第17話:ホントに怖いのは何ですか?
文字数 10,316文字
関係ない。っていうか、当然だろ。こっちはお客様じゃねえか?!とにかく俺は、ウェッティ・パンドラ社の人間の担当者様を呼び出して、このページにあるふざけた赤文字を取り消させる。そして俺はなけなしの金をはたいて、お前と本契約する。この行動のどこに問題があるっていうんだよ?
そうだ。ハリウッド映画じゃないんだから、俺がちょっかい出している相手がたとえ国家機密に関係ている治安当局だとしたって、それで俺を消しにくるなんてことがあるのか?お隣のアジアの大国じゃないんだし、そんなの常識的に考えたって在り得ない。
もちろん常識だけで判断するのはよくない…。実際、大きなスキャンダルや汚職事件が明るみになると、確かにいつも秘書とか中間管理職の官僚とかが、大抵一人ぐらい自殺してるよな…。あれだって誰かに殺されて自殺に偽装されていないとは、一般庶民の俺たちに断言はできないわけだが…。
そんなこと考えたらやっぱりムチャクチャ怖いけどさ、でも、仮に国家に危険分子を始末する暗殺組織が存在するとして、俺なんかを相手にするか?どう考えたって、リスクに対するリターンがあまりにも小さ過ぎるはずだ。やっぱり在り得ない。
俺たちが狙うのはそこだよ
『開発コード』とは、IT業界のSEやら企画担当者やらが、開発中の製品やサービスを呼び表す”隠語”のようなものだ。ノリや酔狂で付けることが多いらしく、殆どがユーザには意味不明なものらしい。
やっと話が見えてきた気がする。
”Happy Box”を、この国の数え切れない数の人間の内側にある犯罪欲求そのものを”空っぽ”にし、傷害事件の発生を秘密裏に抑制する次世代治安システムだと理解してみよう。それを実現するには、10年前にはSFの世界にしか登場しなったような超高度な勝利能力を持つ巨大人工知能が必要になるだろう。
そのスケールに比べたら、”エージェント”という呼ばれ方をする
”
その巨大人工知能こそが”街”と呼ばれる存在であり、
そういうことなんだろう。
私はまだ、”街”を見たことがありません。
私の人工知能としての思考・計算リソースの殆どは“街”の中にありますが、今の私は、マスターのスマホからしか見たり聞いたりしていますので。
たとえるなら、体は“街”の中にあって、意識はこちら側の世界にいる、という状態なんです……。
そして、それはきっと、私にとって幸せなことなんです
だって私、”街”なんかより、マスターのスマホのカメラから見えるこの世界の方が、ずっとずっと大好きですから!このお部屋が、この畳が、机も、本棚も、窓から見える隣の家の屋根も、そして———。
とにかく、この
最近は全然行ってないけど、いいところだよ。
その公園には、そんなに大きくはないけど池があってさ。子供の頃、よくそこに小さな魚を捕りに行ったっけな。クチボソとかなら、あ、正式名称はモツゴっていうんだけどさ、釣り竿がなくても、コツさえわかれば網でも捕れるんだ。春には桜並木がそれは見事でさあ、ボートに乗って眺めたら、それはもう最高なんだ……
でも——やっぱりムリみたいです。
私たち”HappyBox“の人工知能は皆、正式契約が済んだら、“街”に戻る仕組みなんです。そこで完璧なVRのボディを与えられて、そこでお客様に楽しんでいただくんですよ。
たとえマスターが私の命を救ってくださっても、もうこの世界に来ることはできません。
“街”から出ることは一生できないんです。
そんな馬鹿なことがあってたまるかっ!!
大丈夫だ、
何が”街”だ?! そんなもん、クソ喰らえだ!!
