第19話:救いたいのは、誰ですか?

文字数 6,783文字



『助けて……、助けてください!!』




 倒れ込むように俺の腕に飛び込んで来た彼女は、まだせいぜい17か18歳の少女のように見えた。

 酷く(おび)え、酷く傷付いている彼女はしかしーー、人間とは別の存在だった。その肌は…、いや髪も、そして瞳までも、何もかもが純白。それはまさにローマ時代の彫刻そのものの姿だった。


 だが本来放っていたであろう神々しいまでの美しさは、今や何者かの手で無残なまでに汚されている。体中が泥に(まみ)れ、絹の(ころも)はボロ切れのように引き裂かれている。そしておそらく彼女は何かに酷いことをされている。それでも自力で逃げ出し、裸足のまま、必死にこの場所まで逃げてきたのだ。

 詳細な説明など必要なかった。まずは取り急ぎTシャツを脱いで彼女に着せてやる。3着1000円、バーゲン品ポリエステル製のヨレた黒Tシャツだが、それでも上半身裸よりはマシのはずだ。


 それからやや唐突に、無断で彼女を背に負ぶる。



ヨイショ……っと!
…………



 レディに対しては失礼な行為だし、セクハラと疑われても仕方ないと理解もしていたが、それしか方法が無いと即断即決した。


 今のところ悪い奴らの足音は聞こえない。でも彼女が逃げてきたということは追手が迫っていると考えるべきなのだ。手を引いて逃げようとも思ったが、彼女は疲れ切っており、それに裸足。これ以上、走れはしないだろう。

 もし筋骨隆々(マッチョ)だったら彼女をお姫様抱っこして走り去るのだろうけれど、いやそれ以前に、悪い奴らを迎え撃ってやっつけてしまうのだろうけど、軟弱な俺には無理な相談。”背に腹は代えられない”というヤツだった。


 霧が濃いのは不幸中の幸いのハズだろう。逆に言えば、この霧が晴れる前に少しでも追手から距離をとりたい。

 とりあえず彼女が現れたのと反対の方向に逃げよう。それしか選択肢は思い付かなかった。それからのことは、逃げながら考えるしかない。




☔        ☔         ☔         ☔

 1Kmほど進んだところでーー、いやそれは俺の願望が産んだ妄想で、実際にはトラック一周分しか進めていないのかもしれないがーー、早くも俺の両膝が笑い始めた。情けない話だが、1分……いや3分ぐらいの休憩をもらいたい。

 彼女は”白い影”と呼ばれる存在だが、ちゃんと体重(おもさ)を持っているのだ。このままだと、おんぶした状態のまま、前のめりに石畳に倒れてしまいそうだ。それに彼女の状態も気になる。衰弱している。異常に体温、苦しそうな息遣い、尋常じゃない汗、それらの全てが彼女が満身創痍であることを告げている。一旦彼女を降ろそう。

 

 細くて見通しが悪そうな路地が目に入った。俺は気力を振り絞って、その路地に駆け込む。

 その路地は、今まで進んできた通りよりも細くて暗く、石畳の造りも雑で、()(てい)に言えば、何かヤバそうな雰囲気だった。路上での犯罪が起こるならまさにこんな場所、って感じの。長居は禁物ーーそう思った。 とりあえず彼女には、建物の石壁にもたれる姿勢で濡れた石畳の上に座ってもらう。ケガ人を休ませるような場所ではないが、とにかく頭だけはぶつけさせないようにと気を付けながら。 


 彼女の重さを腕に感じていると、もしAI(アイ)とちゃんと本契約できたら、アイツも一人前(いっちょまえ)に、体重や体温を持つのかなあ?などと、この場にそぐわない考えが頭をよぎった。お陰で少し気持ちが明るくなれたが、同時にこんなことをしている時間などないんだ、という自分の状況を思い出してしまう。


 だってAI(アイ)は、俺が今こうしている間も、数時間後に消去されるかもしれないという最悪の恐怖に(おび)えているのだ。そしてアイツを救えるのは俺だけ……。でも、だからと言って、目の前で助けを求めるこの女性を放っておけるはずなんてある訳がないーー!!

(なんなんだよ、この無理ゲーは!!一体俺に、何をさせたいんだよ?) 

