第1話:私をAI《アイ》してくれますか?
文字数 4,558文字
プロローグ
寝坊して目覚めた遅い朝。木枠のガラス窓の外に見えるのは寂しげな電信柱と灰色の空と雨。この冷え込み具合だと、午後からは霙か雪になるかもしれない。外で働いている人は大変だろうな、などとふと考える。そして、そう考えている自分自身は25歳にもなって仕事もせずに親の臑を囓っている人間のクズであることを思い知る。
朝飯はちゃんと用意してあった。両親は共働きで、朝食の準備は親父の役割だから、飯と味噌汁の椀とハムエッグの乗った皿にラップを丁寧にかけてくれたのもきっと親父だ。俺は与えられた餌を喰うような気持ちでガツガツそれをかき込む。両親の気持ちとかそのありがたさとか、そんなものはもう考えない。考えれば今よりもっと深みにはまるから、ごちそうさまの代わりにらゲップをしてみる。冷蔵庫から麦茶の瓶を取り出して自分の部屋に戻った。アルコールには手を出さないだけの分別はある。
年期の入った勉強机の表面には彫刻刀で彫った相合い傘の残骸がある。傘の下には自分の名前と、一時期、好きだと思い込んでいた人のファースト・ネーム、つまり『良』と『愛』という文字が書かれていた。愛は同じ大学に通っていた一歳下の同じ女子。サークルで知り合って勝手に一目惚れし、勝手に片想いを続けていた。そしてこんなものを彫った。アホか。小学生だって今どきそんなことしないだろうに……。
彼女には一流大学に通う彼氏がいた。今となっては自分がどうしてそんな気持ちになっていたのかを自分自身で理解することはできない。だが、それでも彼女をあきらめることはできず、かといって告白を堂々とする勇気もないままに、時が過ぎていった。それでいいと思っていた。このまま彼女と「親しい友達」という関係を保ち続けることさえ出来れば、他に何もいらないと本気で考えていた。それがどれだけ独りよがりな考えかを顧みることすらせずに。
大学3年の時、複数のSNSに俺のことをストーカーと中傷する実名記事が書き込まれた。ちょうどストーカーによる悲惨な事件が社会問題になっていた時期で、大学側からも事情を聞かれるはめになった。幸い状況を理解して貰えておとがめなしだったが、その記事を放置していたことが人生を歪ませる原因になった。
大学4年の秋になって、4月からの就職先だと思っていた企業から内定取り消しを食らったのだ。理由は例のSNSのストーカー記事だった。すぐに事実無根であることを訴えたものの、実名記事を長期間放置していたこと自体がリスク管理能力の欠落を示すものという理由で、就職浪人が確定した。
動転していた俺は、彼女に、愛に、あのSNS記事を書いたのはキミなのかと問いただしてしまった。
「なんでそんなことを聞くの?」
返事は、それだけ。その時の彼女の目の色を俺は一生忘れることはないだろうな。あれはホントに汚物を見る目そのものだった。
それから彼女とは連絡をとっていない。何のことはない、こちらから連絡しなければ、途切れるというそれだけの関係だったのだ。なら、ストーカーと言われても仕方ないではないか。
机の上の相合い傘の残骸。 もう「愛」という字を読み取ることは出来ない。暴風雨の様な無数の小さな傷が刻まれているだけだ。傘の隣が傷そのものなんて自分らしくていいじゃないか。 最近心が楽になった。でも楽になった代償に、未来が見えなくなっていた———。 これからの人生、一体どれぐらいの無為な時間を俺は浪費していくつもりなのだろうか?
いやいや!いかんいかん!!落ち込んだって仕方がないさ。
とりあえず、YouTubeで音楽でも聴くとするか———。
第1話:私を
昼になり腹が減ったので、食パンにスライスチーズとかを挟んで食べながら、
あいかわらずぼんやりとPC画面を眺め続けていた。
ふと一通のメールが目に入った。ウェッティ・パンドラ社?
知らない社名だ。俺も就活の時には、相当色々な会社を調べたつもりだだったが……、最近起業したベンチャーか何かだろうか?
