、ただ後には何事もなかったかのように、穏やかな波が砂浜には寄せ返すのみであった。
「かでな、きみの怒りは分かる。ぼくだっておんなじさ」
「だったら、まこと。一緒にふたりで乗り込もう」
「ぼくだってそうしたい。でもぼくたちが行った所で、何の解決にもなりゃしないじゃないか」
「だって……。まこと、わたし本当に悔しい。悔しくて悔しくて、死ぬ程悔しいの。ね、どうしてわたしたちばっかり、いつもこんな目に遭わなきゃなんないの。ヤマトの連中なんて何も痛い思いしないで、いつも良い思いばっかりしてる癖に。何が大阪よ、何が東京よ」
 かでなの額から頬へと流れ落ちる汗に、いつしか涙が混じり、それは海水にも負けない塩辛さだった。
「ぼくだって悔しいさ。腹の底から悔しくてならない。でもぼくたちの敵は、同じ日本人であるヤマトの人たちじゃないことだけは確かだよ。彼らはただ何も知らないだけ、いや知らされていないのさ。なぜならヤマトのマスコミときたら、アメリカに完全にコントロールされていて、沖縄で起こる真実を何も伝えようとしないんだから」
「それじゃヤマトって、丸で外国みたい。どうして同じ国の人間なのに、同じ痛みと同じ喜びを分かち合えないの」
「いつかそんな日が来ることを夢に見ながら、今は一歩一歩進んでゆくしか、ぼくたちには道はないんだ。ね、かでな。お願いだから、今夜はもう帰ろう」
 まことはかでなをじっと見詰めた。まことの目にも、薄っすらと涙が滲んでいた。かでなははっとして、息を飲んだ。まこと……。嘉手納の海辺から見える米軍基地の方角に目を向けながらも、かでなはゆっくりと頷いた。
「うん、分かった。まことの言う通りにする」
 それを聴いたまことは、ほっとため息を吐きながら微笑んだ。
「良し、じゃ家まで送るよ」
 若いふたりは嘉手納の海を後にして、とぼとぼと家路に就いた。

 しかし、その晩もまたかでなは、いつもの悪夢にうなされた。それは日付けが変わった、八月六日の夜更けだった。
 先ずリトルボーイが爆発する広島の街の光景が、かでなの夢を覆い尽くした。一瞬にして炎の海と化した夢の中に、そしていつもの黒焦げの麦藁帽子の少女が現れた。しかも今宵はかでなに向かって、少女が語り掛けて来るではないか。
 少女の第一声は、こうであった。
『すべては、やつらの計画である』
 しかしそんなことを言われても、かでなには何のことだか分かる筈もない。かでなは夢の中の少女に向かって尋ねた。
「すべてって何。やつらって誰。計画って、何のこと」
 すると少女は答えた。
『すべてとは、戦争と平和。例えば、第二次世界大戦、原爆、広島、長崎、そして沖縄の犠牲』
 沖縄の犠牲……。
『計画とは、第三次世界大戦。そして人類滅亡或いは人類家畜化へと至る計画のこと』
 少女は沈黙した。かでなは尚も尋ねた。
「だから、やつらって誰。それに沖縄の犠牲が、第三次世界大戦とか人類滅亡とどんな関係があるって言うの」
 けれど少女の答えは、こうだった。
『それは香出菜にも分からない。相手は正体不明の、のっぺらぼう、なの』
 相手は、のっぺらぼう……。でも、かでなにも分からない、って。
「なぜわたしの名前を、知ってるの」
 かでなの問いに、けれど少女はかぶりを振った。
『香出菜は、わたし』
「かでなは、あなた」
 驚くかでなを尻目に、少女は続けた。
『行方不明になった、わたしのノートをどうか捜して下さい。そこにすべてのことは、書かれています。わたしのKADENA NOTEを捜して下さい……』
 ノート。そう言えば、今日の少女はノートを持っていない。でも、かでなノートって、何……。
 目が覚めた。まだ夜明け前だった。遠く嘉手納の海の潮騒だけが、かでなの耳にやさしかった。悪夢の記憶は既に薄らいでいたけれど、少女の言葉だけははっきりと覚えていた。
『すべては、やつらの計画である』
 でも、やつらって、本当に誰なんだろう。夢にも関わらず、かでなは気になって仕方がなかった。それに少女は確かに『沖縄の犠牲』とも言った。沖縄の犠牲って……。
 あっ、もしかして。
 かでなは閃いた。やつらって、米軍のことじゃない。だって広島、長崎への原爆も沖縄も、みんな米軍が関わっているんだから。すべて米軍の仕業。やつらのせいで、みんな苦しんでいる。みんな犠牲になっているんだから。くっそう、憎き米軍め……。
 忽然とかでなの胸に、米軍への憎悪が込み上げて来た。まことのお陰で鎮まったヘリコプター墜落事故に対する米軍への怒りが甦り、頭にかーっと血が昇った。
 良し、今からでも遅くない。昨夜はまことに止められたけれど、今日は絶対あいつらんとこ、乗り込んでやる。かでなは勢い良く、ベッドから飛び起きた。
 あっ、でも。
 今日は、朝からまことと一緒に勉強する約束をしていたことを思い出した。どうしよう。そうだ、仕方がない。仮病を使っちゃえ。
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