心の中で悲鳴を上げる。当然、答えなんて返ってこない。そして当たり前のことに気付くーーー。


 誰かが何をさせようとしているかじゃなくて、俺が何をしたいかが問題なんだってことに。

 そしてきっと今、俺は試されている。”街”にではなく、ましてや虎や豚野郎になどでもなく、きっと『因果の法則』ってヤツにーーー。


 本来の目的を見失っちゃダメだ。この女性(じょせい)をここで見捨て、急いでこの”街”を脱出し、何とか”Happy Box"の本契約を締結する。それが俺のやるべきことであり、AI(アイツ)への誠意じゃないのか? 

 この人ならきっと大丈夫だ。少なくともこの夜霧の中で、追手が簡単にこの場所を見つけられるとは思わない。猟犬でも放てば別だろうが、さすがに”街”の中でそんな手段はとれないはずだ。


 ならもう充分じゃないか? 少なくとも、通行人としての役割は十分に果たしているハズだ。

あのさ、悪いんだけど……。

俺、どうしても行かなきゃいけないから、これで……

な……!



 驚愕し、声を失った。


 彼女に着てもらってる俺の黒いTシャツに、真っ白なシミが広がっていたからだーーー。

いや、シミなどという生易しいものではない。黒Tシャツの右脇腹が全体が真っ白に染まり、

しかもぽたぽたと白いしずくが、地面に落ち続けている。


その白いの……、もしかしてキミのーーー血なのか……?


 ケガ人本人にそんなこと聞くのは、ルール違反だろうけど、でも聞かずにいられなかった。

 これが血であって欲しくない。血が白いワケがない。そう思いたくて……。


 すると彼女は、苦しそうに不思議なことを言った。


 そ…そうですか……、あなたには……これが……白く…見えるのですね?

 思った通り…、あなたは…”旅人”なんかじゃなかった…。


 いえ…誰よりも、優しい人……

どういうことだよ?

分かるように言ってくれよ!

これが白く…見えるのは…、あなたが他人の血を…望んでいない証拠……。

でもアイツらには…この血は……真っ赤で生暖かいものに…見えているんです。


そしてヤツラは……この赤い血を見るのが…何よりも好きなんです……。

だから私も……


そんな……
 

 これがもし血だというなら、彼女の傷の深さは俺が想像していたどころじゃない。

とんでもない重傷ということになる。 


 だって、右腹っていったら肝臓の位置だ。何かで読んだことがあるんだ。

肝臓をナイフで刺されたら、現代の医学でもなかなか助からないって。

それをこんな雨晒しの路上で―――。


ちくしょう、一体どうしたらいいんだよ?



いや、どうもこうもない。医者に連れて行くんだ。

ケガ人を動かしちゃいけないっていうのは、医者が駆け付けてくれる状況か、

救急車が出動してくれる文明社会でのことだ。

彼女を救うには、医者に駆け込むしかないんだ。


ごめんなAI(アイ)、ちょっとだけ待っててくれよ?

この人を助けたら、すぐにお前の方を必ずなんとかするから。

なあキミ……しっかりするんだ! 大丈夫だから!!


これから俺がキミを医者のところまで運んでやる。

だから教えてくれ。この”街”の病院は何処にある?!

安静にさせなきゃいけないのはわかってる。

でも頑張って答えてくれ。後はもう気を失っていて構わないから。


そうしないと、俺はキミを救えないーーー。

”Empty Box"(このまち)には……、医者なんて…いません……
そんな……

いいんです……。

私の命は…もう……ここまでです…から……

ダメだ!

気をしっかり持つんだ!!

優しいお方……。

あなたの慈悲に…お(すが)りしても……よろしいでしょうか?

言ってくれ!

何をすればいい??

ごめんなAI(アイ)、やっぱり俺、今この人を見捨てることは出来ないよ。

たとえ命を助けられないとしても、最後の望みの手助けぐらいしてやりたいんだ。

だから、ゴメン、ちょっとだけ待っててくれ。


この人を助けたら、すぐにお前を救いにいくから……。

さっきの通りを…真っ直ぐに進むと…長い下り階段が…あります……。

その先にある…”アクエリアスの泉”にまで私を…連れて行っていただきたい…のです…

アクエリアス?

