第38話  罠

文字数 3,854文字

 芝公園のオフィス街は騒然としていた。本来ならこの一帯は人込みで混雑することもなく、東京タワーを外景にしながら静かな夜を迎えているのが通例だったが、今夜、この街の一画にある高層オフィスビルに大勢のパトカーや消防車、救急車が慌ただしく駆け付け、辺りに緊張の空気をばら撒く事になった。

 警官に誘導されビル内から次々と避難者が列をなして出てきた。何事か分からずおどおどと周辺を見回しながら。

「おい、なんだ、ビルの中でが起こってるんだ?」

 物々しい光景にそう不安の表情を見せる野次馬や通行人員達に何の説明もなく大勢の警官達がこれ以上現場に部外者が接近しないように立ち塞がり、金融会社の周辺に立ち入り禁止の黄色いテープを張り巡らせ始めた。

「皆さん、至急避難してください。できるだけここから遠くに離れて! 早く!」

 警官のその切迫した声に周辺の人々は何かの危険を察知し、その場から距離を取り出した。
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 高層ビルの最上階を占める証券会社に突入したSAT(特殊急襲部隊)の隊長・荻沢は緊張を抑えながら拳銃をその場のリーダーと思われる男に向けた。

「動くな、大人しくしろ! 大勢の警官がこのビルを囲んでいる。もう逃げられないぞ!」

 1チーム・20人の編成で“赤い福音”という名のカルト教団の制圧に乗り込んだが、古沢のチームの他にも外には狙撃班やバックアップのチーム、また2台のヘリコプター、他、大勢の機動隊員、溢れんばかりの警官とパトカーの大群がこのオフィスビルを包囲した。

「名前と身分を言え!」

 銃を向けられたリーダーは動揺を表情から隠さないまま、両手を挙げた。

「し、品川智也……52歳……や、や、役職はこの支店の支店長であります……」

 言うと、品川は制圧され隊員に自動小銃を向けられている部下達をおどおどと見回した。

「そ、その……警察に踏み込まれるようなコンプライアンス違反はしていないはずですが……少なくとも

。それともどこかの同業他社とお間違えでは?」

「とぼけるな。お前ら信者がここの社員に扮していると教団幹部からの確かな情報があるんだぞ。見たところ、3、40人しかいないな。他の者達はどこに隠れている? 答えろ!」

「え……教団幹部? っていったいなんの事です?」

「お前ら信者がここで祝祭という名のテロの待機をしている事はもう承知だ。ついでに東京タワーと巨大魔神の呼んでいるモノの関係を全て吐かせてやる!」

「巨大魔神? いったい何の事です。ともかく、落ち着いてください。あなた達は何か勘違いしている! 我々はただの会社員で、ここは証券会社の支店です! 今、私の社員証を見せますから落ち着いてください!」

 と品川が体を小刻みに震わせながら訴えた時、廊下から年老いた男が事務所に乱入してきた。

「警察の犬ごときに祝祭の邪魔はさせんぞ! みんなまとめてここで滅してやる!」

 その場にいたSAT隊員、証券会社社員全員の視線がその腰の曲がった老人に向けられる。

「は?……おい、なんだ、あのジジイは?」荻沢が支店長に訊いた。

「さあ……うちの社員ではないですし、あんな

はこのビルの守衛か清掃員でもないかと……」

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 祐華を搬送しているパトカーの前後を他の数台のパトカーが列となって走行をしている。何人も近寄るべからずと周辺の車に警告するように音を消してサイレンを光らせながら。

