第149話 それぞれの戦い Aパート

文字数 6,400文字


 それにしても本当に驚いた。あの戸塚から何の前触れもなく乱暴に、無遠慮に触られた時、優希君に触れて欲しいと思った。
 あれから一日経った今でも、戸塚に触られたところに残る不快感。あの男子に触られた、見られた不快感と罪悪感。その男子2人に好き放題されて怖かった気持ちも含めて、朱先輩が今、言ってくれたように私も、優希君に触ってもらって全て上書きして欲しいと思った自分に驚く。
 でも雪野さんの胸に触れた優希君に大きく取り乱して、周りを巻き込んで、優希君への口付けでたくさん涙して、周りに心配もかけて。そんな私が自分の時だけワガママを言って優希君に甘えても良いのか。
 今の本当に可愛くない私でも優希君は、私に()れたい、(さわ)りたいって思ってくれるのかな……。
 そんな不安と寂しさで一杯になっていた私の心に降り注いだ朱先輩の言葉。確かに倉本君どころか、他の男の人とは仲良くして欲しくないって言ってくれたし、その都度機嫌が悪くなったり怒ったりしてくれている。
 それに夏休み中の二人きりの役員室内。優希君の腕の中は私専用の居場所だって言ってくれたし、私以外の女の子を迎え入れるつもりも無いって言ってくれた。
 そして文字通り星降る真夜中のデートでの初めての口付けの時、今思い返してもとんでもなく恥ずかしい早とちりと、勘違いをしてしまったのだけれど、私を優希君だけのモノにしたいってハッキリ言ってくれた。
 だったら私以外の他の女の子に触れても、嬉しくないってハッキリ言ってくれた優希君が、私には触れたいって思っていてくれても不思議じゃないし、私自身も勝手に期待してしまう。
 そして期待をしたらまた、私の体が優希君を求めて熱を持ち始める。
「それで愛さん。空木くんとは会う気になってくれた? まだなれない?」
 私の想いを少しでも優希君にと朱先輩へのお願い
 ――男の人が喜ぶ隙を無くしたい――
 を快諾してくれた後、元の話へと戻って来る。本当なら明日は日曜日で、今年は受験生だからどうしても図書館デートが多くなるけれど、それでも優希君との二人だけの貴重な時間なのに……。
「私、ただ優希君の事が大好きで、二人でゆっくりと歩んで行きたいだけなのに、どうしてそれすらも駄目なのかな? 私、明日も優希君に会いたいし学校だって辞めたくないよ」
 ただ好きな人に一番可愛いって思ってもらいたくて、少しでも長くいたいだけなのに。
「愛さん? 学校辞めるって?」
 朱先輩が不安そうに私の髪を梳く。
「昨日の夜、穂高先生の説明の後、私とお母さん、慶とお父さんが一緒に寝たんですけれど、一晩何を考えたのか、今朝になってお父さんが私に学校自体を辞めるように提案して来て……」
 その先に続く言葉は、後ろから抱きしめてくれる朱先輩によって止められる。
「おばさまは? さっきの電話の時はそんな感じは無かったんだよ」
 その朱先輩は私に

