第148話 心と体と年齢と  Aパート

文字数 5,125文字


 いつもの土曜日なら、今日は愛さんに会えるとっても楽しみな土曜日なはずなのに、昨日の穂高先生のせいで、本当に最低な気分なんだよ。だから昨日感情が突き抜けてしまったわたしは、昨日夕方時点での愛さんの状態しか分からないんだよ。
 だから夏休み明けにもかかわらず、どうしてそんな事になってるのかも何も分からない。
 しかもその愛さんの状態も穂高先生からの話だけだから、わたし自身が自分で確かめないと“主観の齟齬”があるに決まってるんだよ。
 その上、とっても大きいお手付きをしてしまったんだけど、愛さんには空木くんって言う愛さんの事がとっても大好きな優しい彼氏さんと、一つ深い仲になれた所なのに。
 本当ならそっち方面の事を全くと言って良い程何も知らない愛さんに空木くんが優しく、大切に、大事に愛さんを怖がらせないように教えてくれたらなって思ってたのに。
 本当にこの年になっても、愛さん程無垢な女の子なんてほとんどいないと思うのに。
 そのどれもを思うだけで、考えを馳せるだけで、愛さんの中にどれ程の傷と恐怖が襲い掛かったのか。それをほんの少し考えるだけで、愛さんからの相談を受けてたはずの穂高先生に対する失望が広がる。
 更にその穂高先生は愛さんのいる目の前で、わたしに電話をして来た。穂高先生の事だからわたしから見た愛さんの話を聞きたかったとか、中々信頼「関係」を築けない愛さんに関する何かを知りたかったんだと思うけど、どうしてわたしとあの先生の関係を、愛さんに喋ってしまったんだよ。
 今のタイミングなら、最悪の結果になりかねないと分かっているはずなのに。
 愛さんがどう言う気持ちになったのか、穂高先生には月曜日に身を持って分かって貰うんだよ。愛さんを涙させる人なんてみんな大っ嫌いなんだよ。
 だから穂高先生の事も含めて、今日は愛さんにたくさん謝りたくて、今日の町美化活動も、昼からの課外実習も何もかも全て休ませてもらった。
 なのに愛さんからの返事は、明日改めて連絡するって事だけだった……そんな事ないんだよ。ちゃんとわたしに優しさを分けてくれた上での、今日の連絡待ちの返事だけだったんだよ。何とか今日中に謝りたかったのに、もらえる連絡の時間次第では、それも叶わないんだよ。
 ……逸るわたしの頭の中が滅裂になってるんだよ。
 愛さんが悲しんでる時に、一番の理解者であるわたしが近くにいることが出来ないのがどうしようもなくもどかしいんだよ。
 悲しむくらいなら、もどかしく思うくらいなら出てもらえるまで電話をかけ続けるのも一つの方法なんだけど、それでもし、電話に出てもらえなかったらと思うと怖い。
 それに、それ程までに酷い暴力があったのなら、ご両親さんにも秘密に出来ないだろうし、話をしていてもおかしくない。
 同じ待つと言う行為であっても、公園で愛さんを待つのと、来るか来ないか分からない愛さんからの連絡を待つのとでは、全く心持ちが違うし、何より焦燥感が違う。
 わたしはいつ愛さんから連絡が来ても良いように電話を塞がないため、声を聞きたいのを我慢してナオくんにメッセージを送る。

題名:声が聞きたい
本文:でも今日はメッセージで我慢。ひょっとしたら今日と明日は会えないかも
   知れないから、月曜日にナオくんのお家に泊めて欲しいんだよ。そして
   一日中わたしの話を聞いて欲しいんだよ。

 そう。わたしは愛さんの話は、ナオくんにしかしないって決めてる。だからナオくんもわたしから話を振らない限り、愛さんの話は聞いて来ない。わたしは色々な気がかりを抱えたまま、少しでも体に何かを入れないと、逆に愛さんに心配かけてしまいかねないと、気が進まなくても朝の準備を始める。


 その後もソワソワしながら、何も手につかないまま迎えたお昼。

題名:俺は大丈夫
本文:まずは朱寿(すず)が動けば良いよ。後の事は俺が全て何とかする。
   ただし一つだけ、いつもの約束な。
   抱え込まない、塞ぎ込まない、一人で泣かない。この“(さん)ない”は
   必ず守ってな。もちろん守れなくなりそうなら、すぐ俺に連絡!