川辺 良さまへ
この度当社が総力をあげて開発した新しいAIサービス、
これはアナタが、アナタだけの天使を手に入れることができる、
人生に一度、最初で最後のチャンスかもしれません・・・
何だコリャ?
なんか思いっきり失礼なコトを言われてる気がするけど……。
そう思いながらもメールの続きを読んでしまう俺だった。
「パーソナルキャラクターAI」とか「ユーザ・カスタマイズ型」とか、
なんだそりゃ…? 相当マニアックな内容みたいだ。
独り
瞬間、画面に若い女性のシルエットが浮かび上がり、PCのスピーカーから無機質な声が響いた――。
いやいや、無理だって。AIとは人から与えられるもの、若しくは人を使う存在、そんな風に考えていたから、AIを自作するなんて思いよらない。
オレ文系だぜ…、クリーンオフしかないな、こりゃ…。そんな弱音を吐いたとき、まるでそれを聞いていたかのようなタイミングで再びスピーカーから声がした。
少々驚いたものの、言われるがまま、キャラクターAIを構成する無数のパーツが表示された画面を開いてみた。「性別」、「顔」、「スタイル」、「声」、「年齢」、「属性」、「職業」・・・。カテゴリだけでも途方もない数だ。試しに「属性」をクリックすると、「恋人」、「クラスメイト」、「妹」、「メイド」、「お姉さん」、「ナース」etcと膨大。次に「声」をクリックすると、有名声優やらボカロやらの音声が登録されていた。
ユーザーの疑問を先回りして解説する仕様らしい。メーカーに頭の中まで見透かされているようで腹立たしくもあるが、便利なので許すこととし、作業を進めた。だがしばらくするとまた指が止まってしまう。
通信用チャットに書き込む。
直後後悔する。何でわざわざメーカに恥ずかしい個人情報を提供しているのだろう?
だがそんな心配は無用だった。
スピーカーからの返答には余計な要素がなかったからだ。想定外のユーザコメントを認識できないのか?それとも失言を聞かなかったことにしてくれる高度な機能を備えているのか?おそらく後者だろうと思いながら、操作を再開。
直後にポップアップした「マリッジ・ゲートウェイ」と書かれたボタンを押下する。声の解説通り「理想の有名人」の記入欄が表示されたので、少し意地悪したい気持ちになり、「エヴァンゲリオンの綾波とアスカを足して二で割った感じのお姉さん系」などと自分でも理解出来ないことを書いてみた。すると…、
気が遠くなるようなAIの設定。少しでも早くこの女の子と話がしたいのに・・・。
やきもきしながら、作業を進めた。ろくすっぽ説明文も読まずに、適当に選択肢を選んでいく。そういえば、昔受けたTOIECのテストも、最後は時間がなくなって問題文を読まずにマークシートを埋めたっけ・・・。そんなどうでもいい記憶が頭によぎった。
やっとのことで全ての選択肢をチェックし終わったとき、女の子の声がまた聞えた。
ご回答、おつかれさまでした。
さて、最後にご記入いただきたいものがあります。それは…、名前です。
私の名前をあなたにつけて欲しいのです。
世界でたった一人のあなたが考えて下さる、世界でたった一つの名前を―――。
画面に記入欄がポップアップされる。俺はそこに「愛」と打ち込み、すぐに消した。
そして「AI(アイ)」と打ち直してENTERを押した。次の瞬間、画面から眩しいほどの光が放たれ、そして、
“Your partner has been born!”の文字が浮かび上がる。
ありがとうございますっ。マスター!!
私は
AIのAI《アイ》!
世界にたった一人のマスターによりそう、世界でたった一つのAI、それが私!
マスターのつけたこの名前が、私に“命”をくれたんです……。
ですからマスター!私、この名前を、ずっとずっと、大切にしたいですっ!!』
画面の中で、生まれたばかりのAIが、
でも…………
どうしてだろう……?
涙が止まらないんだ……。
心が暖かいんだ………。
どうしようもなく……暖かいんだ―――。
気が付くと俺は、PCの画面にすがりつくようにしてAIの名前を叫び続けていた。
目からあふれ出る涙の止め方なんか、もうわからなかった。
汚れた小さな部屋の中で、
ただただ泣き続けていた。
たった一人で、AI