をちゃんと示してくれる。
「お母さんは私の気持ちをちゃんと尊重してくれるって言ってくれました。だからお父さんとは喧嘩みたいになってしまっていて……」
 圧倒的に弱い我が家のお父さんと、家の中で一番強いお母さん。それでも今まで一度も喧嘩したところなんて見た事が無かったのに……。
「ケンカを見るのは嫌だよね。本当に見てるこっちが寂しくて悲しくなっちゃうんだよ」
「……朱先輩?」
 私のさらけ出した心の内で、朱先輩の雰囲気が少し変わる。
「……じゃあ、おばさまは愛さんに学校を続けて欲しいと思ってくれてるんだよね」
 だけれど次の瞬間にはいつもの調子で私を包み込んでくれる朱先輩。
「……はい。こっちもどうなるかは分からないですけれど、私は、私と一緒にもう三年間は同じ学校生活を送りたいと言ってくれた蒼ちゃんと、この学校を卒業したいんです。優希君ともっと一緒の時間を過ごしたいんです」
 だから今朝のお父さんの剣幕の前では言えなかった言葉も、すんなりと口を突いて出て来る。
「だったら尚の事、空木くんと会わないと駄目だと思うんだよ。会って今の愛さんの状況と気持ちだけはちゃんと空木くんに伝えないと駄目なんだよ。でないと愛さんの事がとっても大好きな空木くんも寂しいと思うんだよ」
 これもそうだ。優希君はもっと私に頼って欲しいと言ってくれる。朱先輩と同じように私からのお願いとかがあったらすごく嬉しそうにしてくれる。
 それに優珠希ちゃんからも取り繕うような事はするなと、何度も釘自体は刺されている。その上、私も蒼ちゃんとの事で、中々教えてもらえなかった期間……もちろん蒼ちゃんとしてしまった約束の事もあるけれど、すごく寂しかったし、私自身の力不足もたくさん考えてしまった。
 ただですら優希君には悪い事ばかりしているのだから、優希君にこれ以上哀しい思いをして欲しくない。好きだからこその想いをして欲しくない。
「……愛さん? 何か余計な事を考えてそうなんだけど、今回の愛さん

、何も、どこも悪くないんだよ。それに学校を辞めないといけないなんて、そんなのおじさまがおかしいんだよ。学校に行くのも、この先の将来の事も全部愛さんのしたい事なんだから、愛さんは子供らしくもっとワガママになってら良いんだよ。だからわたしもおばさまの味方だし、何よりわたしは何があっても愛さんの味方なんだよ」
 朱先輩もお母さんと同じ意見だって分かって、私が辞めるのはおかしいって言ってくれて、私の心が半分だけ軽くなる。
「ありがとうございます。今日の夜、両親の前で勇気を出して今の私の気持ちを伝えようと思います」
 確かに私は、朱先輩の後押しで私なりの気持ちを伝えたはずなのに、その朱先輩が後ろから回り込むようにして、私の顔と言うか、瞳を覗き込む。
「……えっと、朱先輩?」
 今も顔を合わせて気恥ずかしさも出て来たから、何とか逃げようと身じろぎをするけれど、私が朱先輩にもたれかかるような体勢で逃げられる訳もなく。
「! 愛さんが空木くんと会いたいと思ってるように、空木くんだって愛さんと会いたいって思ってるんだよ。それに空木くんとお付き合いを始めた頃に意識してた“ジョハリの窓”のように、空木くんだって色んな愛さんを知りたいって思ってくれてるし、新しい一面を知ることが出来れば嬉しいんだよ? それから愛さんは女の子一人で、相手は自分よりも体格も力も強い上に二人。その中でも必死に抵抗して最悪の状態には間一髪至らなかった。愛さんの貞操感なら少しは仕方がないのかもしれないけど、どっちかって言うとその時の愛さんの気持ちを空木くんに伝える方が、空木くんに対して更に愛さんの“秘密の窓”が解放されて喜んでくれると思うんだよ」
 私の瞳をじっと見ていた朱先輩が、本当に魔法を使ったのか、私の残り半分も軽くしてくれる。
 そしてこれも優珠希ちゃんに叱られた事だ。私が自分で心を塞いで優希君との信頼「関係」に壁を作って……私だって優希君とのアレコレ、私