 返ってきたメッセージは愛さんじゃなくてナオくんだったけど、それでもこの安心感は計り知れない。わたしが何をどうしたって助けてくれるヒーロー。いつもわたしの中に流れた哀愁や郷愁を、居場所その物に変えてくれるナオくん。
 わたしが唯一将来を共にしたいなって思えた男の人。直実(なおざね)くん。だからさっきまで怖かった愛さんへの電話を、わたしからかける勇気を出すことが出来るんだよ。
 ……5コール……7コール、8コール……。
 電話機を持つわたしの手が、汗でしっとりと湿り始めた頃合い。
『電話に出るのが遅くなってごめんなさい』
 いつもより不明瞭に喋る愛さんが電話に出てくれる。
『ううん。そんなのは気にしなくて良いんだよ。それよりもわたしは、愛さんがとっても心配なんだよ』
 元気そうな声を聞いて安心したかったのに、その不明瞭さがまた、わたしの中の気がかりとしてつっかえたままにしてしまうんだよ。
『それは昨日、穂高先生が言った事ですよね……本当にすみませんでした。あのブラウスは朱先輩が、私とこれからも過ごしたいって言ってくれた証だったのに……それから、今日の朝の活動と昼からの活動と合わせて連絡出来ずに休んでしまいすみません』
 昨日のメッセージを見ても分かる通り、やっぱり昨日の穂高先生の電話で、すっかり恐縮してしまってる愛さん。愛さんのそんな声を聞くと、わたしの心臓が涙で濡れてしまったような感覚に覆われてしまうんだよ。
『そんな事は気にしなくて良いし、わたしだって今日は愛さんに逢いたくてお休みしたんだよ』
『私に逢いたくてって……私の為にそんな……』
『違うんだよ愛さん。わたし

