(三・一)横須賀

文字数 3,549文字

 そして時は二〇〇五年を迎えた。
 二十一世紀になると世界中でインターネットが発達、普及し、それまでのマスメディアに取って代わって市民の情報源となっていた。これにより世の支配層の都合のままに情報を垂れ流して来た旧来のマスコミ、即ち新聞、雑誌、TV等は淘汰されゆく運命にあった。またそれまで隠されていた情報がインターネットを通して明るみに出て、分からなかったこと、隠されていたことが、分かる時代になったとも言えるのであった。
 その一つの例として、沖縄に於ける米兵の犯罪、中でも性犯罪について、多くのサイト上でその無慈悲残虐なる実態が明らかにされた。これにより、それまでほとんど沖縄問題に関心を寄せることのなかった日本本土の多くの若者たちが、沖縄の人々、特に女性たちの置かれた苦しみ、痛みを知ることとなったのである。
 一九七五年八月、当時十六歳だった女子高校生、松堂かでながレイプされ死に至った事件と、そのかでなの無念を晴らすべくひとりぼっちで米軍基地に乗り込み、しかしテロリストとして射殺された男子高校生、洌鎌まことについても、同じ年頃の多くの若者、学生が知り、衝撃を受け、その悲劇に涙したものであった。

 カデナ・サンモント、十六歳。
 神奈川県横須賀市に在住し、私立横須賀女学院高等学校に通う彼女もまた、その一人であった。特にひらがなとカタカナの違いはあれど同名であることから、松堂かでなに特にシンパシーを抱き、その事件には憤りを超越した怒りと悲しみそして他人事とは思えない恐怖すら覚えたのだった。何しろ自分も同じ米軍基地のある都市に住む女子高校生であり、松堂かでなに対して限りない親近感を覚えずにはいられなかった。
 このカデナ、名前からも分かるように純粋な日本人ではなく、英国人の父と日本人の母との間に生まれたハーフである。
 しかし心は誰よりも日本人。母親譲りの黒い瞳、曲がったことが大嫌いな正義感の強い少女であった。通う学校の制服を気に入っており、いつ出掛ける時もセーラー服を着用していた。
 制服はエンブレムの入った紺のブレザーと、緑と青のタータンチェックのスカートである。夏服であるセーラー服は、海の如き青を基調とした、紺のスカーフ、襟に二本の白いラインが入ったものだった。
「……まもってあげたいあなたを……」
 渡辺美里の『男の子のように』が大好きで、年がら年中朝から晩まで、この歌を口遊んでいた。
 尤もこの歌を収録したアルバムが発売されたのが一九九一年七月で、当時カデナは僅か二歳。よって元々カデナは、この歌も渡辺美里という歌手のことも何も知らなかった。つい最近、人から教えてもらったのである。その人物の名を、三上マコトと言った。

 三上マコト、二十歳。
 マコトも横須賀市に住んではいるが、家で過ごす時間は常人に比べ圧倒的に少なかった。なぜなら彼は地元の海上自衛隊、横須賀地方総監部に属する二等海士、詰まり自衛隊の隊員だからである。

