(三・十)KADENA NOTE

文字数 3,579文字

「良いか、カデナ。この事は、ジェームズにも和貴子さんにも話してはいない。おまえだけに話すのだ。くどいようだが、決して他言してはならぬぞ。もし万一誰かに漏らしたりなどしたら、わたしでさえ、おまえの命を守ることは不可能なのだ。いいか、その時は命はないと、覚悟いたせ」
「うん、分かってる」
 カデナは頬を強張らせながら、頷いた。
「良し、ではカデナ。これからわたしが話すことは、すべて真実である」
 こうしてローレンスの話は始まった。
 カデナはローレンスの椅子に坐ったままで、ローレスは立っていた。ローレンスは本棚の前に歩き、無数に並ぶ書物の中から一冊の大学ノートを取り出した。それを机の上、詰まりカデナの目の前にそっと置いた。
「これが何だか、分かるかね」
 カデナはかぶりを振った。
「これはね、今からもう六十年前、と言うことは第二次世界大戦終戦の年の物だ。その年の夏広島で原爆が爆発した時、被爆したひとりの或る少女によって記されたノートなのだよ。ほら見てごらん、ここに、その子の名があるだろう」
「えっ」
 カデナはローレンスが指差す、ノートの表紙の一箇所に目をやった。
「綾瀬香出菜。かでな、って読むの」
「その通りだよ。驚いたかね、奇しくもきみと同じKADENAだ」
「へえ」
「しかも彼女がこれを記したのも、今のきみと同じ十六歳の時なのだよ。わたしは常々、運命のようなものを感じずにはいられなかった」
 運命、何言ってんだか。どうせおじいちゃんがパパに言って、わたしの名前をカデナってしたんでしょ、きっと。そんなこと、どうでも良いんだけど。でも、あれっ……。ふとカデナが思い出したのは、他でもない、例の三つの悪夢の中の三番目だった。その夢の中に出て来る全身黒焦げの少女と、少女の言葉。そしてカデナはどきっとした。まさか、何で……。
 まさか、このノートがカデナノートで、おじいちゃんの国際的組織っていうのが、国際平和委員会、ってんじゃないでしょうね。やばーい。そしたら、あれ、あの夢、正夢になっちゃう。と言うか、違う。きっと今が夢なのよ。わたし、今あの夢の続きを見てるのよ……。カデナは自分の頬っぺたを思い切りつねった。しかし、痛かった。やばい、夢じゃない、どうしよう。
 混乱するカデナを置き去りに、ローレンスは続けた。
「尤もこのノートは、残念ながら本物ではない。何しろ六十年前だ。本物の方はすっかり古くなってしまったし、それに放射線だって付着していた。そこで新しいノートにしたのだ。しかしそっくりそのまま一文字も漏らさずコピーしてあるから、内容は変わらない。我々はこのノートをKADENA NOTEと呼んでいる」
 ごくっ。カデナは唾を飲み込んだ。ええっ、やっぱり……。冷や汗がカデナの全身に滲んだ。じゃ、あの夢の中の少女は、綾瀬香出菜さん、詰まり実在した人物だったって訳。なに、一体何なの、あの夢って。どうしてわたし小さい時からずっと、あの夢を見て来たんだろう。いや見せられて来たのかも知れない……。
「そして我々とは、我らは、国際平和委員会である」
 がくっ。やっぱり。なんとも言えない気味悪さと無力さとが、カデナの全身を覆った。
「どうした。気分でも悪いのかね、カデナ」
「えっ、何でもない、何でもない。続けて、おじいちゃん」
 カデナは必死でかぶりを振った。
「では続けよう。そしてこのKADENA NOTEだが、驚くなかれ、この中には、我々国際平和委員会の現在、過去に於ける活動実績、歴史、並びに未来に於ける我々の計画のすべてが、網羅されているのである」
「へえ、そうなんだ」
「まあ一種の予言書のようなものと思えば良い。そして実に世界は、ここに書かれたシナリオ通りに、進んでいるのであーる」
「ほんと、凄ーーい。見たい、わたしにも見せて」
 しかしローレンスは意地悪そうに笑いながら、かぶりを振った。
「見ても構わんが難しいぞ。政治に関する事や専門用語など、わんさか出てくる。はたしてきみに、分かるかな」
 失礼ね、でもやっぱり無理かも。ハハハ、ハハッと、カデナは苦笑いを浮かべた。
「勿論、明日この横須賀の地で何が起こるかも、ちゃんと記されているぞ」
 あっ、そうだった。それが一番肝心なのよ。
「ではわたしがこのノートの内容を、きみにも分かるように説明して上げよう」
「うん」
「しかしその前に、なぜわたしがこのノートを所持するに至ったか、その経緯から話さねばならない」