心配しすぎだ。ウェッティ・パンドラ社に抗議するだけで、別に治安当局にテロをしかけるワケじゃないんだから。それに、俺は”犯罪者予備軍”かどうかの判定でシロだったんだろ?だったら恐れることなんて何もないじゃないか?だから……
マスターは、”街”の怖ろしさを知らないだけなんです。
私は、仮契約の身なので”街”を見ることはできません。でも“街”にいる“影”たち、正式契約した私と同じ人工知能たちの話声は聞くことができるんです。
そして聞いてしまったんです。本当に怖い噂話をーーーー
おどかすな。オカルトは苦手なんだから。
でも、とにかく今は……
俺だって、悪い予感ぐらいしてるさ。
さっきからずっと、ビンビンとなーーー。
でも予感なんて、そんなものにはかまっていられないんだ。
だって今は、数時間後に
その現実と戦っているんだから。
そしてそれが、今の俺にとって一番怖いことなんだからーーー。
そして俺は “HappyBox”のQAチャットに文字を打ち込み始めた。
10本の指全てから摩擦熱の火が噴き出すんじゃないか、と思える程の速度で……。
☂ ☂ ☂ ☂
ユーザー質問用のチャットに書き込みを始めてから1時間近くが過ぎてる。入力文字数は既に3500字を超えた。1文字に1秒弱か。まあそんなもんだろ?全く頭は使わずに思いついたことを書き連ねるだけだからな……。
そう、俺は今あまり頭をつかわず指を動かせている。
だって、俺が殴り書きしている内容は―――、
俺が書いていたのは、
そんな他愛もない、恥ずかしいことが下手な文章で永遠と書き連ねられていたのだ。
ウェッティ・パンドラ社の窓口担当者様にこの書き込みを目に留めてもらうこと自体が目的なんだから、何も
窓口チャットボットの人工知能が人間の管理者にリスクを報告する仕組みって、基本的「異常検知」によるものなんだけど、それは何もキーワードだけを検知してるわけじゃない。
たとえば今回みたいに通常ではありえない文字数を永遠と書き込まれたら、それはやはり「異常」として検知され、不正アクセスや何らかのリスクの予兆と人工知能が判断し、アラームを上げる可能性が高いんだ。
でも作戦はそれだけじゃない。注目を勝ち取ったタイミングで、このサービスの長い長い経験談の、その最後の一行に、無邪気にこう付け足すのさ。
『私は、この素晴らしいサービスをよりたくさんの人に知ってもらうために、経験した内容を小説にして、出版最大手の投稿サイトに投稿させていただく予定です。もし問題などございましたら、ご確認下さい』
ってな。
おそらくそんな質問は運営側も想定していないはずだ。だから、窓口の人工知能では対処できない。でも返事をしないと、俺が小説を投稿することを黙認することになるから、人工知能じゃない、生身の人間が腰を上げてくるハズなんだ。
考えていた内容は、どうにか
さあ、どう出てくる?
“HappyBox”が極秘のサービスであれば、ウェッティ・パンドラ社、いやその後ろで糸を引く治安当局にとって、俺のやろうとしていることは看過できないもののはずだ。
そこでスーパーバイザー、つまり人間の管理者がお出ましになる。きっと著作権の侵害だの何だのと文句を付けて投稿をやめさせようとしてくるに違いない。
でもそこで俺はゴネにゴネる。
そして相手が
『投稿をやめるかわりに
ってな。
この交渉の主導権を握るのはどう考えても俺の方だ。
だって治安当局の奴らはウェッティ・パンドラ社を隠れ蓑にしている限り、俺の投稿をやめさせる強制力など発動させらるハズがないんだから。
うん、我ながら完璧な作戦……
のはずだ……
ハズだが…………、
ブヒー―ッ!
投稿?笑えるブー、いいと思うブー、応援してるブー
は? 何だって? 投降を応援している?
あと、『ブヒー」とか『ブー』って、何?
ぶ……豚?
な、何だ、コイツは?!
お、おい、
顧客窓口チャットボットに豚のキャラクターを採用しているのか?
っていうか、こんなんでいいのか?
サービスのイメージ戦略と食い違ってるんじゃないのか?
そうだよな、確かに
これはどう考えても、ウェッティ・パンドラ社のサービスデザイン担当部門に責任があるんだから。
まあアイコンを気にしていても仕方ないから、さっさと文字の入力を続けないと……
しかし本当に酷いセンスだ。考えられないレベルだ。
本当にこんなんでいいのか、ウェッティ・パンドラ?