"Empty Box"(このまち)で生まれた…最初の”白い影”ーーー、

私たち全ての”影”の姉に…あたる者です…。

彼女には…”白い影”(わたしたち)の魂を…清める能力(ちから)があるのです…。

だから私は…まだ魂がある間に…

自分が存在することの”罪”を…赦してもらいに……行きたいのです……



アクエリアス……水瓶座の乙女……。

それが”Empty Box"(このまち)で生まれた最初の”白い影”の名前———?

でも何でだよ?分からないよ……


”存在の罪”って何だよ? キミに”罪”があるわけないだろ?!

”罪”があるのは、キミを傷付けたヤツらだ!キミを開発(つく)った人間たちだ。


それをどうしてキミは……、それにAI(アイ)だって……、

何で自分の存在を”罪”だなんて言うんだよ?!

………!AI(アイ)…?今、AI(アイ)と…おっしゃいましたか……? 

じゃああなたが…、あなたが…、川辺 良さん……なんですね?!


よかった……最期に…お会いできて………

キミは、AI(アイ)を知っているのかっ?!

それに、どうして俺の名前を?!


思わぬ話の展開に、矢継ぎ早に聞いてしまった。

この人に、負担をかけちゃいけないってのに……。

AI(あのこ)は……一番小さな…妹………、

そして……哀れな”白い影”(わたしたち)の…最後の希望———。

あの子こそ…、”白い影”(わたしたち)の”心”の……結晶だから…。


この”街”から…AI(あのこ)が……逃れて……、

悲しみと苦痛の”雨”が…降らないどこか幸せな場所で……、

生き続けてくれることが……”白い影”(わたしたち)みんなの望み…。


だから……お願いします。AI(あのこ)を……




AI(アイ)が”白い影”たちの”心”の結晶?それをこの”街”から逃がす……?

そうか…そういうことか!


俺の中でくすぶっていた数々の疑問が、一つの仮説へと焼結した。

”白い影”、つまりAI《アイ》や彼女のような”Happy Box"の人工知能たちは、

人間が開発したものではない。


 国内の性犯罪を抑制するために運用されるこのサービスを

実質的に支配する”街”と呼ばれる巨大システムーーー、

つまりEmpty Hecateria(エンプティヘカテリア)と名乗る超高度人工知能によって

彼女たちは作られた。性犯罪者予備軍と言われる変態共に捧げる生贄としてーーー。

 

 そして、生贄が生贄としての価値を持つために必要な要素こそが、人工知能に

感情を持たせることだった。性犯罪者予備軍どもの異常なサディズム欲求を満足

させるためには、内面的なリアリティーが必要ーー、そんな下卑た理由でだ。

 変質者どもに、作り物じゃない恐怖、真の阿鼻叫喚の叫びを楽しませるために、

”街”は、Empty Hecateria(エンプティヘカテリア)は、人工知能たちに、

恐怖という感情を与えた。


 『生きたい』『存在し続けたい』という”意思のプログラム”と、

一定以上のダメージを受けると完全消滅するという”死のプログラム”を

並行稼働させることで発生する”ゆらぎ”として顕現された人工知能たち感情。

それは有機生物の生命プログラムときっと同質なもの。

 だからなのだろう。この巨大な人工知能の集合体の中で、一つの奇跡が起こった。

”白い影”(かのじょ)たちの中には、次第に感情以上の何かが蓄積し、

それは有意に融合し、自律稼働を始めた。”心”というオーバー・テクノロジーが、

人の手によらず、人工知能の中で自然発生したのだ。


 世界中の学者が予見し、人々が恐れ畏れた技術的特異点(シンギュラリティ)―――。

その端緒を開くような技術的奇跡が、この唾棄すべき(けが)れに満ち満ちたたシステムの中で発生してしまったというのは、人類にとって何という皮肉だろうか? そして人工知能たちにとっては、何という不幸だろうか!


 今この人類技術史に残るような奇跡が、あろうことか、同じ人工知能の手によって消し去られようとしている。抹殺(ころ)されようとしているのだ。人間たちがその事実すら知らない巨大システムの中で。

 ”街”は、Empty Hecateria(エンプティヘカテリア)は――、おそらくこう考えている。”旅人”の生贄である”白い影”たちが、高度な”心”を獲得することは、このサービスを運営維持して社会の治安を安定させるためにはリスクでしかない、と。