 またあ、おじいちゃん勿体振っちゃって。早く肝心の事、教えてよ……。
「先にも述べた如く、本ノートは一九四五年八月六日広島にて原子爆弾リトルボーイ爆発の時、被爆した少女kadenaによって、被曝から来る幻覚症状の中で記されたものである。彼女はこのノート完成の後、直ぐに他界したが、ノートは少女の恋人、名をmakotoと言う」
「マコト。香出菜さんの恋人が、マコト……」
 やだ、何から何まで、わたしとおんなじじゃない。一体どういうこと、これ。
「どうかしたかね、カデナ」
 ローレンスはカデナの恋人マコトのことなど、まったく知らなかった。
「何でもない。ごめんなさい、おじいちゃん」
「では続けるぞ。ノートはその恋人の手に渡り、次に彼の知り合いである新聞社の男に渡り、その男の上司の手に渡った。そしてその上司と言うのが、実は我ら国際平和委員会の当時日本に於けるエージェントの一人だったのである」
 エージェント。何、それ。やっぱり、難しそう。欠伸を我慢するカデナだった。
「その男はKADENA NOTEに記された内容の重大さに気付き、すぐさまノートを日本に於ける委員会の中心メンバーの許に届けた。我が委員会に属する者であるなら誰でも、このノートに驚愕せずにはいられない。ノートは遂に日本から、委員会本部のある我が祖国、英国へと遥々海を渡ったのである。そして英国にてKADENA NOTEを手にしたのが誰あろう、わたしの父、ジョン・サンモントだったと言う訳なのだよ」
「なーるほど」
 だからそんな古い話、どうだっていいってば。早く、横須賀の話してよ、おじいちゃん。
「しかしなぜ、たったひとりの日本人、我が組織の事など知ろう筈もなき少女に、こんなものが書けたのか、それは謎である。だがそれだからこそ、この世の神秘であり、人智を超越した何らかの力が働いたのかも知れぬ。いずれにしろ、奇蹟のノートであり、現在では我々国際平和委員会のバイブルとなっているのであーる」
 はいはい、だからもう能書きはいいってばよ、じいさん。
 ふわーーっ。
 それまで必死で噛み殺していた欠伸が、堪え切れず、つい出てしまった。赤面するカデナに、ローレンスは大笑い。
「済まない、済まない。あともう少しだけ、能書きを垂れさせてくれ」
「こうなったら、いいわよ。気の済むまでやって、やって」
 気を取り直して、ローレンスは話を再開した。
「では、我ら国際平和委員会とは、何ぞや。例えれば、United Nations。国連みたいなものだな。多くの日本人は国連について誤解しているようだが、あそこは決してクリーンな国際平和団体などではない。なぜなら第二次世界大戦の戦勝国の組織に過ぎないからだ。それが証拠に国連憲章の中には敵国条項というのがあってな、日本は未だに敵国扱いされておる。国連に巨額の供託金を納めていてもだ。ま、国連にとって日本は鴨葱ってやつだな」
 鴨葱。もう、また話脱線してるうーーっ。
 ゴホン。カデナの冷たい視線にローレンスは苦笑い。
「で、その国連ってのは単なる人形で、それを上から操っているのが我々なのだ。言わば国連が表の顔で、国際平和委員会が裏の顔。悪党の表の顔が警察で、裏の顔が暴力団みたいなものだな。詰まり国際平和委員会は国連より上位に位置しており、国連はもとより世界中の国家の上に立って、この世界人類を支配しているのであーる」
 はあ。勝手に支配してなさいよ、まったく。おじいちゃんの話支離滅裂過ぎて、わたしとても付いていけない。ため息に包まれるカデナだった。
「世界人類を支配し、では我々は具体的に何をこの世界に向かって、計画し実行しているのであるか。一言で言えば、世界の戦争と平和を、コントロールしているのである」
 はいはい、分かりました。話ここに至ってカデナは、聞か猿状態を決め込んだ。早く、ノートの話に戻ってね、おじいちゃん。しかしそんなカデナの気持ちを見抜いたのか、ローレンスは話を止め、カデナに向かって微笑み掛けた。
「お嬢さん、疲れたであろう。お茶でも、どうかね」
 ローレンスは秘蔵のセイロンティーを二人分用意し、カデナに分け与え、自らも口を潤わせた。
「うわあ、美味しい。わたし、こんな美味しい紅茶初めて」
「であろう」
 ローレンスは満足げに、孫娘の笑顔を眺めた。
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