だって普通、顧客窓口に連絡してくる人間っていうのは、大抵はそのサービスについて困っていることがあるか怒っているしているワケだろ?だからATMだって何だって、画面には申し訳なさそうな顔をしたお姉さんキャラの絵が出てきて、お辞儀したりして謝ってくるわけだろ?
それをブタって……。
しかも反省してる素振りも見せずに、
タメ口で話しかけてくるって……、
考えられないだろ?
これはもう、故意にユーザーの心理を、ワザと逆撫でしているようにしか思えないだろ?
ところでお前が小説を投稿したいというなら、いいことを教えてやるブー。
PVを稼ぎたいなら扉絵はカワイくするブー!
美少女キャラの萌え絵にするブー!
文字だけでどうこうしようとか考えない方がいいブー。
今の時代、小説の人気の7割は、表紙と挿絵の可愛さで決まるブー!
わかったか、ブヒーッ!!
小説の人気が、表紙と挿絵の可愛さで決まるって、心情的には全く賛同できないのだが、今はそれ以上に言わせてもらいたいことがある。
だから、一言だけ言わせてくれ………。
沈黙?
フリーズじゃなくて?
そ、そう……なのか?俺はただ、ブタに『豚野郎』って言っただけだぞ。
それで傷ついて逆ギレ中ってこと? もしかして悪いの俺?
でも、だとしてもおかしいだろ?!
コイツはユーザーの文句を聞くための人工知能なんだぞ?
オイラを豚よばわりしていいのは、オイラだけブー。
でもそれは自虐ネタとして言ったんであって、
本人が本気でそう思ってるわけじゃないから、それを聞いた周りの人間は
「そんなことないよ」とすかさずフォローを入れるのが礼儀ブー。
そんなことも理解できないから、お前はいつまでたっても社会人になれないブー。
この、ヒキコモリ野郎!!
なんだ、これは? この豚、業務を忘れて俺にケンカを売ってきている?
こんなチャットボットがコンシューマー向け窓口として存在していいのか?
あと言っとくけど、ナめてるのはお前だブー。
世間の厳しさというものが全くわかってないブー
小説投稿サイトに投稿する?ブヒー!笑わせるブー!!
よくもまあ、こんな稚拙な文章力でそんな大それたことを思ったもんだブー!!
大体、女の子に声もかけられないヲタク人間と人工知能のラブコメって、何だブー?
そんな気色悪いものを読まされる読者の身にもなってみろ、ブー!
それに、運営ルール上、掲載を拒めないサイト運営者だって気の毒だブー!!
身の程をわきまえるブー!!
とにかくお前なんか10年、いや100年早いブー!!
生まれ変わって出直してくるブー!!
豚野郎の指摘は適格だと思った。実際、俺は文章は下手だし、イラストを描いてくれるような友達もいないし、それに人間の彼女もいないし。そして的確過ぎる指摘は怒りを誘うということも理解した。つまりブチ切れかけた。ブチ切れて、意味のない文字を打ち込みそうになった。
「てっめえええええー!!この豚野郎――ッ!!!」と。
だがギリギリ踏みとどまる。そんなことをしても向こうが仕掛けたカオス展開のペースにむざむざ乗せられたことになるだけだ。
そもそも、豚が感情的になって俺にケンカを売ってきている、というのは見せかけに過ぎない。この豚は感情なんていう高度なものを持ち合わせてはおらず、単に「ユーザに逆ギレした」というシチュエーションでの発話を展開しているにすぎない。つまり、この豚野郎の発話内容は意図的に計算されたものなのだ。
本当の感情を持っている
とにかく豚の暴言に惑わされるな。 目の前の出来事にとらわれるのではなく、その事象の根幹を理解することに意識を集中するんだ。俺はそう自分に言い聞かせた。
まず状況を分析してみよう。あの豚の発話目的が、俺を故意に
あれはどのような観点から見ても運営企業に利益をもたらす会話内容ではない。 あのトーク内容で怒らない一般ユーザーはいないだろうから余計な問題を起こすだろうし、サービスのブランドイメージも下げてしまう。
