第3話:朝が来なくていいんですか?
文字数 4,063文字
朝なんか来なければいいのに、といつも思う。だって朝は「終わりの」時間だから――。ざわざわとした現実の世界に聳え立つ“義務”という名の巨大な何かが、俺を「終わらせる」ようと踏み潰しに来る時間。早く逃げなけれればいけないのに、奮い立つ足も、瞼を開く筋肉も、自身に鞭打つ心すら、微動だに動かすことができない、鉛の鎖が全てを固く縛られる、そんな時間だから。
うつぶせで息をひそめ待つこと、それが俺にたったひとつの抵抗手段。全てが頭の上を通り過ぎるまで。この時間の何もかもが流れ過ぎてしまうまで。だから、このまま……。
突然耳元で少女の声が、朝のお日様にも負けないほどに明るい声が聞えた。ビックリした。心臓が口から飛び出すほど。
そういえば、この声、たしか夢の中でも聞こえていたような・・・。殆ど覚えていないけど、なんだか不思議な気がする。
夢じゃなくて、物理的な、鼓膜を振るわせて耳に届く声だった。畳の上に放り投げていたスマホから、はち切れんばかりに元気な力が、生命のエネルギーが、心の中に飛び込んできた。
畳の上のスマホを拾い上げると、画面の中でとびきりの美少女が嬉しそうに手を振っている。
どうやら、向こうからはこっちが見えてる・・・らしい。
そうか、スマホのカメラから俺の顔を画像認識しているんだ。そう思った途端、何だか急に恥ずかしい気持ちになった。当然だ。髭も剃ってなければ顔を洗ってもいない、こんな寝起きのみっともない顔を、AIとは言え、可愛い女の子に見られているのだから。
おどおどしている自分とは対象的に、
そうだ!もう一回、お礼言わなきゃですよね!マスター、
この度は、株式会社ウェッティ・パンドラの“ハッピー・ボックス”を
仮契約いただきまして、誠にありがとうございました!
製作会社ともども、感謝しておりま~す♡!!
昨晩のAI《アイ》は、単なるPCのAIチャットだったのに・・・。なんでこんなにグレードアップしてるんだ?
なんて屈託がなくて、綺麗で、とびっきりの笑顔なのだろう。今までの自分の人生で、初めて見るぐらいの。これでときめかない方がどうかしている。
うおおおーっ!三つ指をついてのお辞儀とか、テレビドラマ以外の実物を、はじめて見た気がする。いや、
でももう細かいこなんて、どうでもいい。
小首をかしげるような可愛すぎる仕草に、頭の中がさらに真っ白になってしまう。
どさくさに紛れて、スルーしてはいけないキーワードが、
何しろこんな可愛い女の子から、積極的なアプローチを受けたことなんて、今まで経験がないワケだし。もじもじとはにかんで返事をするのが精いっぱいだ。小学生のガキどもから「おっさん」と呼ばれても、反論の資格がないような外見の自分が、今どきの小学生以下の異性に不慣れな態度をとっているのはさぞかし滑稽だろうけど。それでも
輝くような笑顔が眩し過ぎる。
え…?
やはり小首をかしげるAI《アイ》に、汗をかきながら尋ねる俺。
一片の曇りもない笑顔での即答だった…。
今度もまっすぐな目で、きっぱり断言しやがった…。
落ち着け、落ち着くんだ、俺。
それぐらいのAI用語は俺でも知っている。
AI《アイ》はペロッと舌をだしながら笑顔を見せた。
ということは…、
いや、違うだろ?!
なんかおかしくないか?
だってお前、そんな賢い系美少女の外見で、
しかもハキハキとした割と頭脳明晰っぽいしゃべり方で、
それでポンコツキャラって……、
もうギャップ萌えの範疇超えちゃってるじゃんっ?!
一体何を言ってるんだ?俺は。
相手がAIでも溜息をつかれると何だか申し訳ないような気持ちになるのは、
俺がヘタレだからなのだろう。
負けないようにジロリと睨んでやるが、逆に伏せたその長い睫毛がすごく魅力的で……。
って、ちょっと待て!俺の言うべきことって、他にあるだろ?!
腹立つわー。カワイイけど腹立つわー。
俺が怒った顔をすると、
そして次の瞬間、
ドキドキしてきた。
しかし一体何なんだ?このAI。仮契約のときのイメージと全然違うんだけど…。
俺の脱力感が露骨に伝わったらしい。
努力は認めてやりたいが、取り
で…でも、マスターが私が予想してたより元気な方なので安心しました。
だって、ご自身のユーザ登録欄には、
「性格:暗い、無気力」などと記入されていらっしゃったので…。
でもすごいですよね♡
だって朝はやくからこんなに血気盛んでいらっしゃるんですから!
AI《アイ》は恥ずかしそうにまた舌を出す。まったく、笑う場面じゃなかろうに。
そんな起床時間、ありえないんだけど…。
っていうか、俺の就寝時間、いつも普通に今ぐらいなんだけど…。
全身全霊を込めてツッコミを入れた。
天然なのか?いや人工ボケなのか?
もう泣きたい気持ちなんだけど、
ここまできたら、ツッコんであげるしかないじゃん!!
それより発言意図を察してくれよ。トホホ…。
すっかり目が覚めた。本気で覚めた。
爽やかな目覚めとは全く言い難いが。
でもなぜだろう?悪くない目覚めという気が、しないでもなくはないような…。
溜息をつきながら、まだ薄暗い窓の外に目をやる。
小鳥の声が聞こえた。
数日続いた雨が、少しだけ小降りになっていた。