愛さんの一番の理解者でいたいんだから、今日もわたしが勝手に休んだだけで、愛さんが責任を感じる事はこれっぽっちも無いんだよ』
 愛さんなら絶対自分の責任にしてしまう事は分かってたから、あらかじめ用意しておいた言葉もセットで付け足すんだよ。
 本当にどんな時でも徹底して他人を優先する愛さん。
『……そう言ってもらえるのはすごく嬉しいんですけれど、本当に今、人前に出られるような状態じゃなくて』
 昨日の穂高先生の話と、今の電話口でも喋り難そうに不明瞭に話す愛さん。暴力を振るわれたのはお顔で、あの頬の時のように腫れ上がってるのかもしれないんだよ。だとしたらこの前と同じ轍だけは踏みたくないわたしは一つの提案を愛さんに持ち掛ける。
『じゃあ今からお化粧道具を持って、愛さんの家にお邪魔するんだよ』
 今日は土曜日で、最低どちらかのご両親はいるはずなのだから、万一の場合でもこれ以上愛さんに不安を与えてしまう事は無いと思うんだよ。
『ええ! 私の家に来るんですか?! 痛い……』
 わたしが愛さんの家に行くのは初めて会った日以来だからか、驚きの声を上げて痛がる愛さん。
 電話口越しだから何とも言えないけど、それでもいつもの愛さんらしい雰囲気も感じられて不安自体は減るし、つっかえたままだった気がかりも、ほとんど消えてしまう。本当に愛さんの身に何かがあったなら、愛さんを心から大好きな空木くんも笑えるはずもないし、愛さんを大切にしてるご両親さんも、じっとなんてしてないと思う。
 ただそれでもわたしだって愛さんの一番の理解者なんだから、愛さんの顔を見ない事には安心なんて出来ないんだよ。
『……わたしは愛さんの部屋に入れてもらえない?』
 休みの日に、他人であるわたしが厚かましくも上がり込むものじゃない。
『来週の活動も休んじゃうことになりますけれど、せめて2週間後とかじゃ駄目ですか?』
 つまりそれほどひどい暴力を受けたって事で、
『わたしは今、愛さんのお顔を見て安心したいんだよ』
 そんなにも長い期間愛さんを一人にしたくなくて、わたし自身も愛さんと会うのを我慢出来なくて。
『じゃあ、今の私の状態の写真を撮って、送りますからそれで納得してもらえますか?』
 それでもわたしのお願いを聞いてくれない、いや。聞けない状態の愛さん。増々安心が遠くへ行ってしまってる。
『「愛美。その電話ってひょっとしてあの船倉さん? だったらいつもお世話になってるんだから家に来て頂きなさないな」』
 わたしがどうしようかと思案してたところに、
『ちょっとお母さん?! ――っ』
 まさか近くにおばさまがいたのか、わたしに加勢してくれるんだよ。
『いや来てもらうってそんな簡単に言うけれど、朱先輩だって――』
『――わたしは今すぐにでも家を出られるんだよ』
 だったらおばさまに乗じて、わたしの気持ちを愛さんに伝えるんだよ。
『ちょっと朱先輩?! 本当に今の私の顔は酷いので毎日メッセージを送りますから、今日は何とか納得を――「何言ってるのよ愛美。そう言って優希君とも顔の腫れが引くまでずっと会わないつもりなんでしょ? そんなのは駄目よ。愛美の本当の可愛さは彼氏も船倉さんも知ってるんでしょ?」』
 まさかのおばさまの言葉に、わたしの胸がとっても切なくなるんだよ。愛さんの女の子としての気持ちは十分、分かるけど、大好きな人と2週間も会わないなんてそんなの駄目に決まってるんだよ。
『ちょっとお母さん! お父さんに聞こえたらどうするのよ。それに優希君に幻滅されるかもしれないんだったら、2週間ぐらい我慢するに決まっているって! 痛っ』
『「本当に愛美は頑固ねぇ。お母さん、彼氏の前でだけは素直にならないといけないって何度も言ってるでしょ。それに男って言う生き物は、こういう時に好きな子からのポイントを稼ぎたいんだから、大丈夫だって昨日の夜も何回も言ったでしょうに」――ちょっとお母さん!!』
 わたしの気持ちなんて何にも知らない愛さんが、驚く程の情熱を持ってるおばさまに完全に押されてるんだよ。
『愛さん? 大好きな空木くんと2週間も会わないなんて、そんなの寂しすぎると思うんだよ。空木くんなら今の愛さんをもっともぉっと優しくしてくれると思うんだよ』
 何かの都合とか、遠距離恋愛とかならいざ知らず、こんなに近くに住んでるのに愛さんの思い込みで決めてしまうなんて悲しすぎるに決まってる。
 それに夏休み前に、とびっきりの愛さんを空木くんは見てるんだから、そんなちょっとの外見くらいで空木くんの気持ちは変わらないんだよ。
『ちょっと朱先輩?! 今のお母さんの会話聞こえていたんですか?!』
 そんなの当たり前なんだよ。そもそもわたしが愛さんの言葉を聞き洩らす訳がないんだよ。
『愛さん? 愛さんは空木くんのたった一人の彼女なんだよ? その彼女のワガママは空木くんにとって嬉しいはずだから、愛さんはもう少しワガママになっても良いんだよ』
 そして空木くんも、愛さんが大好きで、愛さんの一番になりたいって言ってくれたんだから、もっとワガママを言えば良いんだよ。
『いやでも私、本当に優希君には幻滅されたくなくて』
 本当にこんな愛さんだから、わたしもとことんまで応援したくなってしまうんだよ。
『愛さんが空木くんと会いたいって思ってる事は分かってるんだよ』
 でも、本当に万が一空木くんが、今の愛さんにほんのちょっとでも冷たくしたらわたしは、空木くんを絶対許さないんだよ。
『ちょっと待って下さいって! そもそも今の話って今日朱先輩と会うかどうかの話じゃなかったんですか?! なのに何で優希君の話になっているんですか?』
『じゃあ船倉さんを呼んで、彼氏と会う説得をしてもらいなさい。学校、最後まで通い続けるんでしょう? お母さんは愛美の気持ちを尊重するから、愛美もしっかりと彼氏を掴んでおきなさい。ハンサムなんでしょ? “男子三日会わざれば刮目して見よ”愛美がいるにもかかわらず他の女の子が出張ってくるくらい日々ハンサムになってるんでしょ? だったらしっかりしなさい! 良いわね』
 なんだかとっても不穏な言葉が出てきた気がするんだよ。
『「良い愛美? 恋する女の子は本当に強いのよ」――もう分ったから恥ずかしい事ばっかり言わないでよ』
『じゃあ愛さんが家から出るのがしんどいんだったら、愛さんの家の近くの目印を教えて欲しいんだよ。それから、ご挨拶に行くからおばさまにもよろしく言っといて欲しいんだよ』
 そうとなれば電話口での問答が惜しいに決まってる。
 わたしは以前愛さんから聞いたの家の住所と、送ってもらった目印を頼りに、大急ぎでお姉さんらしい頼りになるわたしに変身して、愛さんの家へと向かう。

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