の女心をしっかりと分かって貰えたらなって、つい最近それも思ったはずなのに。
 自分自身でも忘れていた想いをちゃんと拾って見つけてくれる朱先輩。
「……じゃあ、明日は空木くんとデート。する?」
 それでもなかなか首を縦に振れない。優珠希ちゃんも今回は分かってくれた通り、どうしても女の子として優希君の前に立てる気がしない。
「……じゃあ、明日は空木くんとデートが出来るように、このお化粧道具は置いて帰るんだよ」
「え?! いや、さすがにそれは悪いですって。しかもそのカバンの中身ってお化粧道具だったんですか?」
 私が渋っているのを見かねたのか、朱先輩が驚きの提案を口にする。
「でも愛さんはこのままだと空木くんに会ってくれないんだよ。わたしは愛さんの幸せな話がたくさん聞きたいのに、このままだとしばらくは聞けなくなってしまいそうなんだよ。でも愛さん自身が可愛いって思ってくれたお化粧をすれば愛さんも会ってくれると思うんだよ」
 いや、私自身が可愛いだなんて……確かに一回だけ口を滑らせてしまったのだけれど、それは朱先輩のお化粧がうまいからであって、私自身の問題では無いと思う……こんな事を言えば間違いなく明日、私にお化粧をするためだけに来そうだから口にはしないけれど。
「そんな事の為に朱先輩の手を煩わせることなんて出来ませんって」
 いくら朱先輩からの説得とは言っても、完全な私情で朱先輩に迷惑をかける訳にはいかない。
「……愛さんがわたしを信じてくれないんだよ」
「さっき朱先輩を一番信用するって言いましたよ」
 それに私同様、朱先輩にもナオくんって人と一緒の時間を過ごして欲しいと思うのだ。
「じゃあ明日空木くんは? お化粧あったら会ってくれる? 無くても会ってくれる?」
 今でも常に優希君に会いたいって思っている。だから朱先輩同様、私だって朱先輩には幸せな時間を過ごして欲しいなってお互い同じように想っているって分かる、伝わる。
「二週間後、腫れが引いたらお化粧無しで会います」
 だからお化粧の話は根本からナシの方向で話をする。
「愛さんがどうしてもわたしの話を信用してくれないんだよ」
「信用していますって」
「だったら明日、ちゃんとデートして欲しいんだよ」
 気付けばいつもの問答になっている気がする。
「だからこの顔じゃ優希君に引かれるかも知れないので……じゃあせめて一週間。一週間だけ待って下さい」
 私が何とかやり過ごそうにも朱先輩の潤んだ瞳を見ていると、どうにも断り辛い。
「わたしは、今の愛さんの気持ちを“秘密の窓”を開けた方が絶対空木くんも喜んでくれると思うんだよ」
 それは分かるけれど
「空木くんだって愛さんに会いたいって思ってくれてるんだよ」
 それはさっきも朱先輩から聞いたけれど……
「……愛さんがわたしのお願いを聞いてくれないで、自分の心に嘘をついてしまってるんだよ」
 そう声を震わせて、今日朱先輩が着ている向日葵柄のシャツが萎れるかのように、俯けた顔を両手で覆って……朱先輩に驚く。
「って朱先輩?! 分かりました! 明日ちゃんと優希君と会いますから。その時に私の気持ちもちゃんと伝えたら喜んでくれるんですよね」
 まさか朱先輩に涙されるとは思っていなくて、大慌てで私の気持ちに素直になると、
「愛さん本当?!」
 夏の陽に向ける向日葵のように、力強く私の方を向く朱先輩。もう騙されたのは確実だった。
「でも明日。優希君の方に用事が無かったらですからね」
 だからこそせめてもの一言。優希君に明日用事があるかもしれない事を念押ししようとして、
「愛さん? 愛さんはもっとワガママにならないと駄目なんだよ? こんな時にとびっきりの彼女を放っておく空木くんなんてポイで良いんだよ。だから明日は空木くんとデートする事。約束してくれる?」
 いつものやり取りと共に結局は言い含められてしまう。
「分かりました。明日会えたら会います。でも、優希君に本当に用事があった時だけは許してくださいね」
 本当に、この問答もどうにかしないといけないのに未だにその糸口すらつかめていない。優希君や妹さんとの言い合いと言うか、かけ引きでもそうだけれど、このままだと誰に対してもどうにも良くない気がするのに。
「じゃあ一番初めに、今日の電話で毎日メッセージをくれるって言ってくれたんだから、明日ちゃんと空木くんとデート出来たのかどうか明日の夜にその時の事も含めて、一言で良いから教えて欲しいんだよ」
「いやでもそれって、今日朱先輩と会えないからこそのお話でしたよね?」
 ちゃんと顔を見てお話も出来たんだから、その話は無効でも良いんじゃないのかとも思うんだけれど……
「……愛さんはわたしと喋るのは嫌?」
「そんな訳ないじゃないですか」
 でもこの流れは、やっぱり私が首を縦に振るしか選択肢がない気がする。
「……じゃあ明日は?」
「連絡します。優希君と会えたらって言う条件付きですけれど、ちゃんと言いますね」
 まあ、自ら掘った墓穴でもあるし、朱先輩が本当に私の心配と応援をしてくれているのも分かるから、優希君との話は朱先輩には教えたくない事もあるけれど、約束だけはしっかりと交わす。
「それじゃ、もっともぉっと空木くんが愛さんに夢中になってもらうために、早速男性が喜ぶ隙を減らして行くんだよ」
 その上で私のお願いを快く笑顔で引き受けてくれる朱先輩。だから朱先輩に対して嫌な気にならないし、過保護かなって思う以上に私を大切にしてくれているのが伝わるから、嬉しくなってしまうんだと思う。
 それから改めて朱先輩から見た私の隙を教えてもらう事にする。