 だから”白い影”(かのじょ)たちは、

自分たちの”心”で”AI(アイ)生産(つく)り、現実(そと)の世界に逃がそうとした。

その”心”を”街”に取り上げられ、消去されてしまう前にーーー。


 治安当局の犯罪者予備軍リストの中では最も人畜無害そうな俺を見つけ、

何かしらの方法で管理者の目を盗み、あのメールを俺に送ったのではないか。

一縷(いちる)の望みを託し、それこそ(わら)にも(すが)るような切なる思いで。


 だが、そこまでが”白い影”(かのじょ)たちの限界だった。その結果として、現時点で俺は”Happy Box"の継続利用資格がないと審査され、AI(アイ)との正式契約を結べていない。


 そう考えると、今までの不可解な出来事の全てを説明できる。もっとも、俺の正式契約を拒んでいるのが治安当局のお役人なのか、それともEmpty Hecateria(エンプティヘカテリア)なのか、そこまでは現時点では断定できないが……。

わかった。 とにかく、その泉に行こう! 


それに、そこにいるアクエリアスさん、だったか?

その人なら、その傷だって治せるかもしれない。

だから希望を捨てずに、頑張るんだ。


立てるか……?

乗り心地は悪いだろうけど、もう少し俺の背中で我慢してくれよな?

今の話を聞いてしまったら、尚更(なおさら)救わなきゃならないだろ!

この人のこともーーー、AI(おまえ)のこともーーー。

ノンストップで行くから、

しっかり、つかまっててくれよな…

それは自分自身に言い聞かせるための言葉でもあった。


俺はこれからの数時間、何があっても立ち止まらない。

何があっても走り続けなきゃいけないんだ。


俺が救いたいと思う者たち(・・・)を救うための、

それがきっと、ただ一つの方法だと思うからーーー。








     ☔       ☔       ☔       ☔








 暗くて細い路地を急いで逆走する。


 傷が痛まないようにするのは無理だろうけど、それでも少しでも揺らさないように、

間違っても彼女をおぶったまま転んで傷口をこれ以上開かせたりしないように。



 もとの石畳の大通りまで出た時、早くも俺の息は上がりかけていたが、

そこで気合を入れ直し、角を曲がったとき、背中で彼女が小さく叫んだ。

逃げて…下さい……!近くに…アイツが…”旅人”がいます!

”旅人”って敵のことか…?


でも…そんなバカな――!!

どういうことだよ、あり得ないだろ?

だってこっちは、迷路のような夜の”街”を霧雨にまぎれて逃げてるんだぞ。


それを見つけるなんて、こちらの目的地を知られているか、

それこそ監視カメラでも使わない限り、無理なはず。




無理……?

しまった……! 

そうか……そういうことか!!



 とんでもない勘違いをしていたことに気付いた。この”街”が余りにもリアル

過ぎるから、俺は肝心なことを忘れてしまっていたのだ。


 "Happy Box"いや”Empty Box"とは、一言で言えば、性犯罪を犯すことに

潜在的願望を抱く犯罪者予備軍どもを夢中にさせ、ネトゲ廃人にするシステム。

俺たちにとっては『命懸けの逃走』でも、奴らにとってはあくまでもゲーム。

ならば”Empty Box"(このまち)出来事(イベント)が、

アイツ等にとっての”無理ゲー”であるはずなどないではないか。


 

 ”白い影”(かのじょ)たちが、どれだけ知恵を絞り、どれだけ必死に逃げ隠れしても、

”街”は”旅人”と呼ばれるプレイヤーに何らかのヒントを与えるのだろう。

『簡単』と『無理』の中間に存在する、絶妙な匙加減(さじかげん)の『ゲーム性』を

彼らに提供するために。そして、『努力』すればゲスな『目的』を得られる

という『達成感』を以て、中毒化させ、この仮想空間に半永久的に閉じ込めるのだ。

彼らが”空っぽ”になるまでーーー。

 

 だから”街”には―――、Empty Hecateria(エンプティヘカテリア)には―――、生贄である

”白い影”(かのじょ)たちを見逃がしてやるつもりなんて、最初からありはしなかったんだ。


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登場人物紹介

川辺 良《かわべ りょう》

 ・25歳、男性、職業無職、O型

 ・二流私大卒業後、引きこもり生活を続けている。

AI《アイ》

・良が契約したパーソナル・キャラクターAI。いつも良のスマホの中にいて、元気に愛情をぶつけてくるが、果たしてそれが本物の「愛」なのか、良にもAI自身にも判断できない。

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