 両手首に手錠を嵌められた祐華がぽつりと言った。

「身ぎれいでもっとまともな刑事が私をお迎えが来るかと思ったがな」

「本庁の方々にそんな手間をかけさせられるか! それに俺が直々にお前みたいな大物を連れていった方が本庁に自分の顔を売る事ができる」

「それが目的でパトカーを連ねてこんな派手な移動をしているのか? まあいい、己のいる場所を自らさらけ出すような行為をして後悔する事になるのはそっちだからな」

 意味深げに祐華が言った時、突然パトカーが急ブレーキを踏み、その衝動で岸川が前につんのめって前部席に額をぶつけた。

「いてえ! バカ野郎、なんて運転しやがる!」

 運転席の警官がおどおどと答える。

「す、すみません。前方のパトカーがブレーキを踏んで急停車したので……でも何か様子が変です! せ、先頭のパトカーからみんな停車しています!」

「なんだと! 何かあったのか?」

 笹原が緊張した顔になる。

「も、もしや信者達が幹部の奪還に来たのでは?」

「そ、そんなバカな事があるか。信者達は今頃、芝公園でSATや大勢の警官に囲まれ一網打尽にされているはずだ……」

運転手は慌てて無線機を手に取り、先頭のパトカーに呼びかける。

「こちら渋谷4から渋谷1、どうして急停車した? 応答せよ、渋谷1」

 しかし、無線機から人の声は返ってこない。

まだ見ぬ不審者から身を隠すように、岸川は背中をずらして後部席に身を沈めた。

「お、おい……笹原。車から降りて外の様子を確認しろ」

「え、わ、私がですか?」

「お前じゃなければ誰が行くんだ? いいから早く行ってこい、バカ野郎! 運転手、お前もだ!」

 自分の思考よりも命じられる事に慣れた体が勝手に反応したように、笹原と運転手の警官は慌ててドアを開け車の外に出た。

 そして、前方に顔を向けた瞬間、笹原と運転手は目と口を大きく開けて棒立ちになった。これまで体験した事のない戦慄を覚えたとばかりに。

「な、なに……

…………」

 二人の恐怖が伝播したかのように岸川が足元を震わせ始めた。

「お、おい、どうした、いったい何を見てる? 前方に何がいるんだ!」

 岸川は微かに顔を上げ、窓の外を見る。

 すると笹川と運転手だけではなく、前方のパトカーから降りた警官達も、前方にいる何かを見て唖然と言葉を失っていた。

「え……お、おい、笹原! どうしたんだ、前に何がいるんだ? み、

!」
 
 今まで状況を静観していた祐華が高ぶる感情を抑えながら声を出す。

「真師……いや、大神だ……感じる……紅き大神が私を助けに来た……仲間と共に」

「大神様?」

「そうだ……間違いない。とうとう大神がこの世に復活なされたのだ。藻菊め、真師に聖衣を着せるのを忘れでもしてたか? ともかくこれで祝祭を再びスタートさせられる……計画どおり全てを燃やし多くの人々を精霊にしてやれる!」

 畏怖と憤怒が混ざった怒声を岸川が上げる。

「ふ、ふざけるな。今頃、大勢の警官が芝公園の現場に到着してお前らの教団関係者一人残らず手錠をはめている頃だ。お前を助けに来る信者なんてもう一人もいない!」

 絶望的な事実を叩きつけたつもりだったが、祐華は微小ながら岸川に向かってほくそ笑んだ。愚か者を嘲るように。

「いいだろう、教えてやる。昇麻のメモを見て警官の大群を向かわせたのだろうが、そのメモに書いてある祝祭の情報は全てデタラメだ。奴に教えた正しい情報は道玄坂までだ! 警察が向かった場所には信者もいなければそこで祝祭が行われる事もない。残念だったな」
 
 戦慄が走ったように岸川の顔が蒼白になった。

「な……いったい何を言っているんだ?」

「昇麻のようなクズに我が教団の祭事に最後まで参加させる名誉をやるわけがないだろう! 教団の幹部である事や真師の手前、村の中では生かしておいてやっただけだ。予定では道玄坂の騒乱の後に古蔓という信者が奴を処分する手はずになっていた。やり方はまかしたがな!」

「……そ、それじゃ……」
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 その全身赤い衣服を着た老人は武装した隊員達に怯む事なく、攻撃的な面持ちで前進しはじめる。

「我の真の名は古蔓! 本来ならここで昇麻様を滅するのが私の役目だった。だがその昇麻も村で去ってしまった今、我は信者として祝祭を守るために、妨害する敵どもを道ずれにして自らを滅する!」

「はあ? なんだ」とSATの隊員が支離滅裂な話をする老人に向かって顔をしかめた。

 回りの冷たい視線に構わず古蔓が正気とは思えないほど血走った目で上着を脱ぐと、その上半身に巻き付けられた何十本のプラスティック爆弾と起爆装置が露わになった。

「さあ、皆の者、時が来たぞ! 来世まで一気に飛び立つぞ!」

 オフィスに隊員達のどよめきと、社員達の悲鳴が響き渡った。

「渡世で生活をしていた頃、ここの金融会社によって人生を狂わされた礼も兼ねて、昇麻様と共に社員も道連れに派手に滅しようと思っていたがちょうどいい、警察の犬達も皆、揃って精霊になろうぞ!」

 古蔓の手の内にある爆弾のスイッチを見た、荻沢が絶叫する。

「撤退だ! 早くここから逃げろ。罠だ! 皆、社員をつれて早く撤退しろ!」

 隊員達は命令が出るや否や、絶叫を上げる社員達と我先へと出口に向かって走り出す。

「逃げろ、早く!」社員と隊員達の怒声が混じる。

「お、押すな、やめろ! 俺の体に触れるな!」

「いや~置いていかないで! 皆待って!」

 古沢は走る事はせず、爆破を阻止すべく古蔓に銃口を向けた。

「スイッチを捨てて、降伏しろ! 今すぐだ!」

「馬鹿め、もう遅い。ここにいる者も外にいる大勢の警官も誰も助からん。皆一緒に死ぬ。現世を捨てて覚悟を決めろ。さあ、大神のご加護で輝ける来世を!」

 古蔓はそのオフィスから誰一人脱出しないうちに爆弾のスイッチを押した。
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