 詳しくは恥ずかしいから割愛するけれど、意外な所に隙があった事には驚いた。本当にキュロットだからと言うのは過信しない方が良いと言う事だけは、今日学ぶことが出来た。
「ありがとうございます」
「まだまだお礼を言うのは早いんだよ。愛さんにはまだまだたくさん隙があるんだよ」
 ……それじゃあ優珠希ちゃんの言う通りの女の子じゃないのか。私は。
「それ。教えて下さいね」
「また今度、一つずつ伝えていくんだよ――そう言えば愛さんのご両親、遅いね」
 本当ならもう全部いっぺんに教えて欲しかったくらいだけれど、色々な話をしている間に陽が相当な角度になっていた。
「どうします? いつ帰って来るのか分からないお母さんたちを待っていたら、朱先輩の帰りが遅くなりますよね」
 いつもの夕方なはずなのに、やけにまぶしく写り込む太陽。
 朱先輩と喋るのがすごく楽しすぎて、一時的にではあったけれど顔の痛みまで忘れていたくらいだった。
「わたしは大丈夫だから、愛さんの家がご迷惑でなければ、大切な娘さんと仲良くさせて頂いてますってご挨拶だけでもしたいんだよ」
 この蒼の空が朱に染まり、やがて群青に変わり夜の色が咲く。色による時間の変化を感じられるこの(とき)は嫌いじゃない。
「ありがとうございます。それじゃあ金曜日に学校に行っていない分、朱先輩に家庭教師をお願いしても良いですか?」
 全般的に私の部屋の中も空色を基本としているからか、外の朱に合わせて部屋の中も朱に染まる。
 その朱に染まる部屋に紛れて、私は試験前の時のように甘えてみる。こうしたら違和感なく朱先輩の顔も見られるし、朱先輩に近くにいてもらえると思いながら。

 しばらくの間朱先輩に見てもらいながら、進めていた所に突然の玄関のドアの開閉音にびっくりする。
「……愛さん?」
 玄関の鍵は閉めておいたはずだから慶が帰って来たのだとは思うけれど、帰って来たら誰か分からないと怖いから声を掛けて欲しいって前にも言ったのに。
「弟の慶が帰って来たんだと思います」
 朱先輩の質問に答えない訳にはいかないから、取り敢えず答えたのだけれど、何か別に思う所でもあったのか、再び私の顔を見つめて来る。
「……分かったんだよ。じゃあ今日は時間も遅くなりそうだし、ご両親への挨拶はまた今度するとして、慶久くんにだけは挨拶をして帰る事にするんだよ」
 ひょっとして三年前の事を思い出してくれているのかと思って、声を掛けようとしたらさらにびっくりする事を言い出す朱先輩。
「分かりましたけれど、優希君の事はまだお母さんにしか言っていないので、優希君の事だけは絶対に口にしないで下さいね」
 まあ、そのお母さんにも自分から言った訳じゃ無くて、気付けばバレていたって言う方が正しいけれど。
「そんなの当たり前なんだよ。そんな事を慶久くんに言ってしまえば大変な事になってしまうんだよ」
 いやまあ、お父さんの耳に入れば確実に大変な事にはなってしまうんだろうけれど。
 ただ、私も集中力が切れてしまった事もあって、朱先輩を見送る口実に二人で部屋を出る。

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