 ではこのカデナとマコト、四歳年の離れた赤の他人のふたりが一体如何なる関係かと言えば、幼馴染みなどではなく、つい最近出会ったばかり。にも関わらずこのふたりには、二つの大きな共通点があった。それは大の米軍嫌いだということと、各々先天性のトラウマを有している、ということだった。
 先ずカデナの方から説明しよう。カデナは物心付いた時から、なぜか決まったパターンの悪夢に絶えずうなされるようになり、それが今日まで続いていた。パターンは三通りあった。
 一つ目は、どう考えても広島のリトルボーイとしか思えない原子爆弾の爆発の瞬間とその光景である。眩しい閃光と爆音、大地を揺るがす振動。そして熱と炎の中、燃え上がる都市と焼けただれ倒れゆく市民の波また波……。あたかもカデナ自身が被爆したかの如く、夢の中でもがき苦しみ、時に金縛りにも遭った。
 二つ目のパターンは、四人の米兵に襲われる悪夢であった。場所は、青く透き通った見知らぬ海の浜辺。カデナは麦藁帽子を被っていたけれど、米兵によって奪われ、引き裂かれ、海に捨てられた。カデナは必死に抵抗しようとするのだが、この時も金縛りに遭ったかの如く思うように体が動かず、米兵たちの欲望のままにされるばかりだった。この悪夢こそがカデナをして、松堂かでなに対して親近感を覚える最大の理由でもあった。
 そしてどちらにしても、ベッドの上で絶叫し激しく体をばたつかせるカデナを、母親の和貴子が揺り起こすと言うのが、サンモント家の朝の慣習となっていた。はっとして目を覚ましたカデナは、現実の中に身を置き、母親に見守られながら、それでも尚悪夢の恐ろしさに怯えているのだった。
 原爆爆発と被曝の恐怖、米兵への恐怖。特に米兵に対する嫌悪と恐怖心は病的で、横須賀の街角、雑踏の中で米兵と思わしき男を見るだけで怯えた。このことがカデナが米軍そのものを嫌う最大の理由であった。
 そして悪夢三つ目のパターンは、近未来の予知夢のようなものだった。核戦争による第三次世界大戦が勃発し、人類が今正に滅亡せんとする瞬間の映像である。核兵器の威力たるや第二次世界大戦に於けるリトルボーイなど比較にならぬ程に進歩を遂げ、ほんの一瞬で国家が一つ消滅してしまう。そんな世界の中にあって、カデナだけがただ一人生き残り、世界の終わりを目にするという夢であった。
 その夢の中でカデナはひとりぼっち。被曝の中で身悶えつつ、絶望し孤独に打ちのめされる。しかしそこへ、何処からともなくひとりの少女が現れる。わたし以外にもまだ生きていた人がいたのね。喜びとも悲しみともつかない気持ちでカデナは少女に話し掛けようとしたが、少女を見ると全身黒焦げで、どんな顔をしているのかすら、分からなかった。
 はっと驚くカデナに向かって、少女の方から語り掛けて来た。しかしその言葉は謎に満ちていた。
『どうか行方不明になった、わたしのノートを捜して下さい。そこにすべてのことは、書かれています。わたしのKADENA NOTEを捜して下さい……』
 今にも命尽きるが如き、か細い声であった。
 ノートって何のこと。すべてのこととは、何のすべて。さっぱり分からない。訝るカデナに、少女は続けた。
『すべては我々、国際平和委員会の計画である』
 すべては我々、国際平和委員会……。そしていつもここで、目が覚めるカデナであった。

 次にマコトの方である。彼もまたカデナ同様、物心ついた頃より頻繁なる悪夢に襲われつつ今日に至っていた。また悪夢の内容は二つにパターン化されていた。
 一つは、マコトは軍服を身にまとった兵士だった。季節は夏。なのにマコトは汗まみれになりながら、見知らぬ廃墟と化した街を駆けずり回っていたのだった。なぜ街は廃墟なのか。ピカドンのせいだ、ピカドンだ、と地に倒れた人々が呻いていた。そしてマコトは自らに向かって、こう叫んでいた。それは沈痛な内なる叫びであった。
「自分は、大事な人を守って上げられなかった。原子爆弾の脅威と殺戮から、助けて上げられなかったのだ」
 その悔恨はマコトの胸を苛み続けた。はっと夢から覚めても、自責の念はマコトの胸から離れなかった。
 二つ目は、青い海が舞台だった。そこは行ったことのない場所であるにも関わらず、マコトはなぜか懐かしく思えてならなかった。ところがその青く美しい海辺に於いて、マコトが目にするものはそれは悲惨極まりなきものだった。ひとりの少女が、四人の米兵によってレイプされていたのである。しかもマコトは、その少女に見覚えがある気がしてならなかった。マコトは少女を助けなければと思ったが、体が金縛りに遭ったように動かなかった。従ってこの夢の中でもマコトは、涙ながらにこう叫ぶしかなかった。
「ぼくは、大事な人を守って上げられなかった。米兵と米軍から、守って上げられなかったのだ」
 そしてこの夢をして、マコトを大の米軍嫌いにさせた。多くの友人、知人がアメリカに憧れる中、米軍のみならず、アメリカという国すらも毛嫌いした。それはもう生理的と言っても過言ではない程の拒絶反応で、横須賀の街角で見掛ける米兵を憎悪し、更には殺意すらも抱く程だった。
 県立横須賀高等学校の普通科を卒業した後、親が切望する大学進学を蹴って、自ら志願し地元横須賀の海上自衛隊に入隊したのも、その為であった。横須賀地方総監部は地理的に米軍基地とは目と鼻の先だし、それに米軍との合同演習だってある。と言うことは米兵と遭遇する機会も多く、従って何かあれば憎っくき米兵に一泡吹かしてやれるかも知れない。そんなことを密かに望んでいるマコトだった。また、ちょっかいを出す米兵から日本人特に少女、女性を守りたいとも願っていた。
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