(二・一)沖縄

文字数 1,802文字

 一九七二年五月十五日
 沖縄は遂に米軍から日本に返還された。しかしながらこれで沖縄に於いて米軍基地が縮小されたり、ましてや撤廃されることなど決してなかった。沖縄県民の悲願と期待はまたしても裏切られ、返還後も米軍はのうのうと沖縄の地に居座り続けたのであった。

 一九七五年六月
 松堂(まつどう)かでなは、沖縄県中頭郡嘉手納町に住む高校二年生。自宅から自転車で十分、嘉手納海岸近くにある嘉手納高等学校に通う十六歳の少女である。
 衣替えでかでなが身にまとった高校の夏服は、ちょうど沖縄に駐留するアメリカ海軍のセーラー服に似た黒を基調とした、襟に三本の白いラインが走るものだった。その為去年初めてこの夏服姿で那覇市の繁華街を歩いた時、知り合いの他校生徒からからかわれた。
「かでな。あんた、いつネイビーに入隊したのよ」
 これに対し、かでなは大いに憤慨した。
「冗談止めてよ。わたしを、あいつらなんかと一緒にしないでよ。まったく、もう、やんなっちゃう」
 あいつらなんか……。そう、かでなは大の米軍嫌いだった。米軍も、アメリカ兵たちも、そしてアメリカという国家自体も大嫌いだった。と言うのも幼少の頃よりずっと、基地建設の為生まれ育った土地を追い出され涙に暮れる人たちを嫌という程見てきたし、訓練と称して米軍が立てるけたたましい戦闘機のノイズにも悩まされて来た。それに何よりも米兵たちがここ沖縄の地で幾万回となく繰り返して来た犯罪のことだって、ちゃんと知っていたから。特にその中でも許せないのが、女性に対するレイプである。
 成人女性に対してのみならず、高校生、中学生、小学生、挙句の果てには幼児にまで襲い掛かり、自分たちの下劣な欲望を満たしたかと思うと、後はとっとと殺害し、丸で物のように捨ててしまう。何という無慈悲残虐極まりなき蛮行。およそ人間とは思えぬ、正に鬼畜と呼ぶしかないではないか。しかも表沙汰になり世間から非難、糾弾されるのはごく一部で、現実にはもっと多くの女性たちが米兵の被害に遭っている筈。なのにか弱い彼女たちは、告発することによる報復を恐れ、世間、マスコミの好奇の目に晒されるのを嫌い、或いは被害に遭ったのは自分のせいなのだという罪悪感から、泣き寝入りするばかり。
 自分だって同じ女なんだし、いつ自分が同じ目に遭うか分からない。このことを思うといつもぶるぶると恐怖と怒りに震え、憎悪すら覚えるかでなだった。そんな米兵、米軍への怒りが、かでなをして正義感の強い少女へと育てた。

 正義感が強く、人一倍気も強い男勝りのかでなだったが、実は米兵、米軍以上に恐れるものがあった。それは一九四五年八月六日に広島で爆発した原爆、リトルボーイである。なぜかかでなは、リトルボーイを病的に恐がった。
 毎年八月十五日終戦の日が近付く度、TVでは恒例のように第二次世界大戦の特集を組む。その中で決まって広島、長崎の原爆爆発の映像が流されるが、かでなはとても恐ろしくて正視することが出来なかった。顔は青ざめ、あぶら汗を流し、思わず目を背けた。また歴史の教科書の原爆に関する記述、写真や、図書館に置いてあるような原爆とその被爆、被曝、闘病に関する記録、資料、書物の一切が駄目で、拒絶反応を起こす程だった。
 更に幼い頃から、悪夢にもうなされた。あたかもリトルボーイ爆発当時その爆心地にいたかのような、それはリアルな原爆爆発の光景が夢に現れ、かでなを苦しめたのである。しかもその夢の中には決まっていつも、ひとりの少女の姿があった。
 その少女は黒焦げの麦藁帽子を被り、ぼろぼろのセーラー服を着ていた。そしてその胸に一冊のノートを抱き、かでなに向かって手招きをするのだった。しかし少女の顔は爆発による高熱の為焼けただれ、どんな顔立ちなのかすら見ることは出来なかった。
 悪夢にうなされながら、夜明け前はっと目を覚ますのを、かでなは習慣としていた。怯え切ったかでなの耳に、かでなの恐怖を払うかのようにいつも遠く幽かに聴こえ来るのは、嘉手納の海の潮騒だった。もはや眠れないかでなは頬に伝う涙を拭うと、後は膝抱えぼんやりと夜が明けるまで海の音を聴いた。海の音を聴いていると、不思議と心がやすらいだ。
 嘉手納の海が、いつもかでなの心を慰めた。その度にかでなは、海に囲まれた故郷、沖縄の地で米軍になど負けず、いつまでも力強く生きてゆこうと誓うのだった。
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