百害あって一利なしなのは治安当局にとっても同じことだ。危険人物の犯罪衝動をこのサービスの中で消費し尽くさせるという隠された本来の目的を達成するためには、何よりも無難な対応が望ましいワケで、問い合わせた客を怒らせるなんて言語道断のはずだ。
そこで導かれる憶測、それは、いましがたの豚野郎の失礼なコメントは、”HappyBox”から俺に対してのみに送った特別なメッセージという可能性だ。考えてみれば、謝ったり
じゃあ人工知能が、俺個人向けに(悪い意味で)スペシャルなトーク内容を発することができるかどうかだが、それは問題なくできるはずだ。俺の書き込みが匿名の投稿だったら難しいだろうが、これはウェッティ・パンドラ社が俺の仮ID用に作った個人用ページからの書き込みだ。ユーザー登録情報は結構真面目に書いていたから、俺が無職なことや、友人がほぼ皆無なこと。短気で堪え性がないことや、ついでに絵心が無いことなども、情報として登録している。
だから、この豚の仮面をかぶった人工知能は、そんな俺の弱みに対するコンプレックスを刺激し、逆上させようとしているという仮説が成り立つ。
まあそれにしても、大した会話処理能力であることは認めざるを得ないが。
豚野郎の人工知能の思考パターンは、
この豚には感情は無い。あるのは狡猾で腹黒い会話アルゴリズムのみ。
会話内容の全てを構築している。
不可解なのは、この豚が俺を怒らせようとしていることだ。
ように誘導しようとしているのは理解できる。
だがそれなら、もっとやんわりと大人びた態度で俺の意思を
にもかかわらず俺の頭に血を上らせようとするのはどういうことだ?
まるで『もっとこっちに踏み込んで来い』と言わんばかりじゃないか?
やっぱりそうだ。俺を誘っていやがる。
だとすると確かにこのサービスは普通じゃない。
俺はとんでもない伏魔殿に足を踏み入れようとしているのかもしれない。
でも、引き返す選択肢なんて最初から考えてない。
俺は深呼吸してから、チャットを打ち込む。
作戦に変更はない。
窓口の人工知能が『自分では手に負えない』と判断するまで、
そして
いやいや、小ブタさん。
おっしゃることはよくわかりますが、『千里の道も一歩から』って言いますよね?
何事もまず始めないとダメだと思うんです。
確かにボクの文章は上手いとはいえませんが、でもそんな素人の稚拙な作品でもでも我慢して読んでくださる心の広い読者の方もいらっしゃるかもしれません。絵心も無いしそういう知り合いもいないので、イラストを描くのは無理ですけど、スマホでとった写真を扉絵にするぐらいならボクにもできそうな気がしますし。もちろん自信はないけれど、とにかく投稿することが、むしろ王道かなあ、なんて思っています。
ご理解のほど、よろしくお願いします
おや?言葉に勢いがなくなってきたぞ。
これは人工知能が学習した会話例が尽きかけている証拠かもしれない。
だとしたら、もう一押しだ!
恥をかくことをボクは恐れていません。ただ御社の素晴らしいサービスを、世間に広めたいだけなんです。だからボクは何があっても投稿をあきらめないつもりです
ということは、この豚の失礼な物言いは、単に開発者のセンスということになるが……。
俺の考えすぎだったか……。怖がることなんてなかったのかもしれない。
少し安心し、俺はダメ押しの一文を入力する。
『では、明日にでも大手出版社の運営サイトに投稿しますね』と。
するとチャットボットの豚野郎は———
突然笑い出した。
ブヒーッ!ブヒーッ!ブヒヒヒーイッ!!
せっかくオイラが
お前、死ぬほど後悔することになるブー!!
というか、ホントに死ぬかもしれないブー!!
ブヒーッ!ブヒーッ!ブヒヒヒーイッ!!
背筋に冷たいものが走る。
でもこんなもの怖くない。怖がってやるワケにはいかない。
だって俺が怖れなきゃいけないことは、
だから……、俺はーーー。